第34話 彼女は、信じようとはしなかった
またもや、新たなフラグが立った。
「そうだ、また、思い出したぞ」
彼らの世代の動きによってつぶされた勤勉世代がいたと、聞いていた。
痛みを我慢しても、それを横から奪われたその世代の人たち、だらに、横から入って平気で奪えた人たちは、どんな心もちであったのだろうか?
このマジックショーの試練は、その歴史の比喩、だったのだろうか?
痛みをこらえて泣けなかった人は、なぜ、我慢しなければならなかったのか?結局のところ、身分を手に入れるためだったのか?
どれだけの人が、わかってあげられただろうか?
何もかもが、痛かった。
マジックショーは、心理戦だ!
ステージに上がった人は、マジシャンを信頼している。
「何かあれば、マジシャンは、守ってくれるはずだ。ステージに上がれといったのはそちらなんだから、当然だろう」
そう期待して、待っているものだ。
たとえどんなに屈辱的でも、待たなければならないものだ。新しいステージを、与えてもらえるようにするためにも。
マジックショーは、どこまでも、心理戦だったようだ!
社会には、少しも手をゆるめてくれない観客は、多かった。マジシャンの中にも、そういう人は、いたものだ。
マジックショーでは、誰が何を楽しませ、また、楽しませるために何を騙さなければならなかったのか?
それらの駆け引きが、常に磨かれた。
だからこそマジックショーは、心理戦の場だということができたのだ。
「ツンツン、ツンツン…」
何も知らない、本当に純真無垢な観客は、ステージ上の人が絶対に鋼鉄になったのだと思い込み、ツンツンし続けてくるだろう。
それがペンであったからこそ、救いはあった。
が、ナイフだったら、どうしたものか。
ハンマーで、ガツーンと叩かれるようなショックも、味わったことだろう。やり過ぎれば、死んでしまうこともあったろう。
そうなれば、ステージから、逃げ出すように降りただろう。
「おい、おい」
ハンマーを、見せられもした。
が、彼は、幸いにも、それを振り下ろされることがなかった。そのときの安心感は大きく、ステージでの思い出を他人にしゃべる準備が、滑らかにできていた。
ステージから降りたときは、格別な思いだった。
「もう、終わっちゃうのか。これで俺は、決定的な英雄になったんだ。何て俺は、高貴な存在なんだろうか」
万感の思い、だった。
ステージから降りて、あなたは、何をしますか?
こう、言いますか?
「俺は、会社の部長だったんですよ?それがこうして、この町内会に加わるんですぞ!もっともっと、俺を、敬えないものでしょうかねえ?我々は、若い頃、がむしゃらに働いて、この国を発展させてきたのですよ?」
家庭で、こう言われたのですか?
「ちょっと、あなた、邪魔!どこかに、いって!」
帰宅後の彼、マツダは、覚悟した。
「そうか…。マジックショーは、心理戦。これって、俺たちの夫婦生活のようじゃないか。絶対に、そうだ」
程度にもよるだろうが、社会に向かってウソを信じ込ませることは、難しいことだとは言えなかった。定年退職おじさんたちを見れば、それが、嫌なほどわかるはずだ。
しかしながら、困ったことがあった。
つまりは、こういうことだった。
「1度ついたウソを取り消すのは、極めて難しい」
それも、どういうわけか、おじさんたちを見れば、わかるはずだ。
彼、マツダは、久しぶりに会うことのできた妻と2人で手をつなぎ、公園を散歩していた。
「マユは、マジックショーでの出来事を、良く知らないだろう。いろいろと、話してあげよう。ネコの着ぐるみをまとったマジシャンが出てきたことなど、楽しい思い出が、盛り沢山だったもんな。きっと、話を聞いて驚くだろうなあ」
ウキウキして、ならなかった。
「なあ、マユ?」
「…ええ」
ネコ人間によってステージに上がったときに、彼もまた、鋼鉄の人間を演じたことがあった。そのときは、ネコに、必要以上に、ステッキで叩かれたものだった。
「このネコ…。俺を、殺そうっていうんじゃないだろうなあ?」
そう思えたくらいに、迫真の演技となっていた。
ネコは、ナイフこそ取り出さなかったものの、ノコギリを持ちだしてきたこともあったのを、思い出した。
「あのときは、参っちゃったよなあ…」
ステッキで叩かれたときは、本当のことを言えば、痛かった。
「ギャー、やめろー!」
思わず、悲鳴を出したくなったくらいの痛みだった。
痛かった。
すぐにステージから降りて、気を失ったふりをしたものだ。
観客からは、呆れられた。
「何だよ。この人は、役に立たないぞ?」
そんな視線から逃れたこともあったような気が、した。
が、その痛みくらいなら、努力をして我慢をしても彼らオンリーワン世代に邪魔をされてつぶされた人たちには、我慢できたんじゃないのか?
意地悪な妄想さえ、広がってきていた。
人の醜さは、このようにしても、自虐的に見つけ続けられたようだ。自身で、感服してしまったくらいだ。
誇張はあったが、彼女に、話していた。
「ウソ!そんなことが、あったの?」
彼女の反応は、良かった。
そこで彼は、こう、告白してみた。
告白といっても、恋心もなしの暴露話ということで、淡泊なやりとりでしかなかったのだが。
彼は、彼女に言った。
「マユ?本当のことを、教えてあげるよ」
「何?」
「本当の、ことさ」
「本当の、こと…?」
「ああ。君だけには話してあげても良いと思っていることが、あるんだよ」
「なあに?」
自信が、出てきた。
「…マユ?」
「なあに?」
「本当はね?」
「うん」
期待してきたような彼女の視線が、心地良かった。マジックショーのステージに上がれた気分に、なっていた。
「本当は、マジックショーのときに、マジシャンは、ステージの上の俺に手加減をしていてくれていたみたいなんだけれども、マジシャンじゃなくって、観客の誰かがビシバシと本気で叩いてきたときには、もう、死ぬような痛みだっただよね」
「そうなの?」
だが彼女は、これを信じようとはしなかった。
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