第79話 首都オブシディアン

 一行がアデュレリア領へ入ったのは、アイドクレースを出発してから五日目の事だ。


 道中魔物が出ても、颯月が魔法ひと薙ぎで対処してしまうため、綾那も陽香も――右京にも出番はなかった。そして本日、日が暮れる頃にはオブシディアンへ辿り着くのではないかという話で、旅程は概ね順調に進んでいる。


 あえて問題を挙げるとするならば、颯月は旅の途中でもあっても関係なしに、文字通り休みなく働き続けてしまっている――という事だろうか。


 日中は御者、そして襲い掛かってくる魔物の対応。街に立ち寄り宿をとっても、夜中に一人、街の外へ眷属を探しに出て行っているようだ。彼は、遠出していても関係ない。アイドクレースで生活していた時と同様、とにかく少しも体を休められないらしい。


「颯月さん。そろそろ私に御者を任せてくれても、良いのですけれど――」


 五日間ずっと颯月の隣に座って見ていれば、御者の経験がない綾那でも、さすがに馬の誘導方法が分かってくる。土地勘がないとは言え、基本的には街道が続いているし――後ろから右京が進行方向を指示してくれるので、道を間違える事もない。


 もちろん、社畜をきわめる彼の事だ。碌な睡眠をとっていないからと言って、居眠り運転なんてしないだろう。しかし、慣れない土地を進むのだから、普段以上に疲れが溜まるはずだ。

 しかし、綾那が御者を変わろうと手を差し出せば、颯月は笑みさえ浮かべて「俺から仕事を取り上げないでくれ」と拒否する。


「颯様のあだ名、『マグロ』に変えるか?」

「それはさすがに却下……気持ちは分かるけど」


 覗き窓から声を掛けて来た陽香に、綾那は小さく息を吐いた。


「なあなあ、颯様っていつ寝てんの?」

「寝たくなったら、時間も場所も問わずに寝る」

「おお、ヤベーな。何がヤベーって、この五日間寝てるとこ見てねえんだよな」

「夜に宿で寝ていれば、日中は眠くならんだろう」


 さらりと言ってのける颯月に、陽香は「いや、いっつも夜明け頃までどっか出かけてるの、知ってっから」と目を眇めた。しかし、例え常人にとっては仮眠にもならないような短時間だとしても、彼にとっては違うのだろう。


「まあ、本人が嫌だって言うなら無理強いする事ねえか。例えば、一時的にアーニャの太ももを枕として使わせてやるって言っても、無駄なんだろ?」

「何? オイ、それをもっと早く言え。全く話が変わってくる」

「…………アーニャ。お前の友人、少しも下心を隠す気がねえんだけど、本当に大丈夫なんだよな?」

「下心じゃねえ。俺にあるのは、綾に対する探求心だけだ」


 どこまでも真剣な表情で答える颯月に、綾那は苦笑いを浮かべつつ彼を擁護した。


「颯月さんは、その――私が初めての友達だから、ちょっと人に対する好奇心が抑えきれないだけで……大丈夫だよ」

「おお。全く大丈夫じゃねえって事は分かったよ」

「ま、まあどちらにせよ、御者席でも後ろでも、横になれるほどの広さはありませんから。膝枕は、さすがに無理があるかと――」

「それもそうだな、今後の楽しみにとっておこう」


 結局、颯月から手綱を受け取る事はできず、綾那は複雑な表情のまま手を下ろした。

 それは綾那だって、十年以上休みなく働いている颯月の意識を、簡単に改革できるとは思っていない。そんな傲慢な意識は、ほんの数日前に彼の手によって打ち砕かれたばかりだ。


(だけど誰かが「働き過ぎだ」って注意し続けなきゃ、改善の余地はないものね……いや、でも、正妃様が注意しても無理なんだから、他の誰が言ったところでって感じなのかな――)


 綾那は、隣に座る颯月の顔をじっと観察した。彼は、食事と水分だけはちゃんと摂取している。ただこの五日間まともな睡眠をとっておらず、日中は馬車の運転、夜中は眷属を探し歩き回っている――というだけだ。


 とは言え、その顔色はいつも通りクマひとつない。むしろ、一時的に書類仕事がなくなって肩こりが減ったと、普段以上に肌艶が良いレベルである。

 つまり痩せ我慢でもなんでもなく、彼にとっては本当に突然いとまを出されて、時間を持て余している状態なのだろう。颯月の休めない問題については、口頭で注意するだけでなく、もっと他に策を講じる必要がある。


 これ以上彼から仕事を取り上げたところで、かえってストレスを与えるだけだと思い至った綾那は、諦めて顔を正面へ戻した。

 するとその瞳に、ここ数日見てきたどれよりも高い外壁に囲まれた街が映る。さすがに王都と比べれば小さいが、黒い外壁に囲まれた街はなかなかに規模が大きそうだ。


「わあ……もしかして、アレが?」

「そう、オブシディアンだよ――日が暮れる前について良かったね」


 綾那の呟きに、車窓から顔を出す右京が答えた。彼はその愛らしい顔をやや曇らせている。何せ今から彼は、自らクビを切られに騎士団へ向かわねばならないのだ。しかもオブシディアンは、折り合いの悪い相手――領主の住まう街である。何かと気が重いに違いない。


「なあ、うーたん」

「…………何?」


 陽香に「うーたんはやめて」と突っ込むのも面倒になったのか、彼はたっぷりと間を空けてから、眉根を寄せて首を傾げた。


「アデュレリア騎士団辞めたら、とりあえず一緒にアイドクレースまで戻るんだよな? その先どうするかは未定にしろさ」

「そうだね。通行証まで持たされたんだ、さすがに無視できないでしょう」

「そっか。あたしとしては、うーたんに恩返しする機会がもらえて助かるんだけど……ただ、弟と離れるのは良いのか? 結構気にしてただろ」


 陽香は言いながら、ぽんぽんと右京の頭を撫でる。しかし右京は、「やめて」と彼女の手を払ってから、小さく頷いた。


「言ったでしょう、そもそも一緒に暮らしてないって。彼が成人するまでは、何かあった時に手助けをしようと思っていたけど――でもそれも、あまり意味がなさそうだから」

「意味がない?」

「……悪い道へ進まれたら、どうしようもないって事」

「うーたんの弟、不良なのか! それは意外だな! オブシディアンから出て行く前に、「目ぇ覚ませ」って一発ぶん殴ってやれば?」


 握り拳を作って首を傾げる陽香に、右京は珍しく目元を緩めて微笑んだ。続けて頭を横に振ると、「これ以上の面倒事は、御免だよ」と言って口を閉じた。



 ◆



 宿に預けた馬を撫でる颯月の横で、綾那は唇を尖らせて呟いた。


「颯月さんが、わざわざフードを被らなきゃならないなんて――」


 綾那の予想通り、どうもこの街は悪魔憑きに対する当たりがキツイらしい。

 街の入口で見張りの門番に通行証を提示して、中へ入るまでは特に問題がなかった。しかし、右京から「オブシディアンでは、その頭は隠しておいた方が良いよ」というアドバイスを受けて、颯月はすぐさま外套のフードを目深に被った。


 曰く、「命知らずの馬鹿が次から次へと喧嘩を売ってきて、いちいち相手するのが面倒くさいと思うから」との事だ。

 右京しかり、アデュレリア領に全く悪魔憑きが居ない訳ではないらしいが――しかし、少なくとも首都で存在を認知されているのは、右京ただ一人らしい。


 どうもアデュレリア領主は、心の底から悪魔憑きが嫌いなようだ。その苛烈さと言えば、悪魔憑きを見つけ次第、他所の街にある教会や施設へ更迭こうてつしてしまう程らしい。街のトップがそれでは、領民だって毒されてしまう。悪魔憑きは排斥しても問題ない、虐げても問題ない――そんな意識になってもおかしくないではないか。


 しかし、悪魔憑きにそんな仕打ちをするにもかかわらず、自分はちゃっかり右京を都合よく使い潰しているのだから――綾那としては、眉をひそめたくなる話だ。


「アンタだって初めは、俺がフード脱ぐ度に顔を逸らしていたじゃねえか」

「私は、颯月さんの美貌が見るに堪えなかったから、逸らしていたんです。この街の方とは理由が違います」

「綾は本当に俺の顔が好きだな。まあ、俺もアンタの顔が堪らなく好きだから、お相子あいこか」


 フードの陰から辛うじて見える口元を緩ませる颯月に、綾那は胸を押さえて顔を俯かせると、「ぅ……っ、宇宙一大好きぃ……!」と漏らして身悶えた。

 ちなみに、陽香と右京は揃ってアデュレリア騎士団へ赴いている。鬼の居ぬ間に――と言うと陽香に肩パンチされるだろうが、今ならば颯月とこんなやりとりをしていても、諫められる事はない。


「そもそも俺がこの外套を仕立てた理由は、髪色を隠すためだ。悪魔憑きが嫌厭けんえんされるなんざ、別に珍しくもなんともない事だから気にするな」

「でも――」

「そんな事より綾、こっちの女は骨ばかりじゃないんだから、くれぐれも気を付けろよ」


 髪を撫でながら掛けられた言葉に、綾那は首を傾げた。


「絶対に一人で出歩くな。アイドクレースと違って、浮くどころかむしろ好まれるって事を忘れるなよ――綾がおかしな男に絡まれでもしたらと思うと、俺は気が気じゃあない」

「え……ふふ、颯月さん。アイドクレースでも心配してくれますけど、私「怪力ストレングス」もちですよ? そんな事、「表」では言われる事なかったのに――」


「表」では、「怪力」もちだと言うだけで暴漢の方が逃げていく。陽香の言葉を借りる訳ではないが、いくら綾那が見目麗しい神子であろうとも、ゴリラである事に違いないのだ。

「女だから」と組み敷こうにもいとも簡単に押し負けるし、下手に手出しすれば大怪我を負うリスクがあるのに――誰がわざわざ、そんな女を襲おうと思うのか。

 思わず笑みを零した綾那に、しかし颯月はゆるゆると頭を横に振った。


「力の強さは関係ない。こっちには魔法だってあるし――どれだけ見目が良いか、自覚がない訳じゃあないよな? 俺が暴漢なら容赦なく襲う、そうでなくとも口説く」

「……颯月さん、相変わらずファンサービスが過ぎますよ」


 綾那が「過度な安売りは、値崩れを――」と呟きながら頬を染めて俯けば、くつくつと低い笑い声がする。髪を撫でる手が頬に滑り、長い指先が耳をくすぐった。


「誰が相手でもする事じゃないから、値崩れは起きん」

「し……っ、死んじゃうぅ……!」

「アンタすぐに死ぬな」

「颯月さんの供給過多なんですよ!」


 言いながら胸を押さえる綾那に、颯月は声を上げて笑った。


(このままじゃあ、幸せ過ぎて死ぬ! よ、陽香、早く戻ってこないかな……!)


 颯月と接していても咎める者が一人も居ないというのは安心だが、しかしこうも濃密なファンサービスをされ続けると、綾那の寿命が縮む。こんな事なら、陽香に肩パンチされている方がよほど気が楽である。


 そこまで考えて、綾那はふと空を見上げた。真っ暗な空――もとい海。宙に浮かぶ魔法の光源は、夜の時間帯を示すように明度が低い。


「陽香も右京さんも、遅いですね」


 オブシディアンに到着した一行は、まず宿へ向かった。ここでも各々が部屋を取り、荷物を置いて身軽になった所で別行動――というか、宿に残る綾那と颯月、そして騎士団本部へ向かう陽香と右京の二手に分かれた。


 綾那と颯月はアデュレリア騎士団にとって部外者であるし、前触れもなくいきなり来訪して、本部へ入る事はできない。陽香も部外者と言えば部外者だが――少なくとも数日間は世話になっており、アデュレリアの騎士団長とも面識があるらしい。


 右京は一人で行って早々に手続きを済ませてくると主張したのだが、しかし陽香は、まるで弟を心配する姉のように「絶対にうーたんの最後を見届けるからな!」と言って聞かなかった。見るからに嫌そうな顔をしていた右京だったが、最後は根負けして陽香と共に出て行ったのだ。


 そうして陽香達と別れてから、もう四時間ほど経った。あまりにも戻ってくるのが遅いため、綾那と颯月は二人きりで先に夕食を済ませたくらいだ。

 右京曰く、所属していた第四分隊が既に空中分解している以上、引継ぎと呼べるようなものはない――と。ただ何かと事務処理が多いだろうから、帰りは遅くなると言っていた。


(幸成くんなんて、わざわざ足を運んでクビを切られるのはバカらしいから、人に伝言を頼めば良いじゃんって言っていたけど……やっぱり、色々と複雑な手続きがあるんだろうな)


「確かに遅いな――陽香が戻るまでは、部屋で大人しくしててくれ。綾一人でウロウロするなよ?」

「あ、はい……そうですね。そもそも一人で外なんて出たら、迷子になりそうですから。大人しく陽香の帰りを待ちます――もしかして颯月さん、今夜もお出かけですか?」

「ああ、日課の散歩にな」


 ――日課の散歩。夜中に活発になるという眷属を探しに、街の周辺を巡回する事が『散歩』とは。たまには体を休めろと引き留めたところで、無意味な事は分かり切っている。綾那は苦笑いを浮かべて、「ええと、お気を付けて――」と、無難な言葉を掛ける事しかできなかった。


 そうして、陽香との二人部屋に戻った綾那は、大人しく彼女の帰りを待つ事にした。けれども陽香は、深夜を回っても帰ってこなかったのである。

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