第77話 旅支度

 最短でも三日はかかると言われていた右京と陽香の予備の通行証は、予定よりも早い二日で発行された。恐らく、和巳が何かしらの無理を通したのだという事は想像に難くない。


 通行証が用意でき次第、早々にアイドクレースを発ちたい――とは、さっさと解雇手続きをしたい右京にしろ、部下に取り上げられた仕事を取り戻したい颯月にしろ、家族の行方を探したい綾那と陽香にしろ、四人の総意である。


 明日にでも王都を発つため、本日は旅支度を整える日と定めて服屋を訪れた。もちろん店は桃華の『メゾン・ド・クレース』。出発前に、陽香の着替えを用意しておかなければ――彼女はずっと、身軽すぎる体で旅していたのだから。


「お、お姉さまぁ……っ、どこにも行かないって、約束したじゃあないですか! 酷い――やっぱり桃の事なんて、どうでもいいんだ! ご家族さえ居れば、それで良いんでしょう? そうでしょう!?」


 ぽろぽろと涙を流しながら必死にしがみついてくる桃華に、綾那は苦笑いを浮かべて困り果てた。

 さて、なぜこうも話が拗れたのか――店内で陽香の服を選びがてら、半月ほどアイドクレースを離れる事を伝えただけだ。ただそれだけで、桃華は酷く取り乱した。


 元々、綾那が家族と合流すれば街から出て行って二度と戻ってこないのではないか――と、危惧していた桃華だ。たった半月とはいえ、彼女の予想通り旅に出ると言い出した綾那に、気が気ではないのだろう。


 店内にも関わらず、「置いて行かないで」と号泣する桃華。颯月と右京は店先で待機しているのだが、しかし桃華のこの全力の嘆きは、きっと彼らの耳にも届いているだろう。


「もう、桃の事なんか忘れて、ご家族と一緒にどこか遠くへ行っちゃうんだ……!」

「いや、あの、桃ちゃん、少し落ち着いて――」

「お姉さまの、嘘つきぃい……っ!」

「おうおう、なんだなんだ? 実は見た目に反して、めちゃくちゃ面白い子だったんだな……撮っても良いか?」


 陽香は、綾那と桃華のやりとりを興味深そうに眺めながら、ポケットからスマートフォンを取り出そうとしている。そんな彼女に、綾那は「今は撮影NGだよ」と言って頭を横に振った。全く油断も隙もない配信者である。


「そうだわ――あ、あなたのせいで! あなたがやって来たから、お姉さまが……!」


 桃華はパッと顔を上げて、涙に濡れた大きな瞳で陽香を睨みつける。しかし、当の陽香はひとつも気にしていない様子で、ぽむぽむと桃華の頭を撫でた。


「確か名前、桃華だったよな? ――じゃあ、『もかぴ』で」

「……もかぴ?」

「あだ名だよ。もかぴ、アーニャの友達なんだろ? じゃあ、アーニャのダチであるあたしとも友達だよな」

「トモ……ダチ……」


 ニッコリと人好きのする笑顔を浮かべた陽香の言葉に、桃華は瞳をぱちくりと瞬かせた。やがて彼女は頬を上気させると、綾那から体を離して姿勢を正す。黄色いワンピースに入った皺を入念に伸ばすと、まだ涙の乾き切らない瞳をキラキラと煌めかせて、大きく頷いた。


「――え、ええ! おぉお、お友達です……っ! もかぴは、お二人のお友達ですよ!!」


(うーん。相変わらずチョロくて心配になっちゃうなあ、『もかぴ』――)


「改めてよろしくな~」と言って桃華と握手する陽香。そんな二人を眺めながら、綾那は自分の可愛い妹分がチョロ過ぎる事に不安を覚えた。

 桃華は、颯月と幸成の幼馴染だ。リベリアスの法律や互いの信頼関係など、色々な問題を考慮した結果、颯月の婚約者になって――それが原因で、同性の友人が極端に少ない。


 いや、少ないと言うと語弊がある。居ないのだ。

 実際の関係性などお構いなし。周囲の人間は、桃華こそが颯月の真の婚約者であると捉えて、婚約者筆頭なんて呼んでいた。


 颯月自身は否定するが、彼は多くの女性からひっそりと慕われている。そんな男の婚約者筆頭を名乗るなど――いや、是帯に桃華自身は一言も口にしていないはずだが――嫉妬や悪意の対象になって当然だ。

 だからこそ桃華は、同性からやっかまれるわ、苛められるわ、挙句の果てには「友達になったのだから、颯月に口利きをしてほしい」と利用されるわ――とにかく、同性の友人に恵まれなかったらしい。


 しかしそれから紆余曲折あり、今でこそ彼女の周りに悪意ある人間は近付かなくなった。ただ、今更「友人になりたい」なんて言われても、戸惑うだけだろう。

 とにかく彼女は、『女友達』に対する免疫を著しく欠いているのだ。


(結果が、このチョロさなんだよね……いや可愛いけど、ホント変な人に利用されないのか心配)


 四重奏のメンバーから「土下座したらなんでもやらせてくれそう」「お前、何されたら怒るの?」などと心配されるほどお人好しで、人の悪意に鈍感な綾那から見ても、桃華は心配である。

 こんな事を口にすれば、陽香に「オウ。どの口が言ってんだよ、ゴリラ」と突っ込まれるに違いないので、言わないけれど。


「もかぴ、服屋さんだったんだな。あたし男物の服が好きなんだけど、どの辺りにある?」

「は、はい! もかぴがご案内いたします……!」

「よし、ちょっと行ってくるわ、アーニャ! 颯様とうーたん二人きりだと気まずいかも知れねえから、間に入ってやってくれよ」

「うん、行ってらっしゃい」


 すっかり涙が止まったらしい桃華と手を繋いだまま、陽香は店の奥へと進んでいった。桃華を泣き止ませてくれた事には感謝だが、しかし何やら、あっという間に陽香へ鞍替えされてしまったようで、複雑な気持ちになる。


(まあでも、二人共楽しそうだから良いか)


 華奢な二つの背中を見送ると、綾那は陽香の進言通り、店先で待機する颯月と右京の元へ向かった。



 ◆



「桃華は相変わらず、綾にゾッコンだな」


 やはり店内の騒ぎが聞こえていたのか、綾那の姿を見た途端、颯月は「魔法鎧マジックアーマー」の中で低く笑う。彼は「魔法鎧」で素性を隠さねば、に襲われると言って聞かないのだ。綾那もまた、苦く笑いながら頭を横に振った。


「でも、あっという間に陽香に取られちゃいました」

「あのオネーサン、人の話を聞かなくて面倒くさいけど、人たらしな所あるもんね。オブシディアンでも、色んな人をたらし込んでいた気がする」


 言い方に棘はあるものの、しかし陽香の長所を正しく認めているような発言をする右京。綾那はどこか誇らしいような気持ちになって、「そうなんです」と頷いた。


 陽香は、「表」でもそうだった。初対面の人間が相手でもすぐに打ち解けてしまうし、右京の言う通り「人の話を聞かない」「何かと面倒を起こすトラブルメーカー」などと思われていても、周囲の人間は不思議と彼女に惹かれてしまう。


「アンタも誑し込まれた口か?」

「……うるさいな」


 颯月の問いかけに、右京はツンと顔を逸らして口を噤んだ。しかしそれ以上反論しないあたり、少なくとも陽香の事を憎からず思っているのだろう。


「そう言えば、あんまり詳しく聞いていませんでしたけど……右京さん、どうして陽香の面倒を見て下さったんですか? 私も人の事は言えませんが、身分証も通行証もない怪しい人間に、進んで関わろうとは――」

「……第四分隊の騎士が居なくなって、僕の隊はもう空中分解してるって話したでしょう」

「ええ」

「第四分隊って、元々は領主直属の指令をこなす――領主の駒使いというか、便利屋みたいなものだったんだ。でも僕一人じゃあ、できないから。ある日突然、街の門の警備に回されてね。その時、通行証を提示していないくせに、不思議と誰に引き留められる事もなく、堂々と門から侵入するオネーサンを見つけたんだ」


 右京の説明に、綾那は目をみはった。誰に引き留められる事もなく、堂々と門の正面から不法侵入――まず間違いなく、陽香はギフトを使ったのだろう。


 堂々と不法侵入しようと試みるなど、あまりにも大胆不敵だが――いきなり知らない世界へ、誰にも何も説明される事なく、身一つで放り出されたのだ。

 そもそも、街へ入るのに通行証が必要な事すら分からなかっただろう。例え門を出入りする人間を観察して「どうやら検問があるらしい」と察したところで、街へ入らない事には野垂れ死に一択なのだから。


(いや、陽香のした事も問題と言えば問題だけど――そんな事より右京さん、陽香のギフトが効かなかったって事? そっちの方が驚き)


 思わず右京を凝視していると、その横で颯月が不思議そうに首を傾げた。


「門から堂々と? どうやってそんな事を?」

「オネーサンの言う事はよく分からないけど、「そういうギフトだ」って言っていたよ。僕がオネーサンを引き留めるその瞬間まで、他の門番はまるで彼女の存在を認識できていない様子だった」

「綾の国の、魔法じゃない魔法みたいな力か?」

「あ――はい。「隠密ステルス」を使ったんだと思います」


 陽香のもつギフトのひとつ、「隠密ステルス」。このギフトは、発動すると使用者の存在感が極限まで薄れるというものだ。

 足音、息遣いや体温なども感知できなくなるが、使用者の体に誰かが触れた途端に隠密が解かれて、視認できるようになる。陽香の場合、普段の賑やさと存在感が半端でなく大きいため、相対的にギフトの効果が高くなるらしい。


 ただし、勘の鋭い者や洞察力の優れた者には効果が薄く、使用したところで「彼女は何故、いきなり静かになったのだろうか」と逆に不審がられる。そうなると、ギフトが意味を成さないのだ。

 つまり、初めから陽香の存在を認識できていた右京は、相当に勘が良いという事だ。彼に引き留められて、陽香はさぞかし驚いたに違いない。


 綾那の説明に、颯月と右京は感心したように頷いた。


「ギフトっていうのは、本当に便利な力だな」

「いえ、魔法も大概ですけどね。じゃあ右京さんはその時、不法侵入する陽香を捕まえて――」

「そう、規則にのっとって牢屋に入れたよ」


 なんでもない事のようにさらりと言い切った右京に、綾那は苦笑した。「表」の世界には直接響かないとは言え、しかし曲がりなりにも家族の一人が牢屋に入れられたと聞くと、やはり複雑な気分になる。


「捕まえた流れで、事情聴取したのも僕なんだけど――オネーサンの話があまりにも荒唐無稽で、ちょっと「ヤバそうだな」と思って。精神的に何かしらの問題があった場合、法令通りに裁く訳にもいかないからさ」

「それは……大変、お手を煩わせてしまったようで――」

「ウチの団長に相談した結果、身寄りもないし記憶も曖昧だし、保護した方が良いって話になったから……分隊がなくなって手の空いてる僕が、面倒を見るように言われて。それに第一発見者の僕としても、中途半端に投げ出すのは後味が悪いじゃない」


 彼はやはり誠実で、責任感のある男なのだろう。牢屋に入れられてしまったと聞くと少々アレだが、しかし陽香を拾ってくれたのが彼のような人間で、本当に良かった。


 綾那は改めて「陽香を助けてくれてありがとうございます」と言って、右京に頭を下げた。右京は綾那からツンと顔を背けたが、ぶっきらぼうに「どういたしまして」と返してくれる。


(まだ、イマイチ人となりが掴み切れないけど……でも、やっぱりいい人なんだろうな、右京さん)


 何せ、あの旭が心酔している分隊長だ。人にも自分にも厳しいとは言っていたが、この程度であればコミュニケーションを取るのに問題ないだろう。

「表」には、神子というだけで当たりの強い人種だって居る。彼らに向けられる敵意と比べれば可愛いものだ。


「アーニャ、服決まったぞー! 会計どうすりゃ良いんだ?」


 颯月達と話し込んでいると、店内から陽香が顔を出した。彼女の腕には、男物のプルオーバーが二着と、ゆったりとした幅広のワイドパンツが一着掛けられている。


「それだけで良いの? って言うか、今まではどうしてたの?」

「うーたんの魔法で、服着たまま全身洗われて、乾かされてた」

「そ、それは便利だね……!?」


 水や風、もしかすると水をお湯にするために、火の魔法も使うのだろうか。

 恐らく、右京が悪魔憑きだからこそできる技なのだろうが――しかし魔法でそんな事ができるのであれば、颯月もわざわざ、綾那に大量の衣類を買い与えなくても良かったのではないだろうか。

 そうすれば、「分析アナライズ」でセクハラされる事もなかったような気がする。


(いや、でも結局、颯月さんとは三週間ぐらい会えなかったから――私の場合は、これで良かったのかな)


 感心する綾那の横で、颯月が「ひとまず俺が出す、出世払いで良いぞ」と陽香に笑いかけた。その言葉に、陽香もまたニッと不敵に笑い返す。


「おお、サンキュー! あたしが「広報」になった暁には倍にして返してやるからな」

「期待せずに待ってる」


 言いながら颯月は、陽香に向かって財布を投げた。颯月の中で、彼女は綾那の家族だという認識があるとは言え――なかなか勇気ある行動だ。

 財布を受け取った陽香は「もかぴ! お会計ー!」と言って店内へ戻って行った。


「まだ会って二、三日の人間相手に、よくそんな真似ができるよね。一体どういう神経しているんだか」

「盗まれたところで、困らん額しか入れてねえんだよ。そこまで考えなしじゃない」


(いや――なんか、少額しか入れてないんじゃなくて、総資産がとんでもないから懐が痛まないって言うだけの話な気がする)


 綾那の予想は正しかったようで、ややあってからショッピングバッグを肩に下げて店を飛び出して来た陽香の顔色は、相当に悪かった。

 颯月に財布を突き返しながら「競艇帰りの常勝ギャンブラーみたいな財布渡してくんの、マジでやめてくんない!?」と言って眦を釣り上げた陽香の姿に、綾那は苦笑するしかなかった。

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