第30話 ササンクア、日常あるいは平穏な日々
聖塔神鏡会の朝は早い。
太陽が昇る前には起きだして平民街にある一番高い建物――鏡会の屋上にあがり朝日を待つ。
朝焼けの空に光が滲んでいくのを見守る。
空と大地の境界が黄金色に輝くと、太陽が姿を見せる。
世界に光が満ちていく。
信者たちは無言でご来光を拝む。
それから首に下げた鏡を掲げて煌めく陽光を受け止め、そして聖なる塔を照らす。
これが鏡会に暮らす者の一日の始まりだった。
それから信者たちは聖塔王国の中央にそびえ立つ聖なる塔へと向かう。
塔の周囲を掃き清めるのは信者たちの役割であり、役職に関係なくそれは途切れることなく毎日行われている神聖な行為だった。
「おはようございます」
ササンクアは現在、鏡会で寝泊まりをしていない。
個人で宿をとり、そこで生活をしている。
幸いにして探索者としていくばくかのお金を得ている。
一人で暮らしていく分には問題がない。
余った分は鏡会へ寄進もしている。
宿から塔までは少し距離があるが、なるべく朝の日課には参加するようにしていた。
「おはよう、ササンクア」
兄弟子のヒサープと挨拶をしたササンクアはじっと見つめられていることに気が付いて手をとめる。
「私になにか?」
ヒサープは額から流れ落ちる汗をハンカチで拭いている。
まだ太陽は昇り始めたばかりで気温はそれほど高くないのだが、この兄弟子はいつも汗をかいていた。
視線はあちこちに泳いで落ち着かない。
どうも相手の目を見て話すのが苦手らしかった。
「い、いや。こうして顔を合わせるのは久しぶりだったから。元気にしているかなと思ってね」
「はい。とても元気ですよ」
「そ、そうなんだ。それはいいことだね。えーと……」
言い淀む。
兄弟子は穏やかで優しい性格の人だが、会話があまり得意ではない。
それを知っているので黙って次の言葉を待つ。
「その……新しいチームの人たちとは上手くやれているのかな?」
「はい。皆さん、よい方ばかりですから」
英雄と呼ばれる男の顔を思い浮かべ、自分の判断が間違っていないことに満足感を覚える。
「無理はしていないかい? ダンジョンは危険な場所だ。少しでも具合がよくないのなら探索を諦めることも考えなければいけないよ」
「大丈夫です。ベテランの方に指導していただいていますから。今はご迷惑をかけてばかりですけど、必ず一人前の探索者になるつもりです」
「きっとなれるよ。君には能力がある。努力もできる。なによりこうでありたいという意思がある。だからもう少し自分を正しく評価した方がいいと思う」
「お気遣いありがとうございます」
ヒサープはギルドで会って話をしたササンクアの所属するチームのキャプテンのことを思い出す。
最初は威圧感のある怖い人だと思ったものだが、話をしてみると穏やかで理知的な様子が見て取れた。
しかもササンクアのことを聖女ではなくアームドワーカーとして評価し、その上でダンジョンに入る際のプランもきちんと考えていることまで教えてくれた。
この人ならば任せられる。そう思った。
なにより塔へ行ったことのある英雄なのだ。信頼感が違う。
「ボクが言うのもなんだけれど……頑張るんだよ」
「はい。ありがとうございます」
穏やかに微笑むササンクアを見て、ヒサープは胸をなでおろす。
禁足派の者たちは聖女がダンジョンに入ることにいい顔をしないだろうが、彼女ならば上手くやっていけるだろう。そう思った。
塔の清掃が終われば、信者たちはそれぞれに割り当てられた仕事をしていく。
鏡会を訪れた信者に説法をする者。
身寄りのない子供たちの世話をする者。
鏡会の管理、運営をする者。
ケガや病気を癒やす者。
辻に立って塔にまつわる物語を語って聞かせる者。
信者の家庭まで出向いて小さな集会を行う者。
思い悩む人の話を聞く者。
芝居や書物を読み聞かせることで塔の歴史を伝える者。
不浄なダンジョンへ行き悪い魔物を狩る者。
そして塔を目指す者。
実に多くの者が鏡会に所属している。
聖女でもあるササンクアにはケガや病を癒やす役割が与えられていた。
状態がひどい場合は直接その場へ出向いて力を使うこともある。
以前までは毎日その役割をこなしていたのだが今はチームの休息日のみになっている。
癒やしの力は神からの授かりものだ。
この力を持つ者は多くはない。
仲間から向けられる視線が変わったことをササンクアは自覚している。
だが気にすることはなかった。
今の彼女には塔へ行くという目的があるからだ。
塔の頂上に本当に神々はいるのか。
それを確かめたい。
そのためならば周囲がどう思おうと構いはしなかった。
また一人、ケガをした者が鏡会へ運び込まれる。
「どこが痛むのですか?」
ササンクアは優しく声をかけた。
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