第57話 ボールサム、苦戦する

「ちっ。無駄に硬い魔物ですね!」


 遠距離からでは埒が明かないとみたボールサムは水しぶきを上げながら駆ける。

 足取りが重い。

 地上であればあっという間に駆け抜けられる距離が、ぬかるむ水場では思うようにいかない。


 それでもなんとか相手の懐に飛び込んだ。


『ガラガラガラ!』


 ディープアリゲーターは体を捻って尻尾で打ちつける。


「その攻撃はもう見ましたよ」


 距離を見極め、当たらないギリギリのところに位置どる。

 通り過ぎていく太い尻尾を追いかけるようにしてさらに距離を詰めた。


 そして狙いを定めるために右の人差し指を突き付け、先端に魔力を集中させる。


『ギャワワワワ!』


 ディープアリゲーターは巨大な口を開けて突き出された腕を食い千切ろうとした。


「遅い!」


 放たれた緋色の魔力弾が大口の中に吸い込まれていく。


 次の瞬間。

 ディープアリゲーターの肉体が膨れ上がり、そして爆散した。


「雑魚の末路などこんなものです」


 しばらくの間、肉片の雨が水面を叩いていた。






「こちらをどうぞ」


 差し出されたボトルを見る。


「これは?」


「私が持参したものです。ただの水ですけれど、水分補給はしておいた方がいいですよ。ここは暑くて喉が渇きますからね」


 地下二層の気温はボールサムが想像していた以上だった。

 おまけに戦闘が長引いてしまったせいで体力と魔力も消耗している。


「それではいただきましょう」


「ええ、どうぞ。同じチームではありませんか」


 にっこりと微笑んだキャトリアのことをたいした家名でもない、どこにでもいるような女だとボールサムは思っていた。

 だがこのような気遣いができるのであれば評価は改めた方がいいかもしれないと頭の片隅で考える。


「ごく、ごくごく……」


 一気に水を飲み干した。

 お陰で人心地がついた気がする。


「まさかここまで暑いとは思っていませんでしたよ。このような環境で卿らは平気なのですか」


「暑いことは暑いですけれどね。訓練のために何度もここへ来ていますから、もう慣れてしまったのかもしれません」


「……なるほど。慣れですか」


 このキャトリアにしろ、もう一人のキャプテンであるタンジーにしろ、小生意気なニモフィラにしろ、自身に比べれば平気な顔をしている。


 タンジーもニモフィラも聞いたこともないような家名の者だ。

 それが栄えある始まりの八家の一つ、チュウゲン家のボールサムにとって面白くない。


 他人にできて自分にできないことがあってはならない。

 チュウゲン家の人間として下等な者に劣るはずがない。


 そう信じてこれまで生きてきたのだ。


 他者が自分より優れているなど、とても認めることができなかった。


「しかし慣れと言われても……これは本当に慣れるものなのですかね」


 この暑さはいただけない。

 こうして座っているだけでもジリジリと肌が焦がされているような気がする。


「本当に地下三層に行くつもりなの? ここでへばってるのなら帰った方がいいと思うけど。初めてのダンジョンなのに単独でここまで来られたのは自慢してもいいことだし」


 ニモフィラの言葉に侮蔑の色があるとボールサムは受け取った。


「そうはいきません。己は当初の予定通りに行動するだけです」


 それを聞いて、ニモフィラはツンと唇を尖らせる。


「そう。別にいいけど。それで、わたしたちは本当に手を貸さなくてもいいの? さっきだっていっぱいいっぱいだったみたいけど」


「勿論です。それに訂正していただきたいですね。己には余裕がありました。あれは先を考えて力を押さえていただけのこと。それが卿の目には苦戦していたように見えたのかもしれませんが事実とは異なります」


「はいはい。わかったわよ。わたしの勘違いだったのね。悪かったわ。じゃあ、出発するときには声をかけて。後ろからついていってあげるから」


 離れていく背中に苛立ちを覚える。


 もともと、あの小娘の口車に乗ってしまったのが始まりだったのではないか。

 高貴なる貴族は穢れたダンジョンに入るなど本来はあってはならない事だ。


 だが己が追い出した平民がダンジョンで活躍し、チヤホヤされているところを見て許せなくなったのも事実だった。


 なぜ、こんなことを己はしているのか。

 聖なる塔を守る役目を果たしていればよかったではないか。


 頭上から降り注ぐ強い光を避けるために俯きながら益体もないことを考える。


「地下三層からは難易度が高くなりますから、ご注意ください」


 そのキャトリアの言葉すら侮っているのではないかと感じてしまう。


「ええ。己なら問題ありません」


 戦闘技術の評価だけで3級のシュートアームドになった己にダンジョンの攻略ができないはずがない。

 そう固く信じている。


 存在が確認されただけで誰も足を踏み入れたことのない地下五層に己の足跡を刻むことができれば1級どころか段位にまで到達できるのではないか。

 そんなことをボールサムは夢想する。


「そろそろ行きましょうか」


 ボールサムは立ち上がる。

 まだ先は長い。


 だが己ならば必ずやり遂げられると信じていた。

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