第42話 先生のように、光の風を感じよう
相変わらずの、雰囲気。
着ぐるみなのだから当然といえば当然だったが、キツネ人間の表情が変わることはなかった。声のトーンだけが、異様に、さみしく落ちていた。
その落ちた声のままで、勝手に、約束を振りかけてきた。
「明日も、ミスラ書店にきてください。丁度、良い。明日は、祭りが開かれる日ですからねえ」
「祭り?」
ミスラ書店は、毎年その時期に、ミスラカーナという名前の祭りを、開いていたのだという。
町の人々が踊る、最高の祭りになっていたという。
「ミスラカーナに、お越しください」
「…は、はあ」
「君の目の前で、銅から純金を作り出して見せましょう。君は、扇風機のデザインに、憧れていましたよね。ええ、良いでしょう。それは、良いことです」
「…」
「ミスラカーナで、特別な力が身に付くかも、知れません。君が憧れるあの扇風機型デザインも、すぐに、モノにできるようになるでしょう」
「どうして?」
「どうしてとは、何でしょうか?」
「どうして、俺が、扇風機型のデザインに憧れていたことを知っていたんだ?」
キツネ人間は、その質問には、答えなかった。
「それでは明日、お待ちしております。コーン!」
どこかへと、去っていった。
母親は、不審顔だった。
「キツネには、すぐには、信用しちゃダメよ」
謎の警告を、発するばかりだった。
そんな母親が、憎くてならなくなった。
翌日も彼は、キツネ人間と再会してやろうじゃないかと、意気込んでいた。
「これは、これは。約束通りに、きていただけましたね。あなたの世代でも、約束は、守れましたか。なるほどね」
ミスラ書店の入口に立っていたキツネ人間が、中に入るよう、手招きをした。
「バーラム、バーラム。オムライス」
キツネ人間が、何かを、ゴニョゴニョと唱え出した。
目の前に取り出した低品質の銅から、目も眩むような金塊を、作り出して見せたのだ。
「ようし、生成できた。これを、市場にもっていき、売ってみてください。莫大な富が、もたらされるでしょう」
その通りと、なった。
売ると、大量の銀貨を得ることができたのだ。キツネ人間の言葉と術は、本物だったのだ。
「キツネ人間も、信用できるじゃないか。苦労なんかしなくても、大金持ちになれるぞ。努力するのが格好悪いこととなった社会に生きる俺様には、もってこいの技術だな」
キツネ人間には、何度も、頭を下げた。
「どうか、俺の家にきてください。そしてあの術を、教えてください。そうすれば、オンリーワンの俺が、もっともっと、輝けるはずなんだ」
「そうですか。しかし、あの理論を授けるためには、条件があります」
「条件、だって?」
彼は、完全に、釣られていた。
「どうか、私の娘と、結婚をして欲しいのですよ」
そんな急なことを言って、ある会社の内定承諾書を、出してきた。
「はあ?」
「これに、サインをお願いいたします」
「はあ?」
「サインですよ。サイン」
「…」
「自身の名前くらい、書けるでしょう?」
「…バカに、しやがって」
「あなた方は、努力をした世代の子たちを、平気で裏切れましたよねえ。常識的には、そんなことは、できませんよ。アリマとマユの力でもなければ、できないことでしょうねえ」
「…何?キツネさんは、おじさんとお母さんの名前を、知っているの?」
「ああ…。幼い」
何だか、ムシャクシャと、してきた。
「何だよ、キツネのくせに!」
承諾書を、奪いとっていた。
「わかったよ。書けば、良いんだろう!」
小さく、ソロアフター社という文字が、見てとれた。
「また、この会社か」
その他の字は、良く読めなかった。
「こんなことなら、専門学校の就職課に、もっと、字の読み書きを教えてもらうんだったな。…君たちは、会社に入っても契約書1つ読めないと、言われたっけ。ちぇっ。それは、本当だったわけだ」
「どうしました?読めませんか?」
「…」
「しかし…、ご安心あれ」
「何?」
光の風が、吹いた。
「あなた方は、新卒就社組ですからね。新卒なら、会社が、全体講座を開いてくれるのですよ。字の書き方、読み方、固定電話の使い方…。たくさん、教えてくれるのです。新卒は、本当に、うらやましい」
「…」
「会社も、ミスラの光ですよ。定年退職おじさんという、社会の時限爆弾を減らせていた一方で、新卒ちゃんという新たな時限爆弾を、抱えてしまうんですからね」
「…」
「名前は、書けますか?」
「そのくらい、書けるさ。バカに、するなよ!」
「そうですか、書けますか」
「…バカに、するなよ」
「バカになど、していませんよ?あなたを心配して、言っていたのですよ。ペンの持ち方も上手くできないのでは、いろいろと、気の毒になりましてね…」
「もう、黙れ!」
「かしこまりました」
キツネ人間の挑発に、上手く、乗せられていた。
「…ああ、そうだ。印鑑なんて、持ってきていなかったな」
「あのですねえ…」
「何?」
「印鑑を持っていないのは、当たり前ですよ?」
「何?」
「印鑑というのは、判子を押した跡、つまりは陰影のことをいうのですよ?」
「…?」
「判子を押してついた跡が、印鑑です」
「…?」
「ややこしい話、ですよね?印鑑を持ってきてくださいって言う人がいますが、何なのでしょうねえ?」
「…」
「判子を押した紙を持ってくるのなら、印鑑を持ってきてくださいという言い方も、納得できるのですがねえ」
遠回しに、バカにされている気がした。
「でも…!学校の先生が、印鑑持ってきてください、印鑑持ってきてくださいって、言っていたじゃないか!」
「おや。学校の先生の言ったことなら正しいと、思っていたのですか?社会を、悟っていたくせに?」
「…」
「学校の先生は、判子と印鑑が違うモノだとは、思っていないのですよ」
「…」
「あなたの学校の先生は、判子を難しく言ったのが印鑑であるとくらいにしか、理解していなかったのではないのですか?ですから、学校の連絡ノートにお母さんの印鑑を押してもらってきてくださいなどと、言ってしまうんですよ。判子と印鑑の区別ができていない、怖さ。運が、悪かったですね。あなたのように変なことを吹き込まれた児童生徒が、成長して、新たな先生に採用されれば、どうなることか…」
「…」
「印鑑を持ってきてくださいと言う先生に、こう言ってみれば良いでしょう」
「何て、言うんだ?」
「こう、言うんですよ。先生!判子は持ってこられますけれど、印鑑はどうやって持ってきたら良いんですか?とね」
「…」
「おそらく、先生は、パニックですよ」
「たとえば、紙に判子を押して、その押された部分が付いた紙をもってくれば、良いんじゃないんですか?」
「まあ、そうでしょう」
「判子と印鑑の違いを知っていれば、簡単なことですよ」
「しかし…。知っていたからこそ、あなたは、簡単にできるということです」
「…」
「知らなければ、意外と、難しいことなのですよ?知るとわかるとには、こうした違いがあるのでしょう」
「…」
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