第95話 陽香の弟

 毒入りの茶で昏睡させられた訳でなく、「空中浮揚レビテーション」で運ばれる訳でもなく。今回は正真正銘、正面玄関の扉から領主の屋敷へと招かれた。まあ、招かれた理由は決して褒められたものではないのだろうが――。


 案内役の騎士に従って廊下を歩けば、やはり綾那が壁を壊したせいなのか、慌ただしい様子の職人と何度もすれ違った。

 一行が向かっているのは屋敷一階の応接室らしく、目的地へ近付くたび、廊下の脇に控える騎士の人数が増えていく。まさか彼らが出迎えのために配置されているはずもない。恐らくは逃走防止――そして、悪魔憑きに対抗するための捨て石だろうか。


 眼帯の魔具を外して、たっぷりと魔力を蓄えた颯月。「時間逆行クロノス」の発動で大幅に魔力を消耗したとは言え、そもそもマナの吸収を抑制する魔具を装備していない右京は、常に魔力を溜められる。どちらも、魔法を使わせれば敵なしと謳われる悪魔憑きだ。

 しかも、右京が幸成と全く同じ魔法を使った結果、比べものにならない威力の核爆発が起きた事からして――仮に彼らが本気で暴れた場合、ここに居る騎士全員でかかっても鎮圧するのは難しいだろう。


(でも、またあの魔法封じの檻が出てくると話は別……次も簡単にパスワードを見つけられるとは限らないから、注意しないと)


 綾那は気を引き締めるように、細く短い息を吐いた。すると、不意に手を握り込まれて顔を上げる。

 横を歩く颯月は、相変わらず一つも緊張感がない様子だ。彼は綾那の手に自身の指を絡めて機嫌良さそうにしていて、そんな平和極まりない姿を見せられると、何やら綾那まで脱力してしまう。


「颯月さん……」


 仮にも敵地、しかも周囲に人が多いため、綾那は颯月の手を引いて囁くような声を出した。綾那としては、彼と手を繋いで歩けるなんて大変光栄な事だが――しかし世の中には、というものがある。

 今この状況、この場所で、呑気に仲良く手を繋いで歩くのはさすがにおかしい。


 颯月は「うん?」と首を傾げて、歩きながら僅かに腰を折ると、綾那の口元近くへ耳を寄せた。あまりの顔の近さに、綾那は思わずウッと言葉を詰まらせる。しかし言うべき事はしっかりと言わねばならぬと、己を奮い立たせた。


「あの……今から私達、領主さんの所へ怒られに行くんですよ。こういう態度は、あまりよろしくないと思います」


 内緒話でもするように小声で囁く綾那に、颯月は目元を緩ませた。そして、次は自分の番とでも言うように、綾那の耳元へ唇を寄せる。


「俺と綾がどれほど仲睦まじいか知らしめてやらないと、途端に桃華の件が嘘くさくならないか? 結局俺の本命は桃華で、周りに手出しをさせんために王族の存在をちらつかせている――なんて言いがかりを付けられると、面倒だろう」

「――た、確かに……!」


 颯月の言葉に綾那はハッとして、いとも簡単に納得した。であれば、綾那とて婚約者らしく振舞うべきなのではないか。ふむ――と神妙な顔つきで考え込んでいると、颯月は更に笑みを深めて続けた。


「それに、俺の婚約者が誰なのか――これを機に世界へ轟かせるのも悪くないだろう?」

「せ、世界に? いえ、それは――」


 ――色々な意味で、ちょっと困る。

 そう続けるつもりが、突然背後から綾那と颯月の間を引き裂くようにニュッと細い手が差し込まれて、瞠目する。パッと後ろを振り返れば、大きな猫目を眇めた陽香の姿。

 しかも、彼女のすぐ横を歩く右京までもが同じように目を眇めているため、綾那は居た堪れなくなる。


「オイ、いい加減にしろよ、そこのバカップル。いつまで楽しそうに内緒話してんだ、少しは空気読めよ」

「まだ友人だ」

「いや、マジでその要らねえわ。そんな距離感で接して許される男女の友人、いかがわしいフレンドだけだからな」

「俺と綾は、清く正しく美しい関係だって言っているだろう? 本当に無粋なヤツだな」

「お前ら、顔といい空気感といい……二人揃って垂れ目で、無駄にアダルトな雰囲気がデフォなんだから、もっとこう色々と律してくれや! セクシーを律しろ!」

「セクシーを律する……? 一体どういう事なんだ」


 真剣に悩み始めた颯月に、綾那は苦笑いを浮かべた。


(陽香、本当は「こんな事してる場合じゃない」って心境のはずなのに――やっぱり切り替えが見事というか、プロだなあ)


 いつも通りハキハキと話して、明朗快活な態度の陽香に感心する。彼女はほんの数分前、四重奏カルテットを家ごと「奈落の底」へ転移させると立案した黒幕――幹事の正体が、実の弟らしいという話を聞かされたばかりなのに。


 神子として生まれた陽香もまた、出生後すぐ国の教育機関に預けられ、国に育てられた。ただし綾那とは違い、十四、五歳ぐらいの時に両親が迎えに来た事もあったそうだ。


 だが、国に預けられてから全く顔を見に来なかった、血の繋がっただけの他人の元へ行くのは、相当に勇気が要る事だ。しかも神子が親元へ帰れば、国からの謝礼も支払われなくなる。

 結局陽香は親元で暮らす事を拒否して、四重奏のメンバーとひとつ屋根の下で暮らすようになるまでの間、ずっと国の教育機関で過ごしていた。


(私、陽香のご両親がどんな人なのか……弟さんとの関係性も知らないんだよね)


 二人続けて神子を産む確率は、かなり低い。しかも綾那が国の教育機関で出会わなかった事からして、陽香の弟は神子ではなく人間で間違いない。一体どんな確執があって、四重奏の解散を願ったのだろうか。


 血縁者と似ても似つかない優れた容姿と複数のギフトをもつばかりに、神子は身内から妬まれる事も珍しくない。しかし、だからと言ってここまでの事態を引き起こすのは、さすがに行き過ぎだ。

「転移」もちの男曰く――「怪力ストレングス」のせいで危険視されていたらしい、綾那はともかくとして――狙いはあの日あの時間、自宅に居たアリスと渚。少なくとも陽香は、「表」に残される予定だった。


 それが、予定よりも大掛かりな陣を作り出してしまったのか――いつまでも大穴が残っていたせいで、綾那と陽香まで「奈落の底」へ転移した。そもそも一度はアリスが難を逃れていた時点で、犯人グループの目論見は最初から潰れている。神に選ばれただのなんだのと大口を叩く割には、計画自体ずさん極まりない。


 陽香の弟が今に居るのかは分からないが、陽香だけを「表」に残して、一体どうしたかったのだろうか。四重奏の解散が目的と言ったって、肝心の理由が謎だ。


(もしかして、ルシフェリアさんが心配していた陽香の――恨みなのか執着なのか分からないけど、人から強く想われてるっていうヤツ。アレも、弟さんが関係してるのかな)


 その呪いのせいで、陽香はルシフェリアの祝福がないと「奈落の底」でまともに生きられないらしい。平和な街で生活する分には困らないのだろうが、古戦場跡――過去に大勢人が亡くなったような、いわく付きの場所に近寄ると、霊魂的なものや魔物を多く引き寄せてしまう。


「――何? 後でちゃんと話すって」


 あまりにも綾那が凝視していたため、何を考えているか察してしまったのだろうか。陽香は困ったように笑うと、「まずは、この場をどう切り抜けるかが先決だろ」と告げた。


「うん……でも、あまり無理はしないでね」

「平気平気、言ったろ? 正直、最初から――家ごと「転移」させられたって聞いた時から、見当がついてた。心の準備は十分過ぎるほどってな。あたしはただ、アリスとナギが無事なら他の事はどうでも良いからさ」

「オネーサンも、弟との関係が複雑なの? 嫌われてるとか?」


 右京の問いかけに陽香は「いや」と笑った。そして、彼の頭をぽんぽんと叩くように撫でる。


「うーたんと一緒で、そもそも一緒に暮らしてないもんで……接点が少なすぎて、アイツにどう思われてるのかなんて知らん。いや、知らなかったけど、たぶんなったって事は――よほど、あたしに思うところがあったんだろうなあ」


 陽香は「こんなもん笑うしかねえ」と言って乾いた笑みを漏らした。右京も「ふぅん」と相槌を打つのみで、それ以上言及する事はなかった。


「――領主様をお呼びいたしますので、中でお待ちください」


 そうこうしていると、案内役の騎士が一室の扉の前で足を止めて、ぺこりと頭を下げた。どうやら目的の応接室へ到着したらしい。


「ひとまず、あの檻はなさそうだな」

「あんな大層なモノ、そう何個も用意されてたら参っちゃうよ」

「んじゃ、まあ……腹括るとするか!」


 陽香の言葉に頷くと、一行は応接室の中へ足を踏み入れた。

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