第68話 右京

 十歳児という見た目にそぐわぬ右京の冷静な声色に、陽香が「どした?」と目を瞬かせる。


「もう、話は落ち着いた? お嬢さんは無事に仲間と合流できたし、こちらの用事も片付いたし……僕はアデュレリアに帰るよ」

「え、うーたん帰んの? ――てか、外もう暗いぞ?」

「慣れてるから平気だよ、今までも野宿だったし」

「分隊長、もう帰られるのですか? せめて他の皆にも、お姿を見せてやって欲しいのですが――」

「いつまでそう呼ぶつもり? もう君達はアイドクレースの騎士だろう」


 旭が名残惜しそうに呟けば、右京は呆れ顔でため息を吐いた。


「そ、それは、そうですが」

「早く戻って、ウチの騎士団長に話を聞かなきゃならないだろ。君達の身に何があったのか――本当は知っていたんじゃないかと思って」

「うーたんトコの団長さん、良い人そうだったけどな」

「……そうだね。団長は良い人間だと思うよ、それを使う領主の頭が悪いだけ。以前からそうだったけど、ここ最近の行動は輪をかけて――」


 右京はそこで言葉を切ると、細く長い息を吐いた。まるでこれ以上、この話はしたくないとでも言うように。


 元の領主も現在の領主も知らない綾那には判断できないが、「転移」の男達の言う協力者――悪魔は、こちらの予想以上にアデュレリアの領主を毒しているのだろうか。平気で領民を追放して、息子の拗らせた初恋を叶えるため、人攫いを依頼するほどに。


 陽香はまた、口を噤んだ右京の頭をぐりぐりと撫で回した。少年は無言のまま、ただただ迷惑そうな顔をしている。


「でもうーたん、一人で戻ったら騎士クビになるんだろ?」

「は……!? 分隊長がクビ、ですか!?」

「理由はどうあれ、隊員が皆逃げ出したんだよ? 君達が無事に見つかろうが、見つかるまいが関係ない。上官として責任を問われるに決まっているだろ――と言うか、たぶん領主の狙いは最初からソレだし」


 淡々と話す右京に、綾那は絶句した。ただ悪魔憑きだからというだけで、ここまで敵視されるものなのだろうか。もしや、領地によって悪魔憑きに対する扱いも違うのか。王都で悪魔憑きを追い出そうなんていう過激派は、見た事がない。


「アデュレリア騎士団は人が余ってるのか? ウチが拾っただけで七人――その上、悪魔憑きのアンタまで追い出そうって?」

「別に、他所と変わらない程度には人手不足で困っているけど? ただ、それだけの人数をクビにしても良いと思うほど、僕が目障りなんだろう」


 右京の言葉に、颯月は思案顔になった。さすがに場違いだという自覚はあるのか、既に綾那の手は離している。


「俺は最近他領まで巡回しに行く事がないから、噂でしか知らんが――ずっと不思議だった。なんでアンタは、悪魔憑きなのに分隊長止まりなのか」

「確かに実力至上主義の騎士団で、悪魔憑きの彼が他より劣るはずがありませんよね。颯月様のように、団長になっていたっておかしくないはずなのに」


 和巳が同調したものの、右京は自嘲するように鼻を鳴らして肩を竦めた。


「普通、誰が化け物に権力を持たせたがる? そちらは良いよね、しか呪われていないから――簡単に隠せる訳だ。僕達とは根本的に違うよ」

「あの、半分だから「良い」と言う事は、ないと思いますけど……」

「綾、いい、気にするな」


 右京のあまりに冷たい瞳と嫌味な物言いに、綾那はつい反射的に颯月を擁護した。


 颯月の呪いの半分の行き先は、亡くなった実母なのだ。実母を亡くして、実父からは殺したいと思うほどに恨まれて、義母からは――正妃に悪気はなかったとは言え――消えない心的外傷を受けて。しかも、呪いの元となった眷属がよくないタイミングで祓われたため、彼は一生悪魔憑きだ。それの一体どこが、「半分だから良い」のか。

 しかし颯月はなんでもない事のように、笑みさえ浮かべて綾那を制止した。


 綾那が見る限り、どうやら右京は颯月の事が好きではないようだ。

 そもそも彼らには今まで接点がなかったらしいので、その詳細な理由は分からないが――右京の言葉から察するに、恐らく颯月の呪いが半分で、悪魔憑きの『異形』を眼帯ひとつで隠せるからのようだ。

 更に言えば冷遇されている己とは違い、実力を正しく評価された結果、騎士団長の座まで昇り詰めている事も気に入らないのかも知れない。


(右京さんが、子供の姿をしているのって――)


 教会の子供達は、強い魔具を付ければ髪と瞳は普通の人間だった時の色に戻せると言っていた。ただし、色が戻せるだけで『異形』は隠せないと。

 朔はサメのような歯、幸輝は頭の角、楓馬は石化した肌。それらが消せないのであれば、魔具を付けたところで普通の人間の輪には入れず、なんの意味もない。だから、付けるのは弱い魔具で十分なのだと――。


 恐らく右京も、教会の子供達と同じなのだ。悪魔憑きの『異形』が魔具では隠せない。颯月のように、何かを身に付ければ隠せるという特徴でもないようだ。

 わざわざ「時間逆行クロノス」という魔法を発動してまで幼い姿をしているのは、恐らく彼が十歳の頃は、まだ悪魔憑きではなかったという事だろう。


 右京は、ここまでしなければ普通の人間の輪に入れないのだ。いや、それでも尚追い出そうと画策されていると言う事は、まだ足りないのか。

 そう考えれば、右京が颯月に対して「悪魔憑きではない」と憤る理由も分かるような気がするし、どうにか彼の手助けができればとも思う。

 しかしだからと言って、『半分』の颯月を蔑んでいい理由にはならない。


「さすが、恵まれている人は余裕があっていいね」

「うーたん、よく分からんが感じ悪いのはよくないぞ。アーニャを骨抜きにしたのは許されざる事だが、それでも颯様は、あたしの家族の恩人なんだからな」


 ハンと蔑むように鼻を鳴らした右京。状況が分からないなりに彼の態度を見かねたのか、陽香はおもむろに少年の両頬を掴むと、みょーんと引き伸ばした。

 子供らしい、もちもちとした柔らかそうな頬。それを繰り返しみょんみょんと引き伸ばされて、右京は「ひゃめて……!」と言って彼女の手を叩いている。

 そんな二人のやりとりを眺めながら、颯月は右京の言う通り余裕たっぷりの笑みを浮かべた。


「事実、俺は相当に恵まれている。『半分』だからこそ、こうして天使のような伴侶を得られたんだからな」


 やけに色っぽい流し目を寄こされた綾那は、「――ヴン゛ッ……!!」と奇声を漏らすと、両手で顔を覆った。しかしすぐに「この場には陽香が居るのだ、悶えている場合ではない」と我に返ると、震え声を振り絞る。


「ゆっ、『友人』、です……!!」

「……ああ、天使のような『友人』だったな」

「オウ、お前らマジでデキてんな? ……アーニャ、後で改めて説教だからな」


 目を眇めた陽香が右京を解放すれば、彼は頬を擦りながら「とにかく、クビになるのは別に構わないし、面倒な事はさっさと終わらせたいんだよ。もう憂いも消えたし」とぼやいた。


「そんな――我々がアデュレリア騎士団を離れたばかりに、分隊長が騎士を辞めるなんて」

「離れるしか選択肢ないでしょ、相手は領主だよ? 裁かれたくなければ家族諸共出て行けだなんて、身内を人質にとられているようなものじゃないか」

「いえ、しかし……せめて、冤罪であると抗議すべきでした。そうすれば、領主の不正を暴けたかも知れません」

「それはどうかな。罪なんていくらでも作り上げられると思うけど? まあ――遅かれ早かれクビになっていたよ、これは僕と領主の問題だ。だから……本来僕は、君達に合わせる顔なんてないんだよ」

「そのような事――!」


 右京が旭と再会した時、安堵していたのは間違いない。己が悪魔憑きだったせいで、部下が何か不条理に晒されたのではないかと心配していのだろう。しかし不幸中の幸いとでも言うのか、不条理に晒された事には違いないが――身内も含めて、全員生きていたのだ。


 確かにこれで、彼は何の憂いもなく騎士を辞められるのだろう。


「アデュレリアの騎士辞めんなら、アンタもウチ来れば? 勿体ねえし」

「ハ……?」

「だって、悪魔憑きって時点で実力については疑う余地もねえだろ? あ、言っとくけどコレ、じゃねえから。今居る騎士団を抜けた後なら、勧誘したって構わねえだろ」


 幸成が軽い調子で話せば、右京は思い切り怪訝けげんな表情をした。


「アデュレリア騎士団に報告した途端クビ確定だって言うなら、領境の村か街に言伝ことづてを頼むだけで充分じゃん? そもそもアンタを追い出そうとしてるような所なんだし、律儀に自分の口で報告する筋合いもないような気がするけどね」

「そういう問題じゃ、ないと思うけど――」

「そっちだって長年そんな扱いを受け続けていたなら、アデュレリアに未練なんてないだろ? 騎士辞めたあとも領内へ留まるつもりなのか?」

「弟が――いやでも、僕が傍についていた所で何も……ヤツらが僕を騎士団から追い出して、それで満足するとも考えづらいし……」


 右京は机に頬杖をついて、何事かを熟考し始めた。幸成はと言うと、颯月に対して「颯も別に異論ねえだろ?」と、どこまでも軽い調子で問いかけている。颯月もまた鷹揚に頷くのみだ。


 警戒心の強い幸成がとるにしては、やや意外な行動である。

 もしかすると右京が颯月と同じ悪魔憑きだからなのか――もしくは、最近仲の良い旭の元上官である事も、彼の中で大きいのかも知れない。


 綾那としては、颯月に対して当たりの強い右京がアイドクレース騎士団に移籍するというのは、少々心配な部分もある。しかしよく考えてみれば、彼は陽香の恩人なのだ。その彼が困っているのならば、手助けして当然である。

 陽香としても、この場であっさりと別れてしまうよりは、彼に世話になった礼の一つや二つしたいだろう。


「その弟さんは、領主さんに手出しをされないのですか?」


 右京の部下が全員、容赦なく領から追い出されたのだ。彼の弟が人質に取られるような事はないのだろうか。綾那がふと疑問に思った事を口にすれば、右京はすぐさま頷いた。


「ああ、それだけはないよ。絶対にありえない」

「そうなのですか?」


 何故そんな事が言い切れるのだろうかとは思うが、それならば深く心配する事はないように思える。


「では、いっそ弟さんも一緒に連れて来てしまうとか」

「――無理。そもそも事情があって、一緒に暮らしてない。僕にそんな事を提案されても、彼を困らせるだけだと思う」

「それは……無神経な事を言ってしまったようで、すみません」


 もしかすると弟と一緒に暮らしていない理由も、彼が悪魔憑きだからなのか。綾那は慌てて頭を下げたが、しかし右京はひとつも気にしていない様子で「いや、別にいいよ」と返すだけだ。


「うーたん、団長さんに退職届け出しに行くの、あたしも一緒に行ってやろうか?」

「僕、子供じゃないんだけど」

「でも見た目子供じゃん。とりあえず筋通すなら通して、その後の事はゆっくり考えれば?」


 陽香の提案に、右京はまた熟考する。そして、綾那は戸惑った。


「え、いや、陽香? せっかく合流したのに、また別れるつもりでいる――?」

「ん? 行きは、人を探しながら方々歩いて来たから随分と時間がかかったけど、確か帰りは馬車使うって話だったじゃん。馬車ならオブシディアンまで、一週間もかからないんだろ?」

「ああ、そうだね。街で馬車を借りるつもりでいるけど――」

「あたしら、ひと月以上離れ離れだったんだぞ? それを今更一、二週間離れた所で――だろ? 互いに無事なのはもう、分かってるんだし」


 ――やはり、絶妙に冷めている。

 見た目は一番童顔で幼いが、さすがは四重奏のリーダーといった所か。彼女の考え方はやけに大人びていて合理的だ。「ただ、ここにアーニャ一人を置いてく事に関しては、色々と思う部分があるけどな」と低く呟かれた言葉は、聞こえなかった事にする。


「まあなんにしても、今日はもう遅いから明日にしようぜ? ずっと野宿だったじゃん。うーたん、宿行こう、宿!」

「いや、ちょ――」

「子供一人じゃ宿とれんだろ! あたしも一緒に行くからさ?」

「婚約者を必要としないようなお嬢さんに子供って言われるの、結構きついんだけど――」

「え!」

「うん? どしたアーニャ?」


 不思議そうに首を傾げる陽香に、綾那は「あっ、いやっ……」と漏らした。


(ちょっと待って右京さん、陽香のこと一体何歳だと思ってるの――?)


 リベリアスには、十六歳を迎えた女性が未婚――ないし婚約者が居ない状態だった場合、生まれ育った領を出て行かなければならないという、不思議な法律がある。それも、身内と離れてたった一人で。

 出生率を上げるために「愛する家族と離れたくなければ、さっさと結婚して子供をつくれ」と、大昔に制定されたものらしいが――いや、それは今、良いのだ。


「あの……陽香は、私と同い年なんですが――」

「……ハ? ――ハァ!? 待って、お姉さんいくつなの?」

「お姉……なんだようーたん、あたしの時と随分と態度が違うじゃあねえかよ。やっぱ子供のナリしてても男か。男って本当にムチプリが好きだよな、知ってる」

「ちょっと今大事な話してるから、静かにしてて」


 慌てた様子で陽香を制する右京に、綾那は苦笑しながら「二十一です」と答えた。すると彼は、ただでさえ大きな瞳をこぼれんばかりに見開いた。

 まず陽香の顔をまじまじと見つめ、次に綾那の顔を見つめ――そしてまた陽香を見つめて、「――いや、おかしいだろ?」と言って頭を抱えた。


 そう言いたくなる気持ちはよく分かるが、比べられる綾那からすれば、まるで「明らかに綾那が老けている」と言われているようで、やや遺憾である。


「僕はてっきり、お嬢さんは十四歳くらいだと――だから婚約者をつくらなくても、法律には抵触ていしょくしていないと思っていたのに!」

「オイオイオイ、失礼だろ、うーたん!? 道理で酒飲もうとした時に止められた訳だよ! この世界の成人年齢は一体いくつなんだと、不思議に思ってたけど――てか仮に十四歳だったとしても、うーたんよりは年上だからな!?」

「だからこれは魔法なのであって、本当はもっと年がいってるんだってば……」

「ハーン!? 自分の目で見るまでは、絶対に信じねえからな!」


 右京はげんなりとした様子で、「通行証を発行するのに年齢は関係ないからって、確認を怠ったせいだ――」と己の行動を悔いているようだった。

 そもそも彼は陽香について、記憶障害ないし意識の混濁が起きていると判断していたのだ。仮に彼女の口から実年齢を聞いていたところで、「きっと頭がおかしいから、自分の事を二十一歳だと思い込んでいるんだな」としか思わなかっただろう。


「じゃあ何? お嬢――オネーサンの婚約者を見繕わなきゃ、後々面倒になるって事か」


 右京は大変言いにくそうな様子で、陽香の事を『お嬢さん』から『お姉さん』呼びに変えた。陽香は「そんな無理して、呼び方変えなくても良いのによ」とぼやきつつも、『婚約者』という言葉に首を傾げた。

 陽香をまだ幼いと決めつけていた右京の事だ。わざわざリベリアスの謎法律について、説明していないのだろう。綾那が説明しようと口を開きかけたところ、それよりも先に右京が綾那を指差した。


「あのお姉さんみたく「契約エンゲージメント」しろとまでは言わないけどさ、十六歳を超えた女性は、書類上の関係だけでも良いから婚約者をもつ必要があるんだ。国の法律だよ」

「――あっ」


 右京の言葉に、綾那は思わず右手で左手を隠した。


(け、「契約」の事、忘れてた……!! これはさすがに、『友人』の枠に収まりきってない!)


「ほー? なんか、面白い法律があるんだな……ただその、エンゲージメントってのはなんだ?」

「え? ああ……そうか、魔法について詳しくないんだっけ。「契約」っていうのは、婚約魔法の事で――」

「婚約」

「アァ、ちょっと! 今日はもう遅いので、続きは明日! また明日お会いしましょう、そうしましょう! 解散! ね!?」

「アーニャ――いや、綾那? どういう事か説明してもらおうか」


 折角陽香の怒りが落ち着いていたのに、右京め――なんという事をしてくれたのだ。元はと言えば、迂闊な行動をしまくりの綾那が悪いのだが。

 応接室に、「説明は明日にしようよぉ……」という綾那の呟きが木霊した。


 夜空に浮かぶルシフェリアは、いまだ降りてくる気配がない。陽香にはこの通り怒られっぱなしであるが――しかし、なんとか一人目の家族と合流できた。今後どうなるのかはまだ分からないが、それでも、綾那ただ一人で不安に押し潰されていた頃よりは、遥かに事態が好転している――はずだ。


 綾那は再び床に正座しながら、今後の身の振り方について考えるのであった。

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