第66話 一難去ってまた一難

 少し前の綾那と同様、もし陽香も「通行証」を所持していないとしたら、王都入りに苦労するのではないか――そんな綾那の心配をよそに、彼女はしっかりと自分用の通行証を持っていた。


 曰く、陽香が「転移」した先は東部のアデュレリア領。紆余曲折ありながら辿り着いた首都オブシディアンで右京と出会い、以来なし崩し的に、身寄りのない彼女の世話を焼いてくれているらしい。

 綾那と違って、ルシフェリアから「奈落の底」という世界についての説明を受けられていない陽香は、この場所がどこなのか、自分の身に何が起きたのか――魔法も魔物も眷属も悪魔も、何一つとして分からない状態だった。

 しかも、右京にどこから来たのか聞かれたところで、陽香は「いや、「転移」で飛ばされて来たもんで、よく分からん」としか答えられない。


「表」の人間である彼女は、もちろん魔法を使えない。当然魔力ゼロ体質であり、そもそも「奈落の底」にはギフトが存在しない。

 この世界についての知識が一切なく、要領を得ない発言を繰り返す陽香について、右京は今日この時までずっと記憶喪失――または何かしらをキッカケに精神を病んで、意識、記憶の混濁が起きていると思っていたらしい。

 なんとも失礼な思い違いではあるものの、しかしそのお陰で右京は「ひとまず自分が面倒を見なければ、このお嬢さんは生きられそうにない」と判断して、ひと月以上陽香の世話を焼き続けてくれたのだ。


 ちなみに彼女らがアイドクレースにやって来た理由は、多くの人が集まる王都ならば――右京の中で「記憶を失っている」という設定の――陽香を知る人間が存在するのではないか、と思ったからだそうだ。


 ついでに言えば、アデュレリアの騎士団長から「行方をくらませた第四分隊の隊員を探すべき」と命じられたためでもある。少数精鋭だった第四分隊、その隊員が右京一人を残しことごとく姿を消したため、既に分隊とは名ばかりで空中分解している状態だという。

 このまま隊を解体するにしても、まずは旭達の行方を調べるべきだと説かれて、陽香の護衛がてら各地を巡回する事にしたそうだ。


 道すがら陽香の話を聞いた綾那は、本当にルシフェリアの導きなしでここまで辿り着くとは、運命的としか言いようがないと苦く笑った。そして、互いの近況報告をより詳細にするため――より込み入った話をするためにも、アイドクレース騎士団本部の応接室に場所を移した。


 他領の騎士を本部の中へ入れるなど滅多にない事だそうだが、今回は例外らしい。応接室に集められたのはいつも通り、竜禅、幸成、和巳、そして、旭である。


「ぶ――分隊長!?」


 ガタン! と椅子を鳴らして勢いよく立ち上がったのは、旭だ。彼は信じられないと言った表情で右京を凝視している。

 どうも幸成は、今回の会議の議題を話す暇もなく、とにかく颯月が呼んでいると彼らを集めたようだ。右京は旭をちらりと一瞥すると、小さく息を吐いた。


「元気そうだね」

「分隊長も……お変わりないようで、その――」

「ああ、鞍替えした言い訳は良いよ。聞きたくない」


 旭の言葉に遮るように言い放った右京。ぐっと眉根を寄せて口を噤んだ旭に向かって、右京は続ける。


「第四分隊、全員居るの?」

「は、はい」

「家族は」

「……全てこちらに移住しております」

「ふーん、そう。皆、楽しそうで何よりだね」


 ともすれば、アイドクレースに引き抜かれた旭に対する、嫌味ともとれる言葉。しかしその言葉の冷たさに反して、右京の声色は穏やかで――まるで、旭と再会した事に胸を撫で下ろしているようにも聞こえた。


「旭、アンタには後で弁明する時間をとってやるから、一旦座れ。話はまず、客人が席についてからだ」

「はい……申し訳ありません」


 颯月の言葉に、旭は眉尻を下げて俯いた。しょんぼりとした様子で座り直した旭を見やると、颯月もまた席につく。しかし「魔法鎧マジックアーマー」を着たまま座った彼に、竜禅が首を傾げた。


「颯月様、なぜ「魔法鎧」のまま……?」

「まだが出ていない」

「許し?」


 許しと言うのは、もちろん綾那の許可である。硬く頑丈で、関節の可動域が狭まる全身鎧。見るからに座り心地が悪そうな颯月に、竜禅は「よく分かりませんが、今は脱げないという事だけは分かりました」と、深く追及する事なく頷いた。

 客人――陽香と右京に座る椅子を案内していた綾那は、彼らのやりとりを耳にして「ごめんなさい、もう少し我慢してください、本当にごめんなさい……!」と心の中で何度も謝罪した。



 ◆



「ええと――つまり? トンデモ生物に襲われたアーニャを、たまたま通りがかったそーげつさんが助けて……行くアテがなくて困ってたところを、騎士団の『広報』として雇ってくれた――と。神かよ、そーげつさん」

「そうだね、神だよ」


 綾那がこれまでの経緯をかいつまんで説明すれば、陽香は感心したように「ほぉ~」と呟いた。


「よくもまあ、そんな得体の知れん人間を拾ってくれたもんだ。普通、通行証を持たずに不法侵入したら牢屋行きなんだろ? ちなみにあたしは、一回うーたんにぶち込まれたぞ」

「……うーたんはやめて、僕は当然の事をしたまでだから」

「全く、うーたんには情けってもんがねえよな」

「うーたんじゃない」


 見た目十歳児の少年――どうやら、男性で間違いないらしい――とたっぷりじゃれ合ったあと、陽香は「ていうか」と言って猫目を輝かせた。


「広報! 動画配信したってマジ? それデータあんの? 見たい!」

「う!? あっ、いやっ、そうだよね……気になるよね」

「そりゃあな! 考えてもみろよ、こっちに来てから一か月以上だぜ? アーニャは鞄ごと「転移」したから、ソーラー充電器ぐらい持ってただろうけどさ……あたしにはスマホしかなかった訳よ!」


 額に手を当てて天井を仰いだ陽香は、大げさに嘆いて見せる。


「トンデモ生物と出会っても、うーたんが魔法を使っても……いきなり牢屋にぶち込まれた時だって、本来ならこれ以上ないネタ動画だぞ!?」

「いや、牢屋で撮影はさすがに許可が下りないと思うし、ネタにもならないけれど――」

「だって言うのに、ソッコーでスマホの充電を切らしたあたしには、為す術がなくてだなあ! 正直、冗談じゃなくてマジで頭おかしくなりそうだった……! こんなに長く撮影する事なく、しかも人の動画を見る事もなく過ごすなんて、何年ぶりだよ!?」

「あぁ~、うぅ~ん……えぇと、そうだね――後で必ず見せるから、ちょっと待ってね?」


 綾那としても、陽香の気持ちはよく分かる。自分はたまたま充電器を所持していて、しかも宿舎内をスマホで撮影する事も許されていた。更に言えば、与えられた仕事もまた撮影に関するものである。これら全てを自由にできない生活を強いられたとしたら、綾那とて頭がおかしくなっていただろう。


 特に陽香は、常にカメラを回して日常の中でも動画のネタはないかと探している、プロ意識の塊のようなスタチューバーだった。だからこそ彼女は、アリスがヴェゼルの触手に捕らえられた時も、スマホを手放さなかったのだ。

 きっと禁断症状など、とうに通り過ぎているに違いない。今すぐにでも動画を見せてやりたい気持ちはある。


(でもアレ、めちゃくちゃ颯月さん映ってるから……! 今は無理!)


 綾那はグッと下唇を噛み締めた。いや、正直、今後綾那と陽香がどこでどう動くのかは分からない。陽香と二人でリベリアス中を巡るのか、それとも彼女をアイドクレース騎士団の広報として雇ってもらえるのか。だとすれば、散々お世話になったらしい右京とあっさり別れてしまっても良いのか――など、考えるべき事は多い。


 ただ、今後どうなるにしても、颯月の素顔――そして彼と友人 (?)になった事に関しては、隠し通せる事ではない。


(ど、どのタイミングなら許される? いや、許されるはずはないんだけど……せめてまともな会話が成り立つなら、それ以上は望まないから――ていうか、なんでルシフェリアさんはずっとこっちに近付いてこないの? 今はまだ姿を見せる時ではないって事?)


 綾那はちらりと窓の外に視線を送った。すっかり暗くなった遠くの空で、小さな球体――ルシフェリアが機嫌よさげに飛び回っている。

 陽香には「奈落の底」について――この世界の抱える問題や、ルシフェリアからの依頼など、話したい事がたくさんある。しかし、今この場で話すのは得策ではないだろう。できればもう少し落ち着いて、そして何の憂いもない状態で、ゆっくりと今後の相談をしたい。


(怒られる……怒られるよね、うん、分かってる――)


 気付けば、ドッドッと大きく脈打っている心臓。綾那自身、やましい事をしている自覚はある。どう切り出すべきか苦悩する綾那をよそに、颯月が口を開いた。


「旭。アンタらの身に何が起こったのか、分隊長殿に説明して差し上げろ」

「――言い訳なら聞きたくないってば。もう僕の目的は果たせたし……あとは、アデュレリアに帰るだけだよ」


 右京の言う通り、旭らの所在をはっきりさせるという目的は達している。しかし、彼は明らかに思い違いをしているのだ。すれ違ったまま別れるのはよくないだろう。


「なあ、うーたんよ」

「うーたんじゃない」

「――分隊長なんだろ? 最後に部下の話ぐらい聞いてったら?」


 陽香は言いながら、隣に座る右京の頭をぐりぐりと撫で回す。少年は胡乱な目をして「ひとつも信じてないくせに、よく言う――」と呟いた。そのまま何事か思案したのち、やがて息を吐くと黙って旭を見つめる。

 旭は初めどうしたものかと悩んでいたが、しかし意を決したように事の説明を始めた。



 ◆



「――それってやっぱり、領主の仕業?」

「いえ、自分には、なんとも……」


 旭の説明を一通り聞き終わった右京は、その愛らしい瞳を伏せると思案顔になった。やや間を空けてから改めて旭を見ると、淡々と「少なくとも、誰も死なずに済んだようで良かった」と声をかける。

 旭は、なんとも言えない複雑な表情で頷いた。


「……さっきは言いがかりをつけて悪かった。彼らを救い、後見になってくれた事――礼を言う」


 右京は颯月に向かって、拍子抜けするほど素直に頭を下げた。


「ああ、どういたしまして。旭達が望むなら、アデュレリアに帰してやりたい気持ちはあるが――ただ、罪を着せられて領を追い出された以上、難しいだろうな」

「うん、まず無理だ。領主の仕業に違いないけど、証拠はない……あった所で、領主の目的は悪魔憑きの僕を孤立させて追い込む事だろう――絶対に撤回なんてしない」

「ずっと不思議だったんだけどさ。うーたん、なんであそこの領主と仲が悪いんだ? 確かに口も態度も悪いガキだなあとは思うけど、見た感じ仕事は出来るじゃん。あと、悪魔憑きって何?」

「…………悪魔憑きは、悪魔憑きだよ。これは僕の問題だから、別に良いでしょう」


 陽香が「可愛くねえガキ~」と呟けば、右京はげんなりした様子で「だから、お嬢さんより年上なんだよ」と返す。どうやら、陽香はまだ悪魔憑きについて詳しい話を聞かされていないらしい。


 まあ、悪魔憑きの特徴を隠すために四六時中「時間逆行クロノス」という魔法を使い、少年の姿をしている右京の事だ。よほど己が悪魔憑きである事が疎ましいのだろう。それは、悪魔憑きについて知らないと言う陽香に、わざわざ説明したくはないはずである。


(もしかすると、私と居るのが楽だって言う颯月さんと同じで――何も知らない陽香と居るのが、心地よかったのかも)


 しかし、例え悪魔憑きについての説明を受けたとしても、四重奏のリーダー陽香が月並みな反応を見せるはずないのだが――竜禅曰く、悪魔憑きに対する周囲の反応と言えば「気味が悪い」「機嫌を損ねれば殺される」「恐ろしい」の三点と決まっているらしい。

 長年そのような扱いを受けていれば、人間不信にもなるだろう。


「陽香殿は、悪魔や眷属についての見識はあるのか?」


 竜禅が問いかけると、陽香は小首を傾げて唸った。


「うん? あー……実際に見た事あるのは魔物だけだから、話しか知らん!」

「悪魔憑きというのは、眷属から呪いを受けた人間の事だ。悪魔憑きになれば様々な魔法を使えるようになるが――ただ、見た目が異形になる。また、無尽蔵に大気中のマナを吸収し続けてしまうため、普通の人間と比べて生き辛い存在だ」

「異形――つまり、子供の姿になるって事?」

「だからこれは、魔法で肉体の時間を戻しているだけだってば」

「ふぅん? 見てみない事には、よく分からん」


 陽香がじーっと右京を眺めていると、彼は居心地悪そうに身じろいで、「紫電一閃に見せてもらえば」と颯月を指差した。


「そーげつさんも、その悪魔憑き? そういやなんか、外でもそんな話してたっけ」

「ああ」

「へぇ――てかソレ、いい加減窮屈じゃねえ? 屋内に戻ったなら、脱げば良いんじゃあ……」


 目を瞬かせる陽香に、颯月は窺うように首を傾げて綾那を見やった。綾那は、「ついにこの時が来てしまったか――」と、黙って天井を仰いだ。そしてやや間を空けてから、陽香に声を掛ける。


「陽香、あのね……颯月さんって、凄く良い人なんだよ」

「お? おお、聞いた感じも話した感じも、そう思うけど?」

「そうだよね。その――本当に、神様みたいな人でね」

「ほぉ」

「凄くこう、まともで。ちゃんとしてて、皆から慕われていてね、それから――」

「へぇ……てか、いきなりなんなんだよ、友達自慢か?」


 思わずと言った様子で小さく噴き出した陽香を、綾那はどこまでも真剣な表情で見つめた。


「だから、陽香――皆さんの目もあるので、どうかお手柔らかにお願いします……!」

「いや、だから話が読めね――」


 綾那は、まるで祈るように両手をぎゅっと握り締めた。そして半ば自棄のように、「颯月さん、「魔法鎧」を!」と叫ぶ。

 その叫びを合図に、颯月は両手の平をパンと合わせた。すると彼の全身は光に包まれて――その光が収まると、いつもの漆黒の騎士服を身に纏った姿が露になる。


 金髪が混じった、艶のある黒髪。肩よりも長いウルフロングは紐でハーフアップに結われている。肌は雪のように真っ白でシミも毛穴も見えず、まるで陶器のようだ。

 意志の強そうな上がり眉。瞳を縁取る長い睫毛。すっと通った鼻梁は高く、唇は薄く品がある。紫色に煌めく瞳は、目尻が垂れ気味で色っぽい。その美しく整った顔の右半分には、額から顎先まで覆い隠す黒革の眼帯。


 彼の容貌は、まるで――まるで、綾那の愛してやまない存在であったビジュアル系バンドのギタリスト、絢葵あやきの上位互換である。


「…………オウ」


 先ほどまで明るく笑っていたはずなのに、陽香の口から漏れた声は随分と低かった。綾那は己の顔の前で組んだ手の陰から、恐る恐る陽香の顔色を窺う。


「おうおうおう……ヤりやがったな? テメエ」


 颯月の姿を上から下まで確認した陽香は、口の端をヒクリと引き上げると、歪な笑みを浮かべながら綾那を見据えた。随分と乱暴な言葉を投げ掛けられた綾那は小さく、しかし何度も首を横に振る。


「ち、違うよぉ! 違う、違う! たぶん陽香は、何か勘違いをしてると思うの――!」

「勘違い? 面白い、じゃあ今すぐにその勘違いとやらを正してくれるか? なあ、綾那!!」

「ちょっと待って陽香、ソレ、今手に何持ってる!? 本当にやめて!」


 ――やはり綾那の予想通りだ。絶対に激昂すると思った。

 いつものふざけたあだ名ではなく『綾那』と呼んだところからして、彼女のキレ具合がよく分かる。陽香は椅子から立ち上がると、己の腰元からずぼりとオーバーサイズのトップスの中へ片手を突っ込んだ。

 その姿を見て、綾那は大慌てで長い会議机の下に潜り込んだ。


 彼女が服の下に防弾チョッキを着込んでいる事。そして、そのチョッキについたホルダーに銃をしまい込んでいる事を、嫌と言うほど知っているからだ。

 綾那と陽香のやりとりに、応接室に集められた騎士は目を白黒させている。


「銃じゃねえから安心しろや、弾倉の方だ!」

「全然安心できないよ、そんな硬いもの人に投げようとしないで!」

「良いから出てこい、そんで最初から全部説明しろ!! 綾那お前、さっき話した出会いのシーンからして嘘だな!?」

「う、嘘じゃないよ……! それに陽香、颯月さんの事いい人だって言ったじゃない!」

「騙し討ちにも程があんだよ! 鎧を着るように言ったのもお前だな!? つーかマジ――たったひと月、目ぇ離しただけだろ! なんですぐにハメ外すんだよ!?」

「外してないです!」

「どこからどう見ても、外しまくってんだろうがよォ!!」

「…………ごめんなさい!!」

「オイオイ謝ったな!? 謝ったって事は、そういう事になるけどなあ!?」

「やあぁ、も~~……やだ、逃げた~~い……」


 机の下に潜ったまま猫のように丸まる綾那に、陽香は「絶対に逃がさねえからな!!」と声を張り上げたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る