第109話 奈落の底の海

 颯月が容赦のない特訓説明を終えて、十分後。馬車に乗った陽香達が入り江に到着した。

 御者席に座って馬車を操るのは竜禅。荷台には彼を呼びに行った陽香と、外でも食べられるような軽食を運んで来た静真――そして、何故か旭の姿もあった。


「おお、海じゃん! 海の下の世界にもしっかり海があるんだな、しかもスゲー綺麗! まるでリゾート地じゃん、うーたんも来られたら良かったんだけど――アイツ「僕はだから、行っても役に立たないよ」って拒否しやがった」


 荷台から飛び降りてぼやく陽香に、綾那は「ここで役に立っちゃうと、辻褄つじつまが合わないからね」と苦笑する。

 悪魔憑き相手に施す特訓なのだから、本来であれば、颯月だけでなく右京も監督者として向いているはずだ。子供達の苦労も、魔法も何も分からない綾那が傍にいるよりずっと良い。


 しかし、右京は彼らの前で普通の人間の子供のフリをしている。

 普通ひとつふたつの属性魔法しか使えない上、魔法の威力だって一般人と悪魔憑きでは全く違う。下手に彼らの前で魔法を披露すれば、すぐに「普通じゃない」と気付かれてしまうらしい。『普通の子供右京』と友達になれた――と喜ぶ子供達のためにも、彼はこのままフリを続行するようだ。


(それに、もし悪魔憑きだって事がバレなかったとしても――見た目同い年の右京さんがあまりに優秀だと、皆の心が折れちゃいそう)


 現状、魔力制御について不安要素しかない子供達。もしも幼い右京が、完璧に制御して見せてしまったら――きっと、しょんぼりしてしまうだろう。


「それで、旭さんはどうされたんですか? 確か水ではなく、火魔法が得意でしたよね」


 流れるような動作で旭に魔具カメラを向ければ、彼は気まずげな表情でレンズから顔を逸らした。旭の瞳は幸成と似た金色だ。黄色や金色の瞳が表す得意魔法は『火』。

 竜禅は水魔法が得意なので、子供達が海に落ちた時の救助役として呼んだらしい。では、旭にも何か役割があるのだろうか――と、綾那は首を傾げた。


「自分は陽香さんが本部へ駆け込んで来た時、副長と書類整理をやっておりまして――席を外すつもりが、副長から共に来るよう仰せつかって。何をするのかは、実はまだよく分かっておりません」


 苦笑する旭に頷くと、綾那は次に竜禅へレンズを向けた。彼はちょうど浜辺近くの木に馬の手綱を繋ぎ終えたところで、悠々と綾那の元へ歩いてくる。そして、浜辺に並んでカタカタと震える子供達を一瞥すると、小さく息を吐いた。


「子供達の特訓で出かけられたはずの颯月様から、「海へ来い」と呼ばれた時点で察していたが……やはり、をさせるおつもりか」

「――氷渡り? 氷河じゃあるまいし、真夏の海に氷はないけど?」


 首を傾げる陽香に、竜禅が頷いた。


「氷ならある――というか、作れる。すぐに颯月様が凍らせてしまうから」

「凍らせ……はあ!? この海、全部か!?」

「さすがに全てではない。人が上を歩いても差し支えない程度の厚みをもたせた、細い通路のような氷の土台……それを浜辺から沖の方まで、長く伸ばすんだ。それこそまるで、氷河に浮かぶ氷のように」


 陽香はあんぐりと口を開けた。それとほぼ同時に海の方が強く光ったかと思えば、颯月はあっという間に海の一部を凍らせて、沖まで続く氷の道を作り上げた。細長く伸びたその道は、沖合のゴール地点だけ円形に広がっている。

 その光景に、陽香は「ホント魔法使いって、ビックリ人間だよな」と呟いた。


「それで……魔法で作った氷の上を歩くのが、魔力制御の特訓になる訳? 足を滑らせないように集中するからって事?」

「ただ歩くだけでは度胸試しにもならない。浜から沖まで、魔法で作り出した小さな火球を連れて歩くんだ。沖まで行ったら折り返して、浜辺へ戻ってくる。火球の熱で氷が溶けないよう、注ぐ魔力量に注意しながら慎重に――まあこの気温では、放っておいても溶けてしまうだろうな」

「ほお! そりゃあゲーム性が高い特訓だな、面白い! でもソレ、今のあの子らには難易度高いんじゃねえの? 今朝颯様に「火の玉小さくしろ」って言われて、真逆の結果を産み出してたけど――てか、ちなみにそれ、制御に失敗して氷が溶けると……?」

「沖の方だと、確実に海に沈むだろうな」

「ちょちょ、ちょっと待ってください!? 颯月! 颯月お前、子供達に何をやらせようとしているんだ!? 泳げない子ばかりなのに、どうかしている! やめろ! お願いします!!」


 静真は竜禅の言葉を聞くや否や、怒っているのか懇願しているのか判断しづらい態度で颯月の元へ駆け込んで行った。

 いまだ震える子供達を庇うようにぎゅうと抱き締めて「やめろ」と言う静真に、颯月は目を眇めて「やめても良いが、その代わりガキ共は金輪際、魔法を使えん体にするからな」と、取り付く島もない。


「やっぱ、颯様ってちょっと……な人?」

「じ、自分に同意を求めないで下さい」


 やや引いた様子の陽香と旭を尻目に、綾那はふと気になった事を竜禅に訊ねてみた。


「あの、竜禅副長。もしやその『氷渡り』、幼い時分の颯月騎士団長もやられていた事、なのでしょうか――」

「…………いや、厳密に言うと少し違うな」

「ええ……まさか颯様、自分がやってた事よりもえげつない事をキッズにやらせようてしてるって事……?」


 更に引いてしまった陽香に、竜禅はゆるゆると首を振った。


「颯月様は土台――氷魔法の制御までご自身に課せられていたから、やっていたのは「氷渡りではない」という意味だ。だが今回、子供達に課した内容は「氷の上を火球をつれて渡る事だけ」だろう? 颯月様は慈悲深いお方だから、しっかりと相手の力量を見極めて、決して無理を強いるような事はしない」

「え、なに? もしかしてこの国のせーひ様、鬼なん?」

「さすがにその言葉は不敬だな。綾那殿、もし今回も宣伝動画にするつもりなら、今の部分は確実に編集で切るように」


 不敬と言いながらも、しかし竜禅は愉快そうに口許を緩めた。綾那もまた苦笑して、それから改めて旭を連れて来た理由を問いかける。


「副長。今回、旭さんは?」

「ああ……恐らく私も颯月様も、子供達の相手で手が離せなくなる。静真殿も子供から一時も目を離したくないだろうから、もし魔物が出た場合『広報』の護衛が居なくなると思ってな。ちょうど傍に居たから連れて来た。和巳は書類整理、幸成は若手の育成で身動きが取れんし……右京殿にも断られてしまったから」


 淡々と説明する竜禅に、綾那は納得して頭を下げた。やはり彼はよく気の回る紳士である。


「では、私はの時に備えて子供達の傍に居よう。彼らが溺れ死ぬような事にはならないから、安心していて欲しい」

「お、おお……禅さん、よろしく頼むわ」


 海の方へ歩いて行く竜禅の背を見送って、陽香はぽつりと「マジで、安易にこんな企画しちまって申し訳ねえな――」と独りごちた。

 その点は、陽香を止めなかった綾那も同罪であるため、苦み走った笑みを浮かべるしかない。しかし、ここまで来てしまったらもう最後まで見届けるしかないだろう。


 改めて子供達の方へレンズを向ければ、魔具カメラが颯月の容赦ない言葉を拾い上げる。


「おい、もう訓練は始まってるんだぞ。アンタらがここでグダグダやってる間に、気温と水温で氷は溶けていってる。時間が経てば経つほど足元は滑るし、沖からこっちへ戻ってくる頃には道がなくなるだろうな」

「に、にーちゃん、僕、お祭りは行きたいけど、水キライ……」

「甘やかすのは移動中だけと言ったはずだろう。誰から行くのか知らねえが、時間の無駄だ。さっさと行け」

「そ、颯月……なんかそうしてると、マジで団長っぽいな」

「団長だからな。さあ、御託は良いから行けって。例え起きても禅が助けるから、心配するな。ついでに泳ぎも覚えられて一石二鳥だろ?」


 颯月の対応はにべもない。そんな彼に、いつの間にか子供達と一緒になって震えている静真が口を開いた。


「颯月、お前に人の心はないのか! どうして子供達に、そんな仕打ちが出来るんだ……!」

「そもそも、アンタがのらりくらりとガキの教育を怠った尻拭いを俺がしているんだが? どうも、「反省する」と言ったのは口だけらしいな」

「違う、反省はしている……! 反省はしているが、しかし理性と感情は別物だ――」


 子供達の身を案じて項垂れる静真を見かねたのか、それとも年長者としての自負があるからか。楓馬が突然、「はい!」と威勢よく手を上げた。


「――お、俺! 行きます!」

「その意気だ、行ってこい。まずは火炎弾ファイアボール

「はい!」


 気付けば楓馬の土気色の肌には、血色と呼ばれるものが一切見てとれない。彼は、水に対する恐怖で唇を戦慄かせつつ「火炎弾!」と唱えた。

 現れたのは、恐らくごく一般的なサイズ――サッカーボール大の火球だ。すかさず颯月が「氷を渡る前にもっと縮めろ、せめて拳二つ分ぐらいに」とアドバイスを送る。


 今朝は混乱して火球を大きくさせてしまった楓馬も、さすがに二度目ともなると勝手が違うのだろうか。彼は見事、火球を縮めてみせた。

 しかし、意気揚々と氷へ足を踏み出したものの、十歩も進まない内につるりと足を滑らせた。なんとか踏ん張って滑り落ちる事はなかったが、足元に意識を向けたせいで火球のコントロールを失ったのか、見る見るうちに大きく育っていく。


 楓馬は泣きそうな顔をして颯月を振り向いたが、しかし彼は首を横に振って冷たく告げた。


「一度でも沖へ辿り着けば、ここまで戻って来ても良い」

「そんな! 颯月さん、なんか、どんどん大きくなるんだけど!?」

「縮めればいいだろ、さっきは出来てた」

「もう、それどころじゃない! 縮め方が全然分かんないんだよぉ! ――あ゛ぁ! 氷めっちゃ溶ける! やばい、マジでめっちゃ溶けてる!! ちょっと待って、誰か助――!!!」


 その言葉を最後に、巨大な火球を爆発させた楓馬は、どぼんと大きな水飛沫を上げて海へ落ちたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る