第87話 狐

 東部に位置するアデュレリア領も、アイドクレースと同じく気温が高い。夏の間は常に猛暑日を記録するらしいが――これでも南部セレスティン領と比べれば涼しいと言うのだから、全く恐ろしい。そうなると、南の気候は「表」でいう熱帯に属するのだろうか。


 綾那は取り留めのない事を考えながら、ただぼんやりと右京を――そして、彼の魔法によって焼かれる憐れなキラービーの姿を眺めた。


「――「火炎弾ファイアボール」」


 右京が呟くと、空宙に大量の火の玉が出現する。彼は、空を飛ぶ一行の「空中浮揚レビテーション」を維持したまま、目につくキラービーを撃ち落とし続けた。すれ違いざまの一瞬で正確に撃ち抜くその技量は、見事としか言いようがない。


(これたぶん、旭さんが絨毯屋の大倉庫で使ってた魔法と同じ――だよね)


 以前、旭が「転移」もちの男達から桃華を守るために撃った魔法。サッカーボール大の火の玉を威嚇射撃して、彼らの動きを止めてくれたものと酷似している。あの時は距離があったため、詠唱も魔法名も聞き取れなかったが――きっと同じものだろう。しかし、火の玉の数が尋常ではない。


 右京は、たった一度魔法を唱えただけで二、三十個ほど火の玉を出している。一つ一つの大きさはテニスボールほどで、旭の出したものより小さいが――確実に一撃でキラービーを仕留めている所からして、その威力に問題はないようだ。


「ひゅー! いいぞ、うーたん! 超リアルなシューティングゲーム見てる気分だ!」


 完全に野次馬と化した陽香は、魔法でふわふわと飛びながら右京を応援している。対する右京の返答は、「気が散るから、静かにしてて」と、どこまでも冷たい。二人のやりとりを見ていると、微笑ましいやら不安になるやら――綾那は苦く笑いながら彼らを見守った。


 右京の「|空中浮揚」によって領主の屋敷から脱出した一行は、そのまま街の外――ヴェゼルがキラービーの巣を仕掛けたという、物見やぐらへ向かった。陽香の言う通り既に氷は溶けているようで、黒い塊が櫓を覆い尽くしている。ウゾウゾと蠢く集合体は、遠目から見ても鳥肌の立つ光景だ。


 ただ、現在あの櫓は使われていないというのは不幸中の幸いだった。大昔、それこそまだ人間同士が争っていた時代の名残なごり。櫓はすっかり老朽化していて、そもそも人の立ち入りを禁じられているそうだ。周囲が魔物の巣窟になっているのも、人が近付かない理由だろう。


 キラービーは大変混乱を極めている。巣丸ごと「転移」させられた上に、魔法で氷漬けにされていたのだから当然だ。仲間同士で争う者が居れば、八つ当たりのように櫓を攻撃する者、街へ向かって飛び始める者など――とにかく動きにまとまりがない。

 目視できる巣は全部で五つだが、もしかすると巣ごとにコミュニティが違うのかも知れない。同種族でも、決して仲間ではないのだろう。


「――「時間逆行クロノス」といい、あの「火炎弾」といい……アイツ、魔法をアレンジするのが得意なんだな」

「アレンジ?」

「ああ。「時間逆行」も一般的な使い方とは違っただろう? 「火炎弾」も同じだ。一つ一つ本来のサイズより小さくする代わりに、大幅に数を増やしてる。例え威力が分散したとしても、あの通り確実に急所を狙えば関係ないようだし――なんというか、効率を求めるタイプなんだろう」

「私は魔法が使えないので、よく分かりませんけれど――そのアレンジというのは、簡単に出来るものなんですか?」


 綾那の問いかけに、颯月は「いや」と頭を横に振った。

 曰く、魔法というのはが決まっているものらしい。悪魔憑きには必要ないが、詠唱は誰しも全く同じ文言だ。ゆえに――保有する魔力の差で威力に違いは生まれるが――顕現する事象もまた、全く同じになるはずである。


 しかし、魔力の操作――魔力の割り振りとでも言うのだろうか。そういった魔力コントロールに長けた者の場合、魔法のアレンジも可能だと言う。

 威力に比例してサイズの大きい火の玉を一つ出すか、威力が分散するとしても小さな火の玉を複数出すか。ただし、右京の出す火の玉の数が尋常ではない件については、彼が悪魔憑きで、保有する魔力量が常人の比ではないからだろう。


(器用で、機転が利くって事なのかな)


 綾那は改めて、先導する少年の小さな背中を見やった。彼は颯月から借りた外套を風にはためかせながら、淡々とキラービー退治をしている。右京に襲いかかっても、例え逃げても結果は変わらない。彼の視界に入ったら最後、一匹残らず駆逐されてしまうのだから。


 ちらりとオブシディアンを振り返れば、街の外壁周辺に騎士が大勢集まっているのが見えた。門近くで寝ずの番をしている者だって居るはずだし、もしかすると巣が「転移」させられた時からずっと、様子を窺っていたのだろうか。あれだけの頭数が揃っていれば、例え右京がキラービーを撃ち漏らしたとしても平気だろう。


 ――果たして撃ち漏らすような事があるのかと問われれば、彼の手腕を見る限り答えは「否である」だが。


「この辺りで良いか――」


 不意に右京が声を上げると、魔法で浮いていた一行の体が、下へ下へと降りていく。位置的には、ちょうどオブシディアンと物見櫓の中間だろうか。問題の巣までは、まだ一キロほど離れている。


「うーたん、こんな手前で降りんのか? あの櫓まで行かねえの?」

「あんな、キラービーがうじゃうじゃ居る所まで行ったら、危ないでしょうが」

「危ないったって、でも、駆除せんとやばいんじゃ……」

「ここからでも燃やせるし、平気。そもそも近付き過ぎても、魔法に巻き込まれるだけだよ」


 綾那は、何事もなく地面に降り立った事にほっと安堵の息を漏らした。ずっと手を握ってくれていた颯月に礼を言って離れると、正面の櫓を見据える。


「君達はここでじっとして、絶対に動かな――……っ」


 右京は途中でグッと言葉に詰まると、フードを深く被り直して胸の辺りを押さえている。そうして幾度か深呼吸を繰り返すと、改めて口を開いた。


「――絶対に動かないで、危ないから。僕、上級魔法の制御が上手くできないんだ……一緒に燃やしちゃうかも知れない」

「よ、陽香、分かった? 絶対に動いちゃダメだよ?」

「なんであたしに言うんだ?」


 胡乱な目を向ける陽香に「いや、なんか、一番動きそうだから――」と答えれば、彼女はやや不服そうな顔をした。しかし反論はしなかったため、恐らく彼女自身、思い当たる節があったのだろう。


 とにかく右京の忠告通り、この場を動かないに越した事はない。綾那は念のため陽香の腕を取ると、もし彼女が突拍子もない行動に出ても引き留められるよう備えた。

 右京はフードの下から綾達と陽香を一瞥した後、最後に颯月を見やった。


「君がわざわざくれたのに、僕だけ見せないのは筋が通っていない気がするけど……もう少しこれ、貸してよね」


 言いながら背を向けると、櫓へ向き直った右京。これとは、颯月から借りた外套の事だろう。


「見せる見せないに関しては、別にどうでも良いんだが――アンタがチビ過ぎるせいで、裾がダメになった。アイドクレースに来たら体で弁償しろよ、しこたま仕事押し付けてやるから」

「はあ? ――僕、まだ君の下で働くって決めてないしっ」


 背を向けているため表情こそ分からないが、しかし右京の声色は明るく弾んでいるような気がした。横で陽香が「やっぱうーたんって、ツンデレ担当なんだな――」と呟くのと同時に、突然右京の体が外套もろとも黒い霧に包まれた。


「う、うーたん!?」


 いきなりの事に陽香が瞠目する。右京の姿は霧に包まれて、完全に見えなくなってしまった。霧でできた黒い人影のようなシルエットは、子供の背丈から段々と大きく、縦へ伸びていく。


「ただ「時間逆行」が解けただけだ、問題ない」


 あまりにも禍々しい色の霧に慌てる陽香を見かねたのか、颯月は落ち着いた声色で説明してくれた。やがて、黒い影は成長を止めて――だいたい、颯月と同じぐらいの大きさになっただろうか――霧が晴れると、外套を引きずる小さな子供は姿を消していた。


「うーたんがでっかくなった……」


 いまだ外套を身に纏いフードを目深に被っているため、その姿こそ確認できない。しかし裾から覗くバーガンディ色の騎士服のズボンからして、間違いなく右京なのだろう。彼はおもむろに右手をもたげると、ゆっくりと櫓へ掌を向けた。


 外套から出た右手。その甲には幾重いくえにも血管が浮かび上がり、余計な肉が一切なく筋張っている。そして指先――爪は全て、まるで獣のように鋭く尖っていた。

 呪いの元となった眷属がどのような姿をしていたかによって、悪魔憑きの『異形』は左右されるらしい。彼の呪いの元は、なんなのだろうか。元がなんにせよ、なかなか迫力のある手だ。


 綾那は思わず驚きの声を上げそうになったが、「失礼な事だ」と思い直して、寸でのところで口を閉じた。


「――「炎獄インフェルノ」」


 当然の事ながら子供の時よりも更にハスキーになった声で、右京が魔法を唱えた。この魔法は確か、幸成が絨毯屋の大倉庫を焼け野原に変えたものである。

 あの魔法は、本当に凄まじい威力だった。それは「近付きすぎても魔法に巻き込まれる」と忠告される訳だ。綾那は、およそ一キロ先にある目標物に何が起きるだろうかと、期待半分、不安半分で見守った。


 すると次の瞬間、物見櫓が――いや、櫓を囲うように配置されたキラービーの巣諸共、大爆発を起こす。鼓膜を震わせる爆音に、綾那と陽香はその場で飛び上がった。まるで櫓を覆い隠すように赤黒く大きなキノコ雲まで現れて、ぽかんと呆けてしまう。


「え――」


 ――幸成くんの時と、なんか違くないか。


 呆けた顔をした綾那の横で、陽香もまた「うーたんは人間核爆弾だったのか……?」と首を傾げている。しかし呆けていられたのもそこまでで、一キロ先で起きた爆風と熱波が綾那達を襲った。それだけでも辛いのに、櫓の爆発は一度では収まらず二度、三度と、連鎖するようにドカンドカンと爆発し続けている。


 完全に櫓のであった。


(そういえば旭さん、言ってたっけ……右京さんが暴れると瞬く間に戦火が広がるから、「烽火連天ほうかれんてん」と呼ばれているんです――って)


 その本人は暴れているというよりも、単に魔法を制御できていないだけといった感じだが――なるほど、言い得て妙だ。確かに戦火は広がっている。もう櫓も巣も、飛び回るキラービーの影すら残っていないのに、戦火が広がり続けている。


 ふと右京を見れば、彼もまた爆風の被害を受けたらしい。目深に被ったフードは脱げて、身に纏う外套は風にはためき、バサバサと音を立てて捲れ上がった。


「う――うーたん……?」


 膝裏に届くほど長いポニーテールは金髪で、癖一つないストレートだ。本来人の耳があるはずの場所からは、まるで獣のように大きな耳が映えている。そして外套が風に煽られる度に覗くのは、腰の辺りから生えた太い尻尾。

 陽香の声に答えるように振り向いた右京の瞳は両目とも赤で、瞳孔が縦に長く割れている。薄く開いた口元から覗くのは、吸血鬼のように鋭く尖った犬歯。


(颯月さんが前に右京さんの事、『烽火連天』とか『狐』とか呼ばれているって――)


 確かに、狐だ。元になった眷属の姿が狐に似ていたのだろうか。右京はまるで、人と狐が混じったような――物語に出てくる獣人のような出で立ちをしているのだ。

 なまじ美形なせいで、その姿にはかえって妙な迫力がある。しかし、『化け物』と呼ぶほどではないのではないか――いや、「人ではない」と言えば、それまでなのかも知れない。


 右京は気まずげにふいと目を逸らすと、フードを目深に被り直した。気付けばいつの間にか爆発は収まっていて、辺りはしんと、痛いくらいの静寂に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る