第9話 騎士の素顔

 森の中へ高い悲鳴を響き渡らせた綾那は、地面にへたり込んだままギュッと両目を閉じる。

 しかも、万が一にも男の姿が目に入らぬよう、完全に視界から外すために顔まで逸らした。


(な、何なの、この人……!?)


 しかし、彼の姿――その顔は、一瞬で綾那の目に焼き付いてしまっている。

 ドッドッと激しく脈打つ心臓が静まる気配はなく、動揺が隠し切れない。


「アンタが異大陸出身だからと、油断していた。鎧を脱いだ途端にコレとは……異大陸の人間ってのは、随分と差別意識が強いらしい」

「え? あっ、いや――」


 綾那から目線を外して、不快感を露にする男。

 彼の反応にハッと我に返った綾那は、ようやく己が人として失礼極まりない態度をとっている事に思い当たった。


 硬く閉じていた瞳を開くと、僅かに視線を上げる。

 ただ男の顔だけは視界に入れぬよう、彼の左胸に飾られた勲章辺りへ目を縫い留めた。


 彼が口にした言葉の意味は、正直ほとんど理解できない。ただ気が動転していたとは言え、物事には限度というものがある。

 理由はどうあれ、彼に不快な思いをさせたのは間違いなく綾那なのだから。


 綾那は大慌てで弁明した。


「そ、その、人として失礼な態度をとっている自覚はあります! でも、どうしても――あの、勘違いなさらないでください、だけど、お願いだからその場を動かないでください!」

「……勘違い?」


 鼻で笑いながら見下ろしてくる男に、綾那は一度深く息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出した。

 そうして意を決すると勢いよく顔を上げて、左胸の勲章から彼の顔へと目線を移す。


 その瞬間、綾那は思わずと言った様子で「あぁ」と、妙に艶めいた吐息交じりの声を漏らした。


「す、好きになっちゃいますから――」

「……………………は?」


 胡乱うろんな目をして思いきり首を傾げる男に、綾那はまた顔を逸らした。


 金メッシュが混じった、艶のある黒髪。

 肩よりも長いウルフロングは、顔周りの髪が邪魔なのか、紐でハーフアップに結われている。

 

 意志の強そうな上がり眉。瞳を縁取る長い睫毛。すっと通った鼻梁は高く、唇は薄く品がある。

 彼の放つ魔法によく似た紫色に煌めく瞳は、目尻が垂れ気味で色っぽい。


 肌は雪のように真っ白でシミ一つなく、男だと言うのに毛穴も見えず、まるで陶器のようだ。


 その整った顔の右半分には――怪我をしているのか――額から顎先まで覆い隠す、黒革の眼帯をつけている。

 目どころか顔半分を覆い隠したそれは、まるでオペラ座の怪人に出てくるファントムマスクのようだ。

 しかもよく見れば、アメジスト色の宝石まで散りばめられているらしい。綾那には知りようもない事だが、騎士とはそんなにも高給とりなのだろうか。


 顔半分を覆い隠しているため、文字通り魅力が半減しているはず。それでも彼の美貌は、暴力的なまでに綾那を惹きつけた。


(若かりし頃の絢葵あやきさんに似てる!!)


 そう。男の顔は、綾那が愛してやまない『宇宙一カッコイイ男』――絢葵のデビュー当時に似ているのだ。

 なんなら彼は、絢葵と違ってスッピンでこのクオリティ。全く末恐ろしい男である。


 しかも綾那が常々思っていた、「宇宙一カッコイイけど、絢葵さんの声って少し高いから、顔のイメージとちょっとだけ合ってないんだよね」。

 そして、「宇宙一カッコイイけど、私と身長があまり変わらないから、サイン会や撮影会で隣り合う時にヒールは履かない方がいいよね」という、絢葵ただの欠点を持ち合わせていない。


 ちなみに、これはあくまでも綾那個人の感想であり、はたから見れば絢葵にはもっと致命的な欠点が多々あるのだが――それは今いいだろう。


 彼は低く艶のある声の持ち主で、背は鎧を脱いだ状態でも190センチ前後ありそうだ。

 この男は既に、『絢葵に似た男』などではない。完全に上位互換の別物である。


 ――かれこれ十数年変わることのなかった綾那の『宇宙一カッコイイ男』ランキング1位が、初めて更新された瞬間だった。


 この顔を見てしまった以上、彼と行動を共にするのは非常にまずい。

 何故ならば、四重奏のメンバーよりお叱りをもらうこと間違いなしだからだ。


 そもそも綾那の好みドストライクの顔をもつ彼と過ごして、好きになるなと言う方が無理な話である。

 飢餓状態まで追い込んだライオンの檻に兎を放ち、「絶対に手を出すなよ」と言っているようなものではないか。それは一体どんな拷問だ。


(まんまと顔で好きになるなんて、皆に合わせる顔がない! 「またお前は、懲りずに顔からスタートして」って呆れられる! ……とにかく距離をとろう、突っぱねるしかない)


 目を閉じてググッと眉根を寄せた綾那に、男がどこか戸惑い気味に「なあ」と声を掛けた。

 綾那はその声にびくりと過剰に反応すると、目を閉じたまま矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「おっ、お顔と言い体格と言いお声と言い、その騎士服も眼帯もまるでビジュアル系の衣装みたいで、何から何まで最高なんです! 全部タイプで、もう本当に訳が分かりません……盆と正月が一緒に来てます!」

「盆と正月……」

「だからこそ、これ以上見たくないんです! 近づきたくもありません、ああ、なんておぞましい……! 悍ましいほど、暴力的な美! 私の唯一絶対神が誕生した瞬間です、ハッピーバースデーマイゴッド! こんなのもう、無理無理のムリ……!!」


 取り乱した様子を隠そうともせずに、両肘と両膝をついてワッと地面へ臥せった綾那。

 彼女を無言で見下ろす彼は、一体何を思うのか。


 ひとしきり男の美にひれ伏した綾那は、やがて何事もなかったかのように体を起こすと、また地面に座り込んだ。

 次に彼の立ち位置を確認するため、薄目を開いて様子を窺う。


 しかし、先ほどまで彼が立っていた場所には既に姿がなく、綾那は焦った。

 だからと言って不用意に辺りを見回せば、またあの暴力的な美の直撃を食らう事になる。


 綾那は、ウロウロと地面へ視線を這わせながら続けた。


「と、とにかく、眩しい貴方と一緒に行動する事はできません。街へ入るのは一旦諦めて、野宿します。だからもう、どうか私の事は放っておいてくださ――いやあぁあ! ヒッ、やだぁ!? やめてぇ! 来ないで、私に触らないでぇ!」

「なあ、まるでオークに襲われる婦人みたいな悲鳴はやめてくれ。さすがに傷つくだろう」

「お、オークってなんですか? ――もう! ダメ、好きになっちゃうって言ってるじゃないですかあ!!」


 いつの間に真横へ来ていたのか、至近距離から男に顔を覗き込まれた綾那は、絶叫と共に顔を逸らした。


 彼の顔はあまりにも危険だ。大慌てで飛び退くつもりが、頬を片手でギュムッと挟むように掴まれて動きを止める。

 しかもそのまま引き寄せられては、もう目を閉ざす事でしか抵抗ができなくなる。


 綾那はこれ以上その尊顔を目にしてたまるかと、両目を固く瞑った。


「一つ、忠告してやろうか」


 低い声が耳朶じだを掠めて、ヒッと両肩を跳ねさせる。


 あの顔が脳裏に焼き付いた後では、声を聴くだけでも心拍数が上がってしまう。

 もしかすると、とうに「好きになってしまう」などという段階は過ぎているのかも知れない。


 綾那は、ドッドッと騒がしい心臓の音を耳にしながら、彼の言う忠告とやらに意識を集中した。


「この状態で無防備に目を閉じるなんざ、どうかしているだろう。例え俺に何をされても文句は言えないな」

「ぅぐっ……!? ぐぐ、ぐぅう……っ!」


 確かに、これはあまりに無防備すぎる。それに気付いた綾那はなんとか目を開こうとした。

 しかし、目の前にあの顔が待ち構えていると思うと、まるで眩しいものでも見るように薄目を開く事しかできない。

 男に頬を挟まれているため――更にその薄目も相まって、神子として生まれたはずの綾那の顔は今、かなり残念な事になっている。


 まるで痛みに耐えるような声を出して、目をこじ開けようと震える綾那の姿に我慢できなくなったのだろうか。

 男は、思わずと言った様子で笑い声を漏らした。


「ふ、待て……折角の美人が、台無しなんだが――」

「や、やめて、近くで喋らないで! その顔で笑うのもダメ! す、好き――っじゃない! いけない! 違う! どうかお許しを……! 早くどこかに行ってくださいぃい……!!」


 失礼極まりない言葉ばかり吐いてしまっているが、きっと綾那が追い込まれている証だろう。


 そうしてパニック状態に陥っていると、不意に男の手が離れた。

 綾那はこれ幸いと、男から距離をとるためグッと両手を突き出した。しかし男は難なくその手を掴むと、僅かに口の端を持ち上げる。


「ちょ、ちょっと!? もう、さっきから……っど、ドキドキするから、気安く触らないでくださ――て、手ぇ超大きいんですけど……ッ! 素敵、もうやだぁあ……っ!」

「なあ。一つ聞きたいんだが……俺は今、振られてんのか? それとも口説かれてんのか?」

「え?」


 男の問いかけに、綾那は「ふむ」と自身の言動を思い返すように黙り込んだ。

 やがて彼女はハッとすると、まるで驚愕の事実とでも言いたげな迫真の表情で口を開いた。


「――めちゃくちゃに口説かれてますね……ッ!?」

「ブフッ……!」


 男は今度こそ噴き出した。体を折り、腹を抱えて震えている。


 彼から距離をとって突っぱねるはずが、一体どうしてこうなったのか。

 ただ存在しているだけでここまで綾那を惹きつけるとは、なんという顔面力だ。もしかしたら、彼こそ本物の悪魔なのではないか?


 綾那がごくりと生唾を呑んでいると、横で男が口を開いた。


「ぎゃ、逆ナンってヤツなのか? 初めてされた……っ」


 震えながら紡がれたその言葉に、綾那は聞き捨てならないと片眉を上げた。


「初めて? その顔で歩いていて、世の女性が放っておくはずがないでしょう。逆ナンどころか国の保護対象ですよ? 貴方の顔は完全無欠の至宝――って、もう! どうにも貴方は、隙が多いみたいですね!? 私の前で隙を見せないでください、また軽率に口説かれているではないですか!?」

「ハッハッハッ! も、もう、やめてくれ……! なんで俺が隙を見せた事になってんだ? 訳が分からん、面白すぎる」

「面白がっている場合ですか? もし私が本当に貴方を好きになってしまったら、どうしてくれるんです? 無責任な行いは今すぐに改めるべきですよ」


 綾那は、「それは一体、どういう脅迫だ?」と首を傾げたくなるようなセリフを、大真面目な顔で吐き続けた。


 そんな彼女を見下ろして、男は更に笑みを深める。

 ただでさえ妙な色気のある垂れ目を甘く緩ませた顔の威力は、それはもう凄まじく――綾那はくらりと眩暈を覚えた。


「別に、アンタみたいな女が相手なら喜んで責任取るぜ?」


 今の綾那にとって男の言葉は、まるで悪魔の囁きのようだ。


 綾那の脳内では、いつの間にか天使の姿を模した四重奏カルテットのメンバーが、「スターオブスター殿堂入り目前の今、恋愛スキャンダル、ダメ絶対!」と警鐘を鳴らしている。

 しかし、そんな天使らを上から塗り潰すように、この麗しい男の顔が一面へ広がっていった。


 彼は耽美たんびという儚い表現より、逞しい体格的にも美丈夫の方が似合う容貌だが――元々、綾那の想像する悪魔とはこういう妖艶な存在だったはずだ。

 やはり悪魔は、こうあるべきだ。決してヴェゼルのような大王イカスタイルなどではなく。


 ぐぅと喉奥を唸らせて、色々な言葉と欲望を飲み込んだ綾那は、プイッと男から顔を背けた。


「と、とにかく! 同行は断固、拒否いたします! 今は一人になりたいんです!」


 綾那の脳内では、知らぬ間に復活したメンバー天使がラッパを吹き鳴らして「偉い! やっぱり綾那は変わったんだ! 凄い!」と、口々に褒めそやしている。


 悪魔のような男の誘いをキッパリと断って、どこか悦に浸った様子で目を閉じた綾那。

 相当に危うい戦いではあったが、見事誘惑に打ち勝ってみせたのだ。きっと想像上の話だけでなく、実在するメンバーも褒めてくれるに違いない。


 誇らしい気持ちになって胸を反らせば、右手に何かが触れたのを感じて「おや?」と視線を落とす。

 すると、太く節くれだった男の指が一本一本絡み、己の手がぎゅうと握り込まれたのが目に入って――綾那は、弾かれるように男を見上げた。


「あ、あの!?」

「アンタはこの場限りの縁で終わらせるには惜しい、やっぱり俺と一緒に来い。……悪いようにはしねえから安心しろ」


 ――その顔になら悪いようにされても構わないから、心底困っているのだ。


 綾那は頑なに頷かず、その場を動かなかった。

 そもそも嫌がる婦女子を無理やり連行するなど、犯罪である。いくら唯一絶対神と言えども、やって良い事と悪い事があるのだ。


 それでも念のため「怪力ストレングス」のレベルを2から1に引き下げて――神に怪我をさせるなど、あってはならないからだ――彼に手を引かれても、その場にグッと踏み留まった。


 男はしばらくの間、黙って綾那を見下ろしていたが――不意に腰を屈めると、彼女の顔を覗き込んだ。

 綾那はぐっと顔をのけ反らせたものの、ここで負けてはならないと、目を逸らす事なく真っ直ぐに男を見返した。


「俺と関わるのが、そんなに嫌なのか……?」


 しかし、つい先程まで自信満々に笑みさえ浮かべていた男が、打って変わって悲しげに顔を歪ませたので、綾那は慌ててしまう。


(嫌とか嫌じゃないとか、そういう次元の話じゃない! これは私の、スタチューバーとしての矜持きょうじの問題であって、決して貴方が悪い訳では――!)


 綾那は頭の中でぐるぐると言い訳をつのったものの、上手く言葉にできずに黙り込んだ。

 そんな彼女から一切視線を逸らさずに、男は続ける。


「この顔が悪いのか? それともこの眼帯――いや、髪が? ……共に歩きたくないほど?」

「え、いや、その」

「生まれつきこうだったんだ、どうしようもないだろう? これが原因でいつも遠巻きにされちまう……まあ、こんなに醜いんじゃあ仕方がない――」

「だっ、だから、全部好みド真ん中なのがダメなんですってば!」


 綾那は「何が醜いか! 鏡の概念はないのか? この世界!」と付け足して、半ば自棄やけのように吠えた。

 どうも憂いを帯びた表情でしょんぼりと肩を落とす男の姿に、耐えきれなくなったらしい。


 はあはあと肩で息をする綾那に、男はにっこりと邪気のない笑みを返した。


「よし、じゃあ問題ないな」

「な、何が「じゃあ」なんですか? 問題しかないです」

「アンタ名前は?」

「え、ちょ、いきなり会話が一方通行になっていませんか。私の声が聞こえますか?」

「名前」


 畳みかけられた綾那は、どうもこの男からは簡単に逃げられそうにないと観念して、そっとため息を吐いた。


「……綾那です」

「じゃあ綾、こっちだ」


 ――「綾」。まさか初対面の男に、愛称で呼ばれるとは。


 目を瞬かせた綾那の手を引いて、男が歩き始める。

 仕方なく「怪力」を解除した綾那は、まるで付き従うように後ろを歩いた。しかし、不意にグイッと腕を引かれて隣まで進むと、彼は満足そうな笑みを浮かべながら見下ろしてくる。


(逆ナン初めてとか、遠巻きにされるとか、絶対に嘘! 明らかに女慣れしてるじゃないですか!)


 などと思ったものの、愛称で呼ばれたことに少なからず心躍らせてしまった綾那は、完全に敗北している。

 もしこの場にアリスが居れば、こんな酷い事態にはならなかっただろうに――。


 綾那は横を歩く男の顔をちらりと盗み見て、またすぐに逸らした。

 アリスの「偶像アイドル」に釣られた彼の姿を思い浮かべると、何やら複雑な気分になってしまう。


(もうちょっとだけ、このままが良い……かな)


 ――絶対に怒られるけど。


 それが分かっていても男から離れられない綾那は、やはりメンバーが危惧きぐする通り、昔から何一つとして変わっていないのだろう。

 綾那は真っ直ぐに前を見据えて、ふと別れたばかりのキューの事を思い出した。


 色々と複雑な思いはあるが、この男との出会いは綾那にとって「ちょっと良い事」に違いなかった。


(疑ってごめんなさい、キューさん)


 東の空へ飛んで行ったキューに届くはずもないが、綾那は心の中でひっそりと謝罪したのだった。

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