第64話 1人目との再会

「――颯、綾ちゃん! 怪我は!?」

「そ、颯月さんが守ってくださったので、ありません――」


 先に街へ向かっていた幸成と桃華が、異変に気付き駆けてくる。綾那は余裕のない笑みを張り付けて幸成達を見やると、抱く力が緩んだ颯月の腕の中から、するりと抜け出した。

 足元を見れば、事切れたキラービーの死骸。その脳天には小さな穴が開いていて、中から緑色の体液が漏れ出している。


 今にもその辺りの物陰から、「はいヘッショ!! (※ヘッドショットの略)アーニャ、今の見てたか!?」と、得意げな顔をした陽香が飛び出してきそうだ。辺りをキョロキョロと見回しながら、「追跡者チェイサー」で火薬の匂い――その発生源を辿る。


(陽香だ……陽香、どこに居る――?)


 陽香と共に魔獣狩りをする事が多かった綾那。「表」では銃口にサプレッサーを取り付けて使用していたため、先ほどの発砲音はいつもの音とは全く違った。しかし、嗅ぎ慣れた火薬の匂いだけは間違えるはずがない。

 追跡した結果、匂いの元は恐らく東の森付近である。今綾那が立っている位置から、一キロは離れているだろうか。


 陽香が「奈落の底」へ落ちた際に所持していたのは、ハンドガンとリボルバーの二丁のみ。そのどちらもスコープがついていないので、常識的に考えれば、ただの小銃で一キロも離れた先のキラービーの脳天を正確に撃ち抜けるはずがない。

 けれど、陽香ならば可能なのだ。彼女のギフトさえあれば、スナイパーライフルもスコープも必要ない。そもそも、こちらの世界に存在しない銃火器を使用している事からいって、まず疑いの余地はないのだが――まず一キロ先から正確に対象物を撃ち抜いたその手腕からして、相手は間違いなく陽香だと断言できる。


 ――早く。一刻も早く見つけ出して、彼女の無事を確認しなければ。わざわざ銃声を響かせたのは、綾那に自分の存在を知らせるために違いない。はやる気持ちを抑えきれずに、綾那は森に向かって駆け出そうとした。


「綾!」


 しかし、パッと颯月に腕を掴まれて足を止めると、綾那は焦った表情のまま彼を振り向いた。「魔法鎧マジックアーマー」のせいで颯月の表情を窺い知る事はできないが、綾那の手首を掴む手の力は相当に強い。ギリリと握り締められた手首に、綾那は顔を顰める。

 彼はきっと、キラービーを攻撃した未知の存在を警戒しているのだ。当然の反応だろう。相手の確認もせずに単独で行動しようなど、自殺行為もいいところである。

 綾那は体ごと颯月に向き直ると、とにかく彼を説得して東の森へ急がねばと焦った。しかし颯月は、ゆっくりと首を横に振る。


「颯月さん、先ほどは庇ってくれてありがとうございました。でも、もう大丈夫です。敵じゃありません、キラービーを仕留めたのは、間違いなく私の仲間で――」

「綾の反応からして、それは分かる。ただ――とにかく待て、まだ他にも生き残りが居るかも知れんだろう?」


 彼の言う生き残りとは、恐らくキラービーの事を指しているのだろう。確かにその可能性はあるが、しかし既に一度奇襲を受けた身だ。例えまた同じ事が起きても、次は油断せずに対処できる。

 改めて「大丈夫だから、行かせてください」と頼むために口を開きかけたが、ふと颯月の様子がおかしい事に気付く。


「前からずっと考えてた。これが、言っていい言葉じゃねえのは分かるが……」

「颯月さん?」

「その――仲間と合流すれば、綾が二度と戻らんように思えて」

「え……」


 鎧の中から聞こえるくぐもった低音は、いつもと違ってやけに弱々しい。その表情は見えずとも、彼が不安がっている事はなんとなく伝わってくる。

 綾那が絶句して立ち尽くすと、颯月の後ろから勢いよく桃華が飛び出して来た。彼女はそのままヒシッと綾那に抱き着くと、大きな瞳いっぱいに涙の膜を張って、こちらを見上げた。


「お、お姉さま! やっぱりご家族を見つけたら、どこかへ行っちゃうんですか!? ダメですよ……絶対にダメ!!」

「えっ、いや、ちょ、桃ちゃ――」

「桃華! ……颯も、綾ちゃんが困ってるだろ」

「でも幸成、お姉さまが居なくなっちゃう!」

「早とちりするなって。俺ら置いて今すぐどっか行くなんて、一言も――近くに居る仲間と合流して、アイドクレースに連れて帰るってだけだろ?」

「えっと……そう、ですね。連れて帰っても良いなら、ですけれど――」


 綾那は困惑気味に頷いた。まさか、仲間と合流したら即アイドクレースから出て行くなど――颯月や桃華にそんな心配をされていたとは、思いもしなかったのだ。

 綾那だってひと月以上アイドクレースで過ごしたため、街に対する情はともかく、人に対する情ならば抱いている。例えば今この瞬間、いきなり颯月に「じゃあ、縁があればまたいつか」と言って背を向けられたら、反射的にちょっと待てと引き留めるだろう。


 アイドクレースの騎士と接するのは面白いし、桃華は可愛い妹のような存在だ。颯月は――颯月については、言うまでもない。

 これだけお世話になっているのだから、いずれアイドクレースを離れる事になるにしても、その時にはそれ相応の礼が必要だと考えていた。だから仲間を見つけた途端、ここで築いた人間関係も職務も、何もかも放り出して姿を消すと思われていたのは、少々心外だ。


 しかし、一体いつから彼らを不安にさせていたのだろうか。そう思うと、申し訳ない気持ちになる。

 痛いほど強く掴まれた手首に、颯月の不安がそのまま現れているようで――綾那はなんとも言えない複雑な表情を浮かべた。


『ああ、ごめんごめん、忘れてた! お手伝いしてくれたら、お仲間の話をするって言っていたのにね!』

「ルシフェリアさん――そ、そうですよ、全くもってその通りです! 説明をお願いします!」

「……創造神様が、何か仰っているのですか?」


 さすがに神の意向を無視する訳にはいかないと思ったのか、桃華は涙目のままそっと綾那から離れた。そして颯月もまた、渋々と言った様子で綾那の手を離す。離された手首にはくっきりと赤い痕がついていて、綾那はその赤に、ついドキリと胸を高鳴らせてしまう。


(颯月さんに必要とされているなら、嬉しいな――これ、ずっと消えなければいいのに)


 こんな事で喜んでしまうから、四重奏のメンバーに「誘いDV」「元々DV気質じゃない男までDVにする天才」などと揶揄されるのだろうが。綾那は軽く頭を振ると、ルシフェリアを見上げた。


「近くに居るのは、陽香ですよね?」

『んー……そんな名前、だったかな? ――そんな名前だったかも? 僕はすごい天使だけど、人の名前を覚えるのだけはどうも苦手なんだよね』


 ルシフェリアの回答に、綾那は「そういえば私、『君』ばかりで一度も名前を呼ばれてないな」と思った。ただ、神という存在に個人の名を認知されるのも何やら恐れ多いので、それはそれで構わないのだが。


「ありがとうございます。本当に見つけて、ここまで連れて来てくださったんですね」

『いや、見つけたのは見つけたんだけど……なんて言うか、色々と問題が起きてね?』

「問題?」

『ほら僕、君と再会した時にとっても力が弱まっていたでしょう? あれ実は、君のお仲間を見つけてすぐに色々あって、『祝福』したからなんだけど――そのせいで、お仲間には僕の姿が見えなくなっちゃってさ。声も一切届かないし』

「はあ」


 見つけてすぐに祝福を必要とするとは、それは一体どういう状況なのだろうか? 陽香を見つけた事でルシフェリアのテンションが上がり、出会い頭についついノリで祝福してしまった――とでも言うのか。

 綾那が首を傾げていると、ルシフェリアは乾いた笑いを漏らした。


『だから――なんて言うのかな。彼女はまだ、僕の存在を認知していないんだよ。ここが「奈落の底」だって事も……自分の身に何が起きているかすら、イマイチ分かっていないと思う』

「認知できずに、どうやって陽香をここまで?」

『うーん、偶然? いや、運命の導きとでも言おうか? だって、僕が案内しなくても自分の意思でここまで来ちゃうなんて、凄くない? やっぱり僕は、すごーい天使だって事かな!』


 そのまま「まあ、だからここまで来るのに時間がかかっちゃったんだけどね! ハハ!」と明るく言い放ったルシフェリアに、綾那はこめかみを押さえる。「創造神に何か言われているのか」と不安げな表情の桃華には悪いが、すっかり通訳する気力を失ってしまった。


 では、綾那が仲間の無事を想いヤキモキしていたひと月は、一体なんだったのだ。出会い頭に祝福した訳も、陽香の傍をついて回る間にルシフェリアが一度も力を回復する事なく、彼女に認知される事すらなかった理由も――それら全ての問題を綾那に知らせる事ができなかった原因も、何一つ分からない。

 分からないが、人の感情の機微に疎過ぎるルシフェリアの事だ。深く追求したところで、どうせ綾那が納得できる回答は返ってこないだろう。


 綾那は一つため息をつくと、改めて颯月達と向き直った。


「やっぱり、近くに居るのは私の仲間で間違いないそうです。会いに行っても良いですか? 必ず戻ってきますので――」


 問いかけに答える事なく、ただ無言でじっと綾那を見つめる颯月と桃華。返答を得られずに困り果てていると、幸成が呆れ顔で二人を叱りつけた。


「颯、桃華。「良い」か「悪い」か返事ぐらいしろっての!」

「だって……」

「俺らは成と違って繊細なんだ、アンタの尺度で計ろうとするな」

「感性の話をする前に、人を無視するなんて非常識な態度を改めろって言ってんだよ!」


 幼馴染三人組みのやりとりに、綾那は苦笑いを浮かべた。しかし、不意にルシフェリアが「君が会いに行く必要はなさそうだよ?」と言い残して、上空高くへ飛んで行く。綾那は首を傾げたが、ふと火薬の匂いが間近まで迫っている事に気付くと、慌てて後ろを振り返った。


 東の森からこちらに向かって物凄い速さで駆けてくる、赤毛の女性。その姿を認めた途端、綾那は颯月達の返事を待たずに駆け出した。


「アーニャ!!」

「――陽香!」


 駆けて来た勢いそのままに飛び込んできた陽香を、両手を広げて受け止める。あまりに勢いがつき過ぎていたため、彼女を抱き留めたままその場でぐるんぐるんと二回転ほどしたのち、そっと地面におろした。


 ひと月前に別れたきりの陽香。燃えるような赤髪はひと月で少しだけ伸びて、いつも肩のあたりで外ハネしていた毛先が落ち着き、やや大人びて見える。まあ、大人びて見えるとは言っても、彼女は綾那と同い年のくせに相当な童顔である。どのくらい童顔かと言うと、成人済みにも関わらず、下手すると中学生に間違えられるほどだ。


(でも今は、高校生くらいに見える! 二週に一度はアリスがミリ単位で毛先を切って、絶対に髪型を変えないようにしていたから――ちょっと伸びただけでも、新鮮だなあ)


 綾那は陽香の顔をじっと見つめながら、目元を緩ませた。パッと見た所、彼女に目立った外傷はない。ダボついたオーバーサイズの服装を好んで着るため、体形の変化までは分からないが――しかし顔を見る限り、やつれている様子もない。

 陽香もまた緑色に煌めく猫目を緩ませると、口の端を上げて不敵に微笑んだ。


「元気そうじゃねえか、アーニャ!」

「陽香もね――さっきはありがとう、本当に助かった」

「おお、見たか? 見事なヘッショだったろ! トンデモ生物が蔓延る世界なんだから、油断大敵だぞマジで」

「でも、いつから見てたの?」

「ゴリラアーマーで蜂の巣をぶん投げたトコぐらいから?」


 言いながら片手を掲げる陽香に、綾那は「すぐゴリラって言う」と笑って、己の手の平をパンと合わせた。

 とにかく陽香が無事で、そして再会できて、本当に良かった。しかし、奈落の底に落とされてからひと月もの間――彼女はたった一人で、どうやって生き延びたのだろうか? 綾那が疑問を口にする前に、陽香はハッとした表情になると、東の森を振り返った。


「やべえ、ギフト使ってあっちの森から走って来たんだけどさ……うーたん置き去りにしちまったわ」

「うーたん?」

「ああー……このトンデモワールドに転移させられてから、やたらと世話を焼いてくれる親切なちびっ子が居てさ。ちょっと呼んでくるわ」

「ちびっ子のうーたん――って、ちょ、ちょっと、陽香!?」

「おー、悪い! すぐ戻るから待っててなー!」


 ひと月振りの再会だと言うのに、陽香はいとも簡単に綾那に背を向けると、東の森へ向かって走って行ってしまった。


(え……なんかまるで、会いたがってたの私だけみたいじゃない……?)


 彼女は絶妙に冷めている。綾那は少々肩を落としたが、しかし待てと言うからには、ちゃんと戻ってくるつもりはあるのだろう。あっという間に小さくなった陽香の背中を眺めながら、そっと息を吐いた。

 とにかく今は、待つしかない――と立ち尽くす綾那の背に、桃華が今にも泣き出しそうな震え声を掛けた。


「綾那お姉さま――」

「あっ……ご、ごめんね? いきなり走り出して」


 綾那はびくりと肩を揺らすと、慌てて彼女を振り返る。またしてもヒシッとしがみついてくる桃華に、綾那は「あれ、もしかして家族の陽香よりも、桃ちゃん達の方が私を想ってくれているような――?」と複雑な心境になる。


「なあ綾、本当にアンタの仲間で間違いないのか?」

「え? あ、ああ……確かにちょっとドライな反応で私自身驚いていますけど、間違いなく仲間ですよ」


 颯月もまた綾那の傍まで歩み寄ると、再び手首をギュッと強く掴んだ。綾那は遠い目をしながら問いかけに答えたが、しかし彼は「いや、そうじゃない」と首を横に振る。


「――本当に合っているのか? 綾の仲間だっていうから、俺はてっきり、アンタと似たタイプを想像していたのに。恐ろしいほど正妃様にそっくりなんだが、これは一体どういう事だ……?」


 颯月の言葉は酷く震えていて、なんなら綾那の手首を掴む手まで小刻みに震えている。颯月の普通とは言い難い反応に、綾那は「あっ」と小さく声を漏らした。


 陽香は華奢でモデル体型、しなやかな体つきをしており、四重奏きっての『痩せ』である。オーバーサイズの服ばかり着るため、一見するとその細さが分かりづらいが、そのウエストは背と腹がくっつきそうであると評されるほどに薄い。

 かなりアクティブな性格で、屋外で過ごす事が多く、肌は健康的に焼けた小麦色。エメラルド色の猫目は目尻が吊っていて、華奢な体つきを含め、その容貌は正に――アイドクレース領に住む女性全ての憧れ、正妃と酷似している。


 つまり、颯月が一番苦手とするタイプなのだ。


(あれ? って事は陽香、アイドクレースでめちゃくちゃモテちゃうんじゃないの? 『広報』として、あの子以上に相応しい女性は居ないような――)


 つい思考が逸れてしまったが、しかし陽香を『広報』に据え、動画の演者にしてしまうのは、とんでもなく素晴らしい案に思える。

 痩せた女性を大勢集めると颯月が倒れてしまうが、陽香一人を据えるだけならば、倒れずに済むのではないか。しかも陽香の力だけで、ありとあらゆる騎士団の問題を解決できてしまう気がする。


「これは良いぞ!」と表情を明るくする綾那だったが、しかしその目の前で颯月が「アレは、相当な破壊力だ。定期的に綾を触らんと、俺は正気を保てん気がする――」と極めて深刻そうに呟いたため、ハッと我に返る。


「まあ、家族と聞いて勝手に綾ちゃんっぽい人を予想してたのは、俺も同じかも――」

「確かに、お姉さまのご家族の方……まるでアイドクレース人みたいで、なんだか意外でした」


 綾那に抱き着いたまま「でも、異大陸の方なんですよね?」と言って見上げる桃華の頭をひと撫でして、綾那は「そうだよ」と答えた。


(でも困ったな、想像以上に颯月さんの受けるダメージが大きいみたい……もしかすると、陽香一人でも倒れる可能性が――?)


 明らかに動揺している様子の颯月に、綾那はうーんと真剣に今後の流れを考えた。

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