第67話 制裁と追及
陽香は赤い髪を邪魔くさそうにかき上げると、苛立った様子で頭を掻いた。彼女は応接室の隅で仁王立ちしている。まるで
「弁解があるなら聞くけど」
「よ、陽香――私の目を見て? きっと凄く澄んでいると思う」
「おお、見ろって言うなら、まず顔を上げてくれるか? アーニャ」
「……顔が怖くて上げられない」
「言ってくれるじゃねえか」
俯いているためよく見えないが、恐らく陽香の背後で会議机を囲む騎士の面々は、突然始まった茶番――いや、修羅場に引いているに違いない。
ただでさえ苦手な見た目をしているのに、負けん気が強過ぎて他人の思い通りになど一つもなりそうにない陽香を見て、颯月が怯えていないと良いのだが。
(いや、今はまず、私自身がこの場をどう切り抜けるのか考えるべきなんだけど)
意を決してちらりと顔を上げれば、綾那を見下ろす陽香の顔は相当に不機嫌である。聞こえよがしに舌打ちをするのは、心の底からやめて頂きたい。
「つまりアーニャは、そーげつさん――いやもう、あだ名『颯様』で決まりだろ、あんなもん。咲き声 (※甘えた声)で「颯様ぁ?」だろうが」
「さすが、よく分かっていらっしゃる……」
「分かりたくないんだけどな。で、つまりアーニャは颯様の顔に惚れ込んで、ホイホイここまでついて来たって訳だろ?」
綾那は「私だって散々葛藤して、正々堂々と戦った(?)結果、颯月さんに敗北したのだ」と言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。下手な言い訳は火に油を注ぐだけである。
それに、いくら言い訳を並べたところで、颯月の美貌に敗北したという事実は変わらない。
「そう、ですね」
「あの顔面力に、屈したと」
「そうなるのかも知れません……」
「ま~たお前は、まんまと顔で惚れて! 二年間必死にイメージ守ってきて、『酢豚』殿堂入り直前でコレとはな……! マジでプロ意識の欠片もねえ!!」
「いや、あの……本当に、ごめんなさい――」
正座したまま身を縮こまらせる綾那に、陽香は高圧的な物言いで「――で?」と問いかけた。問いかけの意味がイマイチ理解できず首を傾げる綾那に、陽香は苛立った様子で続けた。
「本当に、ただの友人なのかって聞いてんだよ――思い返せば、外並んで歩いてる時の距離感バグってなかったか?」
「そ、それは本当に誤解! 私は友人兼ファンとして、充実した生活を送っているよ!?」
「何が充実した生活だ、ぶっ飛ばすぞマジで」
「ごめんなさい――で、でも、ファンとして傍に居るのはセーフだと思うの……ファンとして傍に居るのは、セーフだと思うの!!」
「なんで二回言った?」
言いながらパンチを繰り出した陽香に、綾那は殴られた肩を押さえながら「暴力はいけません! 遺憾の意を表明します!」と涙目になった。
「あの~、ちょっと良いかな?」
するとその時、席に着いたままの幸成が小さく片手を上げながら、陽香に引きつった笑みを見せた。
「なんスか? 今ちょっと身内のトラブルで取り込んでんだけど」
「取り込み中なのは分かるけど、たぶんこっちも全くの無関係じゃないしさ……一回、戻って来て?」
引きつった表情のまま手招きする幸成の背に、綾那は後光が差して見えた。
(え、嘘、幸成くん、神なの? 救世主かな……!?)
綾那は機敏な動きで立ち上がると、イマイチ納得していない陽香の横をすり抜けた。そして、まるで幸成を盾にするように、彼の座る椅子の背もたれをグッと掴む。
幸成の席は、颯月から見て斜め左だ。ふと横を見れば、颯月は綾那を心配しているような――そして怯えているような、なんとも言い難い複雑な表情をしている。
突然始まった陽香の説教。彼らにとって説教の理由と原因は分からずとも、しかし颯月が顔を見せた途端に彼女の態度が急変したのだ。分からないなりに、颯月もまた自身が争いの渦中の人物である事は気付いただろう。
もしかすると、己が直接出て行くと余計に事態がややこしくなるから、幸成に陽香を止めるよう進言してくれたのかも知れない。
(や、優しい、好き……!)
綾那が瞳を潤ませて颯月を見つめれば、彼は青白い顔をしながら声を潜めて、「綾」と呼んだ。
「さ……騒がしくてして、ごめんなさい。あの、実は私、昔に色々ありまして……彼女が怒るのも仕方ないと言いますか――」
「いや、それは良い、そんな事は良いんだ。問題は、アンタの仲間がロイヤルストレートフラッシュだって事だ」
「ろ、ロイヤル?」
「あそこまで俺の『苦手』を凝縮した女、久しぶりに見た。細身で勝ち気で、自己主張が激しくて攻撃的で……一切こちらの思い通りにならないような女。しかも、肌色も目つきも正妃サマそのものじゃねえか――もう倒れる、一刻も早く綾を抱きたい」
「オイッ、バカ、ちょっと待て!? 今、「抱きたい」って聞こえたなあ!?」
片手で左目を覆いながら嘆く颯月。彼の呟きが耳に入ったらしい陽香が、座ったばかりの椅子からガタンと立ち上がる。
「ち、違うよ、陽香? その、変な意味じゃなくてね?」
「どういう事だアーニャ?
「そ、そうだよぉ、友人だよ? とっても、すっごく友人なんだから。友人でしかないよ」
「………………えっ、何? もしかしてお前、いかがわしいフレンドの事言ってるか――?」
「いかがわしくないフレンドだよ!! さすがに颯月さんに失礼だから、やめて……!」
「ハーン……アーニャ自身は
綾那はグッと下唇を噛み締めたのち、「ココ未成年が二人、あと見た目十歳児が一人居るから、やめようよ……!」と声を絞り出した。
――と、揉めているにも関わらず、颯月は何を思ったのか綾那の手をぎゅうと握り締めた。
「アーニャ」
「ち、違う違う、陽香、本当に違うの」
「――お前、好きだろ」
「…………いやいやいや、ハハ」
「好きだな?」
「…………ライクだよ?」
「ほざけお前! こちとら見ただけでだいたい分かんだよ、お前のそれはライクじゃねえなあ!?」
「だっ、だってぇ……宇宙一格好いいんだもん……こんなの抗えないよぉ――」
「もっぺん殴るか、オイ?」
さめざめと泣き真似をする綾那に、陽香は握り拳をちらつかせた。しかし、綾那の盾替わりの幸成が「まあまあ、落ち着いて」と声を掛け
陽香は苛立ちを隠そうともせず大きなため息を吐き出すと、目を眇めた。そうして彼女が口を開きかけたところを、綾那が先んじる。
「よ、陽香。陽香が私を心配しているのは、よく分かるけれど……颯月さんは友人だよ、友人――しかも、ホラ、騎士なの。更に、一番偉い騎士団長! 日本で言えば警察のトップみたいなものだよ? そんな凄い職業の人が、『クズ』だと思う?」
「クズ男じゃねえなら、OK出すとでも思ってんの?」
「お、思ってないけど……ただ、少なくとも今までの人と違って、私に不利益をもたらす事はないから、そこは心配しないでって伝えたくて――」
モゴモゴと自信なさげに話す綾那に、陽香は半目になった。
「いや、アーニャの「心配しないで」ほど信用ならん言葉はねえけどな? だってお前、好みの男が相手だと、浮気以外なら何されたって一つも怒らねえじゃん……この顔のDV率は半端じゃあねえだろ、どっかに殴られた痕とかあるんじゃあ――」
「み、見た目で決めつけるのはよくないよ、陽香」
「決めつけじゃねえ、統計だ。
「……待って、綾ちゃんの懐って底なし沼なの? 色々と大丈夫?」
至極心配そうな顔をして振り向く幸成に、綾那は曖昧な笑みを返した。確かに過去綾那が付き合った男の中には、平気で手をあげるような者も居た。しかし颯月は違う。
綾那の全てを把握したいからと、体調管理と称して毎日無断で体を「
「それに、職業とか
「……うん?」
「お前がなんでもかんでも世話焼く上に金まで持ってるから、あっという間に自称パチプロのクソニートにジョブチェンジしてたよな?」
「――颯月さんは、クソニートにしたくても絶対できないの! 体の芯から……いや、魂が社畜に染められてるから、大丈夫だよ!」
「そもそもクソニートにしたがるんじゃないよ、バカタレが!! だからダメだっつってんの! お前そもそも恋愛が向いてねえの!! お分かりか!?」
綾那は僅かに頬を膨らませると、「友人だから、恋愛は関係ないもの――」と呟いた。あくまでも友人だと主張する綾那に、最早埒が明かないと思ったのだろうか。陽香はターゲットを颯月に変えた。
「颯様、あのさあ。アンタが良い人だって事も、なんか偉い立場の人で、まともそうだって事も分かるけど――だから、颯様は一切悪くないんだけどさ」
げんなりとした様子でトーンダウンした陽香に話しかけられて、颯月は青い顔のまま頷くと、黙って続きを促した。
「どうせ、颯様の顔にテンション上がったアーニャが一目惚れして、一方的に言い寄ったんだろ? 言わば颯様は被害者みたいなもんだ」
「被害者は、ちょっと酷い……」
「アーニャは黙ってろ。そりゃまあ、身内の欲目もあるけど、この見た目にして尽くしまくりの性格だろ? アーニャに言い寄られて、その気にならん男は居ないっつーか……その、コイツ颯様みたいな顔には特に弱いから、すぐ口説いちまうんだよ。ああもう、つまり何が言いたいかってーと……「忘れてくれ」はさすがに勝手だけど、こいつ誰に対してもそうだから、本気になるのはやめて欲しいっつーか――」
まるで綾那の不始末を尻ぬぐいするかのように、陽香は至極申し訳なさそうな顔をしている。しかし颯月は、彼女の言葉に首を傾げた。
「いや、一目惚れしたのは俺の方なんだが」
「――え」
「ハ? 颯様が先……?」
「確かに、まるで条件反射のように口説かれた事はあるが――しつこく言い寄ったのも俺の方だ」
綾那はぽかんと口を開くと、「一目惚れ? 颯月さんが――?」と目を瞬かせた。陽香もまた、予想外の事態に瞠目している。
「綾。アンタと初めて会った時、俺は「
「え? ええ……」
「あの姿を見て一目惚れしたのか? 違うよな」
「それは、確かに――鎧を脱いだ瞬間に、「宇宙一格好いい」と思ったのであって」
「俺は、アンタを助けた時……その顔を見た瞬間に惚れ込んだ。だからしつこく「一緒に来い」と提案して、逃がさなかった」
「えっ」
「アンタ美人でただでさえタイプだったし、しかも全体的に色素が薄くて、あまりにも儚いから――俺は最初、天使を助けちまったのかと思ったぐらいだ」
「てんし」
「――今も天使に見えてる」
言いながら瞳を甘く緩ませた颯月に、綾那は頬を赤く染めてその場にしゃがみ込んだ。繋いだままの手を彼が指先で撫でるものだから、余計に恥ずかしさが増した。
真横で幸成が、ため息交じりに「颯も綾ちゃんも、どっか他所の部屋でやってくんねえかな――」と呟く。謝罪するべきなのだろうが、しかし今綾那はそれどころではない。
タイプとは言われていたが、一目惚れとか天使とか、そんな話は初耳である。胸がぎゅうと甘く締め付けられて辛い。
「ウッ……よ、陽香、私、幸せ過ぎて死ぬかも知れない、颯月さん好き――!」
「待てお前、今の一瞬で友人設定どこのドブに捨てて来たんだ? いやいやいや、待て待て颯様、『友人』なんだよな、付き合ってないんだろ?」
「まあ……俺は忍耐強いタチだから、今はまだ友人でも我慢できてるな」
「オイ。オイオイ、アーニャ? お前の友達、大人しく友人枠に収まってるつもりねえぞ? どうすんだよ、コレ?」
「どうって? 好き過ぎて、そんなのどうして良いか分からない――」
「バカなんか? ――お前、あたしらが目え離してる隙に男つくったなんて、ナギに知られた時どう説明するつもりだよ」
「渚に?」
綾那が男を引っかけた際、率先して怒るのはリーダーの陽香だった。アリスも渚もそれなりに「あの男の人と一緒に居ても綾那の為にならないから、ダメだよ」と注意してくるものの、しかし陽香ほど苛烈に責め立てられた事はない。
だと言うのに、なぜ今渚の名前が出るのか。綾那が首を傾げれば、陽香は僅かに青褪めた。
「アーニャは良いよ。ナギのヤツ、お前に対しては強く言わねえから……! アイツがお前の事、女手一つで育て上げてくれたシングルマザーみたいに思って依存しきってんの、ちゃんと自覚してるか!? アーニャがダメにするのが男だけだと思うなよ!!」
「ええ? それはさすがにないでしょう。確かに、たまにふざけてお母さんとかお袋さんとか呼ばれていたけど……だってあの子、賢いじゃない。そんなおかしな依存、していないと思うけど――」
「バカと天才は紙一重って聞いた事あるか? アイツ、馬鹿で天才なんだよ! 凡人の尺度で人間性を測れると思ったら大間違いだぞ! こんなの知られたら、絶対に「監督不行き届きだ」ってぶっ飛ばされる――あたしとアリスが」
一体何を想像したのか、陽香はふるりと体を震わせた後に頭を抱えた。そんな彼女の様子に、綾那はますます首を傾げる。
綾那の知る渚は、「とにかく賢い」「基本的にやる気がない」「いつも眠そう」という人畜無害な人間である。そんな渚が、陽香とアリスを
「ぶっちゃけ個人的な話をすると、颯様がまともで、しかもアーニャが言い寄った結果なし崩し的に関係をもったって訳じゃねえなら――もう良い歳した大人なんだし、こんな事でイチイチ口うるさく言いたくないってのが本音だ。トンデモワールドに「転移」させられて、もう『酢豚』どころじゃねえってのが大前提だけどな」
「え……そうなの?」
「ただ、ナギの事は――とにかく、どこに居んのか分からんけど、まずはアリスを探すべきだろうな。あたし一人だけナギにぶっ飛ばされるのは嫌だ、絶対にアリスも道連れにしてやる」
(やっぱり、まずはアリスだよね……正直、颯月さんを取られちゃうのは悲しいけど――でもそんな事、言っていられないから)
「
しかしだからと言って、戦闘能力が一切ないアリスをいつまでも放置している訳にはいかないのだ。東に落ちた仲間は陽香だった。ルシフェリアが「南に居る」と言った仲間は、アリスと渚どちらなのだろうか。
(またルシフェリアさん一人で、探しに行っちゃうのかな? それとも、今度は私達も一緒に――?)
陽香と合流したからと言って、アイドクレースと「はいサヨナラ」と言う訳にもいかない。特に騎士の面々には散々世話になっておいて、礼一つなく出て行って良い訳がない。しかも、『広報』の仕事だって始まったばかりで、引継ぎも何もない状態だ。
やはり今後の流れについて、入念に話し合わなければならない。陽香とはもちろん、颯月達とも――。
そうして綾那が考え込んでいると、おもむろに右京が「ねえ」と声を上げた。
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