第103話 尽きぬ問題

 十日ぶりに訪れた、王都アイドクレース。時刻は深夜帯に差し掛かっているため、人通りこそ少ないものの――相変わらず夜でも明るい、華やかな街並みである。街の入口に立つ見張りの検問を受けた一行は、借りていた馬車を店へ返却したのち、騎士団本部を目指す。

 ちなみに、綾那は竜禅にもらったアイマスクを付けている。颯月は言葉こそ発しなかったものの、綾那がマスクを付けた途端、これ見よがしに長く深いため息を吐き出していたが――こればかりは仕方がない。


「颯様、マジであたしら宿とらなくて良いの?」

「既に入団が決まったようなものだしな――うーたんは、ひとまず入団希望の見学者って扱いで良いだろう? 入る入らないの判断は後回しで良い」


 右京が「僕、まだ入団するなんて言ってない」と反論するよりも先に、颯月は彼の言葉を封じた。ムグッと口を噤んだ後に尖らせる姿は、本当に男児らしくて可愛らしい。


 結局、一行が騎士団本部へ到着したのは、夜中の一時を過ぎた頃だった。

 颯月は到着するなり、パチンと指を鳴らす。竜禅と物理的な距離がある間、彼はずっと『共感覚』を切っていた。すぐさま駆け付けられない以上、例え颯月が嫌な思いをしても、危険な目に遭ったとしても――竜禅には為す術がないのだから、当然だ。


 豪奢な裏門をくぐり抜けて、敷地内へ足を踏み入れる。すると、先ぶれ一つ出していないにも関わらず、まるで一行を出迎えるように本部の扉が開いた。中から顔を出したのは仮面の男――竜禅だ。

 先ほど颯月が共感覚のスイッチを切り替えたので、帰還した事が分かったのだろう。


(そう言えば、竜禅さんと初めて会った日もこんな風に出迎えてくれたっけ――)


 綾那は懐かしい気持ちになりながら、ほうと小さく息をついた。


「お帰りなさいませ、颯月様」

「ああ、禅。出迎えご苦労」


 竜禅は相変わらず黒いマスクで目元を覆っていて――その抑揚の希薄な話し方も相まって――何を考えているのか分かりづらい。しかし、ふと口元に笑みを浮かべると、「は、楽しめたようですね」と呟いた。

 恐らく、共感覚で彼に伝わる颯月の心情が、穏やかで凪いでいるという事なのだろう。


「綾那殿も――怪我はないようだな。陽香殿と、右京殿も共に戻られたか。両名ともアイドクレース騎士団に?」

「おお! うーたん共々、お世話になりまーす!」

「いや、僕はまだ決めてないし、ただの見学者なんだけど……でも通行証のお礼ぐらいはしないと、気持ち悪いから」

「ごめんなあ、禅さん。うーたん素直じゃねえのよ、カワイーだろ」

「そのようだな」

「勝手に人の事を分析しないで――」


 陽香に生暖かい目で見つめられた右京は、居心地悪そうに身じろいだ。竜禅は微かに笑みを漏らして、「今宵はもう遅い。詳しい話はまた明日にして、休んだ方が良いでしょう」と手招いた。

 その言葉に頷いた颯月は、本部の扉をくぐった。そして、歩きながら竜禅に指示を飛ばす。


「禅。陽香と右京に部屋を用意してやってくれ。その後、俺が離れていた間の報告を頼みたい。執務室で良いか?」

「遠征帰りで、まだ働くつもりですか――? いえ、今に始まった事ではありませんでしたね」

「これと言って問題がなければ、早めに休む。成と和はどうしてる? ああ、休んでいるなら、わざわざ起こす必要はないからな」


 颯月の問いかけに答えず、竜禅はただ黙って顎髭をザリ、と撫でた。目元の表情が分からない彼が黙ると、ますます何を考えているのか読めなくなくなる。

 返事がないのを不審に思ったのか、颯月は足を止めて目を細めた。


「……何か、あったのか? いや――待て。そのに、正妃サマが関わっているかどうかだけ先に言え。心の準備が要る」

「いえ、正妃様は関係ありません。実は、ほんの数時間前に起きたばかりの問題でして……今、和巳と幸成が対応しているところです」

「なら良い、執務室で待ってる」


 颯月は、竜禅の回答を聞くと肩の力を抜いた。あからさまに安堵の息を吐き出して一向に背を向けると、再び廊下を歩き始める。

 その様子を見た右京と陽香は、本当に義母が苦手なのだな――と呆れたような、それでいて同情するような視線を彼の背中へ送っている。竜禅は気を取り直すように頭を振ってから、「部屋へ案内しよう。二人はこちらへ」と言って歩き出した。


「じゃあ、まあ……ひとまず、お世話になります」

「アーニャ、颯様、また明日なー!」

「おやすみなさい」


 竜禅に連れられて、宿舎側の棟へ向かう二人に手を振る。夜も深いし、綾那も今日の所は大人しく自室へ向かった方がいいだろう。

 颯月がまだ働く気でいるらしい事や、竜禅が口にした『問題』について気にならなくもないが――綾那が気にしても仕方がない。せめて、彼の背中を見送ってから自室へ行こうと目線を投げれば、何故か颯月は、くるりと反転してこちらへ引き返してくるところだった。


 綾那が目を瞬かせていると、彼はあっという間に目の前まで戻って来る。


「悪い。ようやく仕事が出来ると思ったら、つい舞い上がって……危うく夜の挨拶もせずに置いて行くところだった」


 この十日間も、一応仕事だったはずなのだが――違うのだろうか。そもそも仕事が出来ると思って舞い上がるとは、彼の感覚は一体どうなってしまっているのだろうか。

 綾那は色々と心配になりつつも、余計なツッコミは入れず「おやすみなさい」と言って微笑むだけに留めた。


 しかし、いつもならば蕩けるような甘い笑みを浮かべて「おやすみ」と返してくれるはずが、今日は綾那を見下ろしてグッと眉根を寄せた。颯月は綾那の髪に手を差し入れると、手櫛で梳くように撫でつける。


「ああ、もう――本当に邪魔な仮面だな。アイドクレースに戻って来たのは良いが、これからは綾の顔を満足に見られんのかと思うと……それだけが憂鬱だ。俺は綾の垂れ目を見るのが一番好きなのに」


 残念そうに囁かれて、綾那はウッと呻いて胸元を押さえた。


(過剰なファンサは止めて……! これ以上『颯様サービス料』のツケが増えると、破産するしか……!!)


 正直、颯月と共に過ごした十日間の距離感はファンでも友人でもなく、もっと密接な何かだった気がしなくもない。しかし、アイドクレースに戻ったからには気を引き締めて、綾那の甘えた態度も改めなければならないだろう。

 何故なら、ここには颯月のファンが多数存在する。下手をすれば、最早アイドル扱いの騎士団が過激なファンの手で炎上してしまう。


 しかも彼は、綾那の上官にあたるのだ。一応婚約者という役割も与えられてはいるが、そんな肩書の上に胡坐をかいて甘えているようでは、広報の仕事など務まらない。


(そう、私は『広報』を任された身! しかも、陽香曰く私が立ち上げメンバーだから、なし崩し的に『リーダー』扱い! ここは職場、そして私は広報リーダー……毅然とした態度で、と接するの!)


 綾那は、緩んだ口元をどうにか引き締めた。彼に甘い言葉を掛けられる度に、身悶えているようではダメなのだ。いい加減免疫を身に着けて、そして適度な距離感を保って接するべきである。

 毅然な態度で! と颯月の顔を見上げた綾那だったが、しかしすぐに頭が真っ白になった。


「綾――? どうした?」


 いつの間にか緩められた紫色の瞳は、廊下の灯りを優しく反射して、宝石のように煌めいて見える。それを縁取る長い睫毛も、高く整った鼻梁も、薄い唇も――雪のように白く滑らかな肌も、彼を形作るもの全てが完璧だ。

 綾那はマスクの下に隠れた目を潤ませて、熱に浮かされるように呟いた。


「やっぱり、格好いい……無理、大好き――」

「……うん? もしかして、久々に口説いてくれているのか?」

「――ッハ!? く、口が、勝手に……!? まさかこれが、噂の「魅了チャーム」? わ、私は毅然な態度を心掛けたはずだったのに!」


 我に返った綾那が、どうしてこうなった――と激しく取り乱せば、颯月はクッと噴き出して、そして笑いを堪えるように肩を震わせた。


 綾那はすっかり熱を持った頬を鬱陶しく思いながら、「これだから、魔性の男は困るのだ」と天井を見上げる。ひとしきり笑った颯月は小さく息を吐き出すと、綾那の頭をぽんぽんと叩いた。そうして甘く緩んだ目で綾那を見下ろして、低く囁く。


「……おやすみ、俺の天使」

「――ン゛! 死ッ……!!」


 特大級のファンサービスを受けた綾那は、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。


「明日も生きた綾に会える事を祈ってるよ――遠出して疲れただろう、ゆっくり休むようにな」

「はいぃ……」


 愉快そうに笑う颯月を見送った後も、しばらく――それこそ、右京と陽香の案内を終えて戻って来た竜禅に「どこか悪いのか?」と声を掛けられるまで、綾那はその場を動く事が出来なかった。

 心配する竜禅に「いつもの発作ですから」と答えた綾那は、幸福なダメージによるふらつく足取りで、ヨロヨロと自室へ向かうのであった。



 ◆



 アイドクレースへ帰還した、翌朝。

 綾那は、陽香と共に朝食でも――と思ったが、そもそも彼女の部屋がどこに割り振られたのかすら知らない。まずは竜禅を探して、陽香の部屋の場所を聞かなければ。そんな事を考えていると、部屋の扉がノックされる。来訪者は、正に今探そうと思っていた竜禅だった。


 しかし、彼は心なしか顔色が悪く、体も重だるそうだ。もしや、昨晩から一睡もしていないのだろうかと心配になるほど疲弊している。


「おはよう、綾那殿」

「おはようございます、竜禅さん。えっと……もしかして、颯月さんに何かありましたか?」


 彼の顔色が悪くなる時と言えば、イコール颯月の機嫌が悪い時である。昨夜話していた『問題』とやらが、大変な案件だったのだろうか。それとも、遠出から帰った颯月の様子を見に正妃が訪れたのだろうか。

 綾那が不安に駆られていると、竜禅はため息交じりに「朝食前に申し訳ないが、とにかく応接室へ来て欲しい」と答えた。


 聞けば、既に陽香と右京も応接室に集められているとの事。綾那は訳が分からぬまま頷くと、竜禅と共に応接室へ向かった――までは良いのだが、応接室の扉を開けた先で待つ人物を見て、硬直する。

 しかしは綾那の姿を認めると、ぱあとまばゆいばかりに顔を輝かせた。


「ああ、綾さん! 五日ぶりでしょうか。心の底からお会いしたかったです……相変わらず妖艶で、お美しい方だ」

「えっ、い、伊織くん!? なんで……どうして、ここに?」


 応接室の入り口に近い下座の椅子に座っていたのは、つい五日前にアデュレリア領で対峙したばかりの領主の息子――伊織だった。彼は、頭上に『?』を飛ばしまくって困惑している綾那に微笑むだけで、何も答えない。


 応接室には、眉根を寄せて腕組みをする幸成。頭痛を堪えるような顔をしている和巳。呆れたような表情の陽香に、自分は一切関係ないとでも言いたげに、あらぬ方向を見て澄まし顔の右京。


 綾那を迎えに来た竜禅が息を吐きながら席について、その斜め横――上座に居るのは、机に片肘をついて手の平の上に顎を乗せ、大層態度――と機嫌が悪い様子の颯月だ。

 彼の前には書類が複数枚広げられていて、その内の何枚かは誰かが強く握り締めでもしたのか、皺になっている。


 綾那は状況が一つも理解できず、誰に説明を求めれば良いのか分からないまま、ウロウロと目線を泳がせる。


「綾那殿、取り急ぎ颯月様をお慰めして欲しいのだが――」


 やはり顔色の悪い竜禅に声をかけられ、綾那は「えっ」と聞き返した。


「昨晩から不貞腐れて、八つ当たりのつもりなのか、いくら頼んでも共感覚を切ってくださらなくてな……ずっと困っているんだ。早急になんとかして欲しい」

「ええっと、なんとか……よく分かりませんけど――颯月さん、ギュッてしましょうか……?」


 昨晩からずっと不機嫌で、しかも竜禅が颯月の悪感情に振り回され続けているとは、大変な事である。何をもってして慰めになるのかは分からないが、ひとまず綾那は颯月の傍に立って、「お好きなようにしてください」と両手を広げた。

 しかし颯月が何か言葉を発するよりも前に、竜禅がウグッと低く苦しげな呻き声を上げる。


「綾那殿、いきなり飛ばし過ぎだ! 自重しないか……!!」

「ええ!? な、慰めろって言うから、やっただけなのに!」


 綾那は、机の上に置かれた拳を強く握り締める竜禅に、絞り出すような声で非難されて、どうしていいものか分からなくなる。「クッ、この瞬間湯沸かし器が……! いい加減にしろ――!」と、何やらよく分からない悪態を吐きながら――そもそも、誰に向けたものなのかも謎だが――震える竜禅を見かねたのか、颯月はおもむろにパチンと指を鳴らした。


 途端に体の震えを止めた竜禅は、低く息を吐いて「もっと早く解いて下されば、このような事には――」と不満げに呟く。颯月は竜禅に何も答えないまま、ただ横に立つ綾那の腰に手を回して引き寄せた。

 それを見た伊織が不快そうに顔を顰めたが、颯月は全く気にせず綾那を見上げて、口を開く。


「昨夜、禅が問題があると言っていただろう? まあ――見れば分かると思うが、あの坊ちゃんがソレでな」

「へ? あ、はあ」


 綾那は改めて伊織を見やると、不思議そうに首を傾げた。


 颯月の説明は、こうだ。

 まず第一に、どうも伊織は本気で綾那に求婚するつもりで居るらしい。しかしその為の条件は、領主の屋敷で話した通り、伊織が颯月のような男になる事――である。伊織はあれから三日三晩、『颯月になる方法』を考え続けた。


 そうして導き出された答えは、アイドクレースで騎士になる事。間近で颯月を観察して、彼の技術や知識、行動原理や心理など、何から何まで一つ残らず見て盗むのだそうだ。


 綾那は何も、本気で「颯月のようになれ」と言った訳ではない。颯月量産計画など望んでいないし、颯月一人でも持て余し気味なのだから、これ以上『宇宙一』の男が増えると綾那の心臓がいくつあっても足りなくなる。

 そもそも言葉通りの意味ではなく、颯月のように立派な男に成長すれば、アデュレリア領は安泰だろうという――叱咤激励のようなものだったのだ。しかし、伊織はどこまでも本気らしい。


 そうと決めた彼の行動は迅速だった。普通、次期領主にも関わらず他所の領で騎士をやるなど、親に反対されて当然だろう。しかし伊織は「領主となるために必要不可欠な学びである。これは留学のようなもので、立派になって帰ってくるから送り出して欲しい」と両親を熱く説き伏せた。

 元々、悪魔の力でまともな精神状態ではない上、伊織はただでさえ溺愛されている息子だ。領主を説得するのに、そう苦労はしなかったらしい。


 更に人事――騎士団の面接についても、無対策で突撃してきた訳ではない。まず颯月に追い返されては始まらないと、アデュレリアの騎士団長隼人に命じて用意させたを手に、アイドクレースの門戸を叩いたのだ。


 推薦状と言っても、決して特別な強制力が働く訳ではない。ただ、義を重んじる騎士としては無下に出来ないらしい。よほど伊織に問題があれば話は別だが、すげなく断れば推薦者の隼人の面目を潰す事になるし、颯月の方も義理人情に欠ける人物だと評されてしまう。

 ――ちなみに、颯月の前に広げられている皺だらけの書類がそれだ。どうも、虫の居所が悪い颯月が一度くしゃくしゃに丸めてしまったらしい。


 最後に、遠く離れたアデュレリアからアイドクレースまで、短期間でどうやって移動したのかだが――「転移」もちの男達の力を活用したのである。

 伊織は推薦状のみ携えて、身一つでアイドクレースまで「転移」してきた。もう「転移」の男達はアデュレリア領へ戻ってしまったらしく、騎士の入団を認められなかった場合、彼はこのまま王都で路頭に迷うだろう。


 門前払いされないように所々汚い手腕が使われているとは言え、しかし、彼は本気で変わろうとしているようだ。十六歳という若さゆえの無謀かも知れないが、見上げた行動力である。


「コイツは、何もかも無茶苦茶だ。うーたんが教育を怠ったせいだぞ」


 一通り説明を終えた颯月から恨めしそうな目線を寄こされた右京は、「いや、僕関係ないし。うーたんはやめて」と言ってツンと顔を背けた。


「じゃあ、変に焚きつけた陽香が悪い」

「いや、あたしは悪くねえだろ……なんだよ、詫びに脱ごうか、颯様?」

「それだけはやめてくれ」


 陽香から暗に「を晒してやろうか」と脅された颯月は、即座に首を横に振って綾那を抱く腕に力を込めた。そして深いため息を吐き出すと、再び綾那を見上げる。


「そうだな。これも全部 魅力的過ぎる綾が悪いな――」

「え、いや……いや、あの――それで、どうするんですか?」


 困惑しきりの綾那は、些か強引に話題を変えた。颯月は眉根を寄せて「どうするも、こうするも――」と口を開きかけたが、彼が言い終わる前に伊織が口を挟んだ。


「入団の許可ができない『問題』があれば、なんなりと仰ってください」


 一応雇われるつもりでやって来ているからなのか、伊織は颯月に敬語で話しかけた。とは言え、敬語を使っているというだけで、その態度は慇懃いんぎん無礼極まりない。

 颯月は目を眇めて和巳を一瞥すると、無言のままお前が代わりに説明しろと言わんばかりに、クイッと顎をしゃくって丸投げした。和巳は細くため息を吐きながら、億劫そうに口を開く。


「伊織、あなたは桃華様を攫おうと画策し、行動していましたよね。彼女が王族に連なる者だという事は理解していますか? これは大変な問題行動です」

「はい、私の犯した罪については承知しておりますし、深く反省しております。しかしどうか、私にも『更生』のチャンスを与えて頂きたい。騎士として民衆の役に立つ事以上に、素晴らしい機会はありません」

「――であれば、アデュレリア騎士団へ入団すべきでは? わざわざアイドクレースを選ぶ必要はないでしょう」

「いいえ。私はアデュレリアの次期領主で、周囲の者は皆私の顔色を窺い、します。そのようなぬるま湯に浸かった状態では、更生なんて夢のまた夢ですから」


 ハキハキと受け答えする伊織を見た綾那は、単なる若さゆえの無謀ではなく、意外としっかりと物事を考えた結果なのだなと感心する。へえと小さく声を漏らした綾那に気付いたのか、伊織はどこか誇らしげな表情になった。

 そんな彼に釘を刺すように、今度は横から幸成が口を挟む。


「じゃあ、アデュレリア以外の騎士団ならどこだって良いだろ? 北のルベライトか、南のセレスティンなんてお勧めだぜ? どっちも気候が厳しいし、北は魔物、南は疫病で常に人手が足りないんだからな」


 その言葉に、伊織は「いいえ」ときっぱり答えた。そして真っ直ぐに颯月を見やる。


「私は、他でもない颯月騎士団長に感銘を受けたのです。必ず彼のように――いえ、彼以上の騎士になりたいと考えています。自領でないなら、アイドクレース騎士団以外に入団する事は考えられません」

「うーたんの弟って、メチャクチャ口が回るんだな」

「いや、僕ホントに関係ないし……話振って来ないで――」


 陽香が小さく呟けば、右京はぐいーんと首を捻って、思い切り伊織から顔を逸らした。そんなやりとりを尻目に、幸成は苛立ったように「あのなぁ」と声を荒らげた。


「そもそもお前、未遂とは言え犯罪者だって自覚はあるのか? そんな奴が「入団の許可が下りない理由を話せ」なんて、本気で言ってんのかよ?」

「幸成! 少し落ち着きなさい、その話を今持ち出すのは――」


 和巳が慌てたように制止の声を上げたが、少々遅かった。伊織は不敵に笑って首を傾げる。


「なるほど、幸成様は私が犯罪に手を染めたため、入団は認められないし、更生のチャンスもないと仰るのですね」

「そんなもん、言うまでもなく当然――」

「しかし、それではおかしいですね。アデュレリアの騎士団長から、元アデュレリア騎士団の者が生活に困窮した結果、こちらでとんでもない罪を犯したと聞きました。しかし、颯月騎士団長と幸成様の慈悲によりアイドクレース騎士団あずかりになって、全員一命を取り留めたと――違いましたか?」

「いや……そもそも旭達が加担した犯罪って言うのが、お前の――」

「ええ、そうですよね。彼らの罪は、桃華嬢の誘拐未遂のはずだ――同じはずなのに、私だけは許されないのですか? 公正なはずの騎士が、なぜそのような不公平を期すのです? もし他にも何か問題があるのならば、諦めますが」

「……お前の場合は、他にも脅迫罪とか強要罪とか、そういう――」

「それらを正しく示す物証は?」

「…………物証」


 すっかり語気を弱めてしまった幸成に、和巳は大きなため息を吐き出した。


「幸成――」

「……違うじゃん、このままじゃ埒が明かんだろうと思って――てか、何コイツ!? 今まで散々下衆な事やっておいて、それを今さら更生もクソもなくねえか!? 妹の命がかかってた旭とは、根本的に違うしよ! 俺は絶対に反対だわ!!」

「それは、幸成様の個人的な感情ですよね? まあ、王族のあなたに罰すると言われれば、私はそれまでですけど」


 自棄になった様子で大きな声を出す幸成に、和巳と竜禅がため息を吐いた。

 颯月は憂鬱そうに「ああ、もう、面倒なガキ送り込んできやがって――」と呟くと、綾那のみぞおちあたりに額を押し付けた。その行動にぴくりと反応した伊織は、ゆるゆると首を横に振ると僅かに微笑んだ。


「――そうですか。別に、私に綾さんが奪われると危惧しているのであれば、無理にとは言いませんよ、騎士団長」

「……」

「その程度の薄い信頼関係なら、私も焦る必要はありませんから。王都で暮らしながら、期を見て綾さんに求婚すれば良いだけの話ですよね」

「…………」

「綾さん、どうか私の成長を楽しみに待っていてくださいね。あなたに求婚できるようになるまで、まだあと四年もありますが――きっと、相応しい男になってみせます。そこの狭量きょうりょうな男よりも、ずっと」

「………………」

「伊織くん、前にも話したけど、一応私は颯月さんの婚約者で――」

「ええ、そうでしょうね。でも先の事は誰にも分かりません。騎士団長は、なんと言うか……あまり、綾さんの隣に立つには相応しくないように見受けられます。綾さんに似合うのは、もっと余裕のある――」

「――オイ、あのガキ殺して良いか? 良いよな、誰か「良い」と言え」

「そっ、颯月さん!? 突然そんな物騒な事を言って、どうされましたか!?」


 がたりと椅子から立ち上がる颯月。綾那は慌ててその腕を掴み、引き留めた。すぐ近くに座っていた幸成もまた立ち上がると、彼を背中から羽交い絞めにする。


「おい颯、落ち着けって! 気持ちはスゲー分かるけど、あんな安い挑発に乗るなんてらしくねえ!」

「颯様って普段、懐広くて余裕綽々しゃくしゃくのくせして、女が絡むと途端に懐狭くなんない!? 猫の額よりも狭くない!?」

「だから俺は、自分テメエの女に色目使われるのに慣れてねえって話しただろうが! 圧倒的に免疫が足りんと!」

「免疫の問題だけじゃない気がするんだけど……まあ、一旦落ち着いたら?」


 右京の冷静なツッコミに、颯月は「これが落ち着いていられるか、真正面から喧嘩吹っかけられてんだぞ」と目を眇めた。綾那は幸成と共にグイーッと彼の身体を引っ張ると、無理矢理に椅子に座らせた。両脇から二人に腕を掴まれ抑え込まれた颯月は、チッと小さく舌打ちをする。


「――ああ、分かった、入団は認める。認めりゃあ良いんだろうが」

「颯!? 正気かよ!」

「ただし入団時の契約がある以上、二年は逃げ出さずに堪えろよ? 何があってもだ――俺のようになると言ったな? 俺が施された教育をそのままアンタに当ててやる、後悔しても遅いからな」

「ええ、望むところです。二年と言わず何年でも居ますよ、綾さんを振り向かせるまでは」

「いやお前、次期領主はどうしたんだよ……アーニャってホント教育に悪い」

「わ、私のせいだけじゃないと思う……!?」


 陽香は「いや、九対一でお前が全面的に悪いよ」と答えた。しかし、綾那からすれば貰い事故のようなものだ。たまたま己を好いた少年が、群を抜いて行動力があっただけの話である。


(アデュレリアの問題が軒並み解決して、ラッキーと思ってたのに……全く、そんな事はなかった――?)


 綾那は遠い目をして、一体これからアイドクレースはどうなってしまうのだろうかと、騎士団の未来を憂いたのであった。

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