第102話 帰路

 オブシディアンを発って、はや四日が過ぎた。道中問題が起きる事もなく、旅程は至って順調だ。既にアデュレリア領を抜けて、一行はアイドクレース領内を進んでいる。


 行きは慎重を期して五日かけたが、帰りは旅に慣れた事もあって、本日夜遅くには王都へ到着するはずだ。復路の御者は、初日以降また颯月が務めて――曰く、あれ以来毎日たっぷり寝ているので安心するように、との事だ――その隣には綾那。陽香と右京は、馬車の中だ。


 辺りは暗がりだが、付近の町村には立ち寄らずにこのまま王都を目指す。それは何も、王都が近いからというだけではない。道中立ち寄った町村でアリスの噂を探ったものの、結果が芳しくないからだ。


 アデュレリア領でもアイドクレース領でも、女の悪魔憑きの噂はなかった。これ以上聞き込みを続けたところで収穫が見込めないのでは、時間と労力の無駄である。であれば目的地の王都が近い今、無理に町村へ立ち寄る事もないだろう。


「なあ……アリスのヤツ、本当に来てんのかな?」


 会話しやすいように開け放った覗き窓から、陽香が問いかける。綾那は眉尻を下げて口を開いた。


「さすがに、ここと全く別の場所へ飛ばされたって事はないと思うけど……でも、そうだよね。壊れた転移陣を通った訳だし、何が起こるか分からないか」

「少なくとも、中央と東には噂が回ってねえんだ。居るとすれば、北か西――それか、ナギと同じ南か」


 町村で聞き込みする際は、できるだけ綾那と陽香の二人で行動するようにしていた。颯月は存在そのものに迫力があるし、金髪混じりで目立つし、日課の散歩もあるので席を外す。右京に至っては、陽香が「子供は寝る時間だぞ」と言って宿に押し込めてしまう。

 それに、女性相手の方が口が軽くなるのではないか――なんて目論見もあったが、目ぼしい情報はひとつも得られなかった。


「そういえば――アリスとは関係ないけど、アデュレリアで聞き込みしてた時にちょっと気になる騎士の話があったぞ」

「騎士の話?」


 こてんと首を傾げた右京に、陽香が頷き返した。


「なんか、北の騎士団にえらい強い悪魔憑きが居るらしいじゃん。てーえんひょーたん……とか、なんとか言う」

「ああ……もしかして『天淵氷炭てんえんひょうたん』? きっと、明臣あきおみの事だね」

「お? なんだ、うーたん知り合いなのか?」

「北部ルベライト領って、リベリアスの中で一番魔物の生息数が多いんだよ。よく魔物の氾濫スタンピードも起きるし、地元の騎士だけじゃあ対処が出来ないって時には、救援要請が出されるんだ。アデュレリア領は他所よりもルベライトに距離が近いから、要請にも応えざるを得なくて――結構昔から、彼とは顔見知りだよ」


 右京は一旦言葉を切ると、思案顔になった。そうしてやや間を空けてから「まあ、ちょっと抜けてる所があるけど……明臣は『良い』人間だと思う」と呟く。「騎士ってホント、大変な職業だな」と感心した様子の陽香に続いて、颯月も口を開いた。


「天淵氷炭といえば、確か他にも『バーサーカー』とか『ダブルフェイス』とか……何かと物騒な呼び名が付けられてなかったか?」

「え、なんだそれ? 厨二っぽくて格好いいじゃん! うーたんにはそういう通り名ないのか!?」

「うーたんは捻りも何もない『狐』だからな」

「ホント、うーたんも狐もやめてよね! 明臣は、なんて言うか――悪魔憑きだから、仕方ないんだよ。まあ、この場に居ない人の事情をべらべら喋るつもりはないけど……それで、彼がどうかしたの?」


 右京の問いに、陽香は口を開きかけた。しかし「あー、うーたんの知り合いだったか……失敗したな」と呟いて、気まずげに口を噤む。ますます首を傾げる右京に、綾那が代わって説明する。


「あの――あくまでも噂なんですけれど……実はその方、もう二か月近く行方不明で、ルベライトに戻っていないらしいんです」

「へ? はあ、行方不明……ふぅん、そうなんだ」


 知り合いが長期間行方をくらませていると聞けば、さぞかし心配だろう――と思ったのだが、何故か右京は平然としている。思わぬ反応に綾那と陽香が首を捻れば、彼はなんでもない事のように肩を竦めた。


「明臣ってね。巡回が基本の騎士としては、致命的なんだけど――とんでもない方向音痴なんだよ」

「方向音痴?」

「そう。一度巡回に出たら、少なくとも数週間は外を彷徨い続けて街へ戻らない。もちろん戻らないんじゃなくて、道に迷ってんだけど」


 右京の説明に、陽香はあんぐりと口を開けた。それは確かに、とんでもないレベルの方向音痴である。


「いや、それなら他の騎士と一緒に行動すれば済む話じゃあ……? 毎度そんな長期間迷子になるって、なかなかハードだろ」

「それは、彼が悪魔憑きだからどうしても敬遠されるっていうのと――結構容赦なく魔法を使うタイプだから、下手に人を連れて歩くと満足に戦えないんだよ。だから明臣はいつも一人で行動するしかないんだ、迷子になるって分かっていてもね」

「容赦なく魔法を……それって、うーたんよりヤバイって事?」


 その問いかけに、右京はグッと言葉を詰まらせた。そして気まずげに目を泳がせると、「僕が言えた事じゃないって自覚はあるよ」と頬を膨らませた。陽香は彼の膨らんだ頬を指でぐいぐい押しながら、「不貞腐れるなよ」と言って笑う。


「右京、アンタ「時間逆行クロノス」や「火炎弾ファイアボール」なら緻密な魔力操作ができるのに、なんで上級魔法だけは派手に弾けちまうんだ? まるで、ガキの悪魔憑きが暴発させる魔法みたいだよな」


 颯月の言葉に、綾那はギョッとした。

 悪魔憑きの子供は魔力の制御が苦手で、感情に左右されて暴発する事もありえるため、危険だ――とは聞いていた。しかし、まさか教会の子供達も右京と同じ人間核爆弾だと言うのか。

 それは楓馬から、「魔法も使えないのに悪魔憑きの傍に来て、殺されるとは考えなかったのか」と心配されるはずである。


 右京はグッと顔を顰めた後に、ツンと顔を逸らした。


「……ずっと子供のフリしてると、精神もそっちに寄っちゃうんだよ。以前君に指摘された通りにね」

「ああ、まあ、そうだろうな。アンタのソレは演技の域を超えて、板に付いちまってる感じがする」

「大掛かりな魔法を使おうと魔力を練っていると、途中で制御するのが面倒くさくなっちゃって――その時々のありったけを注ぎこんで来た結果が『烽火連天ほうかれんてん』だよ、何か文句ある?」

「逆ギレはやめてくれないか、うーたん」


 早口でまくし立てる右京を揶揄う颯月に、彼は「うーたんじゃない!」と目くじらを立てた。


 綾那が初めて右京の『烽火連天』という呼び名を聞かされた時は、「言葉の意味はよく分からないけど、格好いい」と思ったものだが――もしかすると、本人にとっては不名誉な呼び名なのだろか。何せ右京本人の意思とは関係なく、ただ魔力の制御を投げた結果、瞬く間に戦火が広がっているだけなのだから。


 しばらくぷりぷりしていた右京だったが、しかしふと真顔になると口元に手を当てて、何事か思案する。


「でも、そうか――二か月も。いくら明臣でも、そこまで長い間行方知れずになるのは珍しいんじゃないかな。まあ、万が一にも彼の身に何か起きたとは考えづらいけど――どちらかと言えば、彼の居ないルベライト領が心配だね」

「魔物が他所より多い、だっけ? やっぱその激強ゲキツヨ悪魔憑きのアッキーが、いつも先頭切って魔物退治してくれてる訳だ」


 見ず知らずの人物に早速あだ名をつけた陽香に、右京は「アッキー……?」と首を傾げた。ただ、彼女にいちいち突っ込んでいてはキリがないと重々承知しているのか、気にせず頷く。


「彼は能動的な筆頭騎士だからね。領地が魔物で溢れる前に、進んで数減らしをして――道に迷って放浪している間にも、出会う魔物は片っ端から潰して回る。だから、大事にはなっていないと思うんだけど……こればっかりはね」

「ただでさえ方向音痴なんだもんな」

「うん。魔物がルベライトのどこで大量発生するかなんて誰にも分からないし、明臣と離れた位置で魔物の被害が出てたとしても、彼にはどうしようもないからさ。もしかすると、アイドクレースにも近い内に救援要請が来るかもよ」


 右京は覗き窓から顔を出して、颯月の背に声を掛けた。しかしその言葉に、颯月は苦笑を返す。


「直接手伝いに行きたいのは山々なんだが、俺はルベライト領へ足を踏み入れられん。何人か騎士を送り込むぐらいしかできんぞ」

「……どういう意味? 団長だから王都で楽したいって?」

「そのままの意味だ。勘当された時に、陛下から「側妃の産まれ育った故郷を荒らすな」と、ありがたいお言葉をたまわっている身なんでな。ルベライトだけは無理だ」

「君って、なんて言うか――努力や苦労を人に見せないで、何かと損をするタイプでしょう」

「ああ、よく言われるよ」

「僕は本当に数日前まで、君の事を「悪魔憑きの中で一番幸福だ」と信じて疑わなかったのにね――」


 なんとも言えない表情を浮かべた右京に、颯月は軽く肩を竦めて見せた。


「颯様の父ちゃんって、どんな人? 嫌なヤツなのか?」

「――さあ? 俺は直接関わる事がないから知らんな。禅や正妃サマの話を聞く限り、頭の病気っぽいって事ぐらいしか」

「颯月さん、不敬なのでは……」


 苦笑いを浮かべる綾那に、颯月は「本人の耳に入る事はないから平気だ」とうそぶいた。決してそういう問題でない気がするのだが、彼が態度を改める気配はない。

 颯月は覗き窓を振り返って、ちらりと陽香を一瞥してから正面を向き直る。


「王都で綾がこの愛らしい顔を隠すハメになった理由は、もう聞いたんだよな?」

「ヅ……ッ!」

「ヅじゃねえぞ、ヅじゃあ。王様の側妃と顔が似てて、アーニャが見つかると面倒くさいかもって話だろ?」

「顔じゃあねえ。笑った時の目元、ほんのり面影があるって話だ」

「へーへー、側妃……つまり颯様の母ちゃんな。まあ、嫁さんが死んだ腹いせに息子を殺そうと考えるような人なら、ヤバさは想像できるけどさ」


 颯月は、陽香にマザコンの嫌疑を掛けられた事がよほど不服だったらしい。すぐさま訂正する彼に、陽香は「はいはい、へえへえ」と、全く気持ちの籠っていない相槌を打った。


「正妃サマが言うには、陛下にバレると綾を取り上げられかねんらしい。陽香、アンタこれから同じ広報として働くなら、綾の事をよくよく見守ってくれ」

「王様にアーニャを取られたくないってか? そもそもまだ、颯様にやった覚えはないんだけどな」

「陛下と俺なら、まだ俺の方が話が通じる相手だと思うぞ。俺の傍に置いておいた方が良いに決まってる」

「……いや、あんまり通じてなくない? だって、言葉巧みに水色のお姉さんを丸め込んで、攫ってるんだよね? それってどっちもどっちなんじゃ――」


 至極真っ当なツッコミを入れた右京に、陽香も――綾那もまた複雑な表情をして小さく頷いた。図らずしも三対一の多数決に追い込まれた颯月は、「病気の人間と同等に捉えられるなんざ、心外だ」と不服極まりない顔をしている。


 そうして賑やかにじゃれ合う一行の馬車が向かう、その先――遠くの方へ、段々と王都の灯りが見えてきた。約十日間に渡った、長いようで短い旅が終わりを迎えようとしている。

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