第111話 海の調査

 時刻は正午過ぎ。子供達は一旦特訓を中止すると、昼食ついでの休憩に入った。いまだに火球をつれて沖まで到達した者は居ないが、しかし颯月の言う通り、進む距離は間違いなく伸びている。

 明後日に迫る祭りには間に合わずとも、このまま特訓を続ければいずれ完璧に制御できるようになるだろう。


 一日に何度も魔法を使用するし、しかも制御を誤れば繰り返し海に落ちて、体力を奪われる。子供達は三人揃って疲労困憊の様子だが、しかし彼ら自身も成長している実感があるのだろうか。疲れの中にも、高揚感のようなものが見てとれる。

 例え特訓がどのような結果に終わったとしても、この経験は子供達にとってプラスになるに違いない。


 そうして子供達が休憩する中、綾那はというと――ずっと構えていた魔具カメラを砂浜に置いて、颯月が厚く作り直したばかりの氷の通路の前に立っていた。その横には、「せぬ」と呟く陽香の姿もある。


「え、マジで渡るのか、コレ? 海で泳ぐ魚を見るためだけに?」

「だって静真さんも旭さんも、自分の目で見た方が早いって言うんだもの……浅瀬には何も泳いでいないし、ここには船も桟橋もないし。この氷を渡って、沖まで出るしか方法がないでしょう?」

「いや、そりゃまあ、良いんだけど……カメラも無しにこんな撮れ高ありそうな事すんの? いくら魔具が水濡れ厳禁とはいえ、あたしかアーニャのどっちかが足滑らせて、水ポチャするかも知れないのに? スタチューバー的に何事もなく浜まで戻って来るとか、許されるのか、それは――?」

「ま、待って、お願いだから盛大なフリはやめて。本当に眷属が居たとしたら、笑えないでしょ?」


 何故たこ焼きの話から派生して、こんな度胸試しをする事になってしまったのだろうか。

 竜禅は「氷の上を渡るだけなら度胸試しにもならない」と断じていたが――何が生息しているか分からない海に落ちるかも知れないなんて、それなりに恐怖を煽られる。


 静真や旭は「海洋生物を食べるなんてとんでもない、あれらは悪魔の眷属だ」と言うし、颯月は「そんなものは迷信だ」と一蹴する。真相を確かめるためには己の目を使うしかない。

 それに、陽香が新たに打ち立てた『たこ焼き大作戦 (仮称)』を実行するには、具になるタコの存在が不可欠なのだ。


(よく考えれば、食卓に魚介類が出ないんだし……特に深い理由もなく「ただ食べる文化がないだけ」なんて、そんな単純な話で終わるはずないか)


 綾那が目にした事のある眷属といえば、ヴェゼルの足が変化した地球外生命体のみである。

 そんなものがウジャウジャ水中に居ると思うと、足が震えてくるのだが――しかしここ数日間、子供達が幾度も海へ飛び込んだにも関わらず、誰もその眷属とやらに襲われていないのだ。やはり颯月の言う通り、そんなモノは生息していないのだろう。


 綾那は一つ息を吐くと、改めて氷の通路を見やった。子供達が渡っていた時よりも氷の幅が広くなっているのは、恐らく気のせいではない。

 そもそも綾那と陽香は特訓したい訳ではなく、ただ単に沖まで行って、海に棲む眷属と称されるものの存在を確認したいだけだ。つまるところ、間違っても足を滑らせて海に落ちる事のないように――という、颯月の優しさと思いやりである。


「なあ綾。沖まで行くのが嫌なら、禅に適当なものを獲ってこさせても良いんだぞ? 海に棲む生き物の姿さえ確認できれば、それで良いんだろう」

「私は狩猟犬か何かですか」


 心配そうに眉根を寄せている颯月の隣で、竜禅がぼやく。

 綾那は苦笑いを浮かべて首を横に振った。まず、綾那の「たこ焼き食べたい」なんて呟きが事の発端になっているのだ。これ以上綾那や陽香の思い付きで、他人を振り回す訳にはいかない。


 まあ、颯月に氷を張り直させた時点で、十分に巻き込んでしまっているのだが――。


「まあ別に、泳げない訳じゃないしな。アーニャもカナヅチじゃあないし、落ちたとしてもちょっと濡れるだけだ。最悪禅さんが助けてくれるし、服は颯様に乾かしてもらえば――ていうか、この暑さなら放っておいても乾くだろ」


 陽香は言いながら、氷に一歩足を踏み出した。そして感触を確かめるようにガッガッと靴底で氷を踏みしめて、「今なら割と表面が乾いてるから、行けるだろ~」と明るく笑う。

 続けて「――落ちても面白いだけだし、むしろ誰も落ちないという選択肢はない」という不穏な呟きも聞こえたが、綾那もまた氷の通路へ足を踏み出した。


 靴底に特別な滑り止めがついている訳ではないのだが、意外と安定感のある歩き心地に、ホッと息をつく。これなら問題ないと判断して、颯月に「行ってきます」と声を掛けるため後ろを振り向いた。すると、何故か旭まで続こうとしているので、首を傾げる。


「眷属云々うんぬんは別として、海にも魔物が生息しているので……自分の事は、保険のようなものとお考え下さい」

「ま、魔物?」

「マ? それはちょっと、話が変わってくるんじゃねえの?」

「その際は必ずお守りしますから、ご安心ください」

「ご安心って――ま、まあ、良いか……もしもの時には頼んだぞ」


 爽やかに微笑んで頷く旭は、相変わらず好青年と呼ぶに相応しい容貌である。

 陽香は綾那と顔を見合わせると、「――方針変更だ。絶対に落ちるなよ、言っとくけどフリじゃねえからな」と、かえってフリにしか聞こえない台詞を吐いて、沖へ向かって歩き出した。



 ◆



 スタチューバー的には大問題だが、一行は足を滑らせる事なく、無事に氷の先端――沖合まで辿り着いた。

 沖合まで出てもある程度の深さまで見通せる海は、美しい以外に形容の仕様がない。円形の土台、その端に立った綾那と陽香は、碧く透き通る海を覗き込んだ。


 その海の美しさに感嘆の声を漏らしたのも束の間、水中を泳ぐの姿を目にすると、悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。


「はぁあ、やっぱ「奈落の底」は違うな! ネタの宝庫じゃん!」

「うん、凄いね!」


 リベリアスもとい「奈落の底」は、地球の奥深く――中心部に位置する世界だ。綾那達が住んでいた日本は地表に位置して、ここは超深海を超えた先にある世界。

 だからこそ、だろうか。この海を泳ぐ魚は、どれも「表」ではそうそうお目にかかれない異様な姿をしたものばかりである。


 体に対して大きすぎる目玉がギョロリと飛び出たもの。まるでネオン街の看板のように、多彩な色に輝いている怪しげなクラゲ。

 鋭い牙や尖ったヒレ、ボコボコと不気味な形に体表を隆起させたもの。ゲームに出てくるクリーチャーと見紛うような恐ろしい容貌をした、最早「魚?」と首を傾げたくなるような謎の生物。

 明らかに弱点としか思えない、内臓を体外に露出してしまっている「どうしてそうなった?」としか言いようのないレベルの魚などなど。中には、「表」のテレビで見覚えのある深海魚の姿もあるった。


 そう、目に映るもの全てがなのだ。


「どうも、普通の魚は居ないっぽいぞ……どうなってんだ? キッズ達が海に飛び込んでも問題がなかった以上、別に高水圧って訳じゃないだろうに――不思議だなあ」

「まるで、眷属のようでしょう?」


 なんとも言えない表情で海を覗き込んでいる旭に、綾那は「確かに深海魚って、地球外生命体っぽいかも」と笑う。そして、彼や静真が海洋生物を食べるなんて――と引いていた理由に納得する。


「ゲテモノは美味しいと言いますけれど、確かにこの見た目では食べる勇気がいりますね……「表」でも、深海魚を獲って食べる人は少数派だと思います。あまり一般家庭には普及しないものですから」


(ああ、でも、漁業の網にかかった深海魚はすり身にして、加工品にされるって話もあるんだっけ?)


 渚がそんな話をしていた気がする――なんて思っている綾那の後ろで、旭が苦笑した。


「まあ……わざわざこれらを食用にしようと思う者は、なかなか――まず食用に向いているか、有毒かどうかも「分析アナライズ」がなければ分かりません。必要に迫られれば選択肢に上がりますが、他に食べるものはいくらでもありますからね」

「その「分析」ってのは、何系統の魔法になんの?」

「闇ですね。ただし闇魔法が使えるのは悪魔と眷属、そして悪魔憑きだけと言われています」

「そっか……ナギが居れば、「鑑定ジャッジメント」で調べられたのにな。――いや! ここは毒が効かないアーニャが試食してみるしかないか? 名案なのでは?」


 無駄にキメ顔をする陽香に、綾那はぶんぶんと首を横に振った。


「確かに毒は効かないけど、寄生虫は「解毒デトックス」できないから、無理無理のムリだよ! もし食中毒にでもなったら、最悪死んじゃうからね?」

「うーん……そうか、そうだよな、食中毒になったら薬も効かねえし……残念だ。それにしても、この調子じゃあタコは望み薄か? 確か深海にメンダコってカワイイのが居たような気がするけど、さすがに深海魚の習性や獲り方なんて知らねえわ」


 早くも企画が頓挫とんざした事に肩を落とした陽香は、「とりあえず、浜に戻るか」と踵を返した。どうも、すっかり海や深海魚に対する興味をなくしてしまったらしい。

 綾那は氷の上にしゃがみ込んで海中を覗き込むと、深海魚の泳ぐ姿を目に焼き付けた。


(渚は、こういう珍しい生き物を見るのが好きそう)


 渚はとにかく博識で、様々な生物に関しても造詣が深いのだが――これだけ深海魚が居れば、きっと彼女が知らない新種も見つかるに違いない。渚と合流した暁には、この海の話をしたいものだ。

 そうしてじっと海を眺める綾那の背に、旭が声を掛けた。


「綾那様、段々氷が溶けてきましたよ。自分達も戻りましょう」

「あ、はい、ごめんなさ――いッ!?」

「――綾那様!!」


 慌てて立ち上がろうとした綾那は、溶けた氷の表面に浮いた水で、それはもう見事にツルリと足を滑らせた。

 瞬きをする間もなく海に向かって体が傾く。綾那は、脳内で「だから、盛大なフリはやめてって言ったのに!」と、さっさと浜へ引き返した陽香の背中へ向かって、少々理不尽な悪態をついた。


(さすがに立て直せない、落ちる!)


 綾那はギュッと両目を閉じて、海に落ちる衝撃に備え身を硬くした。しかし、突然グイと強い力で腕を引かれて「ひっ」と声を上げる。誰かに全身を抱え込まれた感覚に、綾那は恐る恐る目を開いた。


「旭さん――?」

「だ、大丈夫ですか!?」


 どうも海に落ちかけた綾那の腕を、旭が引いて助けてくれたようだ。彼は、腕を強く引いた拍子にそのまま抱き留める事で、綾那が海に落ちないよう守ってくれたらしい。


「ご、ごめんなさい、ありがとうございます! 眷属じゃなくても、あれだけの数の深海魚が居る海に落ちるのは、ちょっと、怖かった――」


 危機一髪の状態を脱したばかりで、ドッドッと激しく脈打つ鼓動。綾那は力なく笑って、目の前にある旭の騎士服を思わず握りしめた。何かに縋らなければ、今にも膝が笑い出しそうだったのだ。


(護衛騎士なのに、魔物からじゃなくて海ポチャの危機から守らせてしまった……なんだか申し訳ない)


 旭は安堵した様子で笑いかけてくれたが、こんな情けない姿を晒してしまった以上、何やらその優しさが辛く感じる。次は間違っても足を滑らせぬよう、慎重に動かなければ――と、ゆっくり彼から身を離そうとする綾那の耳に、陽香の性急な叫び声が届く。


「おい馬鹿! アーニャ、やべえ、颯様が! ――走れ!!!」

「へ?」


 叫びながら風のような速さで氷の通路を駆け抜けて行く陽香に、いきなりなんだと目を瞬かせる綾那と旭。しかし、その足元の氷が突然ピシリと音を立てて深い亀裂が入ったのを見ると、サッと顔を青くした。


「ち、ちょ、――急に、どうして!?」


 海に浮かぶぐらいなのだから、そんなすぐに割れてしまうほどの薄氷はくひょうではないはずだ。確かに溶け始めてはいたが――見れば、次から次へまるで緻密な蜘蛛の巣を模したように、亀裂を増やしていく氷。このままでは、通路が崩れて無くなってしまうのも時間の問題だ。


 一体どうしてと慌てる綾那の隣で、旭が声を上げた。


「そんなまさか、颯月騎士団長が魔力の制御を誤るなど、あるはずがないのに……!」

「――え」


 その言葉に、綾那は浜辺に立つ颯月へ目線を投げた。少々距離があるため表情までは確認できないが、しかし彼は真っ直ぐに、こちらを射貫くように見ている――ような気がする。しかも彼の横では、苦しげに胸を押さえて前傾姿勢になった竜禅の姿もある。


(まさか……まさか、私と旭さんが触れ合った事が不愉快だった……なんて、そんな、ハハ。嘘嘘、颯月さんは神だもの、さすがに自惚れが――)


 ――過ぎる、と思った瞬間。綾那と旭の足元は、バキャリと耳障りな音を立てて崩れた。せっかく海ポチャを回避したはずが、結局二人揃って仲良く海にダイブしたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る