第65話 烽火連天

 あれからしばらくして、陽香は東の森から綾那のもとまで帰って来た。またしても全速力で駆けて来た彼女は、なぜか十歳前後の子供を小脇に抱えている。

 子供は陽香の腕が腹部に食い込むのが不服なようで、文句を言いながら両足をバタつかせている。


「うぃーす、お待たせー!」

「もぉお……離してってば! お腹が締まって苦しいんだよ!」

「ちょっとぐらい我慢しろ! お前の短い足じゃあ、アーニャのところ戻るまでに日が暮れちまうだろうがよ!」

「僕はお嬢さんみたいに、見栄を張って厚底靴を履くなんて趣味じゃあないからさ」

「おうおうおう、ホント可愛くねーヤツだな! うーたんのくせに!」

「いい加減その、気持ちの悪いあだ名で呼ぶのはやめてよね……!」


 言い争いをしながら小脇に抱えた子供を地面におろした陽香は、チッと小さく舌打ちをした。彼女は細いだけでなく、身長150センチとかなり小柄である。その事がコンプレックスらしく、十五センチほどの厚底ブーツを愛用しているのだ。だから低身長な事を弄ると、すぐ不機嫌になってしまう。


(うわぁ、美少――女? 美少年? どっちだろう、可愛い子……!)


 綾那は、陽香が運んで来た子供をまじまじと観察した。肩にかかる長さの髪の毛は色素の薄い灰色で、癖のないサラサラの前下がりボブ。こぼれそうなほど大きな瞳は鮮やかな黄色で、その周りを長い睫毛が囲んでいる。声がハスキーだし、喋り方からして恐らく少年――なのだろうが、しかし女の子と言われれば女の子にも見える。それぐらい愛らしい子供だ。


 陽香に『うーたん』と呼ばれた子供は、くすんだ赤色――バーガンディ色の生地でつくられた、騎士服のようなものを着ている。


(ちびっ子騎士だあ、本当に可愛い!)


 小さな体に合わせてしつらえられた騎士服は、その愛らしい容貌にとてもよく似合っている。見るからに幼い年齢からして、まさか本物の騎士ではないだろうが――しかしよく出来た服だ。


「えーっと、そちらはアーニャのお友達か? あたしの事、紹介してくれる?」

「あ! うん、そうなの。えっとね――」


 陽香はおもむろに顔を上げると、綾那の周囲を見回した。ちなみに、陽香が森へ出かけている間、颯月には「訳は聞かずに、とにかく私が「いい」と言うまでは絶対に、「魔法鎧マジックアーマー」を脱がないでください」とお願いしてある。陽香が絢葵あやき似の彼の顔を見たら最後、まともな話し合いは望めなくなってしまうからだ。

 確実に修羅場が展開される事になるだろう――主に、綾那と陽香との間で。


 綾那は一つ咳払いをしてから、まず紫紺の全身鎧を身に纏った颯月を手で指し示した。


「こちら、「転移」した先で私を助けてくれた方……颯月さんだよ。とってもいい人なんだ」

「へぇ! 鎧の兄ちゃん、スゲー格好いいじゃん! 兄ちゃんもしかして騎士ってヤツか?」


 愛想のいい笑みを浮かべながら握手を求める陽香に、颯月は一瞬体を強張らせた。しかしすぐに気を取り直すと、しっかりと彼女と握手した。


「ああ、この先のアイドクレースで騎士をしてる」

「そっかそっかー、アーニャ助けてくれてありがとなー」

「いや、こっちも綾には助けられてるから……構わん」


 彼女の邪気のない笑みに多少は緊張が薄れたのか、颯月は穏やかな声色で返した。


「それで、こちらが幸成くん。颯月さんの従兄弟で、幸成くんも同じ騎士だよ」

「ああ、なんだ。こっちの騎士は皆ああなのかと思ったら、鎧じゃないのも居るのか。よろしくー」

「あ、うん、よろしく」


 いくら綾那の仲間とは言え、幸成は相当に警戒心が強い。笑みを浮かべて陽香と握手を交わしたものの、その目はあまり笑っていない。

 続けて綾那は、幸成の横に立つ桃華を指し示した。


「こちらは、桃ちゃ――桃華ちゃん。幸成くんの恋人で、私とも仲良くしてくれるんだ」


 本来、桃華は颯月の婚約者として紹介すべきなのだが――綾那と同じく「表」で育った陽香に仮初の婚約の意味を説明するには、この国の法律はややこし過ぎる。であれば、分かりやすく端的に事実のみ伝える方が良いだろう。


「お、珍しいな? アーニャ、女の子の友達できたのか」

「珍しいって、アリスじゃあるまいし――」

「いやあホラ、アーニャのファン層ってほぼ男だから、なんとなく? まあ良いや、よろしくなー」

「は、はい、こちらこそよろしくお願いします……!」


 女性の友人が極端に少ない桃華もまた、陽香に対して妙な緊張感があるようだ。やや硬い表情でぺこりと頭を下げた彼女の頬は、薄っすら紅潮している。


(ついでにルシフェリアさんも――って、すごい高さ)


 今なら陽香にも視認できるはずのルシフェリア。あの球体についても紹介してしまおうと思ったのだが、光る球は上空高くに浮いていて、下へ降りてくる様子がないので後回しだ。簡単な紹介が済んだところで、次は彼らに陽香を紹介する。


「皆さん、彼女は私の仲間で……家族の、陽香です。仕事中は私達をまとめるリーダーなんですよ」

「よろしくどうぞー」


 笑顔でペコーっと頭を下げた陽香は、パッと頭を上げると隣に立つ子供の背に手を回した。


「じゃあこっちも――あたしの世話役、うーたんだ!」

「うーたんさん」

「うーたんじゃない!」


 陽香の雑な紹介に憤慨した様子の『うーたん』は、大きな咳払いをしてから綾那に向き直る。


「アデュレリア騎士団、第四分隊隊長――右京うきょうだよ。呼び方はなんでも構わないけど、『うーたん』はナシ」

「――だ、第四分隊? あ、えっと、私は綾那と申します、けど、えっと……」


 アデュレリア騎士団第四分隊と言えば、旭の所属していた隊ではないのか。子供の口から思いがけない所属を聞いて、綾那は思わず颯月を振り返った。彼は胸の前で腕を組み、黙って思案しているようだ。

 綾那の様子に、「子供が何を言い出したのか」と戸惑っていると捉えたのだろうか。陽香は、ハッと鼻を鳴らして笑った。


「うーたん、騎士ごっこに夢中のお年頃なんだよ。大人なら全力でノってやってくれ」

「……ごっこじゃない」

「ハーン? こんなちびっ子騎士、他に居なかっただろうが。年上を揶揄うんじゃないよ」

「年上? お嬢さんは僕より、よほど幼いけどね」

「バッカふざけんな! 誰が十歳児以下だ!?」


 右京はとても愛らしいが、どうもその見た目に反して毒舌家らしい。再び言い争いを始めた二人を尻目に、何かに思い至ったのか――颯月がぽつりと呟いた。


「アンタ、もしかして『烽火連天ほうかれんてん』か」

「……ハ?」


 颯月の呟きを拾うと、右京は不機嫌そうに目を眇めて、片眉を上げた。


(え、待って、烽火連天ほうかれんてんって……じゃあ、本当にこの子が旭さん達の隊長さんなの!? で、でも、隊長さんは悪魔憑きって話じゃあ――)


 右京は金髪ではないし、瞳も赤ではない。もしかすると、かなり強い――マナの吸収を抑制する――魔具を身に着けているのだろうか? 強い魔具を身に付ければ、本来生まれ持った髪色と瞳の色に戻せるらしい。

 いや、そうだとしても、こんなに幼い子供だとは予想外である。右京はじっと黙って颯月を眺めた後、愛らしい顔をグッと顰めた。


「鎧の色から言って、まさかとは思っていたけど――そう言うアンタは、もしかして『紫電一閃』?」

「ああ」

「……あっそう」


 まるで、それ以上話したくないとでも言うように、右京はツンと顔を逸らした。隣で陽香が「本当にマナーのなってねえ子供だなあ。年上は敬うべきって知らねえのか?」と漏らせば、「マナーのなってないお嬢さんが僕に意見してこないで」とすげなく返す。

 そんな右京の様子に、颯月は首を傾げた。


「……同じ悪魔憑きにここまで敵視されたのは、生まれて初めてだな」

「同じ? 笑わせないでよ、同じなんかじゃあない」

「旭が言うには、礼儀に厳しい常識人って話だったが――アイツ、悪口が叩けんよう弱みでも握られてんのか?」

「――旭? 今、旭って言った!?」


 右京は、途端に声を荒らげる。旭は領を追い出された時、分隊長である右京に別れの挨拶一つできなかったらしい。だから、「全員揃って夜逃げしたと思われていたら嫌だ」と言っていた。

 右京が本当に旭の言う分隊長ならば、このまま街へ案内して彼と引き合わせるべきだろう。


「まさか、ウチの隊員を引き抜いたのって――!」

「引き抜いた? オイ、人聞きの悪い事を言うなよ。感謝されこそすれ、非難される筋合いはない」

「はあ!? 一体どんな手を使ったのか知らないけど、他所の騎士を取り上げておいて、よくもぬけぬけと――ッ!!」


 激昂した様子の右京に、綾那は瞠目した。もしや右京は、颯月がアデュレリア騎士の団員を引き抜いたと勘違いしているのか。当初綾那が幸成達に疑われていたように、スパイを送るか何かして。


 颯月の言葉通り、行き場をなくして賊の真似事を強いられるほどに困窮していた旭らを助けた彼は、本来感謝されるべき人物である。それを卑怯な手を使って引き抜いたとは、言いがかりもいいところだ。

 綾那としても、颯月が謂れのないそしりを受けるのは納得できない。できないが――しかし、いつか旭が言っていた。


 アデュレリア騎士団第四分隊の分隊長――右京は、アデュレリア領主と折り合いが悪いと。

 旭は、彼らに架空の罪をなすりつけて領から追い出した何者かの目的は、悪魔憑きの右京を孤立させるためではないかという仮説を立てていた。明言はしていなかったものの、右京と折り合いの悪い領主が関わっているのではないか――と。

 そして事実、「転移」もちの男達が言うには領主の仕業で間違いないらしい。


(右京くん……さん? もしかして、旭さん達が無実の罪を着せられて領を追い出された事すら、知らされていない――? ある日突然、家族ごと居なくなったって認識なんだ)


 何やら妙ではないか。ただでさえ幸成が「東はきな臭い」と評していたが、それは決して彼の独断と偏見ではなく、紛れもない事実なのかも知れない。


「コラ、うーたん! ちょっと落ち着けって、いきなりどうした、らしくねえぞ?」

「離してってば……!」


 怒りを露にする右京を、陽香が後ろから羽交い絞めにするようにして抱き上げた。右京は初め手足をバタつかせて暴れたが、しかし彼女にギューッと強く抱きしめられながら「おー、よしよし」と宥められて、徐々に落ち着きを取り戻したのか――静かな声色で改めて「離して」と呟いた。

 陽香は右京を地面に降ろすと、そのまま小さな手をとって繋ぐ。そして嫌そうに顔を顰める右京を無視して、明るく言い放った。


「なぁんか皆、積もる話もありそうだし……どっか落ち着けるトコ、紹介してくれると助かるわ! ――そろそろ暗くなってきたし?」


 パチリとウインクまでして見せた陽香に、颯月は鷹揚に頷いた。


「成、先に行って応接室の準備。和と旭も呼べ、どうせ全員本部に居るだろう。手が空いているようなら、禅も」

「いや、でも颯――平気なのか?」


 幸成は言いながら、陽香と右京を一瞥した。「平気なのか」という言葉には、恐らく様々な意味が含まれているのだろう。


「ひとまず綾が居れば良い。ちゃんと桃華も送り届けろよ」

「……分かった。桃華、行くぞ」

「えっ、う、うん――あの、お姉さま……桃を置いて、勝手にどこかへ行かないでくださいね」

「安心して、そんな事にはならないから」


 綾那は、不安げな桃華にニッコリと微笑み返した。桃華は曖昧な笑みを浮かべると、幸成と共に街へ向かって歩き出す。ちなみに上空のルシフェリアは、いまだに下へ降りてくるつもりがないようだ。


「アーニャも、そーげつさんも悪ィなあ。うーたん普段は良い子なんだけど、ちょっと情緒不安定気味なんだよ」

「勝手に情緒不安定にしないで」

「いい、気にするな。生きてりゃそういう事もあるだろう」

「おー……良いか? うーたん。こういう懐の広い大人になるんだぞ、お前顔だけは良いんだからな」


 陽香の言葉を無視してツーンと顔を逸らしている右京に、颯月が笑みを漏らす。


「噂じゃあ確か、分隊長殿は俺より年上だ」

「……は?」

「えっ」


 綾那は改めて右京を見やるが、どこからどう見ても十歳前後の子供である。間の抜けた声を上げた陽香と綾那からまじまじと見つめられた右京は、居心地悪そうな顔をして遠くの方を眺めている。


「ま――まさか、物語のエルフ的な?」

「え、いや逆に何、もしかしてその鎧の中に子供が入ってるって事か?」

「そういう訳じゃあ――でも、子供の頃の颯月さん……? それは、見てみたい気もするけれど」


 ごくりと生唾を飲み込んだ綾那に、颯月は「戻りながら話そう」と言って歩き出した。


「見せようと思えば、見せられるが……俺の場合、「時間逆行クロノス」を使ったところで普通の見た目にはなれんから、意味がない」

「――クロノス?」

「モノの時間を巻き戻す闇魔法だ。例えば二十歳の人間が自分の時間を巻き戻せば――十五歳だろうが十歳だろうが、任意で当時の姿に戻れる。当然、魔法が切れると元の姿に戻っちまうがな」

「へえ~! イマイチまだこの世界の事分かってねえけど、やっぱ魔法って色々できて便利なのな~」


 感心したように息を吐いた陽香は、「うん?」と首を傾げた。


「じゃあ、何か? うーたん、マジのガチで大人なん?」

「だから、何度も説明したでしょう。お嬢さんが信じなかっただけで――」

「いやいやいや、見た目十歳児に「僕の方が大人だ」って言われて、誰が本気にするよ? この目で見るまでは、イマイチ信じられねえわ」

「そうかも知れないけど――そんな見え透いた嘘ついたって、仕方がないでしょう」


 見え透いた嘘をつく方が、かえって本物の子供らしさが増す気がする。綾那が呆けていると、隣を歩く颯月が腰を屈めた。そうして声を潜めて、綾那の耳元へ顔を寄せた。


烽火連天ほうかれんてんは、マナの吸収を阻害する魔具を一切使ってない。溜まり過ぎた魔力を放出するのに、四六時中「時間逆行」を発動させるような変わり者だ。リベリアスじゃあ、割と有名な話だな」

「四六時中――と言う事は、まさか眠っている時さえ?」

「らしいな、一体どんな精神力をしているんだか。魔具さえ付けりゃあマナを過剰吸収せずに済むのに、わざわざ進んで苦労を買って出るなんざ――正気の沙汰とは思えん」


 トンデモ社畜でまともな睡眠すらとらない颯月をして、そう評されるとは――どうやら、右京もなかなかにアレな人物らしい。


(もしかしなくても悪魔憑きって、自分を厳しく追い込んじゃう人が多い? 苦労する事に慣れ過ぎているせいかな――)


 綾那は隣を歩く鎧の騎士を横目に見ながら、小さく息を吐いた。

 それにしても、酷い思い違いをしているらしい右京にしろ、いずれ陽香の前で颯月の「魔法鎧」を解除しなければならない事にしろ――これから始まる会議は荒れそうだ。

 考え込む綾那の後ろをついて歩く陽香が、「アーニャ?」と呼び掛けた。綾那が振り向けば、彼女は右京と手を繋ぎ歩きながら、屈託のない笑顔を浮かべている。


「また会えて良かったよ」

「陽香――私も同じ気持ち、本当に良かった」

「これまでの事、色々教えてくれよな?」

「うん、陽香の事も教えてね」


 綾那は陽香と笑い合いながら、すっかり暗くなった道を進んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る