第69話 父と息子
「あらかじめ予想していた事とはいえ、大変な目に遭いました」
場所は変わって、颯月の執務室。あれからたっぷりと綾那に説教をした陽香は――正直、まだ本人の気は済んでいないように思えたが――右京に「続きは明日ね、早く宿をとろうよ」と宥めすかされながら、騎士団本部を出て街へ降りて行った。
終始綾那に向かってガンを飛ばしながら出て行った彼女の様子からして、言葉通り明日も説教の『続き』が待ち受けている事は、想像に難くない。
「綾、どうして事前に家族が正妃サマにそっくりだと教えてくれなかった? お陰で俺の心は見事に死んだぞ」
「す、すみません。言われてみれば、そうでしたね……」
なんとも言えない複雑な表情をしている颯月に、綾那は深々と頭を下げた。正妃のスパルタ教育で受けた心的外傷により、颯月は陽香のような細身で華奢な女性が苦手である。それも、下手をすれば対峙しているだけで倒れるほどに。
それを知りながら颯月に注意喚起しなかった綾那の責任は、想像以上に重いのかも知れない。
「今更ながらお伝えしますね、私の家族は全員細いです」
「そんな馬鹿な――まさか、異大陸にも正妃サマみたいにはた迷惑な『美の象徴』が存在するのか?」
「は、はた迷惑は言い過ぎなのでは――いや、まあ確かに、痩せていれば痩せているほど美しいみたいな風潮はありますけど。でもグラマーな人も人気がありますから、一概には言えませんね」
「どこの大陸も同じか……ただ、あの服装はいいな。体のラインが分かりづらくて、安心できる」
陽香は低身長である事だけでなく、太りたくても太れないという――世の女性が聞けば、全員敵に回りかねないコンプレックスを抱えているのだ。
曰く、本当は綾那のように柔らかく、女性らしい体つきになりたいと思っているらしい。しかし、どうも彼女は筋肉量が多いのか何なのか、代謝が良すぎる。
普通に考えれば、食べては寝るを繰り返せば簡単に太るはずなのだが――とにかくじっとしているのが苦手で、体を動かすのが好きな陽香。仮に食事を多くとったとしても、いつも消費カロリーの方が
そう簡単に太れないらしいと悟った陽香は、どうにかして痩せ気味の体を隠せないかと考えた。その結果が、メンズライクの――ダボついたオーバーサイズの服を着る事だ。大きめの服を纏った所で彼女が華奢である事に違いないが、颯月の言う通り体のラインはぼやける。
例えば綾那が四重奏の師の前でああいう服装をした場合、「もしかして、また太った事を隠してる?」と言って確実に張り倒される事だろう。それほど陽香の服装は体形が分かりづらい――と、そこまで考えた綾那は、はたと気付く。
(どうして服の上から、陽香が正妃様ぐらい細いと分かったの? ――まさか)
「…………颯月さん。私、一度コルセットを締めるのを手伝ってもらった事があると思いますけど、覚えていますか?」
「うん? ああ、もちろん――俺が合法的に綾を紐で締め上げる事を許された、ご褒美回の事だろう」
「ご褒美回……いえ、それは良いんです。陽香は服の下に、あれと同じようなものを着用しています。ただ形は違って、胸から腰まで全部覆うタイプのものですけれど」
「ゾッとするな。もしかすると正妃サマより細いかも知れん」
「ええ、確かに全身細いし、普段締め上げているから分かりづらいんですけど、でも――不思議と胸はある方なんです。狡いですよね」
「ああ、それは分か――らなかったな、服の上からじゃあ」
寸でのところで言葉を修正したものの、完全に口を滑らせた颯月に、綾那は額を手で押さえた。
「――陽香を「
「……うん?」
「颯月さん?」
「…………俺は、早い段階で
「陽香は骨ではありませんし、無断で「分析」するのはセクハラですと、あれほど――!」
嘆く綾那に、颯月は「綾、彼女は間違いなく骨だ」と言って首を横に振った。痩せた女性が関わる時の彼は、あまり理性的ではない。まあ、痩せた女性が魔物に見えているくらいだから、理性を欠いて当然なのかも知れないが。
どうしたものかと綾那が考えこめば、颯月が「綾」と呼びかけた。顔を上げると、彼は蕩けるような甘い笑みを浮かべている。
「――な、なんです?」
「まあ、何はともあれ……今日一日、朝から晩までアンタと一緒に過ごせて、最高の『休日』だった」
「
その言葉に、綾那はハッとした。
(そう言えば今日って元々、颯月さんにお休みを謳歌してもらおうって日だったじゃん……! 結果朝から働き尽くめで、ルシフェリアさんに続いて「転移」もちの人まで出てきて……キラービーと戦っていた時にはもう、そんな考え頭から綺麗に抜け落ちてた――)
決して綾那に不手際があった訳ではないとは思うが、それでもつい肩を落としてしまう。颯月を休ませようとしていたはずなのに、その思惑は彼自身の手によって悉く失敗したのだから。
「今日のはたぶん、一般的な休日ではありません」
「そうなのか? 俺は随分ゆっくりさせてもらったが――」
「ちょっと待ってください、普段の颯月さんの仕事量、どうなっているんですか?」
今日一日、街の中を――いや、街の外まで走り回っていなかったか? 思わず綾那が目を眇めれば、颯月はおかしそうに笑った。
「綾が来てから、随分持ち直してはいるが……まだまだウチは人手不足なんでな。これからも頼むぞ、『広報』さん?」
綾那はウッと口ごもった。中途半端に仕事を投げ出すつもりはないが、陽香にしろ他のメンバーにしろ――そしてルシフェリアの事にしろ、しがらみが多すぎる。今後とるべき行動が綾那自身、全く分からないのだ。
(ルシフェリアさん、陽香が宿へ向かってからようやく降りて来たと思ったら、「じゃあ今日は遅いから、また明日ね!」って言い残して、どこかへ行っちゃったし――まだまだたくさん、聞きたい事があるのに)
もう陽香はルシフェリアの存在を視認できるはずなのに、どうして彼女を避けるような行動をとっているのだろうか。そもそも、陽香を見つけて即『祝福』するハメになった原因とは、なんだったのだろうか。
聞いたところで煙に巻かれる可能性は高いが、その辺りの話も明日ハッキリさせた方が良いのかも知れない。
颯月は、黙り込んだ綾那を見て首を傾げた。
「そんなに思い悩んでどうした? 俺の天使」
「――グッ……!? ちょ、その――て、天使はやめてください……!!」
「実際
「き、今日陽香の反応を見て分かったでしょう、私の家族はとっても怖いんです! それなのに颯月さんって本当、人の事を惑わせて――悪魔みたいな人ですね……!?」
「まあ、悪魔憑きだからな」
「そういう意味ではなくてですね……!」
綾那の反応をひとしきり楽しんだらしい颯月は、ソファに深く腰掛けたまま、綾那に向かって両手を広げた。
「ど、どうされました?」
「実はまだ、応接室で受けたダメージが癒えてない――抱いても良いか?」
「抱――い、言い方! 言い方を別のものに変えませんかね!? ハグとか、もっと他に色々あるでしょうに――」
「こっちは綾が承諾してくれるたびに、「良いのか」と思って楽しんでいるんだが」
「颯月さん、最近色々と直接的過ぎませんか……?」
言いながらも綾那は、両手を広げて待つ神――という強烈な魔力に引き寄せられると、いとも簡単にすっぽりと彼の両腕に収まった。颯月は嬉しそうに笑いながら、「俺は割と最初から、ストレートに口説いていただろ」と漏らす。
綾那の耳にぴたりとくっついた、颯月の胸板。騎士服にジャラジャラとつけられた胸章が少々邪魔だが、とくりとくりと規則正しく脈打つ彼の鼓動――そして、真夏日だというのにやや低い体温を感じる。
(陽香に怒られれば懲りるだろうって思っていたけど、なんか……逆に、「バレちゃったからもう、公認みたいなもんだよね」って開き直っているのかも――随分と深い沼)
颯月の広げた足の間に座り、彼に抱かれて身を寄せる。体の大きな颯月に包み込まれると、安心感というのか、それとも安定感というのか――ぽんぽんと優しく背を叩かれれば、綾那の口からほうと安堵の息が漏れた。
「綾、髪が引っかかるぞ」
「え? あぁ……ごめんなさい」
恐らく、左胸に並ぶ胸章に引っかかると言っているのだろう。綾那は慎重に、ゆっくりとした動きで颯月の胸板から頭を離すと、そのまま真上にある彼の顔を見上げた。すると、こちらを見下ろす紫色の瞳とかち合って、綾那が目を瞬かせれば、彼はその瞳を甘く緩ませる。
しかし、不意に「あ」と小さく漏らしたかと思えば、綾那から視線を外して執務室の扉を見やった。一体どうしたのだろうかと綾那が首を傾げるのと同時に、扉がドンドンドン!! と激しくノックされる。
颯月が返事するよりも先に「失礼いたします!」と、やや切羽詰まった入室の挨拶と共に執務室へ入って来たのは、竜禅だった。彼はソファの上で抱き合う若い男女の姿を目にするとと、マスクの上から手で目元を覆い、天井を仰いだ。
いきなりなんだ、一体どうしたと目を丸めるのは綾那のみで、颯月はばつの悪そうな顔をしてパチンと指を鳴らした。
「――悪い、禅。共感覚を入れたままだった」
「颯月様……あなたが綾那殿を大変好ましく思っている事は、重々承知しております。ただ――!」
「分かってる、悪かったって」
「分かっていません、これで何度目ですか!」
「こればかりは仕方ねえだろう、精神論でどうにか出来るモンでもない」
「だから――いや、もう良いです。綾那殿」
「はっ、はい!?」
言い争う主従の間に入って行く事ができず、ただ颯月の腕の中でじっとしていた綾那だったが――しかし唐突に竜禅に話しかけられたため、慌てて彼の腕から抜け出して立ち上がった。
「あなたは妙齢の女性で、子供ではない。その上、ただでさえ男を――いや、颯月様を魅了する姿をしている。だから、颯月様と二人しか居ない密室で、決して、そのような行いを許しては、いけないんだ――分かるか」
「け、軽率でした、すみません……!?」
言葉を区切って強く言い聞かせるような竜禅に、綾那は状況が読めないなりに必死に頷いた。その横では、いまだソファに深く腰掛けたままの颯月が「禅は堅い、前時代的だ」とぼやいている。
「私に口出しされたくなければ、共感覚は初めから切っておく事をお勧めします」
「――いつ
「バカな事を仰っていないで……いや、そもそも仕事をする場所で何をしているのですか? それもこのような、いつ誰が入室してきてもおかしくないような所で! 若い男女が抱き合っているなど、彼女に妙な醜聞が立つのは困るでしょう」
「綾は俺の婚約者だ、醜聞も何もねえだろう。息抜きで仲睦まじく休憩していただけだ――そもそも今日はまだ、休日だぞ」
初めこそばつが悪そうにしていたものの、今となっては全く悪びれていない様子の颯月に、竜禅は深いため息を吐き出した。そして、「顔立ちだけでなく、似なくて良い――よく口が回るところまで似て、全く嘆かわしい」と呟いた。恐らく実母の、輝夜の事を言っているのだろう。
彼女は相当に気が強かったという話を聞かされている。きっと口も達者だったに違いない。
「なんだか、竜禅さんて――まるで颯月さんのお父さんみたいですね」
「は……?」
「禅が? ――フハッ、確かに『親父』感はあるかもな……! 分かるぞ綾、世間一般で言う目の上のたんこぶ的な親父は、大抵こう、口うるさく干渉してくるもんなんだろう?」
「颯月様……」
腹を抱えて笑い出した颯月に、竜禅はどこかげんなりとした様子で肩を落とした。綾那は慌てて「気を悪くされたなら、ごめんなさい! まだ若いから、せめてお兄さんと表現するべきでしたね!」と撤回する。
しかし竜禅は緩く首を振ると、穏やかな口調で「良いんだ」と答えた。
「私がそう見えるのなら、少なくとも我が主の遺言は守れているという事になる――これほど心が満たされる事は、あまりない」
続けて「ありがとう」と低く礼を言われて、綾那はどう反応して良いものか分からなくなる。しかし綾那が何か言葉を返すよりも先に、竜禅はまだ笑いが収まっていない颯月を見やった。
「颯月様。以前も申しましたが、ご自身の立場に相応しい行動をお願いいたしますよ」
「はー……ああ、そう心配せずとも既成事実をつくれん体だからな、安心しろ」
「子が成せないからと言って何も出来ない体ではないのに、何をもって安心せよと――?」
「アンタ俺の味方だろう? じゃあ信じろ」
「共感覚の具合から言って、その言葉は無理があると思いますけどね」
また言い争いを始めた主従に、綾那は「やっぱり父子みたい」と思いつつ――まるで他人事のように、彼らのやりとりを微笑ましい気持ちで見守った。
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