第54話 リサーチ

 昼時を過ぎて尚、街の人間でごった返す大衆食堂『はづき』。賑やかな店内には時に黄色い歓声が上がり、時にどよめきが、そして拍手が巻き起こる。そんな食堂の片隅で、綾那はほっと胸を撫で下ろした。


 ――結果から言えば、騎士団の広報動画は大成功と言えるだろう。

 食事しに来た女性客は、店で流される動画に映る見目麗しくも逞しい騎士の姿に熱っぽい息を吐き、そして黄色い歓声を上げる。男性客はそんな女性陣の姿を気にしつつも、騎士のジャンケン大会や和巳の受けた罰ゲームなど、彼らの明るい様子を見てお堅そうな騎士も、意外にその辺の男と変わらない事をしているのだ――と面白がっては、手を叩いて笑う。


 店に卸したアルミラージのまずい肉は、「騎士も音を上げる食材とは、一体どんな味だ」という好奇心から瞬く間に売り切れて、一時は店内になんとも言えない魚醤の香りが立ち込める事態になった。しかし今はもう、その残り香すら感じない。


 昼時を過ぎても店が人で溢れているのは、ひとえに動画を見た者の口コミによる効果だろう。元々騎士は、花形職業で人気が高いのだ。そんな騎士らの日常を切り取った動画なのだから、それは試しに見てみたいと思うに違いない。

 元花形職業で、話題性のある役職もちの騎士が出演していて――動画配信という概念すらないのだ。そもそも話題になって当然なのである。

 これで失敗しようものなら、綾那の手腕が圧倒的にゴミであるという事に他ならない。


「よく分からないが、領民の反応を見るにコレは成功なのだろう?」


 既に何度目か分からないほど繰り返し再生される動画をぼんやりと眺めながら、竜禅が問いかけた。


「何せ演者が良いですからね、大成功ですよ!」


 綾那は満面の笑みで頷き返した。竜禅は颯月の命令通り、綾那の護衛として共に大衆食堂で領民の反応を見ている。もちろん綾那には頭の先から足の先まで「水鏡ミラージュ」をかけて、髪色から顔、肌の色まで変えてくれているらしい。

 ――「らしい」と言うのも、綾那自身は己の姿を見る事ができないから、どう変化しているのかイマイチ分からないのだ。


 綾那は上機嫌で紅茶をすすると、ちらりと目の前に座る竜禅を見やった。彼は漆黒の騎士服を脱いで、白い襟シャツに黒いストレートパンツという簡素な服装をしている。「水鏡」を同時に複数人へかける事は不可能のようで、彼は変装と称して騎士服を脱ぐと、いとも簡単に目元を覆い隠すマスクを外して見せた。


 ――そう。彼は今日、初めて綾那にその素顔を晒したのだ。


(国王様にお会いした事はないけれど、これは確かに「その目で嫁を見てくれるな」と思うかも知れないなあ)


 竜禅が充填してくれた魔石は、サファイアのように濃いブルーだった。彼の瞳はそれと全く同じ深い海のような色をしていて、切れ長だ。竜禅の落ち着いた雰囲気から、綾那は勝手に三十代だろうと予想していたのだが――顎髭を生やしているものの、その目元、口元に皺が一切見当たらず、肌にも張りがある。正直、もっと若いのではないだろうかと考えを改めた。


(だけど、私が思っているよりずっと年上だって言われたんだよね――うーん、謎だ)


 普段マスクで隠しているのに、こんな簡単に素顔を晒して良いのだろうかと心配になったが、しかし竜禅は「そもそも私がマスクを付けるよう命じられたのは、輝夜様の御前ごぜんだけだ」と答えた。その輝夜が居なくなってしまった今もマスクを付けているのは、ずっと付けていたものだから外すと何やら落ち着かず、惰性で付けている――との事らしい。


 目元をマスクで覆い隠した、騎士団の副長。彼はアイドクレース領内で有名らしいが、しかしその素顔を知っているのは、ごく一部の限られた人間だけだ。だから彼の場合は、ただマスクを外すだけでも変装になるらしい。

 素顔が謎の副長というのは、それはそれで「あんな顔――いや、こんな顔をしているに違いない」と想像する楽しみがあって魅力的だ。しかし、こんな事ならば竜禅にも素顔で映って欲しかった。顎髭の生えたワイルド系イケメンなど、女性がキャーキャー言うに決まっているのだから。


(今だって、結構女性のお客さんからチラチラ見られているけど――竜禅さん、そういうの全く気にしていなさそうだもんな)


 涼しげな表情で茶をすする竜禅は、ふと綾那の視線に気付くと「何か?」と首を傾げた。しかし綾那は、いいえと首を横に振るだけに留める。わざわざ「女性にモテるでしょう」なんて野暮な事は、口にしなくても良いだろう。今日はあくまでも、「領民の反応を見る」という仕事でこの場を訪れているのだし、尚更だ。


 紅茶の入ったカップを空にした綾那は、今日一日貴重な席を陣取っている場所代として、おかわりをするべきか――それとも、領民の反応はある程度見られたから、そろそろ本部へ帰って颯月に報告するべきかと考える。

 うーんと悩んでいると、動画に釘付けだった女性客の口から「颯様!」と悲鳴のような歓声が上がったため、思わずぴくりと反応してしまう。


 綾那の予想通りとでも言おうか。やはり隠れていただけで、颯月の潜在的なファンは多かった。

 彼が悪魔憑きだからイマイチ得体が知れないと思うのか、普段は遠巻きに眺めているだけらしいが――画面に笑顔の颯月が映るたび、女性客は決まって黄色い悲鳴を上げた。


(分かる。分かるよ――)


 綾那は神妙な面持ちで深く頷いた。この場に集まって颯月にワーキャー騒いでいる女性客は、まごう事なき綾那の同志である。撮影時から編集、そして現在連続で再生されている動画を延々と見続けていても、彼の笑顔が映るたびに心臓を撃ち抜かれてしまう。既に綾那は、颯月のせいで満身創痍なのだ。


 耳を澄ませれば「颯月様の笑顔が素敵」「颯様がこんなに可愛らしく笑うだなんて」「悪魔憑きだからと思っていたけれど、意外とお優しい方なのかも」なんて肯定的な意見が届いて、綾那は「そうでしょう、そうでしょうとも」と、したり顔になる。

 広報動画は、騎士のイメージアップと同時に颯月――悪魔憑きに対する、領民の意識改革を目的としている。どうかこのまま、彼らを肯定する人間が増えて行って欲しい。


「しかし、不思議な感覚だな。颯月様がこのように評されるのは」

「このように――とは?」


 ぽつりと零した竜禅の言葉を拾えば、彼は目元を緩めた。いつもマスクの下でこんな表情をしていたのかと思うと、何やら竜禅の事を一つ知れたような気がして、綾那は嬉しくなる。


「颯月様――悪魔憑きに対する反応と言えば、「気味が悪い」「機嫌を損ねれば殺される」「恐ろしい」の三点と決まっている。それが、こんな映像ひとつで笑顔が可愛いだの、優しそうだの言われる事になるとは……不思議でたまらん」

「うーん。でもこれが本当の颯月さんですから、当然なのでは?」


 何を至極当然の事言っているのだろうと首を傾げた綾那に、竜禅は笑みを漏らす。


「そうかも知れないが――しかしあれは、誰にでも見せられる顔ではない。前にも言っただろう? 彼は人に囲まれているように見えても気難しい、寂しがり屋なのだと」

「あの顔で寂しがられたら、どんな事でもしでかしてしまいそうなので、本当に勘弁して頂きたいですけれど――」


 事実綾那は、例え演技だろうが彼が辛そうな顔をする度に色々と無茶をしでかしてしまっている。「契約エンゲージメント」なんて、その最たるものだ。深く長いため息を吐き出した綾那に、竜禅は続ける。


「あの人は孤独なんだ。一生悪魔憑きなんて、他に例のない存在になってしまった日から、ずっと。私は、あわよくばあなたにはこれからも颯月様の傍に居て欲しいと思っているよ。それが綾那殿にとって、本意ではないと理解しているが……私は颯月様の味方だから――悪いが彼の願い以外、私にとっては全てどうでも良い事なんだ」


 そう言い切った竜禅に、綾那は苦い笑みを返す。それは、他でもない颯月が望んでくれるならば、綾那とて彼の傍に居たいと思う――いとも簡単に、そして軽率に思ってしまうだろう。

 しかし綾那には帰るべき場所がある。共に居るべき、家族があるのだ。竜禅の言う希望にう事はできない。


 綾那は、首を横に振った。


「私はダメですよ。一夫多妻の旦那様なんて、死んでも耐えられませんもの……無理無理のムリです! 正直、颯月さん以上に魅力的な男性は存在しないと思いますけどね?」


 綾那は、努めて明るい声色でハッキリと断った。だが竜禅は気を悪くした様子もなく、口元に笑みを湛えるだけだ。


「なるほど。颯月様が綾那殿の他に妻を娶らなければ、一生添い遂げるのも吝かでないと言う事だな。よく理解した」

「え? いや、そ、そういう問題では――ないような?」

「いいや、だ。あとは綾那殿のご家族とやらを説得するだけか、再会した暁には私も全力を尽くそう」


 一夫多妻だから――という断り文句がまずかったのだろう。竜禅は一人納得したように頷くばかりで、戸惑う綾那の事など眼中にない。


(そんなに生き急ぐ必要、ないのに)


 きっと近い将来、「颯月は悪魔憑きだが、怖くない」という事を知ったお嬢さん達が、彼のもとへ押し寄せるようになる。今現在、彼の下へはべるのが綾那しか居ないからといって、慌てて確保に走る必要などないのだ。り取り見取りの状態になれば、颯月も「別に、綾那に拘る必要はない」という事に気付いてしまうだろう。だからどうか、先走るのは止めて欲しい。


 なんと言ったものか考えあぐねていると、今度は女性客から「和巳様~!」と黄色い声が上がった。

 店内に流れる動画は、和巳がアルミラージを討伐するシーンに入っていた。「やっぱり素敵」「こんなにお顔がハッキリ見えるなんて」「女性より美しい」という絶賛の声から、「私も「風縛バインド」されたい」「実は女で、法律のせいで男装しているって噂が――」などと言う、危なげな会話まで聞こえてくる。


(男装云々の話は、絶対に和巳さんの耳に入れないようにしよう)


 本日、何度か耳にした根も葉もない噂話。綾那は毎度心の中で「情報源ソースどこだよ」とツッコんでいる。

 和巳が画面に映るたびに騒ぐのは女性陣だけでなく、「これで男っておかしいだろ……いや、俺がおかしいのか――?」と、新たな扉を開いてしまったらしい男性客の声もチラホラ聞こえてくる。やはり和巳は、今まで色々と苦労してきたに違いない。だからあの中性的な容姿に強いコンプレックスがあるのだ。


「やっぱり、颯月さんと和巳さんを多く映したのは正解でしたね。分かりやすく盛り上がると言うか」

「確かに、女性客が騒ぐのは決まってあの二人が映った時だな。幸成も元々、異性ウケは悪くなかったはずだが――しかし彼は、桃華嬢の誘拐未遂の一件で、彼女と相思相愛だと知れ渡ってしまったから」


 幸成は成人すると同時に桃華を娶るつもりだ。しかも桃華を攫おうと企てた絨毯屋に、王族として手酷い罰を与えたほど彼女の事を深く愛しているらしい――とは、アイドクレース領へ瞬く間に広がった噂である。

 幸成は最初「最低最悪の、こっ恥ずかしい噂が流れてる」とむくれていたが、しかし見方を変えれば、二人の交際が白日の下に晒された訳だ。桃華は、颯月を『婚約者』という隠れ蓑にしているだけで、婚約者筆頭などではない。それが知れ渡れば、嫉妬から彼女を害そうと思う者も居なくなる。


 そもそも、王族の幸成と結婚する事が確約されているのだから、桃華に手出しすれば絨毯屋の二の舞になってしまうのだ。それは、彼女に何かしようと思う者は男女問わず消えるはずである。最終的には幸成も「まあ、領民公認の仲だと思われてんなら、いーけど? 別にデタラメ言われてる訳じゃないから」と、満更でもなさそうだった。


(有名スタチューバーでも、やっぱり男女交際が露になるとファンが減るものね。幸成くんにはアイドル的な扱いよりも、このまま賑やかし要員というか……動画進行の潤滑油役として頑張ってもらいたいな。あと今日、視聴者の反応を見ていて意外だったのが――)


 ちらとモニターを見れば、画面には幸成と見事な連携を決める旭が映った。その瞬間、食事中の妙齢のお姉さま方が口々に「ヤダ、この子カワイイ~初めて見た~」「肌があまり焼けてないし、他所の領から来たのかしら?」「や~ん、養いた~い!」などと歓声を上げ始める。


(さすがは絵に描いたような好青年、旭さん……! でも、年上キラーとは意外だったな)


 ――そう、旭に対する女性陣のリアクションが、予想以上に好意的なのだ。これは綾那にとって嬉しい誤算である。

 いや、確かに彼は爽やかで立ち居振る舞いに誠実さが滲み出ているから、正直モテるだろうとは思っていた。しかし、ここまで爆発的にウケるとは予想外だったのだ。


 綾那としても、旭がここまで跳ねるならば盗撮した甲斐があるというもの。やはり彼には今後も、騎士団ブーム火付け役の一員として、動画に出演し続けてもらうしかない。例え嫌がったところで結局、颯月の団長命令とやらが発令するらしく――どうも彼には、拒否権がないようなのだ。本人が乗り気になっていない以上不憫だとは思うが、しかし、これも仕事の内と割り切って協力して頂きたい。


 画面に盗撮どっきりがバレた瞬間が流れれば男性客もワッと盛り上がってくれるし、その後ろで爆笑する颯月を見た女性客は、また黄色い歓声を上げる。アルミラージの調理シーンは旭の独壇場で、妙齢のお姉さま方が「料理もできるなんて」と感嘆の息を漏らして――全員の食事風景が映れば、食欲が刺激されるのかごくりと喉を鳴らして、食事の追加注文を飛ばす。


 騎士の意外な一面が垣間見える本気のじゃんけん大会も、その後に続く和巳の罰ゲームも評判は上々だ。音声のみとはいえ、曲がりなりにも食事する場所で激しく噎せる和巳のシーンは攻めすぎただろうかと不安だったが、今のところは不快感を示す客も居ない。

 動画が終われば「俺、途中から見たんだよ。初めから流せねえのか?」「もう一回流しましょうよ」とおかわりが入る。


(うん、話題づくりの初手としては悪くない――よね。どうしても突貫でつくったBGMのズレとか荒さとか、気になるけど……ああ、次までにこの世界の音楽ソフトが欲しい、たぶん探せばあるはず)


 今日綾那が見た限りでは、とにかく女性の熱量が高い。これは目論見通りである。そして意外と、現時点では男性の反応も悪くない。お堅い騎士というイメージはこの動画一本で十分払拭できているし、良いか悪いかは別として、和巳の美貌に惑わされた者も多い。

 女性がキャーキャー騒ぐ様を見て、「やはり結婚し辛いとは言っても、騎士はモテる」と再認識し、彼らが少しでも騎士という職業を気にかけてくれれば良い。


 この調子ならば、当分の間は方針転換せずに同じような動画を作るのがいいだろう。


「よし、だいたい分かりました。そろそろ帰りましょうか」

「ああ。颯月様の会議も終わっている頃だろう」


 綾那が腰を上げれば、竜禅も席を立った。そのまま流れるように伝票を手にして、一人会計へ向かう竜禅の背を見ると、綾那は居た堪れない気持ちにさせられる。


(…………お金がないって、辛い)


 運よくスタチューバーとして成功した綾那は、「表」では金に困る事などなかった。しかし今はこうして、アイドクレースの騎士に世話を焼いてもらわねば生活自体ままならない。そんな己を情けなく思いつつも、綾那はひとまず店の入り口で待っていようと移動を始める。

 すると、道中通りがかった机で、女性客の会話が耳に入った。


「これ、騎士団の『広報』の女性が撮影しているのよね? 良いなあ、広報になったら毎日騎士の姿を間近で拝めるって事?」

「良いわよねえ。広報って、どうすればなれるのかしら? 私も雇ってもらいたい――」


 綾那は彼女らの横を通りながら、胸中で「え、ソレじゃん!」と強い衝撃を受けた。


 よくよく考えれば、何も綾那一人で広報をする必要はないではないか。桃華の出演を渋られた時点で、勝手に「誰彼構わず演者にしてはいけない」と思い込んでいた。マスクで顔が見せられず、かといってスタイルもアイドクレース向きではない綾那は、動画に映り込む事ができない。であれば、広報向きのアイドクレース領民を厳選して、彼女らに演者をしてもらえば良い。

 領民が喜ぶような女性達を広報に据えれば、「騎士団に入れば、彼女らと共に仕事ができるのか」と思ってもらえるだろう。そうなれば、颯月が当初予定していた「女を餌に、新規入団者を釣り上げる」という手も使えるようになる。

 しかも騎士団で働く女性が増えれば、比例するように職場恋愛も増えるはずだ。


 今回の動画が話題になって、『広報』という役職に目を付ける女性が増えれば、万事解決ではないか。正直そうなると綾那はお役御免になってしまう訳だが、しかし、そもそも長期雇用されるつもりもない。あくまでも短期のお試し雇用、綾那は四重奏のメンバーと再会したら、「表」に戻らねばならないのだから。


(だからと言って、中途半端に投げ出す訳にはいかないか。だから、後進を育成するためにも……私が居なくなった後でも、変わらず騎士団のために広報をしてくれる女性達を集めなきゃだね!)


 どうしてこんな簡単な事に気付かなかったのだろうか。動画を撮影する楽しさに目が眩んでいたせいか。綾那は、会計を終えた竜禅に向かってニッコリと微笑んで礼を述べる。そして、本部に戻ったら早速颯月に新たなプランを話すのだと心に決めた。

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