第56話 意思の弱さと檻

 颯月の「仕事は続けられそうか」という問いかけは、恐らく「ひとまず短期のお試し雇用で」という話だったが、このまま本契約してアイドクレースに根を下ろすのか――という意味だろう。


 かれこれひと月以上アイドクレース騎士団の世話になっている訳だが、そもそも綾那には仲間探しという目的がある。そして、キューの力を取り戻す為にこの世界の眷属を討伐して回るという、保留中の依頼だってある。

 しかも、四重奏のメンバーが全会一致で「拠点を表から奈落の底へ移そう」と言い出さない限り、最終的には元居た場所へ戻る事になるだろう。だから長期雇用されるつもりはないのだ、答えは「いいえ」に決まっている。


(でも正直、颯月さんとは――あんまり離れたくない、から……困る)


 颯月は何より見た目が綾那のタイプで、顔、体、声、全てが完璧なのだ。その上、傲岸不遜に見えて意外と繊細で、傷つきやすく寂しがりで――楽しい事があるとよく笑う。仕事熱心と呼ぶにはあまりに社畜を窮めているが、他人の為に働ける立派な人間である。


 しかも見た目が好ましいだけでなく、颯月はとにかく頼りになる。地位にしろ、財力にしろ、単純な強さにしろ、恐らく一般的な水準から大きく飛び抜けている事は間違いない。それに何より、身分を証明する術を持たない綾那を、この世界の誰よりも信頼してくれて――しかも、仕事まで任せてくれる。

 今まで何かあるたびに「自分は友人だ、ファンだ」と言い聞かせてきたが、綾那は彼に必要とされると、この上なく喜びを感じてしまう。本人は冗談のつもりかも知れないが、颯月に甘い言葉を囁かれると、天にも昇る心地になってしまう。


(たぶんもう、見た目だけじゃなくて……ちゃんと、普通に好きなんだよな――颯月さんの事。いや、顔から入った事に違いはないんだけどさ)


 けれど、だからこそ。これ以上共に居るのは困るのだ。今後、「偶像アイドル」もちのアリスと合流したらどうなるか考えると、肝が冷えてしまう。綾那はいつものように、簡単に他の女に目移りする男なんていらない――と、颯月を切って捨てられるのだろうか。

 それとも生まれて初めて、アリスを恨んでしまう事になるのか。そんな事になれば、四重奏はおしまいである。正妃の言葉を借りる訳ではないが、綾那としては、これ以上傷が深くなる前に距離を取るのが最善なのだろう。

 取り返しがつかなくなる前に――だ。


「ええと、その――」


 綾那は目を伏せて、断りの文言を口にしようとした。しかし一つも上手い言葉が出てこずに、薄く開いた唇は戦慄わなないただけである。

 距離を取るにしても、一体どんな言い方ならば、繊細な颯月を傷付ける事なく済むのかが分からない。今は「傷付けたくない」なんて綺麗事を言っている場合ではない事も分かってはいるのだが、ただ合理的に割り切るには、あまりにも彼に嫌われたくない気持ちが大きくなり過ぎている。


「……アンタ、睫毛も水色なんだな」

「へ?」


 颯月は言いながら腰を屈めると、綾那と目線の高さを合わせた。問いかけの返答も待たずに一体なんだと目を瞬かせる綾那を見て、目元を甘く緩ませる。

 至近距離で颯月の甘い笑顔を浴びせられた綾那は、ぐっと眉根を寄せて顔を背けた。


「――顔が、良すぎる……ッ! こんなの、好きになるなって言う方がムリだよ、皆! 私めちゃくちゃ頑張ってない!? ここまで耐えてるの、マジで偉いじゃん! お願いだから褒めて……!」


 この場には居ないメンバーに向かって、綾那は大きな独り言を発した。颯月はそんな綾那を、やけに妖艶な笑みを浮かべながら見下ろしている。


「じゃあ、そろそろ抵抗をやめて俺に養われたらどうだ。三食昼寝付き、綾はただ俺の傍に侍るだけで良いのに」


 綾那はぐうと喉奥を唸らせた。彼の美貌を直視できずにウロウロと目線を泳がせて、しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。


「わ、私は……仲間探しとか、元の国に帰る方法探しとか――色々、やらなければいけませんから。とんでもなくお世話になっておいて言えた事ではありませんが、ずっとここに留まる訳には……」

「普段なんでも言う事を聞くのに、この件に関してだけは頑なだな……そんなに恐ろしい家族なのか? まさか、正妃サマよりも?」

「ええっと、まだ私は正妃様の恐ろしさをイマイチ存じ上げないので、なんとも――」


(でも確かに、皆から異性問題で怒られる時は、本当にいつも怖かったなあ……いや、圧倒的に私が悪いから、仕方ないんだけど――)


 美人の怒り顔は迫力がある、とはよく言ったものである。神子として生まれた、容姿端麗な彼女らの本気のキレ顔――その迫力は半端なものではない。

 特に、四重奏のリーダーとしてメンバーを諫める役割を担う陽香。彼女は物事をズバズバとはっきり口にするし、喋り方も男勝りで、随分と荒っぽい。実は四重奏として活躍する前――中学時代には、所謂ヤンキーとでもいうのか。やや素行の悪い時期もあったため、メンバーの中で一番分かりやすく怖いのは、間違いなく陽香である。

 彼女らに激怒された時のアレやコレやを思い返して、綾那はふるりと小さく体を震わせた。


「それだけ長く悩んだところを見る限り、俺となっちまうのも悪くないと思っているはずなのに」

「ど、どうにか、と、言うと――?」


 図星を突かれた綾那は、恐る恐る颯月の顔色を窺った。颯月は綾那を真っ直ぐに見下ろしたまま、やけに気だるげな雰囲気を纏って首を傾げる。


「なんだ……俺の口から直接聞きたいなら、そう言えば良いのに。綾は照れ屋だな」

「――ッち、違! ……いえ! いいえ……! 聞いてしまったら最後な気がします! ええ、どうにか! そうですね、どうにかなっても、致し方ないでしょう……!」


 颯月の色香にてられて、綾那は分かりやすく取り乱した。一度冷静にならねばと、両目をぎゅうと閉じて俯けば――目の前の颯月が諫めるような低い声色で、「綾」と名を呼びかける。


「だから、男に詰められている時に目を閉じるな。アンタの悪い癖だ――無防備極まりない」


 綾那は「仰る通りです」と項垂れながら瞳を開き、顔を上げた。そして――決して、話題を変えようと画策したわけではないが――ふと己がアイドクレースを出た後の話をしておかなければと思い至ると、口を開く。


「その、今日一日街の人達の様子を見ていて思ったんです。これから、『広報』になりたいと思う女性が増えるのではないかと」

「――広報に?」

「ええ。食堂で、「働く騎士を間近で見られるのなら、広報になりたい」と話す女性達が居ました。私は素顔を晒せないので、演者として動画に映る事はできませんが……でももし今後、アイドクレース向きの華奢で見目の良い女性が広報に立候補してくれれば――颯月さんが予定していた、女性目当ての独身男性を釣り上げる、という手法も使えると思うんです」


 颯月は綾那を見下ろしたまま、黙って続きを促した。


「それに広報として勤める女性が増えれば、出会いが少なくて騎士が結婚しづらいという問題も、ある程度は緩和できるのではないかと。思い付きで始めた動画配信ですけど、後進が育てば……例え私が居なくなっても、後の事は安心して任せ――」

「いずれ綾は消えて、代わりにアイドクレース向きの華奢な女が、大勢集まってくる――と?」

「え? ええ、はい」


 言いながら紫色の瞳を眇めた颯月に、綾那は目を瞬かせる。彼は深いため息を一つ吐くと、至極憂鬱そうな表情で口を開いた。


「綾、俺がアンタを広報に据えた理由を覚えているか?」

「私を据えた理由?」


 それはまさか、初日に聞いた綾那が颯月のタイプだからという、例のアレだろうか。綾那が頬を紅潮させて唇を引き結ぶと、颯月は頷いた。


「そう。アンタが俺のタイプで、どうしても傍に置きたいと思ったからだ。だって言うのに、アンタと真逆の――まるで正妃サマみたいな女がウチに集まるなんて」


 颯月は額を手で押さえながら、「広報が地獄の軍団に成り果てちまう」と呟いた。綾那は彼の反応に困惑してしまう。なんでも「良い」と肯定してくれる颯月の事だから、てっきり今回も笑顔で頷いてくれるものだと思っていた。

 綾那が去った後も『広報』が存続すれば動画配信を引き継げるし、騎士団で働く女性が増えれば、騎士が結婚しやすい環境が整うし――たったそれだけの事で、騎士は再び花形職業に返り咲くはずだ。

 綾那としては、良いこと尽くめで素晴らしい案だと考えていたのだが、どうやら颯月にとっては違うらしい。


 彼は幼少期に、育ての親である義母――正妃から受けた心傷により、彼女に似た見た目の女性を見るだけで恐ろしくなってしまうと言っていた。しかし、アイドクレース領に住まう女性の憧れ、美の象徴は正妃なのだ。この領に住まう女性は皆、美しい正妃に少しでも近付こうと痩せた体形を目指してしまう。

 だから集まってくるのは、痩せ型の女性一択。逆に言えば、アイドクレース騎士団の広報として雇う場合、男性から一番求められるのも痩せ型の女性のはずだ。


(だけど、広報の存在が颯月さんの負担になるのは――)


 それは綾那の本意ではない。いっそ痩せ型の女性は入団禁止と謳ってしまうか、それとも――とそこまで考えて、綾那はある事を思いつく。


「あ! えっと、それじゃあ騎士団の宣伝動画内で、颯月さんの好みの女性についてそれとなく伝えちゃう、とか! そうすれば、少なくとも颯月さん目当ての女性は、痩せ型じゃあなくなる可能性が――」

「なあ、綾。アンタ確か、貞操観念の希薄な男は嫌いだと言っていなかったか」

「へ? はあ、そうですけど……」

「じゃあ、俺に女漁りを勧めないでくれ。俺は綾に嫌われたくない……現状、綾が居れば他の女は必要ない」

「っえ、……いやっ、違――」


 ――今は、そんな話をしていない。というか、そもそも綾那は颯月のなんなのだ。綾那は困惑しつつも、なんとか笑って小首を傾げた。


「その、私は……ずっとここには居られませんよ?」

「……ああ、もう、分かった。俺の全財産をかけてアンタ専用の檻を作る事にする。綾の『魔法』でも壊せんような、とびきり頑丈なヤツを――特注で」

「じょ、冗談でもやめてくださいね? そもそも颯月さんの全財産って、とんでもない額な気がしますし」


 何せ彼は高給取りの騎士で、その上トップの団長。しかも休みなく働き続けているせいで、金を使う暇すらないはずだ。求めてくれるのは本当に嬉しいのだが、こればかりはどうにもならない。どうかこちらの思いを理解して欲しい。綾那はなだめるように、彼の二の腕辺りをぽんぽんと軽く叩いた。

 颯月は小さく息を吐くと小さく肩を竦めて、口を開いた。


「――もどかしい」

「もどかしい?」

「ああ――良いか、綾。俺は「やる」と言ったらやる男だ、覚悟を決めるんだな」

「…………えっと、まさか、檻の事を言っていますか?」


 綾那の問いかけに、颯月は柔和に微笑んだ。彼は何も答えないまま綾那から離れると、再び執務机に戻って椅子に腰かけた。

 残された綾那は、彼にそれだけ強く求められている事を喜ぶべきか、それとも、いよいよ逃げ出す機会を失ってしまう可能性について危機感を抱くべきか考えながら――ただでさえ白い顔を、青くしたのであった。

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