第8話 鎧の騎士

 暗い森の中、何かが地面を這いずる不気味な音が響く。木々の隙間から見える空――深海は黒一色で、当然星の瞬き一つない。辺りに街灯もなく、森に届くのは頼りない魔法の光源だけだ。


 ほんの数時間前、「表」で魔獣狩りをしていた時とシチュエーションは似ている。

 ただ違うのは、頼れる囮役が不在で、この森には綾那一人しか居ないという事。強いていうならば、綾那自身が囮――いや、獲物なのだ。


 キューは、悪魔を倒すには強力な魔法が必要だと言っていた。だから、魔法を使えない綾那には討伐できないのだと。それは聞いたが、しかし切り落とした体の一部が意思を持って襲い掛かってくるとは、一言も聞いていない。

 キューは、なぜ綾那に「足を切ればいい」なんて提案したのだろうか。もしかすると、あちらの依頼は保留したくせに、自分の願いだけはちゃっかり押し通した綾那へ対する、意趣返しのつもりなのか。


(キューさんなら有り得る! まだあの人の事よく分かってないけど、可愛らしいお声に反してなかなかに腹黒いという事は、十分に察したもの!)


 綾那は、森の中を全力疾走しながら涙目になった。


(いや、でもそういえば、別れ際に「街へ急いだ方がいい」みたいな事を言っていたような!? もしかすると、この事態を予測した上で忠告してくれていた? いやいや、忠告するなら、ハッキリ言ってくれないと分からなくない? ああ、もう、まさかそんなにご立腹だとは思わなかった、キューさんごめんなさい!!)


 大蛇がずるずると地面を這う音が、段々と近づいている気がする。恐らく、疲労から綾那の走る速度が落ちているせいだろう。

 しかし逃げずに応戦したところで、相手が悪魔である以上は綾那に勝ち目なんてない。それどころか、攻撃すればするほど分裂して、あの蛇が増殖する未来さえ目に浮かぶ。


 悪魔から生まれたモンスターと共に街へ向かうのは少々気が引けるが、今は綺麗事を言っている余裕がない。このまま街まで逃げきって、街に住む魔法使いとやらが蛇を何とかしてくれる事を祈るしかないだろう。


 ただひとつ問題があるとすれば、街の明かりはまだ遥か先にあるという事だ。


「でもキューさん、良い事あるかもって、言ってたから……! 諦めるには、まだ早い――!」


 折れかけの心を奮い立たせるように前を見据えて、綾那は息を弾ませる。思えば、今日だけで何度、絶対絶命を迎えたのだろうか。もう綾那には、「無理無理のムリ」と叫ぶ気力さえ残されていない。

 もつれそうになる足を動かして、とにかく走り続けるしかないのだ――。


 ――と、その時。いきなり綾那の頭上に暗い影がかかった。


「え」


 見上げると、地面を這っていたはずの大蛇がその巨体を器用に跳ね上げて、綾那目掛けて降ってくる姿が見えた。

 あの体躯に押し潰されたら、確実に行動不能になるだろう。これはさすがに応戦するしかない。しかし倒せない、切れば増殖の恐れがある現状できる事と言えば――せいぜい、蛇の着地点を逸らすために横っつらを殴るぐらいだろう。


 綾那は足を止めて右手を強く握りこむと、覚悟を決めた。

 そうして綾那が蛇と向き合い、握り拳を振りかぶった――その瞬間、蛇の体がぱっくりと半分に裂ける。裂けた部分には鋭い牙がこれでもかと並んでいて、人ひとり頭から容易に飲み込める大きさの口に変化した。


 その姿は最早蛇ではなくて、SF映画に出てくる地球外生命体である。


(あれっ、これ、ダメなヤツだな――)


 死の間際に時間の流れが遅くなるというのは、どうやら真実らしかった。残念ながら走馬灯は流れなかったが、綾那を頭から飲み込もうと開かれた異形の口が迫ってくるのは、酷くスローモーションに感じる。


 今更「怪力ストレングス」のレベルを上げるのは、間に合わない。殴るつもりで足を止めたため、蛇をかわす事すら叶わない。

 こうなってはもう、綾那に打つ手は何一つない。その事実だけが、やけにすんなりと理解できた。ただ「走馬灯でもいいから、せめてもう一度皆に会いたかったな」という心からの呟きと共に、綾那は目を閉じる。


 しかし綾那を襲ったのは、地球外生命体から与えられる痛みではなく――瞼を閉じていても目を焼かれる程の眩しい閃光と、耳をつんざくような轟音だった。


「な、なに!?」


 突然の事に身を縮こまらせ、それから慌てて目を開いた。けれど、瞼越しに受けた閃光があまりにも強烈だったため、視界は白んでチカチカと瞬いている。

 視界を奪われるどころか眩暈までして、綾那はふらりと体を傾かせた。

 そのまま、危うく後頭部から地面へ倒れ込むところだった彼女の肩を、硬い感触の何かが支える。


「――なんだ、やけにしぶといな」

「う……?」


 綾那の耳に届いたのは、くぐもった低い声。間近で聞こえた声の主を探すため、くらくらと揺れる視界の焦点を必死に合わせる。


 綾那の肩を支えているのは、紫紺色の全身鎧に身を包んだ人の腕だった。足先から頭まで完全に鎧で覆われていて、素性は分からないが――低い声と体格からして、男だろう。声がくぐもっているのは、顔を覆い隠すフルフェイスヘルムのせいだ。


 身長約170センチの綾那よりも頭一つ以上高く、その背丈は二メートル近いだろうか。広い背中には――どういう原理で固定しているのか、謎だが――飾り気のない漆黒の大剣を、抜き身のまま背負っている。


(誰だろう、この人? 鎧……騎士――?)


 自分の身に何が起こっているのか分からないまま、綾那は鎧の男をじっと見つめた。恐らく、この辺りが目だろう――という部分を見ながら幾度か目を瞬かせたところで、視線に気付いたらしい鎧の男が頭を傾けて、綾那を見下ろす。


 すると男は、なぜびくりと体を硬直させた。しかしそれも一瞬の事で、鎧の中で短い咳払いをしたあと、綾那の肩に添えていた腕を下ろす。


「動けるなら、下がっていてくれるか」


 彼の言葉にハッと我に返った綾那は、慌てて辺りを見回した。そういえば自分は、あわや地球外生命体に捕食されるところではなかったか――と。

 ひとまず言われた通り男の後ろへ下がれば、ちょうど正面に、何かが横たわっているのが目に入った。


(もしかして、ヴェゼルさんの足?)


 真っ白だった体躯は、何故か黒く焼け焦げている。まさか先ほど綾那の視界を潰した閃光の正体は、魔法か何かだったのだろうか。

 であれば、鎧の彼によって倒されたという事か――なんて思ったのも束の間、ぐぐ、と身じろいだ黒焦げの物体に、綾那はヒエッと上げかけた悲鳴を飲み込んだ。


(あんな姿になっても、まだ生きてる!)


 こんな生き物が蔓延はびこる世界、魔法が使えない綾那が生活するにはハードモード過ぎる。そもそもギフトが通じなければ、綾那なんてただ派手なだけの女に過ぎない。

 しかも不幸な事に、ヴェゼルには顔を覚えられてしまった。今後もこうして、綾那を害そうと地球外生命体を送り込んでくる可能性がある。

 そうなれば奈落の底に居る間、常に命の危機に晒される事になるではないか。己の身を守る手段もなしに、メンバーを探すなんて甘い事を言っている場合ではない。


 思わず頭を抱えていると、鎧の男が背に担ぐ大剣を手に取った。あれだけの大きさでは、かなりの重量があるだろうに――片腕一つで悠々と大剣を構えたその立ち姿は、剣の重みを全く感じさせない。


「――響け雷鳴、紫電の咆哮」


(え……っ、わあ、もしかしてコレ、魔法の詠唱!?)


 鎧の男が言葉を紡ぐと同時に、辺りの空気がぴんと張り詰めた。

 彼を中心に見えない何かが渦巻き、空気が薄まっていくような感覚。これがキューの言っていた、マナを体内へ取り込み、魔力に変換するという事だろうか。

 綾那は初めて見る光景に、己の置かれた状況も忘れて心を躍らせた。


「万物を穿つ閃光、つるぎを満たせ――「属性付与エンチャント」」


 何もない空間に大きな火花が飛び散ったかと思うと、彼が持つ大剣の刀身目掛けて、紫色の雷が落ちた。

 刀身全体を覆い、まるで稲妻が走るようにバチバチと不穏な音を立てる紫色の光。その光は妖しく、そして美しく、綾那はほうと感嘆の息を漏らした。


 鎧の男は大剣を下段に構え直すと、いまだ横たわったままのヴェゼルの足目掛けて真っ直ぐに駆け出して、得物を真横に一閃する。

 たったそれだけの動きで、ヴェゼルの足は真っ二つに切り裂かれた。しかも、まるで追撃するように紫色の雷に身を焼かれて、跡形もなく爆発四散したのである。

 体が塵一つ残らず吹き飛べば、いくら悪魔の一部でも再生できないだろう。


 男は汚れを払うように大剣を振るうと、再び背に担いだ。あの大剣も、魔法の力で磁石のように固定されているのだろうか。

 両腕を組んだ男は、何事もなかったように綾那を振り返った。


「怪我は?」

「へ? あ……いえ、ありません! あの、ありがとうございます、お陰様で命拾いしました」


 綾那は魔法の幻想的な輝きに目を奪われていたが、ハッと我に返ると慌てて頭を下げた。


「いや、いい――?」

「それで……?」


 彼の言わんとしている事が上手く理解できず、綾那は首を傾げる。


 ――それで、とは。もしかすると口先だけの謝礼ではなく、金銭を要求されているのだろうか。命を救ってもらったからには、綾那とてそれ相応の礼をしたい。しかし、この国の貨幣がどんなものか未知数の綾那には、少々荷が重い要求であった。


 すっかり困ってしまって、尻眉を下げる。何も答えられない綾那に、男は焦れたように続けた。


「こんな夜中に、森の中で女一人。何をしていた?」


 その言葉に、綾那はなるほどと納得した。

 鎧の彼は、こんな夜中に女性一人で森の中を徘徊していた理由――その説明を求めているのだ。

 と言っても、一体どう説明すればいいのか。馬鹿正直に「実は、「表」から「転移テレポーテーション」で飛ばされましてね」なんて言ったところで、恐らく「なるほど、それは大変だ」とはならないはずだ。


 そもそもギフトがない世界の住人に、「転移」の話をしても良いのだろうか。この場所が奈落の底だとか、自分は「表」の海を沈んでここまで辿り着いただとか――そんな事を話したら、頭のおかしい人間と思われないだろうか。


 この世界の神キューだって、こちらの住人には認知できならしい。であれば詳細は伏せて、フワッと誤魔化しながら説明するのが賢い選択なのではないか。


(ただ誤魔化すにしても、この世界の知識が圧倒的に足りない。下手な事を言っても、ボロが出るだけかな)


 綾那は悩んだ末、嘘はつかないと決めた。ただし、仔細は濁すしかない。


「実は私、海の向こうから攫われてきたんです。それが、気が付いたらこの森に放り出されていて……どうやって連れてこられたのかも、この国の事も何一つ分かりません。私を攫った犯人の行方も知れず、一緒に居た家族とも離れ離れになってしまって――手の打ちようがない状態です」


 嘘は言っていない。

 綾那は海を越えて攫われて来たし、犯人グループの目的を知らないし、家族の居場所も分からない。

 鎧の男は思案するように、右手をヘルムの顎先に添えた。


「海の向こうというと、南のセレスティンか? いや、だがアンタのその肌色は、明らかに――まさかルベライトの北にある氷河の向こう、異大陸の人間なのか?」

「えっと……セレスティンもルベライトも、聞いた事がありません。それに、肌色――?」


 綾那は両腕を軽く持ち上げて、指摘された肌色を確認する。

 普段、アスレチックやアウトドア系の動画は陽香とアリスが主だって撮影していたため、綾那は屋外で活動する機会が少なかった。唯一頻繁に外出していた魔獣狩りは、大概日が落ちてから。その上、元々日に焼けにくい体質だ。よって綾那は、メンバー随一の白肌の持ち主である。


 この国の一般的な肌色が分からないが、もしかすると、白い肌の人間が珍しいのだろうか。周りから変に浮くのは困る。


(困るけど――でも体質的に焼けないんだから、どうしようもないものね)


 綾那は取り留めのない思考を振り払うように頭を振ると、鎧の男へ向き直った。


「私は魔法が使えません。先ほど、偶然通りがかった親切な方が、色々と世話を焼いてくださったのですけれど――お相手は東へ急いでいて、魔法の使えない私を連れてはいけないと。ひとまず近場のアイドクレース領へ向かうよう勧められたものの、不運な事に悪魔と出くわしまして。応戦したんですけどダメで、結果さっきの蛇に追われていました」

「へえ、魔力ゼロ体質とは珍しい……だが、異大陸の人間なら頷けるな」


 色々と端折はしょってはいるが、これも嘘ではない。どうやら鎧の男はかなり不審に思っているようだが、なんとか見逃してほしいところである。

 それは、こんな夜中の森で悪魔に追われる女など、怪しさ満点だろうが――しかし綾那だってこんな状況に困り果てており、なんなら疲れ果てており、今後どうしていいか分からずに途方に暮れたい気持ちなのだ。

 

 綾那は思わず、ふうと小さく息を吐いた。鎧の男は綾那の正体を見定めるようにじっと動かなかったが、やがて一つ頷いた。


「さっきの蛇は、悪魔の一部だった訳か……ただの眷属にしてはしぶといと思ったんだ。あれは魔力ゼロ体質だと為す術がない、アンタよく生きてたな」

「それは、貴方が助けて下さったからですよ。重ねてお礼申し上げます」


 改めて深々とお辞儀をすれば、鎧の男はまた何事か考えるように腕を組んで、真っ直ぐに綾那を見ろした。彼の目はヘルムで見えないが、不審者の一挙手一投足を見逃さない――そんな視線を感じる気がする。


(なんだか、警察官に職質されているみたい。この人こそ、どうしてこんな夜中に森の中に居たんだろう――見回りかな? だとしたら、ますます警察っぽい。恩人に対して申し訳ないけれど、本当に疲れてるからそろそろ街へ向かいたいな)


 綾那に対する不信感は拭えただろうか。別に、街の者を害そうとか、悪魔と結託して何かしようとか、そんな悪い事はこれっぽっちも考えていない。だから、平にご容赦願いたい。


 綾那は今、キューに言われた通りの行動をするしか選択肢がないのだ。アイドクレースで待っていれば、きっとキューが四重奏のメンバーを集めてきてくれるはず。その時を信じて、待つ事しかできない。


 しかも綾那は、ヴェゼルとの邂逅からずっと「怪力ストレングス」のレベル1を発動したままになっている。

 奈落の底へ落ちてからというもの、次から次へと襲われたため、警戒が抜けなくなってしまったのだ。今ならいつでも、負担なくレベル2まで引き上げられる状態をキープしているのだが――例えレベル1でも常時発動していると、さすがに疲労が溜まってくる。


 一刻も早く安全な場所へ行きたい。そして「怪力」を解除して、ゆっくり休みたい。

 疲労と精神的なストレスから段々と遠い目をする綾那に、鎧の男は腕組みを解いて歩み寄る。


「アイドクレースは俺が住む街だ。魔法が使えないなら、帰るついでに護衛してやるよ」

「えっ、良いんですか?」


 彼の提案は、綾那にとって大変ありがたい申し出だった。

 ヴェゼルが再び地球外生命体をけしかけてきた場合、魔法の使えない綾那では対処できない。だが魔法を使える彼が共に居てくれれば、難なく退けてくれるだろう。


(いや、でも、だけど。いくら悪魔から助けてくれた親切な方とは言え、見ず知らずの男性にホイホイついて行ったなんて事が、もしも皆にバレたら――)


 綾那はビジュアル系が大好きで、しかも面食いだ。

 特に宇宙一好きなバンド『ユグドラシル』のギタリスト、絢葵あやきに似た顔と見れば、どんなクズ男でも簡単に好きになってしまうため、四重奏のメンバーからよく苦言を呈されていた。


 そもそも、絢葵自体がファンからクズ男と認知されているほど素行が悪い。「宇宙一カッコイイ絢葵さんでも中身はクズなのだから、それに似ている人がクズなのもまたしかり」とは、綾那の言である。


 加えて、生来ダメでなかった者まで綾那に甘やかされて、ダメになる事も多かった。

 それは、あまりのダメ男製造機ぶりを危惧したメンバーが、アリスのギフト「偶像アイドル」を活用して、綾那から男を取り上げるようになってしまった程だ。


 人前に出る仕事をしている以上、スキャンダルだけは起こしてはならない。だから、交際相手がクズ男ではダメなのだ――と強く説かれて、そこまでメンバーの手を煩わせた事に、今では綾那自身も反省している。

 ただ反省するのが遅かったようで、綾那が生活態度を改めた頃には、メンバーが異性交友について過干渉気味になってしまったのだ。


 いくら「もう顔では好きにならないから平気だよ」と口にしても、「嘘つけ」「まだ絢葵のファン辞めてない時点で、お察しなんだよ」「顔でしか恋愛ができないダメ女」などと、こっぴどくこき下ろされる日々。

 スタチューの業務上どうしても異性と会話する必要がある場合は、相手が絢葵に似ていようがいまいが、必ずアリスの同席を義務付けられて――気付けばここ二、三年、綾那はおひとり様を強いられている。


(目を離している隙に、ハメを外したのか――なんて罵られた日には、しばらく落ち込む自信がある)


 綾那は散々迷った結果、やんわりと首を横に振った。


「大変、ありがたいのですが……魔法は使えませんけど、こう見えて腕っぷしには自信があるので、一人でも平気です」


 そのまま「また悪魔が出たら、その時は走って逃げますね」と笑顔で付け加えれば、鎧の男はやや間を置いてから、大きなため息をついた。


「騎士の俺と共に行動すると、なにか不都合があるのか?」

「へ?」

「確かに、刃渡りがやけに短いとはいえ帯剣してる。ただ、特別鍛えているようには見えねえし、信憑性がねえし……説得力もねえ。嘘をつくなら、もう少しまともな事を言ったらどうだ?」

「あ、そっか、ギフトが――」


 奈落の底には、魔法がある代わりにギフトがない。表であれば「こう見えて腕っぷしには自信がある」と言えば、「ああ、「怪力」もちか」で済むのだが、こればかりは仕方がない。


 綾那は、じっと目の前に立つ男を見やった。

 身長二メートル近くてガタイも良いとはいえ、見たところ体重は八十キロから九十キロぐらいだろう。

 フルプレートアーマーの重量は、「表」ではだいたい二十キロから四十キロ。背に担ぐ大剣の重さは未知数だが、極端に刃の厚みがある訳ではないので、いっても三十キロ前後だろうか。


 装備全て合わせても、二百キロ未満――であれば、レベル2で十分に事足りる。


「すみません、見てもらった方が早いので、協力していただけますか?」

「は? 何……を――っ!?」


 綾那は男の返事を待たなかった。そうして素早く両手で男の胴を掴むと、まるで幼子を「高い高い」とあやすように軽々と持ち上げて見せた。

 ギフトに溢れた「表」では珍しくもなんともない光景だが、ギフトのない世界では、さぞかし不気味に映るだろう。


 男は己の身に何が起きているのか、いまいち理解できないようだ。ただ無言のまま、じっと綾那の顔を見下ろしている。

 しばらく沈黙が続いたのち、彼は自分を持ち上げる綾那の二の腕を篭手の指先でぷにぷにと数度摘まんで、こてんと首を傾げた。続いて、目線が胸の膨らみへ落とされたような気がして――彼の言わんとしている事を察した綾那は、ふふっと小さく噴き出した。


「あの、一応、女ですよ?」

「――失礼。いや……いや、マジか? どうなってる、魔力ゼロなんだろう? つまり『身体強化ブースト』じゃあ、ないんだよな――」

「魔法は使えませんが、私の国にはギフトという特殊な力があります。種類は多種多様、生まれついての力なので、己の意思では取捨選択できませんが……私のコレは、とても力持ちになれる能力です」

「よく分からねえが――なるほど? 確かに腕っぷしは強いらしい」


 納得した様子の男ににっこりと笑いかけてから、綾那は彼を慎重に地面へ下ろした。


「では、そういう事ですので、私はこれで――」


 お勤めご苦労様です。心の中でそう呟いて踵を返そうとする綾那に、しかし鎧の男は首を横に振った。


「他国から無理やり連れてこられて、アンタ通行証は持ってるのか?」

「……つーこーしょー?」

「通行証がなければ街に入れねえぞ」


 綾那は頭痛がするような気がして、手で額を押さえながら立ち止まった。


(キューさん、どうして色々と大切な事を教えてくれないんですか……!)


 とにかくキューは、言葉が足りない。

 もしかすると、天使であるから人間の暮らしには疎いのかも知れないが――しかしこの世界をつくった神を自称するからには、最低限の決まり事くらいは把握しておいて欲しい。


「やはり、俺と行くのが最善だと思うが? 騎士の俺なら、通行証のないアンタでも街の中まで連れていける」

「あの、本当にありがたいのですけれど……どうして、そこまで良くしてくださるんですか?」

「騎士は人を守るもんだろう――っていうのは建前で、正直アンタに個人的な興味があるのは確かだな。ここで逃すのは惜しい、もう少し話がしたい」


 バカ正直な好奇心をぶつけてくる男に、綾那は四重奏のメンバーを思い浮かべた。

 今や、相手が絢葵に似ていようがいまいが、男であれば総じて接触を禁じられている。きっと全員、怒るのだろう。


(でも、他に手がない。キューさんにも、街で待てって言われてる。ああもう――良いか、疲れちゃった。今回だけ許して、皆。そもそも騎士さんの顔見えないし、別に顔に釣られてホイホイついて行く訳じゃあないし? ね? 今回は不可抗力だよ、仕方ないよね?)


 脳内でひとしきりメンバーに対する言い訳を募ると、綾那は意を決して鎧の男に向き直った。


「では、よろしくお願いいたします」


 ぺこりとお辞儀をした綾那を見て、鎧の男は微かに笑った。そして、おもむろにパンと拍手かしわでを打ったかと思うと、彼の体を紫色の光が覆い隠す。


「わ!?」


 綾那は、突然光り始めた男の眩さに目を瞑った。

 やがてその光が収束し、辺りが暗がりに戻ったところで恐る恐る目を開けば――男が身に纏っていた全身鎧が、消えてなくなっていた。


 代わりに彼が身に纏っているのは、黒を基調とした騎士服。鎧を脱いでも体格が良いのは変わらないようで、服の上からでもよく鍛えられた体だという事が分かる。


(わあ、あの鎧も魔法だったんだ)


 本当にファンタジーな世界である。そんな感想を思い浮かべながら、ふと視線を上げて――そこで初めて、彼の顔を見た。

 その瞬間、綾那はヒッと喉奥を引きつらせると、腰を抜かしてぺたりと地面に尻もちをついた。


 はたから見れば、まるでパニック映画で恐ろしい化け物と邂逅した時のモブだろう。綾那の反応を受けた男は、不快そうに――しかし、どこか自嘲するような歪な表情で――眉根を寄せた。

 そんな彼に悪い、いけないという思いとは裏腹に、綾那は森へ悲鳴を響き渡らせてしまうのだった。

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