第86話 脱出

「――ず、狡い……! 狡い狡い、なんだよお前ら! 何やったんだよ!? ここから旗なんて――旗に書かれた数字なんて、読める訳がないだろ!?」


 両手両足をバタつかせて喚き散らすヴェゼルの姿は、癇癪かんしゃくを起した子供そのものだ。対するは、余裕たっぷりの笑みを浮かべた陽香。彼女は「別に狡くねえよ、なんてルールなかっただろ?」と肩を竦めている。


 陽香のギフト「千里眼クレヤボヤンス」。

 視界を遮るものさえなければ、富士山のふもとから頂上の様子を確認できるほど――つまり、およそ四キロ離れた地点のものでも視認できる能力だ。発動中は動体視力も著しく上昇するので、風にたなびく旗に書かれた数字だろうが見逃さない。


 陽香は「千里眼」と彼女自身の射撃の腕を組み合わせて、「表」で超遠距離からの魔獣狩りや索敵に役立てていた。彼女は二キロ圏内の対象物であれば、スコープなしのハンドガンであっても正確に撃ち抜くだけの腕がある。

 ちなみにこのは、一般的な小銃の狙いが外れずに弾が届く限界射程距離と言われている。もし仮に、どれほど遠くにある物を狙っても弾がばらけないような、神がかった性能の銃さえあれば――陽香は四キロ先の対象物でも、スコープなしで撃ち抜けるはずだ。


 ただひとつ難点があるとすれば、だろうか。いくら遠く離れたモノが鮮明に見えると言っても、一気に流れ込んでくる膨大な視覚情報を処理する能力がないので、脳に多大な負担がかかる。

 両目ではなく片目で見る、指を筒状に丸めて視野をせばめるなど、わざと視界を制限してやらなければ、頭痛、めまい、吐き気に襲われて倒れてしまうのだ。

 陽香曰く「まるでVR酔いだ!」との事だが――綾那はVRに酔った事がないため、イマイチ共感できずにいる。


「とにかく、ゲームはクリアしたんだから文句言うな。そもそもゲームバランスを考えろよ? 初めからクリアさせる気のないゲームなんて、面白くないに決まってんだろ」

「ウ――ッ」


 陽香は、グッと悔しげに表情を歪めるヴェゼルを指差すと、「ていうか!」と声を張り上げた。


「ゼルお前、さては魔法下手くそだろ!? やぐらの周り、めちゃくちゃ蜂飛んでんぞ!!」

「え? う、嘘だ、だって俺、巣ごと凍らせて――」

「だから一時間後どころか、もう溶けてんだよ、氷! お前の魔法が下手なのか、くっそ暑い外気温を全く考慮せずに薄く凍らせたのかは知らんけどな! さっさと駆除せんとまずいだろ、アレ。いつ街まで飛んでくるか分からんぞ、何せたったの二キロしか離れてないんだから」


 陽香の指摘に、ヴェゼルは分かりやすく焦りの表情を浮かべた。


「や、やばい、どうしよう……意味もなく街に魔物をけしかけたなんて知られたら、兄貴に怒られる――!!」

「え……いや、怒られるなら、そもそもどうしてこんな事を?」


 綾那が困惑して首を傾げれば、彼はクワッと目を見開いた。


「お前らで遊ぶ分には、ちゃんと意味があったんだよ! 魔法封じの檻だって、「性能を調べたい」って貸してくれたものだったのに――そ、そうだ、お前らがゲームしないのが悪いんだ!」

「おいおい、ゲーム始まる前から蜂が出てる事について、釈明はねえのか?」

「お前らがトロトロしてるからだろ!?」


 ヴェゼルは、まるで聞き分けのない子供のようにむちゃくちゃな主張をしている。これ以上話しても無駄だと判断したのか、陽香はヴェゼルからサッと目線を外すと、右京を見やった。


「うーたん、もう魔法使えるんだろ? 「時間逆行クロノス」って魔法はかけ直せたのか?」


 右京はいまだ、颯月から貸し与えられたフード付きの外套を身に纏ったままだ。少年は裾をズルズルと引きずって、陽香の元まで歩いて行く。そしてフードを被ったまま彼女を見上げると、おもむろに口を開いた。


「キラービー、もう出ちゃってるんでしょ? だったら、「時間逆行」を使う前に駆除しなくちゃ」

「え、でもよ――もう六時が来るぞ? いい加減、元の姿とやらに戻っちまうんじゃあ……」

「折角、嫌と言うほど魔力が溜まってるんだ。紫電一閃はまだ満足にマナを吸収できてないだろうし、僕が片付けるよ」

「うーたん、あれだけ嫌だって言ってたのに――ホント、偉い子だなあ! すくすく育てよ!」


 陽香は満面の笑みを浮かべて、外套の上から右京をギューッと強く抱きしめた。右京はすげなく「痛い、硬い、つらい――」と毒を吐いたが、陽香は一切気にした様子がない。彼女は膝を折ると、目深にフードを被る右京の顔を真っ直ぐに覗き込んだ。


「いいか? うーたん。もしこのままお前が元の姿に戻ったとしても、あたしは変わらずにダチだからな」

「――どうだか。見てもいないのに、無責任な事は言わない方がいいと思うよ」

「うん? まあ、確かにそうだな。体が透けてるとか足がなくなるとか、そういう物理が効きそうにない姿でなけりゃあ、なんでも来いって感じだぞ」


 明るく笑う陽香からぷいと顔を逸らして、右京は「あっそう」とだけ呟いた。そうして完全に己の存在を無視し始めた一行に、ヴェゼルは自棄になって「ああー!!」と叫ぶ。


「もう知らねえ、俺は悪くねえぞ! 全部お前らのせいなんだからな、お前らがなんとかしろよ!!」


 好き放題言うだけ言ったヴェゼルは、忽然と姿を消した。

 どうやら彼は、見た目以上に幼い性格をしているようだ。綾那は「前は言葉が通じなかったから分からなかったけど、とんでもない子なんだな」と、苦笑いを浮かべる。そして気を取り直すと、颯月を見やった。


「ええと……ひとまず、どうしましょうか。何か手伝える事はありますか?」

「折角やる気を出してんだから、全部うーたんに任せればいいんじゃねえのか」

「うーたんって言わないで」

「実際、俺はまだ魔力の溜まり具合に不安があるしな。全部でいくつ用意してあるのか知らねえが、キラービーの巣をまとめて破壊できるほどの魔法はまだ撃てん」

「分かりました。じゃあ、右京さんに駆除をお願いして――」

「ところで陽香、アンタ相当目が良いんだな? 二キロ先の旗が見えるのか?」


 感心した様子の颯月に、陽香はふふんと誇らしげに胸を張った。


「そういうギフトなんだ。まあ詳しい話は後にして、行動しようぜ! さすがに、屋敷の中も騒然としてきたし」


 彼女の言葉通り、綾那が壁をぶち抜いた音で、この屋敷に住まう者や警備の者が異変に気付いてしまったらしい。慌ただしい足音や、そこかしこから「何事だ!」「分かりません!」という怒声も聞こえてくる。


「今領主に絡まれると面倒だ。ちょうどいいもできたし、とりあえずここから出ようか――「空中浮揚レビテーション」」

「――おわっ!? なんだ、スゲエ! 飛んでる!」


 右京が「空中浮揚」と唱えると、一行の体がふわりと宙に浮き上がった。そうして彼に先導されるように、綾那が開けた穴から櫓に向かってフワフワと移動し始める。


(うう……やっぱり苦手だなあ、この感覚! ていうか、高い! 怖い!!)


 陽香は無邪気にはしゃいでいるようだが、綾那はどうもこの無重力感が好きになれない。文字通り地に足がついていない感覚は不安を煽り、何かに縋りつきたいのに、空中には支えにできるようなものが何もないのだから。


 しかも、早朝とはいえ外は既に明るいのだ。「奈落の底」に落ちた初日――奈落と呼ばれる超深海から、ルシフェリアの力でつくられたガラスの膜に包まれて地上へ降りた時とは、景色が違う。あの時は夜中で、下がほとんど見えなかったからこそ恐ろしさを感じなかったのだ。


 この高さから落下したら確実にお陀仏だろう。きっと気が動転して「怪力ストレングス」の発動も間に合わない。綾那は胸中で「無理無理の、ムリ――」と呟いて、両目を硬く閉じた。


「綾」


 この五日間で、すっかり聞き慣れた低い声がすぐ横から聞こえて、薄目を開く。すると、いつの間に隣まで来ていたのか――というか、この状態で自由に動けるとは凄い――颯月が片手を差し出している。


「もしあれば、俺が助けてやるから安心しろ」

「えっ……あ、ありがとうございます」


 差し出された手をぎゅうと握って、颯月の顔を見やる。彼はマナを吸収するために眼帯を外したままだ。綾那の宇宙一格好いい男ランキング堂々の一位をモノにした美貌が、太陽代わりの魔法の光源の下で光り輝いている。


(あ……っ、ずっとこの顔を見ていたら良いのでは? そうすればもう、何も怖くない――)


 これは名案である。途端にじっと熱の籠った眼差しで颯月を見つめる綾那に、彼はいつものように「穴が開く」と言って笑った。

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