第36話 クローゼットが、懐かしいのです~
観客の誰かが、ステージ上を、指差した。
「大丈夫ですよ」
「そうそう」
「弾は、入っていませんから」
観客のどよめきに、ネコ人間が、フォローを入れた。
「観客の皆様?念のため、もう一度、言いますニャ!このピストルに、弾は込められていませんニャ。さあ、さあ。ご安心を。それよりも、撃たれた人の心が、平和になれるんだニャア」
ピストルは、空砲仕様。
誰もが安心してショーを観られるよう、配慮してあったのだろう。音はしたが、我慢だった、案の定、怖いと言ってピストルから目を背けるような客は、いなかったとも、記憶していた。
ネコ人間は、偉大だった。
さらに、観客を喜ばせるようなことを、言っていたのだ。
「さあ、皆さん?本当のことが、暴露されますよ?といっても、家庭内でのできごとは話さないことを、期待しますニャ。ステージに上がれたお客様が、自分自身の奥様と、修羅場を見てしまいますからニャア」
ネコ人間は、心を操ることに長けていた。
「わはは」
「言うな、言うな」
「それは、言うな」
「あら、意地悪ねえ。でも、聞きたいわ」
「あんたこそ、意地悪だ」
「うふふ」
ネコ人間の語りは、本当に、上手だった。
「今、あのショーができたら、良かったのになあ」
新たな期待に、彼の心のどこかが、もだえていた。
「あのショーのようなことができれば、このマユにも、自らの真実を受け止めてくれるのになあ…」
思えば思うほど、歯がゆかった。
彼女のほうを、見つめていた。
「あら、あなた。なあに?そんなにも、私を見つめちゃって。珍しいのね。何にも、出ないわよ?」
「そんなんじゃ、ないよ」
苦笑いを、してしまった。
「そうそう、思い出したわ」
「何がだい?」
彼女が、クローゼットに向かって、歩いていった。
「がこん」
クローゼットを、開けた。
当然ながら、いくつもの服が、かけられていた。
「クローゼット、か…」
「そうよ、クローゼットよ?」
「懐かしいなあ」
「懐かしい、って?」
「あの事件のことが、懐かしくなってしまうなあっていうことさ」
「あの、事件?」
「ほら…。君と君の兄さんと、ちょっとあってさあ。俺、クローゼットの中に隠れたことが、あったじゃないか」
「あら、そうだったかしら?」
最新の縦型扇風機を守るためなのかどうかはわからなかったが、彼女は、必死に、当時のことを忘れようとしていたのだった。
「そりゃあ、懐かしいさ」
「ふうん」
「何か、飲まない?」
頼んでもいなかったのに、優しく、茶を出してきた。良き妻でも、演じようとしていたのだろうか?
「君たちとあの伝説の家電のことが、懐かしいなあ」
のどかに、茶を飲んだ。
「それは、何より…」
彼女は、素っ気なかった。
「そうだな、マユ。それは、なにより」
夫婦の良い会話が、できていた。
「あ、そうだわ!」
「ん?どうした?」
「良いものが、あるのよ?」
彼女はまた、クローゼットに近付いていった。
「あなた、これはどう?」
ごそごそと、何かを探っていた。
手に、何かをはめていた。
「何だい?手に、ガーネットでもはめているのかい?」
「違うわ」
「じゃあ、アクアマリン?アメシスト?」
「違うったら」
「…まさか、ダイヤモンド?」
「それはちょっと、金銭的に手が出ない」
「俺の給料じゃあ、そうだよなあ。で…何なんだい?」
「…これ、どうかしら?」
「おい、これ…!」
「良いでしょう?」
「おい!良いでしょうって…、ああ、驚いた。ピストルだけれど…。それ、おもちゃだろう?お前は、そうやって人を驚かすのが、上手いんだ。マジシャンのようだよ。さすがにこの国では、本物が一般家庭にあるわけないか。目の玉のつながった警察官や麻薬取締捜査官でもなければ、銃刀法違反だ」
「麻薬取締捜査官?」
「そう」
「やだあ。あの人たちは、警察官じゃあ、ないじゃないの。ピストルなんかを所持していたら、アウトでしょう?」
「いや、良いんだよ。良くはないけれど、良いんだよ。あの人たちは、ピストルの携帯を許される身分なんだ」
「そうなの?厚生労働省管轄の、フツーの公務員なのに?」
「ああ」
「それが、社会ってものだ」
「ふうん。でも、ピストルを所持しちゃいけないって定める法律を作ったのも公務員だし、その決まりを守らせるのも、公務員。さらには、それへの違反を審判して裁くのも、公務員。それなのに、公務員だけは、ピストルの所持が、認められるっていうの?」
「ああ、あの人たちは、偉いからな」
「ふうん。女性は話が長いから困るんだよねって、言えるくらいに?」
「…」
「そう言えるくらいに、偉いわけ?」
「お前は、つまらないことを言うんだな」
「良いじゃないの」
「良く、ないだろ」
「良いのよ」
「なんでだ?」
「男は、偉いからよ」
「そうか?」
「あなた方新卒の世代と同じくらいに、偉いんだよね?私たちの世代とは、違ってさ」
「…そういう言い方は、やめてくれよ」
「本当のこと、じゃないの」
「…困った妻、だよ」
「女性は、嫌?」
「…」
「ちなみに、それで、その言えないあれこれをしていた公務員が処罰されないのは、なぜだったのかしら?」
「憲法、民法とかにはじまって、地方公務員法も国家公務員法も、抜け穴を、知っていたからだよ」
「自分たちが作った決まりだから、破っても良いってことなの?」
「まあな」
「何よ?そんな、マジシャンじゃあるまいし」
「…」
「強いのねえ。まるで、私たちをいじめる、男性たちのように」
「…それが、公務員倫理の限界だ。そしてそれが、社会というものなんだ。先生連中を見れば、わかるだろう?厳密に精査すれば、地方公務員法によって、現職の学校の先生は、ほぼほぼ、全員逮捕だ。だがなあ、今は、楽々採用だ。教員不足社会になったからな」
「やっぱり、強いんじゃないの」
「…」
「…だから、今どきの学校の先生が何したって、いいわけ?大学院で教育学も学んでいないという、新卒の若い世代の先生が、えちえち脳で生活しても、良いってことよね?児童生徒やらを殺害しなければ、上手く隠蔽してもらって許されるっていうこと、よね?あなたは、それを言いたいんでしょう?」
「さあね」
「ああ、嫌だわ」
「お前…いや、あなた様のほうが、嫌ですよ」
「ふんだ」
ようやく、つまらない会話が終わった。
彼女は、後ろを振り向いた。
「おい、おい。どうしたんだよ?何を、手にはめているんだい?指輪じゃあ、ないじゃないか」
「だから、違うって、言ったじゃないの」
両手には、分厚い手袋をはめていたようだった。
そしてなぜか、左手には、ビニール傘を持っていた。
「お前、何で、そんなものを手にしているんだよ?そんなことをしておどけて見せたって、新しい指輪もネックレスもイヤリングも、買ってあげないからな」
「そんなんじゃ、ないわ」
彼女の右手が、鈍く、光った。
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