第105話 夏祭り

 どうしても騎士が多忙なため、綾那と陽香の二人だけで会議を続ける生活は三日ほど続いた。肝心の撮影を行えないまま、案を出しては話し合いを重ねる。


 やはり元々「表」で撮影テーマの企画をしていただけあって、陽香は着眼点も切り口も独特だ。綾那一人で頭を悩ませていた時よりも、遥かに多彩な案が出てくる。陽香もまた「今までは一人で企画考えてたけど、人と話し合うのも面白い気付きがあるもんだな~」と、楽しそうだ。


 そうして、本日も二人で大人しく過ごそうか――と思っていたところ、急遽外出する事が決まった。予定に穴の開いた颯月が時間を持て余して、「気分転換がてら、悪魔憑きの教会の様子を見に行かないか」と誘いに来たのだ。


 彼はようやく仕事に一区切りついたようで、宣言通り、昨日伊織に『教育的指導』を施したらしい。しかしその結果、伊織は全身筋肉痛で満足に身動きが取れなくなった上に、何故か高熱を出して寝込んでしまったそうだ。

 颯月曰く「恐らく知恵熱だろう。俺も昔はよく寝込んだ」との事だが――果たして、一体どんな学習法を使えば僅かな時間で高熱を出して、倒れるような事態に陥るのだろうか。


 本日も伊織の教育を続ける気満々だったらしいが、肝心の本人が倒れたからには無理を強いても仕方がない。これは、あくまでも若手に対するであり、決して暴力や虐待が目的ではないのだから。

 予定が消えたなら休憩すれば良いものを、止まれば死ぬのがこの颯月という男。すぐさま綾那と陽香を連れ出して、悪魔憑きの教会を目指した――という訳だ。


「アーニャ、見て見て! 僕の手、ちょっと大きくなったよね!」


 ほら! と、手形付きの石畳に手の平を合わせる朔を見て、綾那は目を細めた。

 およそ二週間ぶりの子供達との交流。朔は会えなかった期間がよほど寂しかったのか、再会の挨拶もそこそこに綾那と陽香の手を引いて、ずっと教会中を連れ回している。


 初めは子供部屋に案内されて、「アーニャとよーかちゃんの絵を描いたの」と得意げに一枚の紙を見せられた。

 しかしえがかれていたのは人物像ではなく、水色と赤色のクレヨンで塗られた二輪の花だ。花を描いて「人だ」と表現する朔の独特なセンスには、目を瞠るものがある――と、綾那は大層喜んだ。


 ちなみに、その横で陽香が「完全に親バカの目線である」と呟いたのは、一切聞こえない振りをした。


 次に案内されたのは厨房だ。どうも朔は最近、静真と楓馬にお菓子作りを習い始めたらしい。少々歪な形に焼けたクッキーを見せながら、「今日のおやつに出るから、いっぱい食べてね」と胸を反らす朔の姿は、とても可愛らしかった。


 そして現在、教会の入口に連れてこられた綾那と陽香は、アデュレリア領へ発つ前に補修した石畳の前へしゃがみ込んでいる。

 朔は会えなかった二週間で大きくなったのだと、己の付けた手形に手の平を合わせて笑う。確かに手形よりも実際の指先の方が飛び出ているように見えるが、しかしそれは、そもそも朔が置いた手の平の位置が上にズレているだけなのだ。


 綾那が「大きくなったねえ」と話を合わせれば、朔は嬉しそうにニッコリ笑い、まるでじゃれつくように飛びついてきた。


「サブレは本当にアーニャが好きだなあ。その内「結婚する~」なんて言い出しそう。したら、颯様と戦争だな? あの人アーニャが絡むと、沸点低すぎマンになるから」


 悪戯っぽく笑う陽香に、朔はぶんぶんと首を横に振った。


「んーん、それも考えたけど……でも、僕が大人になったら、アーニャはもうすごいババアだから、ダメなんだって」

「幸輝くーん?」


 綾那と陽香が朔に連れ回されている間も、ずっと傍をうろついていた幸輝。綾那が目を眇めて幸輝の名を呼べば、彼はぎくりと肩を揺らした。


「お、俺が言ったなんて、一言も言ってねえだろ!」

「うん? 幸輝が教えてくれたんだよ?」

「おい朔! バカ、やめろ! 本人の前で言うヤツがあるかよ!」

「幸輝、こっちにおいで。頭なでなでしてあげるから」

「絶対に嫌だ! アヤのはナデナデじゃなくてグリグリだ!」


 ズザザ! と距離をとる幸輝に、綾那は「本当に口が悪いんだから」と笑った。

 まあ実際問題、朔が二十歳になる頃には綾那は三十代半ばである。若者から見れば、十分に『すごいババア』なのだろう。


「コーキは騎士になりたいんだろ? そんな女心分からず屋で大丈夫なのか~? アデュレリアでもアイドクレースでも騎士を見たけど、どいつもこいつも引くほどレディファーストが染みついてんぞ? 騎士って、礼節が重要な職業なんじゃねえのかな~」

「レディファーストってなんだ?」


 騎士に関係する話に興味が湧いたのか、幸輝はこてんと首を傾げた。


「女を思いやって、優しくする行動の事! 女が座る椅子をスマートに引いてやるとか、重い荷物を持ってやるとか……扉を押さえて待ってやるとかだよ――ほれコーキ、アーニャはサブレを抱いて手が塞がってる。このままじゃ扉が開けられねえぞ、どうすんだ?」

「えぇ……? だってアヤ、朔くらいなら片手でイケんじゃん……俺だって片手で担げるくせに、カマトトぶんなよ」

「口が悪いぞ、コーキ!」


 不可解そうな顔をする幸輝に、陽香は「確かにゴリラだけど、メスである以上はおもんばかるんだよ! それが騎士――いや、紳士ってモンだろ!」と熱く語る。


 綾那が「いや、ゴリラとかメスとか、その呼び名の方を慮って欲しいけどね――」と遠い目をしていると、陽香に促された幸輝がぶちぶちと文句を垂れながら、教会の扉を開いた。そして中に入った先で立ち止まると、扉を両手で押さえて「ドーゾ」とぶっきらぼうに呟く。

 慣れない事をするのが恥ずかしいのか、耳が赤くなっているのが微笑ましい。綾那は朔を抱いたまま歩を進めると、幸輝が押さえる扉をくぐって笑った。


「どうもありがとう、親切なお兄さん」

「……別に」

「えぇ~、僕も親切なお兄さんする~! アーニャ、下ろして! よーかちゃんにレディファーストするから、見てて!」

「朔は騎士にならねえんだから、別にやらなくたって良いだろ」

「やるの!」


 朔は扉まで駆け寄ると、小さな両手で扉を押さえた――のだが、重厚感のある扉は彼一人で支えるには厳しかったようだ。扉に引きずられてズズズと、徐々に滑って行く。幸輝が慌てて朔の後ろから片手を伸ばして、それでようやく扉が動きを止めた。


 朔は「僕一人でやりたいのに」と抗議したが、幸輝が「お前、手ぇ挟みそうだからダメ!」と諫めて、結局二人がかりで扉を押さえる事に落ち着いたようだ。小さな紳士二人に扉を押さえてもらった陽香は、満足げに笑いながら教会の中へ入った。


「騎士だろうが騎士じゃなかろうが、気の利く男は総じてモテるんだから、良い事だぞ! お前ら顔は良いんだからさ、女から「顔だけ」なんて寂しい事言われるようにはなるなよ?」

「……あぁ~」

「ん? なんだよ、その反応?」


 肯定でも否定でもなく言葉を濁した幸輝に、陽香はきょとんと目を丸める。教会探検を終えた一行は、ひとまず裏庭を目指した。颯月と静真、そして年長の楓馬が定例の報告会をしているはずだ。


「いや、なんか……最近、そういう事言われたばっかだなと思って」

「へえ? そりゃまた、誰に?」

「街の女。お祈りだかなんだか知らねえけど、親と一緒に教会へ来る子供に言われた。「悪魔憑きって『異形』は気持ち悪いし、魔力は強いし、皆を怖がらせるばかり。唯一良いのは顔だけね!」って」


 そんな中傷は慣れっこなのか、幸輝は小さく肩を竦めるだけだった。少女を真似ているらしく、途端にナヨッと内股になって歩く姿と絶妙な裏声が笑いを誘う。


(やっぱり、悪魔憑きとそうでない人の間に生じる軋轢あつれきっていうのかな……長年の問題だから一朝一夕に改善はできないだろうけど、でもこの差別感はいつ触れても気になる)


 純粋で含みのない子供が発するストレートな言葉は、思いのほか人に与えるダメージが大きいものだ。

 幸輝は気にしていないようだが、しかし決して慣れているから良いという問題ではないだろう。そもそも、こんな事に慣れてしまう環境の方がどうかしている。


「ハーン……いや、まあ確かに悪魔憑きって全員、顔面整い過ぎだよな? まるで神子みたいに――」

「うーん、俺は颯月が一番カッコイイと思うけどな!」

「うん、分かる……っ!」


 綾那が噛みしめるように同意すれば、陽香は胡乱な眼差しを向けた。だが、ふと隣を歩く朔が俯いている事に気付くと、「サブレ?」と首を傾げる。


「僕、あの子キライ……いっつも嫌な事言ってくる。アーニャやよーかちゃんと、全然違うもん」

「朔が一番歳近いから、よく絡まれてるもんなあ。でも、いちいち気にしてたらキリがねえって言ったろ? 俺らが悪魔憑きである以上は、ずっとなんだよ。アヤと陽香が変なだけ」

「変って言うな、変って――その性悪なメスガキは、よく教会に来るのか?」

「陽香、子供の前で口が悪すぎるよ」


 陽香は綾那の注意を気にした様子もなく、「メスガキにメスガキって言って、何が悪いんだよ」と続けた。


「よく来る。二日に一回くらい」

「マ? 結構な頻度だな、ほぼ毎日じゃねえか。しっかし、神様にお祈りしに来たついでにお前らをこき下ろすなんて、見上げた根性してんな。罰当たりじゃね? 神様は見ていらっしゃるよ?」

「だから、それがこの国の普通なんだよ、お前らが変なだけ」

「何回「変」って言うつもりだよ」


 言いながら幸輝の頭をはたいた陽香を見て、朔がくすくすと笑い声を漏らした。そして、ひとしきり笑った後にぷっくりと頬を膨らませる。


「その子ね? 最近、「夏祭りに行くのよ、羨ましいでしょう」って言ってくるの!」

「アーサーが言ってたな。そろそろ夏祭りが近いから、騎士団は大変だって」

「でも僕達は目立つし、街で魔力がバン! ってなっちゃうと危ないから、行けないのに――「どうしてもって言うなら、一緒に行ってあげても良い」って。そんな事言われたって、絶対にムリなのにね。ホント意地悪だよ」

「……うん? サブレ、それ――」

「その女の子、「悪魔憑きが怖い」って言うくせに、一緒にお祭りに行こうって誘うの?」


 その問いかけに、朔は「そうだよ、いつも意地悪ばっかりなんだ!」と言って、ぷりぷりしている。綾那と陽香は顔を見合わせると、どちらも複雑な表情になってしまった。


(その女の子、朔に気があるだけなんじゃあ――)


 七歳の朔と歳が近いという事は、少女もまた幼いのだろう。しかし女児というのは、同年代の男児と比べると総じてませている。恋のひとつやふたつしていたって、おかしくはない。

 分別のついた大人ならまだしも、同じ年頃の女児では親から話を聞くぐらいで――例え「近付くな」と言われても、イマイチ悪魔憑きの恐ろしさを実感できていないのではないか。


 いくら朔が悪魔憑きで、サメのような鋭い歯の『異形』を持っていたとしても。彼は、それを補って余りあるほどルックスが良いのだから。


「コーキから見ても、そのメスガキは朔に意地悪してるだけなのか?」

「え? いや、ただ性格が悪いヤツにしか見えねえけど――なんで?」

「はあ、お前――ああでも、そうか。まだ十歳ぐらいなんだっけ? だとしても、マジで早いとこ女心を学んだ方が良いと思うわ~陽香お姉さん、そんなんじゃあ心配しちゃうね!」

「ど、どういう意味だよ? 女心って言われても……静真がそういうの全然だから、俺ら分かんないんだよ!」

「おぉっと、この場に居ないにズーマさんが被弾したぞ。なんて事だ」


 幸輝まで不貞腐れたように頬を膨らませたため、陽香は破顔してその頬をつついた。まだ幼い上に、行動範囲が教会のみという限られたコミュニティ内で生活しているため、仕方がないのかも知れない。きっと彼らは、異性を好きになった経験がないのだろう。


(その女の子、これから大人になっても朔の事……悪魔憑きの事を嫌いにならないと良いな)


 綾那はそんな事を思いつつ、ふと夏祭りについて考えた。


「でも、そっか。せっかく王都に居るのに、皆はお祭りに行けないの?」

「他のヤツらがビビッて気にするから、仕方ねえよ。それに、教会からでも合成魔法は見られるしな!」

「こっちのか。確か、火と光魔法を組み合わせて、空に打ち上げるんだっけ?」

「そう。光魔法が得意なヤツって少ないから、静真も毎年手伝いに行くんだ。スゲーだろ――って、アヤも陽香も最近アイドクレースに来たばっかだから、見た事ねえか」

「静真さん凄い、花火師なんだ! ――あれ? じゃあ、もしかして合成魔法を打ち上げている間、いつも子供だけでお留守番してるって事?」

「だから、お祭りってキライ……夜にしずま居ないの、ちょっと怖いもん」

「そうなんだ……」


 ただでさえ、静真からドロドロに甘やかされている子供達だ。仕事のためとはいえ、突然子供だけで取り残されるのは心細いだろう。


(夏祭りの日、『騎士の取り締まりに密着! 二十四時!』みたいな動画を撮影するつもりだったんだけど――子供だけでお留守番しないといけないって聞いちゃうと、気になるな)


 陽香と話し合った結果、ひとまず彼女のお披露目動画は見送る事にした。女性視聴者の反応が予測できない以上、一か八かに賭けるのはまだ早い。次の動画は、騎士の『職務』に焦点を当てたものする予定だ。


 おあつらえ向きに、夏祭りは浮かれた領民の取り締まりで大忙しらしい。前回同様ドキュメンタリー方式で、騎士の仕事風景を撮影させてもらえれば――と、思っていたのだが。

 陽香も子供達の言葉に思う部分があったのか、黙って何事かを考え込んでいるようだ。


「アーニャとよーかちゃんは、お祭りに行くの?」

「うーん……たぶん、行くのかな?」

「そっかあ、良いなあ――あのね、僕お祭りの時にしか出ない、お店のご飯が食べてみたい。アーニャ達が一緒でも、やっぱりダメ?」

「ダメに決まってんだろ、静真が良いって言う訳ねえじゃん。魔力制御のできない悪魔憑きなんて、街のヤツらが受け入れてくれるはずねえ。静真まで悪口叩かれちまったらどうすんだよ」

「ええ~? あーあ、つまんない。やっぱりお祭りなんてキライ、なくなっちゃえば良いのに……」


 再び俯いてしまった朔に、綾那は眉尻を下げた。どうにしかしてあげたい気持ちはあるが、保護者である静真の許可が下りないのでは、難しい。いや、仮に許可が下りたとして綾那や陽香が彼らの魔力の暴発を防げる訳もなく――何の役にも立たないため、全くもって意味がない。

 さて、どうやって元気づけたものかと考えあぐねていると、陽香がパンと拍手かしわでを打った。


「ようし、分かった! その合成魔法ってヤツ、ズーマさんとお前らで打ち上げれば良いんじゃね!?」

「――は?」


 陽香は「我ながら名案だわ!」と言って胸を反らしたが、朔はぽかんと呆けた顔をして、幸輝は「何をバカな事を言い出したんだ、コイツ?」と言わんばかりに、胡乱な眼差しで陽香を見やった。

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