第78話 出発

 運輸に特化したほろ付きの大きな荷馬車ではなく、本日綾那が乗っているのは仕様の違う馬車だ。


 車体の横に扉や窓がついていて、車内には対面式の座席、御者席と繋がる小さな覗き穴。ガタガタと揺れやすい荷馬車に比べて、こちらはスプリングだかベアリングだかが利いているのか――揺れが少なく、車輪の回る音も静かだ。ソファのように柔らかくて厚みのある座面は座り心地が良いものの、しかし足を伸ばして眠るには狭い。

 野宿には向かないが、移動する分には快適な馬車と言えるだろう。


「うーたん、うーたん! なあ、アレなら捕まえても良いよな!?」

「ダメ、気性が荒いからケガするよ」

「じゃあ、あっちは!?」

「ダメだってば。臆病だから大勢仲間を呼ばれるよ、むやみに近付かない」

「……もう、なんなんだ! アーニャと合流しても、結局モフモフに触れねえじゃねえかよ!」

「楽しそうだな、アンタら――」


 呆れた様子で呟く颯月に、綾那は乾いた笑みを漏らした。


 陽香と右京は車窓から外を眺めて、あれやこれやと話している。どうも陽香は、たまにひょっこりと姿を現す魔物に興奮しているようだ。

 徒歩で旅している道中にも魔物と遭遇していたらしいが、彼女は酷い動物アレルギーもちだ。果たして魔物が動物に含まれるのかは謎だが――むやみに近付く事もできず、ただ遠目から眺めるしかなかったのだろう。


 しかしそれも、「解毒デトックス」をもつ綾那と合流すれば話が変わってくる。綾那が陽香の肌に直接触れてさえいれば、彼女の体内に毒素――アレルギー物質が蓄積していくそばから、取り除く事ができるのだから。

 陽香は窓から身を乗り出しつつ、右京に向かって「あの魔物を捕まえても良いか」「触っても良いか」と聞いては、ことごとく却下されて「つまんねえ」とむくれ顔になっている。


 昨日一日で旅支度を終えた一行は、本日いよいよアデュレリア領へ向けて出発した。いつも馬車の御者を務める竜禅が不在なので、今回は颯月自ら御者席に座り馬を操っている。

 仮にも騎士団長にそんな真似をさせて良いのだろうか――と心配になったが、そもそも綾那や陽香は御者などできないし、子供の姿をした右京も無理だろう。したがって、彼に任せるしかない。


 右京は元々、街で馬車を借りるついでに御者も雇うつもりだったらしい。しかし、颯月に任せられるなら余計な費用が浮いて良いと、彼はあっさり受け入れていた。馬車も騎士団所有のものだから、実質タダだ。


 ボーッとするのが死ぬほど苦手な颯月はひとつも気にしていないが、やはり彼一人に御者を任せるのは抵抗がある。せめて話し相手くらいにはならなければと、綾那は彼の隣へ座ってサポートに徹する事にした。

 車で長距離ドライブする際、助手席に座って運転手の世話を焼くようなものだ――と思っている。


「綾、喉が渇いたな」

「あ、はい。ちょっと待ってくださいね……どうぞ」


 綾那は自分の鞄の中から水筒を取り出すと、コップに注いだ。そして、手綱で両手が塞がっている颯月の口元まで運ぶ。


「うん?」

「どうされました?」

「…………ああ、そういう」


 颯月は初め、不思議そうに目を瞬かせて首を傾げた。しかしコップと綾那の顔を交互に見た後、ふっと目元を緩めてコップに口を付ける。飲みやすいよう少しずつコップを傾けると、黒いアンダーインナーに覆われた喉ぼとけが上下するのが目についた。


「いきなりアデュレリアまで行けなんて、どうなる事かと不安だったが――綾が隣で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるなら、遠出するのも悪くないな」

「ねえ、水色のお姉さん。ちょっと手綱を離したからって、いきなり馬が暴れ出す訳じゃないんだから……そこまで手を尽くす必要はないと思うけど?」

「――あ!? えっ、あ、そ……そっか、そうですよね!? 確かに、ここまでする必要ありませんでしたね――」


 覗き窓から御者席の様子を見ていたらしい右京に冷静な指摘を受けて、綾那は取り乱す。彼の言う通り、わざわざ手ずから飲ませる必要なんてなかった。片手が空けばコップくらい持てるし、仮に両手や目を離したところで、車のように猛スピードであらぬ方向へ進路が逸れる事もない。


「アーニャは、条件反射のように人に尽くす悪癖があるからな――」

「そうか……やっぱり、何から何まで好みだ。さすがは俺の天使」

「――ヅ……ッ!」

「ヅじゃねえぞ、ヅじゃあ」


 両手で顔を覆って身悶える綾那に、車窓から身を乗り出した陽香は、胡乱な眼差しを向けている。しかしすぐさま車内へ引っ込むと、「それで、まずどこを目指すんだっけ?」と話題を変えた。どうやら、いつの間にか右京と一緒に地図を広げて眺めているようだ。

 綾那も話を聞くため、身体を反転して覗き窓を見た。


「初日に距離を稼いでおきたいから、近隣の町村は通過するよ」

「でも、今回の旅は野宿なしなんだろ? あんまり遅い時間帯だと、宿がとりづらくなるんじゃあ――」

「紫電一閃が、水色のお姉さんを野宿させるなんてとんでもないって言うから、仕方ないよね」

「颯様ジェントルだよな、マジで……けど確かに、アーニャがキャンプしてるとこってイメージできんわ。アーニャのキャラ的に、海ならまだしも野山は合わんって――お色気担当大臣は厚着NGだし」


 納得したように頷く陽香に、綾那は苦笑いする。綾那だって本当は、陽香やアリスに混じってキャンプ動画の撮影に参加したかった。しかし、リーダーである陽香に「アーニャのキャラじゃないから、ナシナシのナシ」と一蹴されては従うしかない。


 野山は虫や蛇が多く、身を守るためにはどうしても厚着が必要になる。綾那のファン層が見たいと思うのは、分かりやすく露出の多い姿なのだ。しかも綾那自身トラウマのせいで、身に着ける服の布地が多くなるにつれて、落ち着かなくなる性質をもっている。


 だからと言って薄着で参加すれば「アウトドアを舐めるな」「正しい知識もないくせに、ただ流行物に手を出しただけ」と顰蹙ひんしゅくを買うし、厚着すればファンが不満を抱くし――どちらにしても得られるモノが少ない。それなら、初めから参加しない方がマシだ。


「お色気……何?」

「あのムチプリ具合と垂れ目を見りゃあ、だいたい分かるだろ? 周囲から求められるキャラ像ってヤツが」

「はあ……まあ、よく分からないけど、分かる気もするよ」


 右京が神妙な顔で頷けば、陽香もまた「お前は見どころがあるぞ」と言って頷き返した。


(「奈落の底」なら、キャラがどうとか流行りがどうとか気にする必要ないから、野営も楽しめる――と思っていたんだけど)


 綾那以上に颯月が「日に焼ける」「虫に刺される」「肌が荒れる」と気にしており、結局こちらでも野営はできそうになかい。それだけでなく、こちらには魔物も眷属も居るので、単純に危険だという事も理解できる。


 夜は必ず町村へ立ち寄ると決めているからこそ、快適な移動に特化した馬車なのだ。馬車で眠る事については一切考えられていない。


「今日は、サードニクスまで行けると良いかな」

「サードニクスってのは、どの辺?」

「王都から約四十キロ東に行ったところにある、宿場町だよ」

「四十キロ……やっぱ馬車だと、結構進めるんだな」

「野営前提の旅路なら、五十キロ以上進めたと思うけどね――まあ、宿場町は噂が集まりやすいし。お仲間について聞き込みするなら、最適な場所なんじゃないかな」

「アリスについて何か分かればラッキーって事か」


 そう言って頷く陽香に、右京は「そうだね」と相槌を打った。

 道中の町村へ立ち寄る際には、アリスの情報収集をすると決めている。アイドクレース領に居る間は、陽香の容貌が良い武器になるだろう。

 正妃そっくりの彼女が話しかければ、大抵の男性は快く会話に応じてくれるらしい。この領の好みから大きく外れている綾那にとっては、この上なく心強い味方であった。



 ◆



 特に問題が発生する事もなく、一行は予定通りサードニクスという宿場町へ辿り着いた。到着時刻は十九時過ぎ。綾那達は早々に決めた宿で食事を済ませると、各々に割り振られた部屋で身を休める。


 東部アデュレリア領の首都オブシディアンまでは、まだ二百キロほど距離が残っている。休める時にはしっかり休む。そうでなければ、ただでさえ慣れない馬車での旅だ――目的地へ着くまでに疲労で倒れてしまっては、目も当てられない。

 ちなみに、颯月と右京は個室だが、綾那と陽香については防犯の意味も兼ねて、同室を割り振られている。


「イチから作ったのはスゲエと思うけど、このBGMの荒さだけは、もうちょっとなんとかならなかったのか?」


 ベッドの上に腰掛けてカメラの魔具を覗き込んでいる陽香は、唇を尖らせた。満を持して、騎士団の広報動画を彼女に見せる時が来たのだ。


「うん、ごめん……そう言われると思ったけど、気がはやっちゃって――」

「プロなら妥協せずに、こだわるべきだろ? まあ、音楽ソフトもちゃんとした録音機材もない状態でここまで作ったんだから、及第点か。いやあ、早くあたしも広報とやらを任されたいもんだな!」


 動画を繰り返し見ようと再生ボタンを押した陽香は、「それにしても」と続ける。


「アーニャが演者に回れんってのは、解せん――この領の痩せ以外許さんって風潮を変えるためにも、表に出るべきだと思うけどなあ。王都であの、よく分かんない仮面付けてる事も関係あんのか?」

「うん、王様の側妃だった方に似てるって言われて――王様に気付かれると、ちょっと面倒な事になるんだって。笑顔だけらしいけどね」

「ほお、そんな高貴な人に似てるなんてな――でも、過去形で話すって事はもう居ねえのか、その側妃様は」

「……そうだね」

「ふぅん。まあ詳しい事は分からんけど、演者どころか顔を見せるのさえ厳しいってのは、分かった」

「そう、私は無理だけど――でも陽香が演者に回ってくれたら、騎士団の色々な問題が解決できると思うんだよ」

「出会いがなさ過ぎて、死ぬほど婚期を逃す――か。悪い冗談みてえな話だけど、本気なんだよなあ」


 呆れたように目を細める陽香に、綾那もまた苦笑いを浮かべた。

 綾那だって、初めて和巳から聞かされた時には、冗談を言われているのかと疑ったものだ。しかし、ひと月以上彼らと過ごした結果分かったのは、どうやら本気で困っているらしい――という事である。陽香というエサに釣られて、騎士になろうと思う男性が増えてくれると良いのだが。


「陽香には、頑張って騎士団のアイドルになってもらわなくちゃ」

「それこそ、あたしのキャラじゃねえから不安だけどな……まあ、なるようになるだろ」


 綾那は困ったように笑う陽香と顔を見合わせると、「大丈夫だよ」と言って微笑んだ。

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