第37話 マユのピストル
「マユ?何を、持っているんだい?」
「これ?縁日で買った、ピストルよ?」
「そうか。懐かしいな」
「ほら、あなた?マジックショーを、はじめましょうよ!」
「マジックショー、かあ。本当に、懐かしいなあ」
「ねえ、あなた?」
彼女の瞳が、潤んでいた。
「なんだい、マユ?」
「ねえ、あなた?そのピストルで空砲を撃つと、撃たれた人の心が、平和になるんだったわよねえ」
「マユ?あのマジックショーの内容を、良く、知っていたじゃないか。そんなにも、有名なマジックだったのかい?」
「そうよ…。そういうマジックが、あるのよね」
何だか、うれしかった。
理解してくれるとは、こんなにもうれしいことだとは、思わなかった。
「マユ?ちょっと、見せてくれ」
「キャッ」
ピストルを、奪いとった。
「おお。良く、できているなあ」
「そうでしょう?」
「それにしても、そんなにも有名な、マジックの演目だったとはなあ。まるでマユも、あのマジックショーのステージにいたかのようだよ」
「そう?」
「懐かしい」
彼女に、教えてやった。
「それで、マユ?その観客っていうのが、ひどかったんだよ?」
「ひどい?本気で、あなたをいじってきたから?」
「まあ、それもあるけれどもさあ…」
ここで、ステージに上れていたからこそ気付けたような偉大な秘密を、妻という特別な存在を考慮して、教えてあげていた。
「参っちゃったよ」
「だから、なあに?」
「その観客は、イヌの着ぐるみをまとっていたんだから」
「イヌの着ぐるみ?」
「そうさ。イヌ人間だ」
「イヌ人間、かあ…」
「俺って、イヌに嫌われているのかなあ?」
「さあ、どうだか」
お互い、笑っていた。
「しかし、これ…。重いなあ。返すが、落とすなよ?」
「うん」
彼女に、ピストルを渡した。
「ほら、マユ?気を付けろよ?どこの縁日でもらったのかは知らないが、これ、ものすごく、重いぞ?本物のピストルかと、勘違いしてしまうほどだよな」
「あら?」
彼女は、不思議そうな目を向けた。
「本物だったら、どうするのよ?」
「マユ?もう、何を、言っているんだよ。それって、空砲なんだろう?心配しないでおくれよ」
もっともっと、不思議そうな目を向けた。
「ふうん。そっか…。あなたは、これには本当に弾丸が込められていないと、思っていたわけね?」
「はあ?」
彼の目が、震えだした。
ただ彼女の目は、常に、優しかった。
室内のクローゼットは、当然ながら、開けっ放しだった。
「マユ?マユ…それって!」
クローゼットの中に、いつかに見たことのあったような家電製品があったのが、かすかに見えた。
「マユ?」
「なあに?」
「た…縦置き型の扇風機か?あれ…。あれ…。今になって、そんな…」
「あなた、何を言っているの?」
彼女が、手袋を、キュッと締め直した。
丁度頃合い良く、同じくクローゼットの中に、素敵な物が入っていたのがわかった。
「あ、ネコ…!」
人間1人が入れる大きさの、ネコの着ぐるみだとわかった。
「そうよ?かわいいでしょ?」
マユは、緩やかに微笑んだ。かわいらしいその笑みが、残酷だった。
「あなた?」
「な…何だ?」
「今日が何の日なのか、覚えてる?」
「…」
彼は、震えた。
涙が、出ていた。
「いやだわあ。男の人って、すぐに、忘れちゃうのよねえ…」
「ごめん…」
彼女に許しをもらおうと、アパオシャ号から抜き取った記念の電池1本を、土産として渡した。
「何よ、これ?」
「生まれ変わったサイズの、単三乾電池」
「バカ!」
彼女が、傘を広げた。
「や…。や、やめてくれ。俺への、復讐なのか?頼む、やめてくれ!お前が冷蔵庫にしまっていたケーキをこっそり食べたのは、たしかに、俺だ。しかしあれは…違うんだ。ケーキ屋の売り上げのことを、考えてだな」
「あなた…。そんなことを、したの?」
心臓が、ゆさぶられた。
「違うのか?そのことじゃ、ないのか?」
「私、知っているんですからね」
追い詰められてきた。
「お前の高級茶葉を盗んだのも、根にもっていたのか?くすねたのは、ちょっとだけじゃないか?」
「あなた…。そんなこともしていたの?」
どこかの内臓が、軋んできた。
「違ったのか?」
「…」
「マユの大切にしていたルージュを、タイル磨き石けんと勘違いして、使っちゃった」
「どこで、使ったのよ!」
「風呂」
「風呂?」
「風呂のタイルが、良い匂いになった」
「バカ!」
「許してくれ!」
「そうか…だから、あんなにも、すり減っていたのか。おかしいと、思ったのよね!」
「ごめんなさい」
手をついて謝ると、彼女は、それ以上怒ることをやめた。怒るどころか、悲しげに、無口になってしまったのだった。
「だから…今日が何の日か、本当に、覚えていないの?」
その声もまた、悲しそうだった。
「ねえ?」
「な、何?」
「どうして、私がビニール傘を持っていたのか、わからなかったの?」
「…」
「私たちの思い出に、幸あれ!」
彼は、卒倒して、口から泡さえふこうとしていた。
彼女が、ピストルの引き金に手をかけた。
「…なーんちゃってね!」
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