第45話 新任挨拶

 アイドクレース騎士団に所属する騎士の総数は、およそ一万人。広大な領地全てに騎士を配置するには、あと五~六千人ほど人員が足りないらしい。

 領の中心、王都に常駐している騎士は約二千人。他八千人は別の町村に常駐――または、人手の足りない町村を常時巡回し続けているそうだ。


 ちなみに、王都に二千人常駐しているとはいっても、その全員が騎士団宿舎を利用している訳ではない。「表」でいう交番のような、騎士の駐在所が点々としていて――そこへ配属されている者は、宿舎からではなく自宅から通っているらしい。


 宿舎に住み込んでいる騎士は、指南役や役職もちなど、立場が上の者。そして、どちらかと言えばまだ熟練度の足りていない若手の騎士だ。

 この宿舎は主に――軍師として、騎士の育成を行う幸成を筆頭に――団員が巡回に耐えうるだけの実力を持てるようになるまで、若手の鍛錬をする場所なのだそうだ。


 現場で使い物になるようになるまで、ひたすら宿舎で鍛錬に励む。しっかりと力を付けたら、街の駐在所で働く先輩騎士の横で職務を学ぶ。そしてゆくゆくは、領内各地を転々とする巡回騎士になる。

 若手の拘束時間は、現場で働く騎士に負けずとも劣らずだ。鍛錬漬けの日々は過酷で大変だろう。しかし、右も左も分からない状態で各地へ飛ばされるような事はないと聞けただけでも、綾那は安堵した。


 話を聞く限り、騎士団とはなかなかにブラックな職場だ。新人騎士は入団してすぐ、馬車馬のように働かされているのではないか――と心配していたのだ。存外に教育制度はしっかりしているようで、何よりである。


「事前に伝えていた通り、颯月様より知らせがある」


 食堂の奥、厨房側を背にして立つ竜禅が、抑揚の少ない声色で告げた。食事中も、食事を終えてからも静かにしていた騎士らは、椅子の上で姿勢を正すと竜禅に注目した。


「今後の騎士団の在り方についても関わってくる事だ。心して聞くように」


 目元を隠すマスクのせいで表情が分からない上に、感情を読み取りづらい声色のせいか、竜禅の話し方は厳粛な感じがする。綾那としては、もう少しポップに紹介されたかったのだが――しかし騎士が相手なのだから、このぐらいおごそかな雰囲気になって当然なのだろう。


 薄っすらと扉を開けて、廊下から食堂の様子を覗き見ていた綾那は、そっとため息を吐き出した。


「そう緊張しなくていい」

「颯月さん」


 綾那は隣に立つ颯月を見上げると、「緊張しない訳がないです」と呟いた。なぜなら、今から『広報』としてだけではなく、この美しすぎる男の婚約者として紹介されてしまうのだから――。

 白肌で、髪が水色で、全くアイドクレースらしくない体形で、しかも竜禅と揃いのマスクで素顔を隠した、謎の婚約者。そんな女を紹介されても怪しさ満点ではないかと思うのだが、やはり綾那が素顔を晒すのは許されないらしい。


「不安なら、手ぇ繋いでてやろうか」


 目元を緩ませた颯月から大きな手の平を差し出されて、綾那は「昇天してしまいます」と首を横に振った。

 いや、初めて出会った日はずっと彼に手を引かれて歩いていたし、最近は髪を梳かれたり抱き締められたりと、常にスキンシップ過多である。手を繋いでどうこうなど、今更だ。

 しかし綾那は、あくまでも颯月の友人――の前に、一人のファンである。

 否応なしに颯月の方から触れられる場合は別だ。けれど、こうして選択肢を与えられた場合、答えは否に決まっている。というのは、そう気安く触れて良いものではないのだから。


「じゃあせめて、腕を貸そう――ちゃんと婚約者らしさを演出してくれ。アンタが嫌々やっているのがバレたら、俺は「見栄を張って偽の婚約者を披露する、可哀相な男」になっちまうだろう」

「そ、それは由々しき事態ですね!?」


 颯月が左腕を差し出せば、綾那はその腕に両手を巻き付かせた。

 彼の沽券こけんに関わるとなれば、グダグダ言っている場合ではない。「婚約者らしく見せろ」と言われれば、いくらでも触れてみせる。

 マスクのせいで颯月に目元は見えないだろうが、それでも綾那は、彼を見上げてにっこりと微笑んだ。


「お任せください! 颯月さんに恥をかかせるなんて、そんな事あってはいけませんから!」

「ああ、さすがは俺の自慢の友人だ」


 嬉しそうに笑う颯月の表情と、彼の「自慢の友人」という言葉に、綾那は感極まってウグッと呻いた。しかし、それとほぼ同時に食堂の扉がバン! と勢いよく開かれたため、肩を揺らして顔を上げる。


「ちょっとゴメン、いつまでイチャついてんの? 皆待ってるから、早く済ませたいんだけどさ」


 食堂の扉を開いたのは、幸成だった。彼は金色の瞳を半目にして颯月と綾那を一瞥すると、「さっさと入れって」と入室を促した。

 綾那は「イチャついてなんて――」と言いかけたが、しかし騎士の前で否定すれば、それこそ颯月の沽券に関わるため、グッと言葉を飲み込んだ。


「婚約したてなんだ、大目に見ろよ――なあ、綾?」

「え!? ……ええ、仰る通りです、颯様!」


 綾那の中で、いつの間にか「婚約者を演じる時は『颯様』呼びである」という方程式が出来上がってしまった。語尾にハートマークがつくぐらい甘えた声を出す綾那に、幸成はぼそりと「綾ちゃん、何もそんな無理しなくたって――いやまあ、良いんだけどさ」と複雑そうに呟いた。


 満足げな顔をした颯月は、腕に綾那を巻き付かせたまま食堂のド真ん中を突っ切って、竜禅の元まで歩いて行く。そして、その後方を幸成が付き従う。

 先ほどまでしんと静まり返っていた食堂が、今はざわざわと落ち着きがない。騎士らはどこか困惑した様子で顔を見合わせている。


(やっぱり私、怪しすぎるんじゃあ――それか、「颯月さんの婚約者がこんな女!?」っていうざわめき? それなら正直、分かる……神の相手は絶対に私じゃあない、力不足もはなはだしい)


 いくら「騎士は他領の女性を見る機会に恵まれているから、決して細身の女性こそが至高ではない」と言ったって、この場に集まる若手騎士は鍛錬中の身だ。他領出身の者でもない限り、アイドクレース人以外の女性を見る機会などないはず。

 つまり教会の子供達と同じように、綾那の事を「ムチムチ」とか「恥ずかしくないのか」とか思ったとしても、何らおかしくはないのだ。


 綾那は「せめて、防弾チョッキで胸を潰すべきだったかも知れない」「颯月さんの女の趣味が悪いと思われたら、どうしよう」などと不安に思いつつも、表情だけは上手く取り繕って、口元に笑みをたたえたまま颯月の隣を歩いた。


 やがて彼が竜禅の横に立つと、ざわついていた騎士達は姿勢を正して口を噤んだ。


「午後の訓練中に軽く話したが、俺の婚約者だ」


 颯月はおもむろに口を開くと、綾那の左手をとって軽く掲げた。ぴんと張り詰めた食堂の空気。ごくりと生唾を呑んだ音が、そこかしこから聞こえる。


「この通り、「契約エンゲージメント」も済ませてある」


 その瞬間、静まり返っていた食堂にワッと野太い歓声が上がった。聞けば「おめでとうございます!」「ついに団長が!?」「お幸せにー!」と、次から次へと祝福の嵐である。


 綾那は、マスクの下で目を瞬かせた。


(怪しさ全開のはずなのに、意外と好意的――? あっ、もしかして「立場が上の者から順に結婚すべし」っていう、暗黙の掟のせい? 団長の颯月さんを差し置いて身を固めるなんてできないって、ずっと他の団員さんから遠慮されていたらしいもんね)


 何はともあれ、好意的に受け止められるのは良い事だ。その方が広報として働きやすいし、何より騎士団長に婚約者ができたとなれば、他の団員も結婚に前向きになるかも知れない。労働環境改善の第一歩として、幸先が良いではないか。


(あれ――でもコレ、どうなっちゃうんだろう)


 綾那は四重奏のメンバーと合流したのち、恐らく各地の眷属を減らす旅に出るだろう。

 キュー曰く、天使の力とやらを取り戻せれば全員「表」に帰してもらえる――という話だった。「表」に帰るという事はつまり、颯月とはお別れするという事だ。

 今更ながら、こんな大々的に「婚約者だ」と発表していて、大丈夫なのだろうかと心配になる。


 いくらリベリアスの「婚約」がお遊びみたいなものだとしても綾那はいずれ居なくなるのだ。だからといって綾那の神、颯月が「どうも婚約者に逃げられたらしい」なんて揶揄されるのは、許されない。

 その時が来たら、いっそ綾那は死んだという事にしてもらわねば。


(まあ、いまだに誰とも合流できてないんだから――この調子じゃあ、ソレがいつになるのか分からないけど)


 綾那はぼんやりと考え込んだが、しかし掲げたままの左手を颯月に握り込まれて、ハッと我に返った。今考えるべきは、そんな先の事ではないのだ。


「綾には、ウチの広報を任せるつもりだ。今後アンタらと顔を合わせる事も増えるだろうが、くれぐれもおかしな真似は起こさんように――訳あって素顔は晒せんが、この俺が選んだ女だ。わざわざ見なくとも、どれだけイイ女か分かるだろう?」

「そ、颯様――少々、ハードルを上げすぎではありませんか?」

「ハードル? 謙虚なのも良いが、行き過ぎると嫌味だぞ。アンタ、何から何まで俺の好みなのに」


 綾那は、颯月の「好み」という発言一つで心臓を飛び上がらせた。しかし、なんとかキュッと唇を引き結んで、奇声を飲み込んだ。それでも白い頬が僅かに紅潮しているのだけは、目元のマスクでは隠せない。


 颯月が「釘を刺しておかないと、心配なんだ」と続ければ、食堂の騎士達はにわかに盛り上がった。口々に「団長の婚約者に手を出そうなんて気概のあるヤツ、ウチには居ませんよ」「あの団長が惚気のろけるなんて」「次は副長が婚約する番ですね!」などと囃し立てている。


 綾那の中で、騎士というのは真面目で厳格な者がなるイメージが強かった。しかしノリは、意外と体育会系らしい。上下関係はキッチリしているが、同時に和気藹々あいあいとしているというか、垣根がないというか。

 そうでなければ、団長が婚約者を得ただけでこれほど盛り上がらないだろう。


「綾、挨拶できるか?」

「あ、はい、勿論!」


 大勢の人間を前にして喋る機会など、一般人ではなかなか得られないだろう。颯月は綾那の様子を窺うように頭を傾けたが、しかし綾那は「表」でそれなりに有名人だったのだ。

 普段はカメラ相手に動画撮影してばかりだったが、トークショーやファッションショーなど、イベントのゲストとして招かれる事もあった。ゆえに――根本的に人見知りだが――ならば、人前で喋る事に対する抵抗は一切ない。


 綾那は一旦、颯月の腕から手を離した。そうして綾那が姿勢を正し、スウと息を吸い込めば、わいわいと盛り上がっていた騎士が水を打ったように静まり返った。


「――初めまして、綾那と申します!」


 その声は、広い食堂の端から端まで届いた。正直マイクでもあれば、ここまで声を張る必要はないのだが――ないものは仕方がない。綾那はそのままの勢いで挨拶を続ける。


「この度、アイドクレース騎士団の広報係に任命されました! 新規入団者の獲得、騎士の労働環境改善に尽力したいと思います! こちらの世情に疎く、何かとご迷惑をおかけするでしょうが――何卒よろしくお願いいたします!」


 言い終わると同時に深々と頭を下げれば、騎士は割れんばかりの拍手で応えてくれた。綾那はほっと胸絵を撫で下ろしてから、頭を上げる。

 ひとまず、最初の挨拶はこんなものだろうか。今後は騎士らに聞き込みを繰り返して、動画にできそうなネタを探る。広報としての初仕事――騎士の未来を左右する重大な仕事だ。失敗は許されない。


(頑張らなくちゃ)


 そうして決意を新たにしていると、不意に横から颯月に顔を覗き込まれて、思わずのけ反った。不意打ちで美しい顔を近づけるのは、本当に止めて欲しい。

 バクバクと早鐘を打つ心臓に静まれと言い聞かせながら、綾那は「どうしました」と首を傾げた。


「意外と物怖ものおじしないんだな、驚いた」

「仕事柄、人前に出る事が多かったので――」


 綾那がマスクの下ではにかめば、颯月は「ふぅん」と感心しながら、おもむろに綾那の腰を抱き寄せた。


「え? ちょっ、颯――」


 あまり強く抱き寄せられると、彼の体にぴったりと密着してしまう。綾那はつい、一旦距離を取ろうと両手で突っぱねそうになった。しかし騎士達が見ている手前、そんな事をしてはいけないと思い留まると、挙げられた両手は行き場を失い宙を彷徨う。


(ま、待って――何、顔が良い、近い、筋肉凄い、硬い、いい匂い、神、やばい、無理無理の、ムリィ……ッ!!)


 ――このままだと、幸せ過ぎて死ぬのでは? 一体いくら払えばいいのだろうか?

 ぐぐぐ、とぎこちない動きで颯月を見上げれば、彼は目元を甘く緩ませて綾那を見下ろしている。


「好みだ」と期待をもたせるような事を言って、外せない魔法の婚約指輪まで嵌めて。一体、颯月は綾那をどうしたいのだろうか。

 正直綾那は、メンバーの存在がなければとっくに彼のしもべ――もとい、言いなりになっていた自信がある。


(いやいやいや、でも、颯月さんは一夫多妻だから、絶対にダメだよ……! 恋愛スキャンダルどころじゃあない! スタチューバーって、芸能人以上にそういうの厳しいんだから! 浮いた話が出た途端にファンと再生回数が激減するって、聞いた事があるもの!!)


 脳内で必死に戒めながらも、宙に浮かせていた手をどさくさに紛れてそっと颯月の体に沿わせた綾那は、恐らく既に色々と手遅れである。

 そんな二人の様子を見せられる騎士達は堪ったものではないだろうが、しかし一人の若手騎士が、ぴんと腕を伸ばしながら口を開いた。


「団長とは、どちらで知り合われたのですか!?」

「え?」

「告白はどちらから!?」

「あ――」

「団長のどこが好ましいと!?」

「い、いや、えっと」


 一人が発言した途端に、待ってましたと言わんばかりに次から次へと騎士が口を開く。しかも、綾那が答えるよりも早く質問が追加されて、混乱してしまう。

 上手く回らない頭で颯月を見上げれば、彼は楽しげな笑みを湛えていた。そんな彼を見て思う事と言えば、やはり「宇宙一格好いい」である。


「ど、「どこ」って、言われても、そんなの、全部好きだし――あ」


 混乱したまま思わず零した本音に、食堂は一瞬しんと静まり返った。しかし、すぐにワッと歓声を上げた騎士達に、綾那の頬は見る見るうちに紅潮した。ついにはヒューヒューと冷やかされ始めて、ウウと呻いて颯月の背に隠れる。


「ご覧の通り綾は照れ屋だ、あまり冷やかすな」

「あと、隙あらば颯を口説く癖があるから、見たら止めてくれよ」

「面目次第もございません……でも、元はと言えば颯様が誘惑してくるから、不可抗力で――」

「してねえよ」


 笑いながら答える颯月に、綾那は胸中で「今だってスキンシップ過多で、えげつない誘惑をしてきたくせに」とマスクの下で目を眇めた。

 しかし綾那自身、本当にこの悪癖には注意しなければいけない。これから広報として、彼と同じ職場で働くのなら尚更だ。


 もし「団長の婚約者だから、好き放題しても許されて良いよな」なんて陰口を叩かれようものなら、それはイコール婚約者である颯月の威信を失墜させる事に直結する。


(そうだよ、仮とはいえ颯月さんの婚約者って肩書きを背負う以上、半端な仕事は許されない! やるぞ!)


 騎士達のためだけでなく、他でもない神――颯月のためにも、綾那はやる気を漲らせたのであった。

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