第110話 難航

 子供達が魔力制御の特訓を開始してから、あっという間に三日が経った。

 既に夏祭りは二日後に迫っているものの、浜辺へ戻ってくるどころか、沖の氷まで辿り着いた者すら一人も居ない状況だ。しかし、それでも子供達は諦める事なく、挑戦し続けている。


 最早文句を言う元気もなくしたのか、毎日ただ黙々と氷渡りに取り組む子供達。綾那の持つ魔具カメラのレンズが、本日何度目かの高い水飛沫を捉えた。

 今回海に飛び込んだのは幸輝だ。彼はもうすっかり水に慣れてしまったらしく、どれだけ深い場所で足を滑らせても悲鳴一つ上げない。無言のまま水没して、すぐさま竜禅の魔法でザバリと引き上げられた。


 しょんぼりしながら浜辺へ戻って来た幸輝に、颯月が声を掛ける。


「今のは最長記録だったな。その調子で行けば、沖まで到達するのも夢じゃない」

「うーん……でも、沖からこっちまで戻って来ねえとダメなんだろ? まだ全然じゃん」

「アンタらの場合、魔力制御については底辺超えてマイナスからスタートしたようなもんだぞ? そう考えれば、決して悪くない成長スピードだ。誇っていい」

「――え? 俺らって底辺超えて、マイナスだったのか?」


 大層ショックを受けた様子の幸輝に、颯月は「ああ」と即答した。そして、ますますしょぼくれた子供達に続けて言い聞かせる。


「あまり悲観する事はない。アンタらはただ、学ぶ機会を与えられていなかっただけなんだから。文字を習っていないヤツに、いきなり本を読めと言っても無理だろう? むしろ無理難題すぎて腹が立つレベルだ、それと同じと思え」

「はぁーい……」

「ねえにーちゃん、一回アーニャに抱っこしてもらっても良ーい? ちょっと疲れたぁ、ギューッてされたら元気出そう……」

「綾はダメだ、撮影の仕事がある」

「……じゃあ、よーかちゃん」

「アンタ、一度なまけると際限なく甘えちまうだろう? 百歩譲って静真なら良い」

「しずまはカリッとしてるから、抱っこしてもらってもあんまり楽しくないもん!」

「ガキがいっちょ前に色気づいてんじゃねえぞ。よし、次は朔が行ってこい」

「アァー! にーちゃんの意地悪ー!!」


 朔は嘆きながらも、指示通り氷でできた道の前に立った。


 颯月の特訓内容の説明を受けた当初は、とんでもないスパルタ教育としか思わなかったが――やってみれば意外と、子供達にとってちょうどいい難易度の試練だったようだ。

 泳げないから海に落ちるのは嫌だと言っていたものの、こうして連日海に飛び込めば、気付かぬ間に恐怖心も薄れている。アイドクレースはただでさえ年中温暖な気候の上、季節は真夏だ。何度海に落ちて、全身びしょ濡れになったとしても即座に乾くため、風邪をひく心配もないだろう。


「私は子供達を守っていたのではなく、ただ過保護で可能性を潰していただけなのでしょうか――」


 撮影を続ける綾那の横で、静真は意気消沈した様子で膝を抱え、体育座りしている。彼の呟きに、綾那も陽香も――そして旭も、苦笑するしかない。

 子供達が氷渡りの訓練を始めてからというもの、静真はずっと胃の痛みに堪えるような顔をして、「無理だけはするなよ! 最悪魔法を封じられたとしても、魔石さえあれば十分に生活はできるんだからな!」と、暗にリタイアを促していた。


 しかし子供達はワーワー言いながらも――疲労困憊で喋る気力をなくした後も、リタイアする事なく必死に挑み続けている。

 やがて静真は声掛けをやめた。そうして綾那達の横に来ると、一人膝を抱えて自己嫌悪に陥ったのだ。


「まあ……ほら、なんつーか――ズーマさんみたいな役割も、子供には必要だと思うけどね。なんでも包み込む母性っつーの? そこ行くと颯様のアレは、父性っつーか……どっちも必要なものだし、そもそも子供のためを思ったものなんだから、落ち込むこ事はないんじゃねえかな。どっちか一つだけ特化してても、子供のためにならんってだけッスよ」

「陽香さんは、まるで聖母様のように寛容なお心をお持ちなのですね……」

「せ、せいぼ様!? いや……聖母はさすがに初めて言われた」


 日々、特訓に耐える子供達を見守る事に疲弊して、情緒が不安定になっているのだろうか。感極まった様子で瞳を潤ませる静真に、陽香は困ったような笑みを漏らした。

 そして、改めて海――子供達の方を見やると、難しい顔をする。


「でも、キッズ達スゲー頑張ってるけどさ……やっぱ、祭りの合成魔法は厳しい感じなのかな。さすがに準備期間が短すぎたか? 最悪、この努力が全部無駄に終わるかもなんて、可哀相な事しちまったなあ」


 頬をかきながら息を吐く陽香に、しかし静真は「いいえ、無駄にはなりませんよ」と首を横に振った。


「本来ならば、もっと早くに魔力制御の訓練を始めなければならなかったのに……そうしなかったのは私です。これをきっかけに魔力の扱い方を学べたのですから、今後は子供達の意識も変わるでしょう」

「そうですね。確かに制御が上手くできるようになれば、人を傷つける心配もありませんし――そうなれば、街の人達とも上手く接する事が出来るかも」

「そう言ってもらえると、ついノリで無茶振りした罪悪感も減るんだけどよ……」

「それに、子供達があれだけ頑張っているのですから――もし合成魔法がダメでも、何かしらの形で祭りに関われないか考えてみます。例えば、子供達が作ったお菓子を出店で販売できれば、いい思い出づくりにもなるでしょうし」

「お祭りの出店かあ、良いですね……久しぶりにたこ焼きが食べたいなあ」


 苦笑する静真に、綾那は思わず呟いた。何故か「奈落の底」には魚介類を食す文化がないらしく、そういった類のものが食卓に並ぶ事もない。


 以前、アルミラージの魔物肉――討伐してから時間の経った『まずい肉』を食した時、綾那は「未精製の魚醤のようだ」と形容した。けれど後から聞いた話では、リベリアスにはナンプラーもしょっつるも存在しないらしいのだ。

 視聴者に一切伝わらない食リポでは意味がないと、大慌てでそのシーンを「生臭く、癖が強い発酵食品」と編集したものである。


 こちらに来て約二ヵ月。騎士団宿舎の食堂や街の店でタコを見た事はないし、もしかすると『たこ焼き』なんて料理自体存在しないのかも知れない。

 別に「表」で生活していた時、頻繁にたこ焼きを食していた訳ではないのだが――今まで普通にあったものがある日突然食べられなくなると、無性に恋しくなるものである。


「タコヤキというのは、異大陸の料理か何かでしょうか?」

「えっと……たぶん、リベリアスにはないですかね」


 やはり、そもそも『たこ焼き』が分からないのか、旭は不思議そうな顔をして首を傾げている。


「祭りの出店で販売されるという事は、持ち歩きできるような軽食ですかね。こちらでも再現できれば良いのですが――」

「たこ焼き……たこ焼きかあ! そうじゃん、ないなら作ればいいじゃねえか、キッズ達に作らせようぜ! こっちにないものなら、目新しくて出店も盛り上がるんじゃね? 何より旨いじゃん!」

「――えっ」

「適当な鉄板見繕って、アーニャが拳で加工して凹ませれば、なんちゃってたこ焼き機に出来るだろ? しかもおあつらえ向きにここ、海じゃん。タコ壺用意してタコ獲るぞ、タコ!」

「ま、待って陽香、またそんな簡単に企画して――」


 またしてもペロッと無茶振りを始めた陽香に、綾那は困惑する。やはり、四重奏カルテットのトラブルメーカーは伊達じゃない。次から次へと企画、提案をして、良くも悪くも周囲の人間を振り回してしまう。


(ただでさえ特訓でいっぱいいいっぱいなのに、その上たこ焼きまで作り出そうなんて……子供達はもちろん、私もタスクオーバーな気がする)


 そうして困惑する綾那を尻目に、陽香は「物は試しじゃん、とりあえずツボになりそうなもん仕掛けて、一日様子見てみようぜ! タコの餌になる小さいカニでも居りゃあ、尚良いんだけど――」と、一人浜辺を漁り始めた。


「ああ――たこ焼きなんて、口にするんじゃなかった」


 綾那は魔具のレンズを子供達に向けたまま、そっとため息を吐き出した。その隣で静真が「ツボを仕掛けると言っていましたが、タコは水辺付近に生息する生き物ですか? 砂浜に潜って生活するのでしょうか?」と、まるで好奇心旺盛な子供のように目を輝かせている。


 見聞きした事のないモノに対する好奇心は止められない、それは綾那にもよく分かる。苦笑して首を横に振った綾那は、静真を真っ直ぐに見返した。


「いえいえ、海の中ですよ」

「――えっ」

「け……眷属で溢れかえっているという、この海の中ですか? それを、と……?」

「へ? いえ、でも颯月さん……団長が、それは迷信だと――」


 明らかにドン引いた様子の静真、そして旭に、綾那は困惑して首を捻った。

 なんとも言えない気まずげな空気の中、陽香が「ツボはないけど、なんか良さげな箱見つけたわー!」と言って、浜辺を駆けてくる。


「ええと……直接、見た方が早いかと思いますよ。ちょうどホラ、沖の方までもある事ですし――」


 目を逸らしながら告げた静真に、綾那は「えっ、あれ――? もしかして私にも、をしろと?」と聞き返した。

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