第96話 交渉

 アデュレリア領主が住まう屋敷の応接室。黒を基調とした壁はシックで落ち着いている。

 オブシディアンは、どうも全体的に黒っぽい街のようだ。街を囲う外壁や王の膝元など、何から何まで真っ白だった王都とは真逆である。


 ただ、この応接室の家具や装飾品に限っては、シックと言い難い。

 壁に吊り下げられているのは、「表」では見た事のない動物の剥製だ。何故かこれでもかと宝飾品が巻き付けられていて、その過度な輝きは目に悪い。


 剥製の横に掛けられているのは、画材に宝石でも砕いて混ぜたのかと思うほど豪華絢爛に煌めく風景画だ。雄大な山から流れる水が、美しい川へ姿を変えた――様をえがいているのだろうが、総ラメ絵具のせいで酷く不自然だ。部屋の灯りをキラッキラと反射しては、綾那の網膜に確かなダメージを与えてくる。


 天井に目を向ければ、部屋の面積に対して明らかにサイズオーバーとしか思えない大きさのシャンデリアが吊り下げられている。仮に地震でも起きようものならば、いの一番に天井を抜いて落下するに違いない。見た感想は綺麗よりも恐ろしいの方が勝つ。

 綾那が壁を殴り抜いた時の振動で落ちていなくて、本当に良かったと安堵すべきか。


 部屋の中央に置かれたテーブルは、ガラスだか水晶だかで作られた長方形のもの。もちろん、周りを縁取るようにびっしりと宝石が埋め込まれている。テーブルを囲むフカフカのソファもまた、足の部分と肘置きに大きな宝石があって――正直、邪魔だ。


「うーたん、お前の家ちょっと趣味悪くない?」


 ソファに浅く腰掛けた陽香が神妙な顔つきで口を開けば、隣に座る右京が片眉をひょいと持ち上げて反論した。


「待って、全く納得できない。僕の家じゃないから」

「もしかして、うーたんもセンス悪い? 制服か子供服しか見た事ないから、なんとも言えねえけど……大人になった時、大丈夫なのか? 陽香お姉さん、心配なんだけど」

「もう大人だし、余計なお世話だよ。そもそも、尻尾が邪魔で普通の服なんて着られないし……騎士服だって、特注なんだから」


 ムスッとした表情で呟く右京。陽香は「ああ、確かにあの見事な尻尾はな……最高だよな」とずれた回答をしながら、尻尾の感触を思い出したのか、恍惚とした表情でほうと息を吐き出した。

 テーブルを挟んだ正面に座る颯月もまた、室内を興味深そうに見回して口を開く。


「まあ、趣味はともかくとして……領主は随分と羽振りが良いらしいな」

「アデュレリア領は増税の毎日だからね。ただし、領民に還元される事はない。領主一家が私腹を肥やすためだけの増税さ。僕は長年、いつか暴動が起きるんじゃないかって期待していたんだけど……残念ながら、結果は芳しくないんだよね」

「うーたんが暴動の旗頭になれば良かったじゃねえか」

「うーたんはやめてったら! 全く、冗談きついよ――悪魔憑きが振る旗の下に、一体誰が集まるって言うの? 他の領ならまだしも、アデュレリアじゃいい笑い者になって終わりだね」


 過去この領には、人間を大量虐殺した悪魔憑きが居たそうだ。それは大昔の話だというが、しかしそのせいで現在アデュレリア領では、リベリアスの中でも群を抜いて悪魔憑きに対するあたりが厳しいらしい。

 確かに、いくら領主に対する不満が大きいと言ったって、その旗頭が忌避される悪魔憑きでは――人も集まらないだろう。


(悪魔憑きの三原則、「気味が悪い」「機嫌を損ねれば殺される」「恐ろしい」……アデュレリア領に住む人達の意識も、動画で変えられたら良いのに)


 まるで恐ろしい殺人鬼のような意識が根付いているのだから、並大抵の事では意識改革できないだろう。

 ただ、アデュレリア領ほどではないにしろ、アイドクレースでも悪魔憑きは忌避されている。しかしその意識は、たった一本の動画――悪魔憑きである颯月の笑顔ひとつで、ガラリと変わったのだ。


 王都の人間から遠巻きに眺められていた颯月も、今では「笑顔が素敵」「優しそう」なんて好意的に見られている。今まで悪魔憑きだからと、知ろうとすらしなかった『颯月』の事を、皆が正しく見てくれた結果だ。

 いや――まあその、アイドクレースらしい女性陣に囲まれた颯月が頻繁に倒れるようになるという弊害も生まれた訳だが、それは置いておいて。


 やはりいずれは、騎士団の宣伝動画を全国展開したいものだ。悪魔憑きである颯月に――本人の了承はまだ取っていないが――右京まで加われば、もっと悪魔憑きの善良性を訴えかけられる。

 そんな動画を全国展開できれば、今もどこかで忌避、爪弾きにされている悪魔憑きに、勇気を与える事だってできるだろう。


 綾那がほとんど現実逃避に近い未来の展望を思い描いていると、応接室の扉がノックされた。開いた扉の向こうから現れたのは、恐らく噂の領主だろう。七三分けの黒髪に口ひげを蓄えて、かっちりとしたスーツを着こなしている。


 年齢は隼人よりも少し上だろうか。体つきは少々ふくよかだが肌艶は良く、伸びた背筋も相まって清潔感がある。

 その見た目だけならば、いかにも厳格な有識者といった感じだが――隼人や右京から聞いた話では、そうではないのだろう。彼は部屋に入って早々一行の顔をぐるりと見渡すと、不快そうに眉根を寄せた。


 領主はソファに座る事なく、入り口近くに立ったまま口を開いた。


「私の家を破壊するとは――やってくれたな、右京。やはり私達を殺す気で戻って来たのか?」

「いや、君達の命には毛ほども興味ないよ。僕はただ、アデュレリア騎士団を辞める手続きをしに帰って来ただけだから」


 やれやれと小さな肩を竦めて即答する右京に、しかし領主は眦を吊り上げた。


「わ、分かり切った嘘をつくな! お前は、私達を恨んでいるはずだ……お前を捨てた私達を、絶対に許さない――許すはずがない! そうに決まっている!」


 一人で熱くなって喚く領主に、右京はため息を吐いた。


 右京に恨まれているかも知れないという思いが――不安が増幅して歪んだ結果が、コレなのだろうか。

 不安に思うくらいならば、初めから捨てなければ良かったのに。悪魔憑きとなった息子に対する恐れもまた、当時悪魔の力によって増幅して歪められて、抗えなかったのだろうか。


 右京はおもむろに懐から通行証を取り出すと、テーブルの上へ投げ捨てた。アデュレリア領で発行されたもので、それを表す印章もついている。


「コレもう要らない。僕、他所の領に行くから。アデュレリア領には……この街には二度と帰らない、これで安心だね」

「そ、そんな事で安心できるものか!? お前は悪魔憑きだぞ、誰もお前には敵わない! この領から追い出したって、もしまた戻ってきたら――その時、一体誰がお前を止められる!?」

「ホント自意識過剰だよね……どうして僕が、そこまで君達に執着すると思っているの?」

「だから――だから、魔法封じの檻を作って頂いたのに! 右京お前、一体どうやって壊したのだ!? 内からも外からも魔法が通じるはずないのに……」


 ギリギリと歯噛みしながら絞り出された領主の言葉に、綾那は「おや?」と首を傾げる。


「あの……ヴェゼルさんが遊びに使った事はご存じですか?」

「――ヴェゼル? だ、誰だ、それは?」


 綾那は、陽香と顔を見合わせた。何故ヴィレオールの存在は認識しているのに、その弟ヴェゼルの事は知らないのだろうか。


(もしかして、ヴェゼルさんはいつも猫の姿で居る……? 「転移」もちの人とは会話しているみたいだけど、領主さんとは直接関わらないようにしているのかも)


 会話の流れからして、どうもヴェゼルは兄のヴィレオールに頭が上がらない関係性のようだし――もしかすると、兄から「領主には姿を見せるな」と命令されているのかも知れない。あの癇癪もちで無鉄砲な子供のような性格では、仕方のない部分もある気がする。


「なあ、どうやって壊したんだって、もしかしてあたしらを閉じ込めてたあの部屋――監視カメラの一つもついてなかったのか?」

「門外不出の、魔法封じの檻が保管された部屋だ。ヴィレオール様より、試験段階のものをむやみに見るなと言われている。それにヴィレオール様は、魔具に姿を映される事を嫌う……そんなものはとっくの昔に、屋敷から撤去した」

「おいマジか、じゃあアーニャ逃げといた方が良かったじゃん。たぶん檻壊したのも壁壊したのも、全部うーたんだと思われてんぞ、コレ」


 声を抑えて呟かれた言葉に、綾那は胸中で「そんな事、今更言われても遅い」と苦笑する。


(そもそも騎士に捕まった所からして、映像が残っていないって言うなら……確かに、逃げておけば良かった。そうすれば、右京さんの弟さん――桃ちゃんの件、有耶無耶うやむやに出来たかも知れないのに)


 しかし、こんな大豪邸なのだ。監視カメラが一つも設置されていないなど、誰も思わないではないか。


「とにかく、そのヴェ……なんとかいうのは知らないが、右京。お前が生きている限り、私達に安息の地はない!」

「……わあ、嘘。まさか、僕に死ねって言ってる?」


 右京は、愛らしい顔をこてんと傾げてクスクスと笑った。しかしひとしきり笑ったあと不意に笑みを消すと、途端に彼の身体が黒い霧に包まれた。


「え、ちょ、うーたん!? 「時間逆行クロノス」、また解いちまうのか!? 折角いっぱい魔力溜めて、かけ直したのに!」


 慌てる陽香の横で、右京はあっという間に半獣姿に変わった。彼は腕組みをしながらソファの上でふんぞり返ると、尖った犬歯を見せつけるようにして笑う。


「悪いけど、そっちがそのつもりなら僕だって黙っていない。どうして僕が死ななきゃならないんだか、意味が分からないよ。お望み通り君達を殺してあげても良いけど……どうするの?」

「ヒッ――こ、この、化け狐が、正体を現したな!!」


 顔を青くして数歩後退した領主を尻目に、陽香が右京の尻尾に飛びついた。


「ああ全く! こんな魅力的なものをぶらつかせて、本当に悪い狐だッ……!!」

「ちょっと。格好つかないから、みっともない事をしないでオネーサン」


 まとわりつく陽香の頬を、右京は尻尾ではたいている。そんな事をしても陽香が喜ぶだけだが、彼の気が済むならば良いだろう。


「僕は別に、君達と交渉しに来た訳じゃない。対等な関係だと思わないで。今まで僕にしてきた仕打ちを全部水に流して、他所の領へ行ってあげるって言ってるんだ……慈悲をかけてあげているんだから、君はただ頷くだけで良いんだよ」

「な、何を勝手な――!」

「檻を壊したのは、そもそも僕らを害そうとしたんだから当然でしょう? 壁については騎士から報告が上がっているだろうけど、キラービーから街を守るためだよ。一刻の猶予もなかったんだ、あの程度の穴で済んだ事を感謝してほしいな――で、あとは僕がアデュレリア領から出て行けば全部終わり。まだ他に何か文句ある?」


 淡々と説明する右京に、領主はぐうと喉奥を唸らせた。

 綾那がしでかした事まで、全て右京のせいにするのは若干後ろめたく思う。しかし、ここで馬鹿正直に「私がやりました!」と言ったところで、事態がややこしくなるだけである。このまま領主が頷いてくれれば、あとは急ぎ荷物をまとめてアイドクレースへ帰るだけだ。

 右京の言葉通り交渉ではなく脅迫に近いが、まともな会話を望めない相手なのだから仕方がない。


 そうして一行が領主の反応を待っていると、途端に応接室の外が騒がしくなる。

 領主は何か起きてもすぐ逃げ出せると考えていたのか、応接室の扉を開け放ったままだったのだ。外で待機する騎士が口々に「なりません!」「誰も通すなと言われておりますから――!」などと、必死に誰かを引き留めているらしい。


「父上!」

「い、伊織!? 何故来た! ここには恐ろしい化け物が居るんだぞ、来てはならんとあれほど――!」


 騎士の制止を振り切って入室してきたのは、まだあどけない顔立ちをした少年だった。領主の反応からして、彼が右京の弟――伊織らしい。さすが弟だけあって、十歳の頃の右京の面影がある。


「ですが父上、私の桃華嬢を横から攫った悪魔憑きを、ついに捕まえたのでしょう!? 黙っていられません!!」


 キッと眦を吊り上げて言い切った伊織に、一行は「まだその問題が残っていたんだった――」と、げんなりとした表情を浮かべた。


 伊織は、ソファに座る面々を一人ずつ確認するように、鋭い視線を投げる。

 彼自身見た事があるのか、それとも噂で聞いただけなのかは知らないが、まずはキツネ頭の右京を見て「こいつはウチの騎士だから違う」と断じる。その横に座り右京の尻尾を抱えている陽香は女性なので、「これも違う」と。


 そして、その正面に座る颯月。眼帯こそしているが、金混じりの髪は隠していない。誰がどう見たっての悪魔憑きである。


「お前が、颯月だな」


 忌々し気に吐き捨てた伊織に、颯月はため息で返事する。そして何を思ったのか、突然横に座る綾那の身体を抱き寄せた。


「なあ、坊ちゃん。盛り上がってるところ悪いんだが、俺の本命はこの通り――」


 颯月が全て言い終わる前に、伊織は彼が抱き寄せる綾那を見た。その瞬間、何故だか彼はポッと頬を赤く染め、瞳を潤ませる。そして僅かに唇を震わせながら、緊張した様子で口を開いた。


「ではあなたが、私の桃華嬢なんだな……! ああ、なんて素敵な女性に成長されたんだ!! 私が思い描いていた通りの、素晴らしい女性になって!!」

「――ハ?」

「え……?」


 感極まった様子の伊織の言葉に、一行は言葉を失い凍り付いた。

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