第108話 千尋の谷
特訓場所を変更すると言った颯月は、まず陽香と静真におつかいを命じた。陽香には、一度騎士団本部へ戻って竜禅を呼んでくるように。そして静真には――予想以上に特訓が長引きそうなので――飲食物を持ってくるように。
街の外には魔物も出るのに、颯月が護衛しなくて平気なのかとも思ったが、よくよく考えてみれば、静真は光魔法に長けているのだ。街へ戻るまでの短い距離ならば、そう問題にならないだろうとの事らしい。
(陽香は手持ちの弾数が限られている以上、よっぽどの事がないと銃を使えないから……)
彼女にも銃の他に、身を守るための何かを持たせなければいけない。アデュレリアでそうだったように、また悪魔に魔法封じを持ち出されたら敵わない。悪魔の『ゲーム』に参加させられるのは、どうしたってヴェゼルの個人的な恨みがある綾那達なのだから。
「アヤ、まだそれ撮ってんのか? こんなの撮ってどうすんの?」
先を歩く幸輝が振り返って、魔具のレンズを不思議そうに覗き込む。綾那は小さく笑みを漏らした。
街の外なら人目がないので、子供達は頭のフードを取り払っている。まだギリギリ午前と呼べる時間帯の、眩い陽光。それをキラキラ反射する金髪は、まるで光り輝く稲穂のようだ。
颯月の先導で新たな特訓場所へ向かう道中も、綾那は
ただ、正直撮ってどうするかはまだ未定だ。とりあえず動画の素材集めとして撮影しているものの、騎士団の求人に繋がらない内容に終われば、宣伝動画に
まずは撮ってみて、上手く行けば陽香の提言通り「騎士団長が悪魔憑きの子供達を特訓した結果、こんなに制御が上手になりました! 夏祭りの合成魔法も、子供達が打ち上げました! めでたしめでたし!」という動画が出来上がる。
ただ、颯月が「ヤバヤバのヤバ」と評する状態の子供達が、一週間足らずでその領域へ達するとは考えづらい。
この企画が
普段魔具で撮影される事なんてないだろうし、どんな結末に終わろうと目新しい体験ができたとして、子供達の
(成功したらしたで、この子達に配信の許可取りしなきゃならないし――失敗したとしても、静真さんにとっては子供達の大事な成長記録だよね)
普段、人の目から隠れるように生きる悪魔憑きの子供達。彼らの『異形』をこれでもかと撮影した動画を、不特定多数の人間相手に公開する許可をくれるかどうかは、微妙である。
今姿を撮影されている事に何一つ文句が出てこないのは、この場に居るのが全て慣れ親しんだ人間である事――そして、そもそも撮影された動画の使い道を理解していないからだ。
スタチューバーとしては、やはり良い動画が完成すれば、多くの人に見てもらいたいと思う。しかしだからと言って、演者の意思を無視する訳にはいかないのだ。彼らが承諾しない場合は、潔くお蔵入りにするしかないだろう。
「アーニャは? ねえ、アーニャも一緒に入ろう?」
「うん? ああ、ごめんね……私は入れないの。これは皆の
「――物語? よく分かんない。だから、アーニャと手繋ぐのもダメなの?」
「そうだよ。朔はフレーム――えっと、カメラに映るところに居てね」
朔は冷たく拒絶されたと受け取ったのか、レンズに向けてぷっくりと両頬を膨らませた。綾那が「前を見て歩かないと危ない」と言って笑えば、渋々体の向きを正面に戻す。そうして先導する颯月の背中を見やると、何を思ったのか、てててーと駆け寄った。
「にーちゃん、手、繋いで歩く!」
颯月の横について、朔は二パッと笑うと彼を見上げながら小さな手を伸ばした。
つい先ほど結構マジなトーンで甘えは悪と説教されたばかりなのに、後を引きずらないというか――いや、やはりそもそも、説教された事についてイマイチ理解できていないだけなのだろうか。
綾那は魔具を構えたまま、颯月がどう出るのか固唾を飲んで見守った。しかし彼が動くよりも先に、幸輝と楓馬が声を上げる。
「えー!? 朔だけずりいよ! 俺も颯月と手ぇ繋ぐ!」
「じゃあ颯月さん、俺はおんぶで良いよ!」
「おんぶで良いよ、じゃねえだろ。どうした? 随分はしゃいでんな」
「だって、街の外なんて久しぶりだろ? 俺らいっつも留守番で、静真さん一人で出かけちゃうしさ……こんなに長い距離歩くのも久しぶりだし、折角ならレアな経験しときたいじゃん」
「俺と手を繋いで歩くのが?」
「レアだろ! 騎士団長と手ぇ繋いで街の外歩くなんて、普通の子供は経験できねえよ!」
颯月を囲んでワーワーと騒ぎながら服を引っ張る子供達に、彼は呆れたような笑みを浮かべて、「甘やかすのは移動中だけだからな」と肩を竦めた。
「朔が一番チビで、手を繋ぐと歩きづらい。アンタが背中だ」
言いながら颯月はその場に屈んで、朔が乗りやすいように背を傾けた。楓馬が「おんぶは俺が良かったのに」とぼやいたが、朔が笑顔で背中に飛びついたのを見ると、「まあ良いか」と笑う。
「落ちるなよ? 落ちたら置いていくからな」
「落ちないもーん!」
朔は颯月の太い首に腕を回して、胴にしっかりと両足を絡ませた。颯月が立ち上がると、朔は「高ーい!」と言って大はしゃぎしている。
本来ならば朔の体を支えるために後ろ手を回すのだが、颯月の手は左右それぞれ、幸輝と楓馬に繋がれた。二メートル近い彼の背から落下するのは、なかなか危険だ。もし落ちてしまいそうになった時は、綾那が手助けするしかないだろう。
「颯月って、手ぇでけえよな! 静真と全然違う……体がでかいから当たり前か」
「俺は静真と違って、ちゃんと飯を食うからな」
「静真さん、全然食わねえからなあ……たまに何か食ってると思ったら、草みてえなのばっか噛んでるし」
「僕しずまみたいじゃなくて、にーちゃんみたいになりたいな~」
「……本人の前では言ってやるなよ? さすがに傷つくと思うぞ」
談笑しながら目的地へ向かって歩く、颯月と子供達。その姿を背後から撮影している綾那は、「ふぐっ」と言葉を詰まらせた。
(子供達に慕われる颯月さん、素敵すぎる――! 子供好きな事が知られたら、またファンが増えるんだろうなあ……! ああ、もう、震えよ止まれ、映像が乱れる……!)
頭の中で震える手に叱咤しながら、綾那は撮影を続行した。
◆
「うわぁ、海だあ……!」
颯月が新たな特訓場所に選んだのは、アイドクレースの南方にある入江だった。
寄せては返す波は白く泡立ち、陽光を反射する水面は碧く透き通っている。近くで目を凝らせば、水中を泳ぐ魚の姿さえ見えそうな透明度だ。
辺りに人の気配はなく、桟橋や船など、建造物も見当たらない。入り江を抜けた先には、どこまでも広大な海が広がっていて――「表」と違い空が黒一色なので、水平線の境目がハッキリと分かれている。恐らくこの海を超えれば、南部セレスティン領なのだろう。
(向こうに渚が居るんだよね……渡航禁止が解かれるまでは、どうしようもないけれど)
「奈落の底」で初めて目にする海に感嘆の声を上げた綾那は、魔具のレンズを向けて風景を収めていく。こんなに美しい海は、そうそう見られるものではない。やはり科学ではなく魔法で栄えた世界なので、海を汚染する物質自体、「表」とは比べものにならないほど少ないのだろうか。
そうして綾那が海に夢中になっていると、甘やかしタイムを終了した颯月が、子供達を砂浜へ横一列に並ばせた。彼らは一様に緊張した面持ちをしている。
「これから、氷魔法で水面を凍らせて足場を作る。アンタらはその上で火魔法の制御を学ぶ訳だが、さっきみたくバカでかい火球を作り出せば、熱で土台が溶けやすくなる。あとは――分かるな?」
説明を聞いた途端サッと顔面蒼白になった子供達に、綾那は思わず口を挟んだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください、颯月さ――騎士団長!? 子供達を海のド真ん中に落とすつもりですか!?」
「勘違いするな、綾。俺が
「は、はあ、なるほど。それは私の早とちりで――いや、同じ事ですよね……!?」
危うくコロッと納得しかけた綾那だったが、しかしどう考えてもスパルタ教育である。つい先ほどまでのほほんと笑っていた子供達は、真夏日を越えて猛暑日だというのに、青い顔のままブルブルと震えている。
「だから、もしもの時を案じて禅を呼んだんだ。アイツは水魔法のエキスパートだからな。俺は落とすつもりなんて欠片もないんだが、今朝の「
「ま、待ってくれよ、颯月! 海は……海の中って、眷属がうじゃうじゃ居るんだろ!?」
震え声を振り絞る幸輝に、綾那は「えっ」と声を漏らした。そうして改めて颯月を見やると、「お、鬼ですか――?」と唇を
「それは迷信だ。確かに海の中に生息する生き物は、眷属と勘違いするような姿形をしているが……どれも眷属じゃあない」
「で、でも――!」
「仮に、海が眷属で溢れていたとしよう。その場合俺は討伐するのに忙しくて、当分の間海から離れられんだろうな。この上ない狩場じゃねえか」
確かに、彼が討伐に出向かないという事は、イコール眷属が海を棲み処にしているなんて事実はないのだろう。それにしたって、まだ十歳そこそこの
(いや、獅子は我が子を
果たして『獅子』は颯月なのか、それとも彼を教育した正妃か。綾那は遠い目をしながら、「早く陽香達、帰って来ないかな――」と呟いた。
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