第40話 さとり世代の強さ
その後、父親マツダの姿は見えなくなった。
まだ小さかった息子のアタルは、その小さい身体と心なりに、落ち込んだ。
「お父さんはね?遠い国に、働きにいっちゃったの。だから、ここにはいないのよ?お母さんがいるんだから、良いでしょう?心配は、いらないわ」
母親マユは、何とかして、息子を励まそうとしていた。息子を思えばこその会話が、もどかしかったものだ。
「お父さん…」
「お父さんは、いないの。我慢しなさい」
「何だよ、お母さん!その、おもちゃみたいな言い方は」
「良いから、我慢するのよ。我慢してがんばれば、お父さんに会えるかもしれないわよ?」
「がんばって、どうするの?」
「がんばって勉強をして、もっとがんばれる学校に進んで、もっともっとがんばれるところで働けるようになったら、良いことがあるかもしれないじゃない?」
「良いことなんか、あるの?」
「あるわよ?」
「お母さん、それって、どんなこと?」
「がんばったご褒美に、お父さんに会えるかもしれないって、ことよ」
「そうなの?」
「お父さんは、今、外国のハイスペックな場所で、働いているのよ?あなただって、一生懸命に勉強して…」
「お母さんは、時代遅れだよ」
「どういう意味?」
「あのね、お母さん?」
「何かしら?」
「もう、努力とか、がんばるとか、そういうの、いらないんだ」
「…」
「がんばっても無駄なことは、お母さんたちが、一番わかっていたでしょう?」
「…」
「努力をすれば何とかなるとか信じるから、お母さんたちは、つぶされたんだ」
「…じゃあ、あなたは、何を信じるの?」
「信じるのは、自分だけさ」
「そういうことを言っていたら、いつか、キツネに騙されちゃうわよ?」
「何を、言っているんだよ」
「…」
「がんばるとか、精神論で何とかなる時代じゃあ、ないんだよ?」
「…」
「そんなことだからお母さんたちは、緩やかに暮らせた次世代の子たちに、ポストを奪われちゃったんじゃないか」
「…わが子ながら、怖いわ…社会を悟っちゃってるって、感じだわ。あっ!」
さとり世代ということばがあったことを、思い出した。
悟っていった彼は、何となく、成長を続けていった。
「アタル?」
「何?」
「お母さんも、わかったわよ。じゃあ、がんばらなくても、いいわ。けれど、しっかりと生きなさい。がんばっても、将来なんて、どうなるかわからないものね」
「勝った」
「お父さんの遺産もあることだし、生活には、心配いらないわ。あなたの好きなことだけを、していなさい」
母親の悟った冷酷さが、鼻についた。
「そうだ、お母さん?」
「何よ」
「お父さんって、何かの家電に、情熱を燃やしていたよねえ?」
「ああ、それか」
「それって、何だったんだっけ?」
「…忘れちゃったわ」
「そうか。お母さんも、忘れちゃっていたのか。俺なんか、赤ちゃんだったから、忘れるも何も、何となくの記憶だけしかないけれどね。お父さんが何かの家電に夢中だったことだけは、たしかなんだけれどなあ」
「そんな話は、忘れちゃえば?」
「…わかったよ」
「人は、忘れなければ生きていけないことも、あるの。そんな家電の思い出なんか、そっとしておけば、良いじゃない。赤ちゃんのときの記憶までほじくり出して、知らなくても良いことまで知って悲しい思いをするのなんて、損でしょう?」
ごもっともな予感が、した。
だからこそ、許せなくなった。
「そう言うのって、夫婦関係みたいだね」
「ませたことを言っているんじゃあ、ないわよ!その、年齢で。良いから、早く、学校の宿題でも、してきなさい」
怒られたときには、こう言ってやった。これを言うと、母親は、必ず、黙り込んでしまうのだった。
「ねえ、お母さん?」
「何?」
「お母さんは、暑い夏の日も、クーラーをつけなくて、平気なんだね。僕なんか、クーラー世代だから、あれがないと、苦しくて、生活できないよ。お母さんは、暑い夏の日にも、1人でクローゼットを開けて、何かを取り出しているよね?ねえ?何を、取り出していたの?クーラーにも勝る、究極の涼しい服かなんかがあったのかい?ははは」
「…」
彼は、悟っていた。
好きだった貴金属デザインを独学で学びはじめ、やがては、デザイナーの専門学校へと通うようになったのだった。
「いつかは俺も、世界最高級の貴金属を、デザインしてみたいもんだ」
何度か、高度なデザイン関連書籍を扱う専門書店にも、足を運んでいた。
そこで彼は、不思議なデザインを施された貴金属が本に載っているのを、見た。
「おお」
偶然の、良き出会いだった。
それは、扇風機の形をした、デザイン工芸品だった。
「良いな」
すぐに、飛びついていた。親子のD NAが作用していたからかは不明だったが、何と、息子もまた、扇風機に魅入られてしまったわけだ。
親子のつながりは、恐怖だった。
早くにいなくなってしまった父親もまた、扇風機に魅入られ、それにまつわる戦争を起こしてしまっていたのだ。
もっとも、当時は赤ちゃんだった彼には、その詳細など、覚えていなかったのだが。
「扇風機、かあ。貴金属を、扇風機の型に仕上げるなんてなあ。なかなか、できることじゃないぞ。このデザインは、良いなあ。さて、帰るか…」
その日の講義を終え、専門学校から出た。
すると、それを見計らったかのように、丁度良いタイミングで、声をかけられた。
「これは、これは」
ゆっくり振り向くと、キツネの着ぐるみを着た人が、立っていた。
「はい?」
「あなたは、本日の朝に、ミスラ書店というデザイン専門書店で、熱心に、立ち読みをされていた方ですよね?」
何かの変な勧誘かと、思えたものだ。
が、そうではないという。
キツネの異様な姿に負けじと、話し相手になっていた。
「話を合わせないと、まずいな。何をされるか、わからない」
無意識に、そう思っていたのか?
「朝のあなたは、熱心でしたねえ」
虫の這うような言い方、だった。
キツネ人間は、彼のことを、朝から付け狙っていたとでもいうのか?いたいけなキツネ相手には、何も抵抗できないものだった。
「あなたは、デザイン、特に貴金属のデザインに、興味がおありのようですねえ?違いますか?」
「…」
知らない人に話しかけられて、恐ろしくてならなかった。
しかも、キツネだ。
究極的に恐ろしくて、ならなかった。
が、話の話題は、何といっても、彼の好きなデザインの分野。まんざら、興味が出ないわけでもなかった。
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