第4章 奈落の底で祭りを楽しむ

第104話 第二弾に向けて

「奈落の底」は、地球の中心にほど近い位置に作られた世界である。綾那が元々暮らして居た日本が存在するのは、「表」――地表の世界だ。


 この世界は、天使であり創造神でもあるルシフェリアが創り上げた、小さな箱庭。設定にこだわるタイプらしいエセ天使は、日本の真下に作ったリベリアスにも日本らしさ、共通点をふんだんに盛り込んでいる。

 それは使われる言葉にしろ文字にしろそうなのだが、よくよく聞いてみると、時季のイベントまで似ている事に気付いた。


「夏祭り――ですか?」


 騎士団宿舎の食堂。そこで少し遅めの朝食をとっていた綾那は、護衛を務めてくれている旭の言葉に首を傾げた。

 その横に座る陽香もまた、くあ、と欠伸をかみ殺しながら――「それってどんな事すんの?」と、分厚いベーコンのステーキをナイフで切り分けている。


 綾那が奈落の底へ転移させられたのは、初夏――六月に入る直前の事だった。それからあっという間に二ヵ月が過ぎて、もう八月になるのだから時が経つのは本当に早い。

 アイドクレースは国の中心地だが、しかし若干南寄りに位置するため、年中温暖な気候に恵まれている。冬でも最低気温が二十五度あるというし、よっぽどだろう。


「毎年、八月の第一日曜日に行われるものなのですが……領によって規模は違うので、自分もアイドクレースの夏祭りは初めてですね。アデュレリアでは商人が出店を出したり、旅芸人が簡単な魔法ショーを行ったりしていましたよ――まあ、祭りの間に騎士がやる事と言えば、浮かれてハメを外した領民の監視と取り締まり……ぐらいですけれど」


 苦笑する旭に、陽香は咀嚼していたベーコンをごくんと飲み下した。そして、ぱあとエメラルド色の猫目を輝かせる。


「楽しそうだけど、魔法の国って割には「表」の夏祭りとやる事一緒なんだな。花火は――って、そもそも火薬がないんだから無理か……いや、魔法で空に何か打ち上げるとか?」

「ハナビ、ですか? 祭りで空に打ち上げるものといえば、火と光を合わせた合成魔法ですね。火種と光球を使い、紋章や複雑な模様などを形作ります」

「それがリベリアスでいう所の、って訳か……花の形よりも、やっぱ紋章の方が難しいのかねえ」

「魔法だからこそできる芸当かも知れないね。人も物も多い場所だから、王都のお祭りって盛り上がりそう――でも、颯月さん達はいつも以上に忙しくなるかな」

「確かに、しばらく撮影は無理だな。引き続き案を練るのに時間使うしかないか――」


 唇を尖らせる陽香に、綾那は苦笑して頷いた。


 アデュレリア領から戻って来た陽香も、綾那と同じアイドクレースの『広報』として雇用された。しかし、それが決まったのはたった二日前の事で、まだこの宿舎に住まう騎士にすらお披露目されていない。と言うのも、何やらここ数日間、颯月達はずっと忙しそうなのだ。


 まず、しばらくアイドクレースを留守にしていた颯月については、こちらに戻って来てから執務室に篭りっきりである。彼でなければ決裁できない書類仕事が十日分溜まっているのだから、当然だ。


「ひとまず二年間のお試しだからね」と前置きした上でアイドクレースに入団した右京は、十歳男児の姿のまま若手騎士に混じって、鍛錬に精を出している。元部下が七人も居る中でやりづらくはないのだろうかと思うが、彼はまるで本物の子供のように振舞っては、他の若手騎士から可愛がられているようだ。


 ただし、その実力は他と比べるまでもない。見た目は男児でも悪魔憑きで、優れた魔力をもつ。しかも長年、アデュレリア領主のありとあらゆる無茶振りに答え続けた彼は、事務仕事についてもとにかく要領、効率が良いらしい。

 和巳や竜禅は「事務仕事が苦手な者が多いから、大変助かる」と彼の受け入れに好意的だった。


 同日に入団が決まった、弟の伊織については――現状、軍師の幸成が目を掛けているらしい。と言えば聞こえが良いものの、その訓練内容は他と違って大概苛烈との事だ。

 過ぎた事とは言え、一時は同じ女性――桃華を取り合った関係である。しかも伊織のとった『誘拐する』という手段は、どう見たってまともではなかった。


 幸成は個人的に抱える憤りを発散するように、軍師としての立場を最大限に活用して正々堂々 (?)伊織をしごき上げているようだ。

 ちなみに颯月の決裁が終わり次第、伊織は彼が直々に教育するそうだが――仄暗い笑みを浮かべながら拳の骨をバキボキと鳴らして、「楽しみだ」と漏らす姿は、なかなかに不穏だった。


(でも両親に溺愛されていた割に、伊織くん文句一つ言わずに堪えているらしいんだよね)


 物心ついた時から周囲に甘やかされて育ったのだから、他人から厳しくされる経験などなかっただろうに――大変ガッツのある事だ。あの幸成の責めに音を上げないとは、素晴らしい。


「動画第二弾が撮影できるのは、いつの日か――ってか」

「演者が多忙じゃあ、仕方ないよね」


 とにかく彼らの仕事が落ち着くまでの間、綾那と陽香は放置されるだろう。ここ最近は、二人で次回の撮影テーマについて案を出し合い、騎士の宣伝の仕方、陽香の存在を女性視聴者にどう受け止めてもらえばいいかなど、話し合いをしてばかりである。


 昨晩も遅くまで議論していたため、二人揃って寝坊した結果、朝食の時間に遅れるという失態を招いた訳だ。既に食堂の厨房に料理人の姿はなく、昼食に向けた食材の準備や仕入れで出払っている。

 二人分の朝食を別に確保してくれていたのは旭で、食べ終わった後の食器についても、厨房に入って自分達の手で洗って良いという許可まで取ってくれたらしい。


 ベーコンステーキ最後の一切れを食べ終わった陽香は、椅子の上でググーッと大きく伸びをした。


「アーサー、若いのに気配り上手だよなあ、お前モテるだろ」

「いえ、自分は騎士ですから、そういう事とは無縁で――」


 アーサーというのは、陽香がつけた旭のあだ名だ。彼は初めこそ独特な呼び名に戸惑っていたが、しかしすぐに順応してしまった。


(旭さんって結構、潔いというか……諦観ていかんするのが早いというか。撮影だって嫌がっていたけど、颯月さんに命令されたらすぐに諦めたものね。「水鏡ミラージュ」ドッキリにも怒らなかったし、物分かりが良い人って言うべきかな――)


 彼はいつも、なんだかんだ言いながらもこちらの意にって行動してくれるから、大変助かる。


「確か、妹が居るんだっけ? 何歳? カワイイ?」

「今年十五ですね。昔から病弱で、両親に甘やかされて育ちましたから……生意気ですよ」

「ハーン、妹ちゃんに振り回され慣れてっから、そんな気配り上手な訳だ。ええと……女が婚約者を決めなきゃならん法律は、確か十六歳から適用されるんだっけ? じゃあ来年になったら、相手を見繕わなきゃいけないのか――大変だよなあ」


 陽香の何気ない一言に、旭はグッと言葉を詰まらせて眉根を寄せた。その反応に彼の心情が分かりやすく表れているようで、綾那はつい、小さく笑みを漏らす。それは陽香も同じだったようで、にやあと猫目を細めると、旭の肩をバンバン叩いた。


「おいおい、何が『生意気な』妹だって? 実はめちゃくちゃ可愛がってんだろ! アーサー、もしやシスのコンってヤツか?」

「そっ、そんな事実はありません! 違いますよ、自分はただ、病弱だからどこへ出しても相手に迷惑をかけるだろうと、憂いただけですからね!?」

「オッケーオッケー、分かったよ、そういう事にしておこうな」

「じ、自分は本当に、そんな……シスコンではありませんから!」

「分かったって。あんまりムキになるとリアルだから、その辺で落ち着いた方がいいぞ」


 ニヤニヤと笑う陽香に、旭はぐうと低く呻いた。

 そして気まずげな表情で「自分、食器を片付けてきます」と立ち上がると、二人の返事を待つ事なくトレーごと持って、奥の厨房へ歩いて行ってしまう。


 綾那は、「アイツ可愛いヤツだな」と噴き出した陽香と目を見合わせて笑った。



 ◆



「そんじゃあ、今日も二人で会議を始めるとするかー」


 朝食を食べ終わった二人は、綾那の私室へ移動した。私室に居る間は旭が護衛する必要もないため、彼は今から鍛錬に参加すると言って姿を消した。

 少々距離があるものの、綾那の部屋の窓からは鍛錬場が見える。今日も周りを女性ファンが囲んでいて、時たま黄色い歓声も聞こえてくる。


 綾那の目にはあまりよく見えないが、しかし「千里眼クレヤボヤンス」をもつ陽香曰く、「早くもうーたんの美少女顔に、メロメロになってるヤツがちらほら居る。リアルおねショタが始まる可能性について――!」と、心配しているのか期待しているのか、判別しづらい事を言っていた。


「んー、一番の問題は、やっぱアレか? 女性ファン、騎士に熱狂し過ぎ問題」

「そうだねえ」


 アイドクレースへ戻って来てから、綾那は一度だけ大衆食堂『はづき』に足を運んだ。

 さすがに二週間も経てば動画の内容に飽きられている頃だろうと思ったし、アイドクレースを離れていた間の視聴者の反応も知りたかった。だから店主に話を聞いたのだが――結果は意外なもので、まだまだ熱が冷めやらぬ状況らしい。


 いつの間にか、王都で「アイドクレース騎士団の動画を見聞きした事がない」という者は少数派と呼ばれるほど、宣伝動画の存在は周知されているようだ。それにも関わらず飽きられていないのは何故かと言えば、まるで中毒のように動画を繰り返し見る者が現れたから。

 それも一人や二人ではなく、結構な人数が動画ジャンキーになっているらしく――現状、しっかり食事の注文もしてくれているため、店側には迷惑が掛かっていないが――店主としては、全く同じ動画を繰り返し見続ける彼らが不憫に思えてくるようだ。


 店主からは「そろそろ別のものも作ってもらえると、視聴する側にとってな感じがする」と、やんわり次回作に対する期待をかけられたため、綾那としても早めに次の撮影がしたい。


(ただ気になるのが、どうも『ガチ恋』が生まれちゃってるっぽいんだよね――)


 店主によると、動画を見ながら「〇〇が素敵」と呟く女性客が居ようものなら、「私の〇〇に懸想けそうするのはやめてよ」と喚き散らす者が、ごく稀に現れるらしい。


 そういった揉め事が発生した場合は、さすがに他の客の迷惑になるため、「仲良く視聴できないなら出て行って欲しい」と要請するが――しかしそういうガチ恋勢に限って、酷い動画ジャンキーに陥っているものだ。

「もう揉め事を起こさないからどうか動画を見させて欲しい、本当に好きなのだ」と泣いて許しを請われると、なまじ他では見る事の出来ないものだから、あまりに不憫で店主も許さざるを得ないとの事。


「陽香が動画に出たらファンに刺される可能性については、ちょっともう議論する余地がないから……対処法について話し合う?」

「おうおう、刺されるのは不可避なん? ヤバヤバのヤバじゃねえの――いや、まあ、そうだよな。だからこそ「表」で、男とだけはコラボしないようにしてたんだ」


 そう、四重奏カルテットは異性とのコラボ動画を撮影した事がないのだ。これは完全に初の試みであり、「表」のスタチューで培った経験も一切役に立たない。


「アリスが居りゃあ、女ファンのヘイトが全部まとめて集中するから、楽だったんだけどな」

「いや、結局アリスが襲われるだけだから、なんの解決にもなってないけどね。リベリアスの女性って、なんて言うか……行動派な感じがする」

「つーかそもそも、ここだとあたしがアイドルになるらしいっての、本当なのか? まだ実感がないから、そこからして疑ってんだけどよ……それが空振りしたら、あたしただ女に刺されるためだけに動画に出る事になるんだけど」

「それはたぶん、間違いないと思うけど……アイドクレースって本当に華奢な人しか居ないから。まずは陽香が就任挨拶をする時に、若手騎士さんの反応を見てから――かな?」

「何せ初めての事だからな……慎重になった方が良いと思う」


 神妙な顔つきで小さく呟いた陽香に、綾那もまた苦く笑って頷いた。

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