第91話 悪魔の力?

 隼人曰く、以前の領主は利他的で善良な名君だったらしい。しかし右京が悪魔憑きにされた頃、まるで人が変わったように、利己的な人間になってしまったのだと言う。


 まさか領主が、あれだけ可愛がっていた右京息子を放逐するとは――いくらこの地で忌避される悪魔憑きになったからといっても、あまりに突飛な行動だった。

 その上いきなり領地の税金を引き上げて、領民の生活を圧迫する悪政を敷いた。右京を排斥した事で愛情の注ぎ先に困ったのか、弟の伊織いおりを溺愛し始めて、とんでもない放蕩ほうとう息子に育て上げた。

 一体誰がこんな事になると予想できただろうか。


 ちょうどその頃、領主の周りを見慣れない人間がうろつくようになっていた。当時既に騎士団長だった隼人は領主と接点が多く、必然的にその見慣れない人間を見かける回数も多かったのだ。

 ふと気にかかり領主に素性を問うても、「新しい事業を始める事にしたので、その商会の者だ」と返されては、深く追及できない。新規事業の立ち上げをアレコレと詮索するのは下世話だ。しかも、騎士の隼人には関わりのない事だろうと一歩引いて見ていたのも、異変に気付くのが遅れた原因かも知れない。


 しかし、それから数年も経てばさすがにおかしいと思い始めてくる。まずその不審人物は、一度として同じ姿で現れた事がなかったのだ。新事業をおこすためにやってくる商会の者と言っても、数年もの間、全くの別人がやってくるのはおかしい。いや、おかしいと言うよりも、あまりに非効率だ。


 担当が変わるたびに引継ぎ、申し送りや連絡事項など、余計な職務が増えるはず。そもそも毎日人が変われば、領主との信頼関係だって築けるはずがない――それにも関わらず、領主は何故か彼らを信頼しきっている。

 よっぽどその商会自体に信頼があるのだろうか。けれど毎日変わる商会の者との接し方は、とても初対面のソレではない。不審に思い領主に訊ねたところで、問題ないと一蹴されて終わってしまう。


 その頃もう既に、領主の権限はアデュレリア領――特にここオブシディアンでは絶対で、平気で騎士を脅迫するようになっていた。それゆえあまり強く言及する事もできず、隼人はただ不審な人物を注視するしかなかったのだ。


 そして、そんなある日の事。隼人はたまたま、領主が不審者に向かってこう呼びかけるのを聞いたらしい――「ヴィレオール様」と。



 ◆



「ヴィレオール?」


 綾那がこてんと首を傾げれば、すかさず颯月が補足説明する。


「昔、王室の書庫で見た覚えがある。当時は何について書かれてんのか、不明瞭な古文書だと思っていたが……確か『ヴェゼル』と並んでいた。あれは、悪魔について記された貴重な文献らしいな」

「それってつまり、ヴェゼルさんのお兄さん……?」

「ああ。悪魔は人前に姿を現しにくいって話は――単に、人間が悪魔の存在に気付いていないだけなのかもな。ずっと昔からだったんだ」

「ふーん……その悪魔が領主の傍についてる事と、領主の人間性が変わったのって、どう関係あんの? やっぱ、人を惑わせるとか洗脳するとか、おかしな力を持ってるのか?」


 陽香の言葉に、隼人は重々しく頷いた。


「あくまでも、私の推測に過ぎないが――どうも、人間の欲を増幅させて歪めてしまう力があるらしい」

「欲か……何故そう思った?」

「長年、領主様の――いや、ご一家の様子を見て来た結果だ。右京は仕事以外の関わりを一切断って避けていて、あまり分からないだろうが……彼らの行動はずっと異常だったからな」


 きっぱりと断言する隼人に、いまだ陽香の腕に守られるように抱かれた右京は「異常な事なら、よく知ってるけど――」と呟いた。陽香は右京の背中を宥めるようにぽんぽんと叩きながら、「具体的には?」と続きを促す。


「貴殿らにとって関係深く、一番分かりやすい例を挙げるとすれば――伊織様の件だな」

「桃華を誘拐しようとした、噂のか」

「ああ。よわい五つの時分に一目惚れしたきり、その後一度も会っていない少女を十年以上想い続けるなど――さすがに、常軌を逸しているとは思わないか? それも、確実に分かっているのは名前だけで、現在の容貌がどうなっているかも分からない相手だぞ」


 それは、綾那も「転移」もちの男達から話を聞いた際に、少々狂気を感じた点である。せめて二人の間に運命的な出会いがあったとか、ロマン溢れる劇的な別れがあったとかなら、まだ分かる。いや、しかし仮にそんな事実があったとすれば、桃華一人だけ何も覚えていないのはあまりにも悲しい。


 しかし、そんな綾那の考えを要らぬ心配だと否定するように、隼人は「あの二人はただ、だ」と首を横に振った。


「私は、伊織様が一目惚れした瞬間に護衛として立ち会っているから断言できる。決して特別な出会いではなかった。そもそもあの少女は、「領主様が店を訪れたのだから、店主の娘なら挨拶をしなさい」という名目で店先まで引き立てられたんだ。彼女は領主様一行にお辞儀をしたらすぐに店の裏へ引っ込んで、その後姿を見せる事はなかった」

「まあ、当時のもかぴ五歳だろ? 今と違って店員じゃあなかっただろうし……ヤバめの領主の機嫌をそこねたら大変だもんな。親なら、我が子を隠したくなると思うわ」

「その通りだ。しかし、何故それだけの出会いで――犯罪に手を染めてでも欲しいと思うほど、強く想い焦がれられる?」

「まさか、そのタイミングで桃華の一家が王都に越してきたのは――」

「領主様が娘を寄こせと圧力をかけた結果だ。彼らは、すぐさまアデュレリア領を出て行ったよ。まるで、夜逃げするような様相だったが……やはり、可愛い娘をに渡したくはなかったのだろう」


 隼人は深々とため息を吐いてから続けた。


「そもそも法律がある以上、女児を男児の婚約者にするなど……いくら領主様でも無理だ。あの当時、少女を奪ってどうするつもりだったのやら」

「もかぴのパパさんママさん、ナイス判断だな。それで――もかぴに対する異常な執着が、まさに悪魔の仕業って事?」

「私は、右京の呪いの元となる眷属をけしかけたのも、あの悪魔ではないかと思っている。何せ眷属を作り出すのは悪魔で――あの者の姿を見かけるようになったタイミングも、重なっている」

「そんな事、なんのために――いや、仮にそうだとしても、考えるだけ無駄でしょうね。相手は悪魔だ、僕らとは価値観も何もかも違う」


 今朝対峙したヴェゼルだって、まるで聞かん坊の子供のようだった。その兄がむちゃくちゃで自己中心的な理論のもと行動していたとしても、なんらおかしくはない。

 ひとまず納得――というか、相手が悪魔では考えても仕方がないと悟った一行。隼人は不意に気まずげな表情を浮かべると、ちらりと颯月を見やった。


「昨夜、騎士が颯月殿にまで手を出した件だが――アデュレリアにも、の噂が届いているせいだ。伊織様が命じたのだろう」

「ああ……お坊ちゃんは確か、桃華と婚約した俺の存在も邪魔に思っているんだったか」


 領主の息子――伊織は、二十歳になれば桃華と婚約を結ぶため、いずれ王都まで迎えに行くと夢見ていた。しかし去年、桃華は法律の目をかいくぐる目的で、颯月と婚約を結んでしまった。

 伊織はただでさえ、桃華に対して抱く情が過激なのだ。それは少なからず、颯月について思うところがあるに違いない。


 しかし、綾那にとって神である颯月にまで敵意を向けるとは、あまり感心できない。どこか面白くない気持ちになりつつ、綾那はそっと唇を尖らせた。


(――ん?)


 ふと、斜め横のソファに座った陽香が、不可解そうに眉根を寄せて、綾那を――いや、その横の颯月を凝視している事に気付いて、目を瞬かせる。今の話に、何かおかしなところがあっただろうか。そう考えた綾那は、すぐさま青褪めた。


 綾那はまだ、颯月の思う婚約者の定義も、一夫多妻についても、ややこしくなるからと陽香に話していなかったのだ。


「あのさあ、颯様。ちょっといくつか、聞きたい事があんだけどさ」

「聞きたい事?」

「もかぴって、ユッキーの彼女なんだろ?」

「ああ、そうだな」

「なんでそのもかぴが、颯様の婚約者に?」

「……うん?」

「じゃあ、アーニャとの婚約は……「契約エンゲージメント」とかいう魔法は?」

「いや、陽香――」

「てか、そもそも婚約者ってなんなんだ? まさか、アーニャともかぴの他にも女を囲ってるって事かよ……!?」


 まなじりを吊り上げて、険のある表情に変わっていく陽香。段々と増していく声量と語気の強さに、颯月は僅かに口元を引き攣らせた。そして、隣に座る綾那の二の腕をサッと掴むと強く引き寄せる。恐らくまた、彼の中にある正妃のトラウマが顔を出したのだろう。


「よ、陽香。お願いだから、あまり颯月さんを怖がらせないで。違うの、確かに颯月さんは国から一夫多妻を認められていて、婚約者も十七人ぐらい居るらしいけれど――」

「――ハアァ!? お前、アーニャ! 言ったよな!? 颯様は今までの男と違うって言ったくせに、群を抜いてヤバヤバのヤバだっての! 婚約者が何人いるって!?」

「じ、じゅうなな……ぐらいかなあ」


 綾那もまた引きつった笑みを浮かべながら、隣で怯える颯月の顔を見上げた。すると彼は、青白い顔で首を横に振る。


「いや、悪い……改めて調べ直したら、二十四人居た」

「……ハーン!?!?」

「そ、颯月さん! 誠実である事は美徳だと思いますけれど、今それは言わないで欲しかったです……!!」


 陽香は、先ほどまで抱き締めていた右京をソファの上に降ろすと、勢いよく立ち上がった。そしてソファの上で縮こまる綾那を見下ろして、人差し指でズビシと指差した。

 

「待て、アーニャ! お前それが分かってて、なんで颯様と一緒に居るんだ? 今までの傾向からしておかしいだろ!? 浮気だけは許さんアーニャが、一夫多妻の男なんて耐えられる訳がない!! 他にも何か隠してんじゃねえだろうな!」

「ねえ、オネーサン。別にその二人を庇う訳じゃあないけど、この国の法律については説明したでしょ? 婚約っていうのは――」

「聞いたけど! だからひとまず仮で、書類上はうーたんがあたしの婚約者なんだろ!?」

「――えっ、ええぇ!? 陽香と右京さん、いつの間に!?」

「いや! 言っとくけど僕らのはだからね!? 僕ロリコンじゃないし、オネーサンみたいにいい年して貧相なの、本気でタイプじゃないし!! 法律を守るために仕方なく――仕方なくだから!!!」


 必死の形相で弁解を始めた美少年の後頭部を、陽香は「お前ちょっと、必死に言いすぎだろ!!」と、力いっぱい叩いた。


 確かに彼は陽香の実年齢を知った際、法律のために適当な相手を見繕わなければならないと嘆いていたが――しかしまさか、彼自身がその役目を担ってくれていたとは、初耳である。


(一体、いつ……もしかして、年齢が判明したあの日の内に? てっきり、実年齢を知った所で陽香が童顔である事に違いはないし、誤魔化す方向にしたのかと――でもよくよく考えたら、真面目な右京さんがそんな不正を許す訳ないか)


 綾那は口元を手で押さえて、ぱちくりと目を瞬かせる。叩かれた頭を擦りながら、右京は眉を寄せて続けた。


「だから本当に、断じて庇う訳じゃないけど……「契約」は、同時に一人にしか発動できない契約魔法だよ。紫電一閃のは、間違いなく水色のお姉さんだって事。他の子は全部、法律の目をかいくぐるための……僕とオネーサンみたいな関係だよ、たぶん」

「…………じゃあ、婚約者全員とマブダチって事じゃねえかよ!?」

「い、いつから僕とオネーサンは、マブダチになったの!?」

「ええい、アーニャの他にも異性のダチを作るようなヤツはダメだね! スキャンダルの匂いしかしないね!! やっぱり、今のうちに別れといた方が良い――あわよくば、ナギに颯様を見られる前に全部なかった事にしたい……ッ!!」


 最後の言葉が、陽香の嘘偽りない本心な気がする。綾那に渚の恐ろしさは理解できないが、あの陽香がこれほどまでに怯えるとは――確かに、まずい状況なのかも知れない。

 ちらりと颯月を見やれば、やはり彼は宇宙一の美貌の持ち主である。ずっと一緒に居られればこの上なく幸せだろう。

 しかし、綾那は俯いた。


「そんなに心配しなくても、アリスと合流したら――」


 綾那は最後まで言わなかったが、陽香はしっかりと察したらしく、まるで苦虫を噛み潰したような顔をした。

 アリスのギフト「偶像アイドル」にかかれば、颯月が求める相手はいとも簡単に変わる。この幸せは今だけで、長くは続かない。どうせ失われてしまうのだから、今ぐらい――なんて考えてしまうのは、やはり間違っているのだろうか。


「そうなった時、お前が辛いだろうから言ってんだろ――今の内に自分で線引け、線を」

「悪いが、俺はもう綾なしじゃあ生きられん体になってる。引き離そうとしないでくれ」


 颯月はおもむろに綾那を抱き寄せると、回した腕で背中を撫でた。しかもそのまま、むつむように水色の頭へ頬を擦り寄せるため、陽香はぷるぷると体を震わせた。


「……やっぱりお前ら、いかがわしいフレンドだな!?!?」

「いかがわしくないフレンドだ。いや、本音を言えば、俺は綾にいかがわしい事がしたい。だが、それはにやっていい事じゃあねえだろう? そういう事は順を追ってするから、安心して良い」

「あぁ、それを聞いて安心――全くできねえな!? 何言ってんだお前!? 子供の前だぞ!!」

「僕、子供じゃないけどね」


 颯月はまるで、お気に入りの人形を取られまいとする子供のように綾那を強く抱きしめた。


「そう目くじらを立てるな。名ばかりの婚約者は全員、一年以内に婚約を解消して本命の男の元へ嫁ぐヤツらばかりだぞ? 綾は「一夫多妻の男は嫌だ」と言うから、本来ならすぐにでも解消したい所だが……紙きれ一枚とは言え、契約は契約だからな。途中で無責任に投げ出せんだろ、全員人生がかかってる」

「それを信じろってか!?」

「別に、綾が信じてくれるなら他はどうでも良い」

「……ああ、そうかよ、分かった! そこまで言うなら、颯様のを見せてもらおうじゃねえか!? あたしらの家族――アリスを見た後もまだアーニャの事が好きだって言えたなら、その時は認めてやんよ! 絶対にナイけどなあ!!」


 しばらくの間、隼人の執務室は混沌を極めた。

 曲がりなりにも領主を待たせているというのに、果たしてこんなにはしゃいでいて良いのだろうか。そんな疑問を抱えつつ、綾那はただ、颯月の腕の中で「幸せぬ」と呟いたのであった。

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