第55話 結果報告

 すっかり上機嫌になって、騎士団本部へ戻った綾那。しかし、早速颯月に報告しようと執務室を訪れると、彼は執務机に突っ伏して深いため息を吐いていた。

 入室する際ノックは不要と言われており――そもそも扉には魔法がかかっているので、颯月が登録した者にしか開く事ができないのだ――綾那は扉を開けたままの格好で、颯月の異変に気付くと動きを止めた。もしかすると、間が悪かったのかも知れない。途端に表情を陰らせた綾那は、おずおずと窺うように颯月へ声をかける。


「あの、颯月さん……?」

「――ん、ああ、おかえり」


 部屋に入って来たのが綾那だと気付いた颯月は、顔を上げると目元を緩ませた。綾那は「ただいま戻りました」と答えながら、本日の護衛を務める竜禅と共に、彼の傍まで歩み寄る。


「颯月様、その様子ではこってり絞られましたか」

「絞られ……?」

「綾の護衛の邪魔になるだろうと、あらかじめ共感覚を切っておいてやった俺に感謝しろよ、禅」

「それはそれは。ありがとうございます、お陰様で何事もなく戻って参りましたよ」

「戻ったなら今すぐに共感覚を入れてやる」

「おやめください」


 じゃれ合うような応酬をする主従を見ながら、綾那は「えっと――」と首を傾げた。


「綾那殿、本日の会議には正妃様が同席なされている」

「え! ……正妃様が」


 道理で、颯月の様子がおかしい訳である。彼は本気で、育ての母である正妃が苦手なのだ。


 聞けば、定例会議というものがあって、騎士団の在り方や街の治安、眷属や魔物の対案などについて、定期的に王族へ報告する義務があるらしい。これはアイドクレースだけに限らず、他所の領の騎士団についても、同じく報告の義務があるそうだ。ただしその回数は、王都に本部を構えるアイドクレース騎士団ほど頻繁ではない。


 現正妃はとにかく正義感が強く、しかも己の目と耳で見聞きしたものしか信じない。だから頻繁に街へ下りては己で市井の様子を調べて、王都の治安、犯罪に目を光らせているのだ。

 その正妃が、一体颯月に何の咎が合ってこってり絞ったのだろうか。


「団長なら、もっとうまく人を使えと言われてもな……俺は、適材適所に人員を配置してるつもりなんだが?」


 深いため息と共に零された愚痴に、綾那は目を瞬かせる。そんな彼の言葉に、竜禅が低く笑った。


「あなた一人が働き過ぎだと仰りたいのでしょう」

「だったら、端的に言えばいい。俺は遠回しな話し方は好かん」

「言えば何か裏があると疑うくせに」

「当たり前だろう。そんな言葉を真に受けられるほど、こちとらピュアに育ってねえんだ」


 颯月は、己の眉間に寄った皺をほぐすように親指を当てた。「働き過ぎだ、なんだと言われたって、何年この生活を続けていると思う? 今更どうしろってんだよ、問題なく生活できてんだから良いだろうが、正妃サマにはなんの迷惑も掛けてねえ」と吐き捨てる様子から、彼の機嫌が相当よろしくない事が分かる。

 竜禅はやれやれと首を横に振ると、おもむろに綾那の肩をぽんと叩いた。


「颯月様のご機嫌取りは、綾那殿に任せる。あなたに任せておけば、すぐに立ち直られるだろうからな」

「えっ」

「私は正妃様の仰る通り、少しでも颯月様の職務を減らしてくるとしよう」

「は、あ、えっと――い、いってらっしゃいませ!」


 竜禅が背を向けると同時に、颯月がパチンと指を鳴らす。その瞬間、竜禅は「グッ」と低く呻いて床に片膝をついた。颯月が指を鳴らすのは、彼らの共感覚のスイッチオンオフの合図である。


「な、なんという不快感だ、胸が悪いとは正にこの事……! ゼロの状態から、いきなりフルスロットルに荒ぶる共感覚を入れるのは控えて欲しいと、あれほど申し上げているのに――!」

「この後すぐ上機嫌になるから楽しみに待っていろ。俺は寛大だから、アンタにもお裾分けしてやるよ」


 ふんと鼻を鳴らす颯月をちらと振り返った竜禅は、深々とため息をついてから立ち上がる。そして改めて綾那に「くれぐれもよろしく頼む」と言い残して、執務室から出て行った。

 静かに閉じられた扉から颯月に視線を戻した綾那は、すこぶる機嫌が悪いらしい彼になんと声をかけて良いものかと悩んだ。悩んだ結果出てきた言葉は「お疲れ様です」というありきたりなものだったが、しかし颯月は満足げな表情で頷き返す。


「綾、顔が見たい」

「――あ、はい、取りますね」


 目元を隠したマスクを外して、綾那はそれを己の肩掛け鞄の中にしまった。そうして改めて颯月と向き直ると、椅子に座る彼と目線を合わせるため腰を屈めた。


「その――今日の会議に正妃様が出席されるっていうのは、最初から分かっていた事だったんですよね?」

「ああ。定例会議に出席するのは九割方、正妃サマと決まっているからな」

「分かっていて、それでもサボらずにちゃんと出席されたんですね。颯月さんはとっても偉いです、さすが騎士団長、生きているだけで偉い。今日も宇宙一格好いいです」

「……なあ綾、自分で言うのもなんだが、俺は甘やかされ慣れてない。だからあまり褒めそやすな、簡単にダメになる自信がある」


 そう言いながらも嬉しそうな笑みを浮かべる颯月を見て、「全力でダメにしたい」という危うい欲求が顔を出した。しかし綾那はハッと我に返ると、「こんなだから、皆に『ダメ男製造機』なんて呼ばれるんだ……!」と己を諫める。

 これ以上はいけない、と口を噤んだ綾那に構わず、颯月は水色の髪に手を伸ばすと、己の指に巻き付けて弄び始めた。そんな彼の様子に、綾那はずっと気になっていた事を口にした。


「颯月さんって、髪フェチですか?」

「髪? ――いや、なんでだ?」

「えっと、よくこうして、髪の毛を触る事が多いから……好きなのかと思って」

「……完全に無意識だな。こういうの心理学的にどうなんだ、もしかしてまずい行動か?」

「え!? す、すみません、詳しくないので、分かりませんけれど……でも、私は嫌じゃないので平気ですよ。こうしていて少しでも落ち着くなら、いっぱい触ってくださいね」


 綾那が微笑むと、颯月は無言のままおもむろにパチンと指を鳴らした。唐突に竜禅との共感覚を切った颯月に、綾那はおやと目を瞬かせる。


「――切らんと、禅が殴り込みに来る。気にするな」

「そ、そうなんですか……?」


 なんとも言えない複雑な表情を浮かべている颯月に、綾那は「変な質問のせいで、また機嫌を損ねてしまっただろうか」と不安になる。しかし彼は、気を取り直すように咳払いすると、「それで、広報活動の首尾はどうだった?」と問いかけてきた。

 途端にぱっと表情を明るくさせた綾那に、颯月はソファへ座るように促した。


「評判は今のところ、悪くありません――と言いますか、想定以上に好反応でした!」

「そうか、それは良かったな」

「颯月さんと和巳さんが映るたびに、女性客がキャーキャー言うんです。黄色い悲鳴ってヤツですね」

「黄色い……そんなもん聞こえる位置で上げられた事がないから、イマイチ分からんな」


 首を傾げる颯月に、綾那が「森で初めてお顔を見た時と、眼帯の下を見た時に私が上げたヤツじゃないですか」と言えば、彼は「アンタのはたぶん黄色い悲鳴じゃなくて、いつも迫真の悲鳴だった」と答えた。

 綾那はそんな事はない、と思ったが、しかしよくよく思い返してみると確かに、あまりにもガチな悲鳴を上げていたような気もしてくる。もし次があれば気を付けなければと思ったものの、颯月は綾那にとって神なのだ。きっと今後も、迫真の悲鳴を上げてしまう事だろう。


「あと、旭さんも大人気でした」

「ああ、それはなんとなく分かる。これで旭は、いよいよカメラから逃げられなくなった訳だ」

「幸成くんは、竜禅さん曰く桃ちゃんとお付き合いしているのが公になっちゃったから、ファンが減っちゃったんですって。ちょっとだけ残念ですね」

「成は、桃華さえ居れば他はどうでも良いだろ。全く気にしてないと思うぞ」


 綾那の報告を一つ一つ聞いて、颯月は笑みを浮かべながら丁寧に相槌を返してくれる。


「ただ、昼と夜では食堂の客層が違うでしょうから……また反応も変わると思います。お酒が入ると気が大きくなって、野次を飛ばす人も居るでしょうし。できればその状態の反応も見たいな、とは思いますけれど――」

「いや、夜出歩くのはダメだ。アンタの予想通り荒っぽいのが増えるし……俺も街の外へ出ているから、綾に何かあっても気付けん」

「街の外に?」


 小首を傾げた綾那に、颯月は頷き返す。


「夜中の方が、人を呪った眷属が姿を見せやすくてな。街の周りを巡回するのが癖になってる」


 颯月は、「このルーティーンのお陰で、綾を見付けられたんだぞ」と言って紫色の瞳を細めて笑う。綾那はそんな彼の顔を見て、至極当然とも言える疑問を口にした。


「颯月さんって、いつ頃寝ていますか?」

「いつ? ……そうだな、寝たくなったらいつでも寝るぞ」

「――質問を変えます、平均睡眠時間は何時間ですか」

「…………日によって変わるな」

「颯月さん……それは、正妃様からお叱りを受けて当然です……!」


 答えをはぐらかされて、綾那は頭痛がするような気がして額を押さえた。颯月は僅かに唇を尖らせると、「綾は俺の味方だと思っていたのに」と呟いた。


 綾那だって、本来ならば彼のやる事、成す事全て肯定したい。しかし、彼は正妃の言う通り働き過ぎなのだ。恐らく休みと呼べるものを年単位で取得していない。しかもこの調子では、日頃の睡眠すらまともにとっていないようである――泳ぐ事をやめると死ぬマグロでもあるまいに、どうしてそこまで働いていないと落ち着かないのか。

 何故彼が健康体なのか、不思議で堪らない。――いや、そもそも本当に健康なのだろうか?


「もしかして、騎士になってからずっとそうなんですか?」

「……まあ。前にも言っただろう、休んだところで何して良いのか分からんと」

「無理に何かしなくても、心身の休息のためには必要な事で――ぼんやりするだけでも、違うと思うんですけど」

「ぼんやりするのは、生きていて良いのか不安になるから苦手なんだ」


 その言葉に、綾那は口を噤んだ。


 一体どうしてそんな不安を抱えてしまうのか。もしかすると、彼の出生が実母の死と関わっているからかも知れないし、一生涯悪魔憑きとして、周囲の人間に疎まれ続けるからかも知れない。しかし、ただ生きているだけなのに後ろめたさを感じねばならないなど、冗談ではない。

 綾那はおもむろにソファから立ち上がると、いまだ執務机に座ったままの颯月の傍まで移動した。そして、不思議そうに綾那を見上げた彼の頭を、両腕でそっと抱えて引き寄せる。


 その瞬間、颯月はぴしりと全身を石のように硬直させたが、綾那は一切気にも留めずに、ぽんぽんと彼の後頭部を優しく叩いた。


「ちょ、綾――」

「あなたの、心身の健康状態が心配です」

「…………俺はアンタの貞操の方が心配だよ」

「颯月さん、お願いだからちゃんと休みをとってください。そして、ちゃんと眠ってください。眷属を退治するためには、夜回りする必要があるんでしょうけど――騎士団も人手不足で、他に頼める人も居ないのかも知れないですけど。でも、颯月さんが全てやる必要はないのではありませんか……?」

「待て綾、何も頭に入ってこん。一旦離れてくれ」


 酷く困惑して話す颯月に、綾那は眉尻を下げたまま、言われた通りに彼の頭を解放した。そしてその場で膝をつくと、椅子に座る颯月をじっと見上げる。颯月はそんな綾那を見下ろしながら、口元を片手で押さえて吐息交じりに「ああ」と零すと、思わずと言った様子でとんでもない問題発言をした。


「抱きたいな――」

「…………へ」

「ああ、悪い、違う――いや、何も違わないんだが、いきなり綾が誘惑してくるから……つい本音が。セクハラで訴えるのは止めてくれ」

「そ、な、――はい……っ!?」


 綾那は勢いよく立ち上がると、頬を紅潮させて颯月から数歩後ずさった。まさか彼からそんな事を言われるとは、夢にも思わなかったのだ。ドッドッと、途端にやかましく脈打ち始めた心臓の音。なんとか落ち着かせねばと思うのに、颯月が椅子から立ち上がったのが視界の端に映り、肩を跳ねさせる。


「――で、何の話だったか」


 颯月は涼しい顔をして、いまだ顔を真っ赤に染めたままの綾那の髪の毛をひと房手に取って口付けた。綾那は「ヒェ……」と喉を引きつらせたが、しかしこのままでは、何やらおかしな展開になってしまうのではないかと不安に駆られて、半ば自棄になったように口を開く。


「だ、からっ、その、休みを取るのです! あと、ちゃ、ちゃんと、寝てください……!」

「休みと言われてもな――現状、困ってないんだが」

「な、何をして良いのか分からないのでしたら、友人の私が責任をもって一緒に居ますから!」

「――ああ、そうだ。アルミラージ狩りが終わったら、遊んでくれるって話だったか……それはいいな、魅力的だ」


「禅に仕事の調整を頼まねえと」と続けながら、颯月は綾那の髪の毛を耳にかけると、そのまま指先でくすぐるように耳に触れた。


「ふっ、普通、異性の友人にこんな事はしませんよ……」

「アンタは友人兼、俺の婚約者でもあるだろう? それに、先に「いっぱい触っていい」と煽ったのは綾だ」

「煽っていません、励ましただけです――ま、誠に不本意ながら、これ以上はセクハラであると言わざるを得ません……!」


「悪かった」と言ってひとしきり笑い終わったのち、彼は綾那の名を呼びかけた。まだ頬に熱を残したまま小首を傾げる綾那に向かって、颯月は続けた。


「――仕事は、これからも続けられそうか?」


 綾那は咄嗟に、「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。

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