霊媒詐欺師と赤い指輪

秋村 和霞

霊媒詐欺師と赤い指輪


 雑居ビルの一角を借りた私の事務所の監視ルームで、コーヒーを入れている時の事だった。


「如月先生。お客さんっぽいよ」


アルバイトの弥生が、モニターを凝視しながら言う。彼女には入り口に仕掛けた監視カメラのチェックを命じていた。


「どんな奴だ?」


「服はボロボロ、髪はボサボサ。足も引きずってるし、多分だけど浮浪者かな。入り口の前を行ったり来たりしてる。頭おかしくなっちゃった人かも。どうする?」


「見せてみろ」


 私は彼女の監視モニターを覗き込む。モニター机の上には、テキストと書きかけのレポートが広がっていた。要領のいい女め。


「……金はなさそうだが、事務所の前で居座られても困る。話だけは聞いてやるか。中に入れるから、大学のレポートは中断して、入り口と執務室の監視カメラをモニターしてろ。様子がおかしければ監視カメラに向かって合図するから、そうしたら警備会社に連絡。いいな?」


 弥生は無言で敬礼のポーズをとる。

 私は監視ルームの扉を開け、執務室を通り入り口の扉を開ける。


「ようこそ、如月霊媒相談所へ。ご用件があれば中でお伺いしますよ」


 勢いよく扉を開けたせいか、男はぎょっと身を引く。

 もちろん、これはわざと行った事だ。逡巡している相手を驚かせてやれば、中に招かれたとしても入りにくい。このまま帰ってくれると嬉しいのだが。


 男はか細い声で応対する。


「こ、こちらで結構です。あの、これを……」


 何かを握りしめた手を差し出されて、反射的に私も手を伸ばしてしまう。

 男は素早い手つきで、握ったいた物を私に渡し、早口でまくし立てる。


「これを預かっていてほしいのです。霊媒師さんなら大丈夫だと思うので。明日取りに来ます。もし来なければ、依頼料として売り払って頂いて結構です。それでは」


 そう言って、男は脱兎のごとく駆け出す。私は何が何だか分からず、ただ茫然とその場に立ち尽くした。


「帰ってくれてよかったねー。何か貰ったっぽいけど、どうしたの?」


 背後から弥生の声がして、我に返る。


「モニター室で監視してろと言ったはずだ!」


 私は弥生を一喝する。弥生は悪びれた様子も無く「課題の続きに戻りまーす」と返事をして、モニター室へと引き上げていく。


 執務室に戻ると、デスクの上に先ほど入れたコーヒーが置いてある。弥生が気を利かせて持って来てくれたのか、勉強の邪魔だから監視室に戻って来るなという圧なのか。私はぬるくなったコーヒーを一口飲んでデスクに座り受け取った物をまじまじと見る。


 それは小さなルビーの付いた指輪だった。先ほど男の手油でベトベトに汚れていたが、清掃すればそこそこの値がつきそうだ。


 しかし、一体これはどういう事なのだろうか。


 あの男の身なりからは想像のできない品だ。それに、うちは物を預かる商売はしていない。


 ここは除霊やお祓いを生業とする、如月霊媒事務所だ。もちろん、それは表向きの話。実際に行っているのは、霊媒にかこつけた詐欺だ。


 もっとも、私はこの商売をカウンセラーの一環だと考えている。精神的に追い詰められた人に悪霊の存在を信じ込ませ、その霊を祓う事で精神を安定させる。悩みの多くは、心持一つで解決してしまう事を逆手に取った商売。我ながら、よく考えたものだ。


 しかし、そんな商売をしている私の元に、指輪を預けるとは、一体どういう了見なのだろうか。


「まあ、関係ないか」


 私は監視カメラに合図をする。程なく、監視室の扉が開く。


「なに? 私忙しいんだけど」


 弥生がぶっきらぼうに聞く。彼女は、私の元に舞い込んできたある依頼をきっかけに知り合った、近所の大学に通う女子大生だ。私の仕事を知りつつも、アルバイトとして仕事を手伝ってくれている。


「この指輪の写真を取れ」


「ほい」


 理由も聞かず、彼女は取り出した自分の携帯端末で、指輪を様々な角度からカメラに収める。そして、取った写真を私に見せる。


「こんなもんでいい?」


「十分だ。それを私に転送するように。あと、暇ならこの指輪の出処を調べてくれ」


「え? 一応やるけど、無理でしょ」


「ああ、分かってる。ダメ元だよ」


 そして私は指輪をポケットに入れ立ち上がり、コートを羽織る。


「どこ行くン?」


「私もこの指輪について調べる。何かあったら連絡入れろ」


 私は事務所の外に出た。





 電車を乗り継いで、顔なじみのやっている質屋へと行く。


「おい望月、いるか?」


「お、如月じゃないか。またヤバメな品を押し付けに来たのか?」


 私は時折、依頼者の持つ高価な品に呪いをかける事がある。貴方が不幸に見舞われるのは、この品が原因だ。私が安全に処分するから預かる。そんな具合に。


 そして、預かった品はこの望月に押し付ける。質屋を営む彼ならば、足を残さずにそういった品を売り払う術に長けているのだ。


「支払いができない客から、依頼料として受け取った物だ。盗品の可能性もあるんで、その辺り気を付けてくれ。ただ、少し強引にふんだくったんで、依頼主からいちゃもんつけられる可能性もある。念のため処理は数日待ってもらえると嬉しい」


 嘘をつくときは真実の中に紛れ込ませるのが常套手段。


 望月は私が詐欺師である事を知っている。故に、彼に物を買い取ってもらうと、足元を見られてしまう。だから、私は望月に指輪を売る気などない。あの浮浪者が指輪を取りに戻ろうが戻るまいが、私はこの指輪を引き取りに来るつもりだ。


 ここで彼に指輪を預けるのは、この指輪の出処を彼に調べさせる為だ。非合法な品を扱う質屋である為、物の出処については非常に神経質だ。


 そんな真意を知ってか知らずか、彼は指輪を預かると「心得た」とだけ返事をした。


 私は返事を聞くと同時に、店からそそくさと立ち去る。この手の商売は、横の繋がりを悟られるのは命取りだ。私は日の傾いた街の中、駅への道を急いだ。





 事務所に戻ると鍵が掛かっていた。


 厄介な客が来たときの対策として、監視室からリモートで鍵を閉める事ができるようにしてある。そうして、居留守を決め込み煙に巻く。恐らく、弥生が自分の判断で鍵を閉めてくれたのだろう。


 財布から鍵を取り出すのが億劫で、私は監視カメラに向けて扉を開けるよう合図をする。


 しかし、数分経っても扉は開かない。


 痺れを切らした私は、自分で鍵を開け中に入る。


 事務所の中は、西日の光が差し込み、オレンジと黒の綺麗なコントラストに染まっていた。


 窓辺に髪の長い女性の影を見つけ、私は違和感を感じつつも納得する。


「なんだ、弥生。レポートが終わって休憩でもしてたのか。入り口のカメラに合図したのに、鍵が開かないから心配したぞ。あの指輪についてだが……」


 私はそこで違和感の正体に気づく。

 窓辺に立つ女性の髪が、長すぎるのだ。


 弥生も髪を伸ばしているが、それは精々肩にかかる程度。目の前の女性の影は、どう見ても腰まで髪が伸びている。


「お前……誰だ?」


 私は警戒しつつ尋ねる。この女は一体何者だろうか。ここに何をしに来た。


 それ以上に、どうして鍵のかかった事務所の中に居る?


 女は返事もせず、ゆっくりと私に向かって歩みを進める。


「おい、弥生! 出てこい。客を一人で待たせるんじゃない!」


 大声を張り上げる。しかし、返事は無く監視室の扉も開かない。


 その間にも女はゆっくりと私に向けて歩みを進める。


 夕日の陰になり、その女の容姿や顔は見えない。まるで、黒い影法師がゆっくりと近づいてくるようだ。


「おい、お前も返事をしろ! 一体ここに何をしに来た!」


 まるで反応のない女に恐怖を覚え、叫ぶように言う。しかし女は動じない。私まであと数歩という距離まで近づいてきたというのに、未だに影法師のように見える。


 この感覚には覚えがあった。詐欺行為を働く中で、極稀に出会う、本物の怪異と対峙した時のような全身が粟立つ感覚。


「く、来るな!」


 私は恐怖で目をつむり、両手を前に構える。


 手を伸ばせば女に届く距離のはずが、手ごたえがない。


 しかし、耳元で囁く様な声がはっきりと聞こえる。


「アカイユビワ。ココニハナイ」


 私は思わず耳をふさぎ、叫び声をあげて駆け出す。何かに足を取られて、その場に転び、鼻を打つ。慌てて起き上がり目を開けると、そこに女の姿は無かった。


 鼻水が垂れる感覚を覚え、片手で拭うと手が真っ赤に染まっていた。鼻血だ。


「きっさらっぎせんせー! 奇跡! 収穫アリ!」


 元気な声と共に、弥生が入り口から入って来る。


「あれ? 鍵開いてるから先生戻ってると思ったら、その先生が血まみれで倒れてる。どうしたン?」


「どうしたじゃねぇよ。お前、どこ行ってたんだ!」


「お菓子買いにコンビニ行ってましたー。それより、見てくださいコレ!」


 彼女は携帯端末でSNSの画面を表示する。


「この指輪を拾ったので、持ち主を探してますって投稿したら、この指輪の事を知っている人からメッセージが来たんです! それも、何件も! これ、呪いの指輪らしいですよ!」


 彼女が表示するメッセージは、どれも短文だった。しかし、どれもが不穏な言葉で埋め尽くされている。


『それはヤバい!』

『今すぐ捨てろ』

『あの女が来る』

『呪われる』

『嫌な事思い出させるな』


 私は大体の事情を察した。恐らく、あの浮浪者は金目の物だと思い、指輪を拾ってしまい、先ほどの女の霊に追われていたのだろう。そして、自称霊媒師の私なら、何か対策が打てると思い、押し付けたのだ。


 私はティッシュで鼻を抑えながら、望月に簡易的に事情を記したメッセージを送る。すると、即座に「即刻処分。御免」とだけ返事があった。流石は古物商の端くれ、曰くつきの品を扱う分、その手の話が早くて助かる。


「私のお陰で怖い思いをせずに済みそうですね! どうです? お手柄でしょー!」


 普段はおとなしい弥生が、妙にテンション高くて腹が立つ。しかし、今の私に怒る元気は無かった。


「もうちょっと早く教えて欲しかったよ」

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霊媒詐欺師と赤い指輪 秋村 和霞 @nodoka_akimura

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