第35話 正直が否定されたときって、怖いよねえ
「え?」
正直が、否定された。
何とも例えようのない、闇夜の散歩のような怖さ、だった。
…例えようがないといいながら、例えてしまったが。
「あなたは、ずっと前から、嘘つきじゃないの」
「…」
「だからこそ、生きてこられた。平気でウソをついて努力した世代を、裏切ったじゃないの。そりゃあまあ、簡単に騙されたおじさんたちも、悪いんだけれどさあ。おじさんには、自分でものを考える力がないんだもの。危機感のない世代って、無残だわ。ほんと、迷惑よねえ」
彼女にそこまで言われてしまったので、慌てた。なんとかして彼女に納得してもらわなければ、きまりが悪くなっていた。
「おい、マユ!」
思わず、叫んでしまっていた。
「何よ?」
「マユ!」
「だから、何よ?」
「マユ!」
「もう!そんなに大きな声を、上げないでよう!」
「信じて、くれよ!」
「何が?」
彼の目は、少しばかり、潤っていた。
「マユ!本当なんだ!あのとき死んでしまうほどに、痛かったんだよ!」
「ウソよ」
「ウソじゃない」
「ウソに、慣れちゃったんじゃないの?」
「信じて、くれよ!」
「あなたの世代を信じろって、いうの?」
「そういう言い方を、しないでくれよ」
彼女は、絶対に、信じようとはしてくれなかった。
彼女との言い争いは、続いた。
マツダとアンリマユの戦いが、復活した。
「ウソよ、ウソ。あなたの言うことは、すべて、ウソ。あなたは、いつだって、そうだったわ。他人の痛みなんか、ちっとも、わからなかったじゃないの。最悪なことに、わかろうともしなかったわ。良いわよねえ、お気楽な、新卒一括採用世代。何をしたって、オンリーワン」
彼には、ひどい言い方でしかなかった。
「マユ!そういう言い方は、やめてくれよな!」
「何よ!私が商店街で引き当てたあれだって、あなた、狙っていたんでしょう?」
「…」
「ああ、いやらしい」
なぜその話を持ち出すのかとは思ったが、なぜそのことをまだ妬んでいたのか追及されたくもなかったので、黙った。
主張は、平行線上をいっていた。
一体何が正しくて何がウソだったのか、さっぱり、わからなくなってきていた。
彼は、天を仰いだ。
「どうしようか…。どうすれば、信じてもらえるんだ?どうすれば、この俺の威厳を示せるんだ?」
そのとき、妙案が浮かんだ。
「そうだ!」
妙案も、妙案だった。
彼は、マジックショーのステージでおこなわれた、ネコの着ぐるみ人間対イヌの着ぐるみ人間のピストルショーのことを、思い出したのだ。
これを実践できれば、今、救われるような気がした。
当時、ネコ人間は言っていた。
「さあ、さあ!ここに、ピストルがありますニャ。弾は、込められていませんニャ。皆様?心配ニャキように。これは、魔法のピストルなんだニャ。人を信じる、魔法のピストルニャ。このピストルで、ステージ上で催眠術をかけられた人に、空砲を撃つニャ。すると、あら、不思議!空砲を撃たれた人の心が洗われて、本当のことを言ってしまうんだニャ。撃たれたお客様の心は、本当のことをしゃべってすっきりして、平和になるんだニャア。さあ、皆さん?この不思議なショーに、応援を!さあ、ステージに上がってくださる勇敢なお客様は、いないかニャ?」
そういうショー、だったはずだ。
ピストルは、重要な小道具だった。
どうしようか悩んでいた彼には、努力や勤勉さもそうだったが、度胸のエネルギーも、枯れはじめていたのかも知れなかった。
「俺は、いいや」
客の誰かが、手を上げたはずだ。
「ふうん。出しゃばりめ」
今までステージの上に上がって注目を集めたい一心だったのは、誰よりも、彼だったかもしれなかった。
が、こういうときになって、怖じけずいてしまった。ステージに上がりたかったのに、上がれなかった。
「もし撃たれたら、嫌だもんな」
撃たれないとわかっていながらも、こういうときだけは、ステージに上がれなかったもので、惨めだった。
人間の心のからくりが、嫌になった。
考えさせられるマジックショー、だった。
努力が必要ない状況と知っていながらも、なお努力をするのを避けてしまう自分自身の気持ちの汚さに、してやられた思いだった。
ネコ人間が、ステージ上の人に、催眠術をかけた。
ステージ上の人が、イスに座りながら、いびきをかき始めた。
「あの人、かかったのか?」
「さあ、どうだかな」
「でも私、楽しみ!」
観客の声が、高鳴ってきた。
ネコ人間が、ステージ上の人に、ピストルを向けた。
「さあ、お客様?参りまするニャ」
しっかりと、照準を定めた。
「先ほども、申し上げた通りですニャ。これは、魔法のピストル。このピストルで、空砲を撃つニャ。すると、不思議ですニャ!空砲を撃たれた、我が輩の前に眠る人の心が洗われて、本当のことを言ってしまうのニャ」
「…」
観客が、静まりかえった。
次に、ネコ人間は、こんなことも言った。
これにより、静まりかえっていた観客が、ドッと笑い出した。ピストルを向けられた人を前にして笑えるとは、何と、不謹慎なショーか。
「皆様!この魔法のピストルで撃たれたお客様は、本当のことをしゃべってしまうんだニャ。とはいっても、役人の不正だとか、特に、教育者でありながら誰かに何かを教える力のない、どこかの地方公務員の不正を正直に話しては、なりませぬニャ。他人に迷惑をかけてはならないと児童生徒に教える公職の身分でありながら、痴漢や万引は、手慣れたもの。しかし、その内実を詳しくしゃべってしまえば、地方公務員法違反にも、問われまするニャ。注意、注意。ああ。このピストルで、教員を撃ちたいものですニャ」
これで、観客は、激しく笑ってくれた。
「わはははは!」
「違いない!」
「最高!」
最高のショーが、はじまっていた。
ネコ人間が、ピストルの引き金を引いた。
ステージの上の人の身体が、ビクッとうなった。
「きゃ、あの人が、撃たれたわ!」
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