第33話 帰宅。妻は、夫を従えたようです
「ただいま」
「あら、あなた。おかえりなさい」
「ようやく帰れて、久しぶりに会えたっていうのに、素っ気ないんだな…」
妻マユは、家の奥に引っ込んでいった。
そうして、そっと、涙を落としていたのだった。
それを知らない彼は、ただただ、普通の夫だったのかもしれなかった。
「…変えることができて、安心したよ」
「そう」
「参ったよ。あんな怪しいボートだから、途中で沈まされるんじゃないのかと、思ったよ。こんなわけのわからない体験は、もう、嫌だな」
「ふふふ」
彼は、確実に、レベルアップをしていた。このゲームは、彼を成長させるのに、充分すぎた。
「マユ?」
「何?」
「俺は、単三電池でも単二電池でも、単一型に代用できるほどの夫になったんだぜ?」
「あら。便利ねえ…」
それから数日間は、せっせと、家にあった乾電池の変換作業を命じられることとなった。
「ほら、あなた!これも、単一型にしてよ!」
「かしこまりました」
「あなた…?あと20個くらい、やってよ」
「20個、ですか」
「あの、何とかっていうボートを動かすためには、もっともっと、努力させられたんでしょう?」
「はい、わが奥様」
「私たちの苦労が、少しは、わかったの?」
「はい、わが奥様」
「じゃあ、やってちょうだい」
「はい!俺は、なんて、幸せな夫なんだろうか?」
災害用などに備えて、ランタンを作る作業も、させられていた。
「あなた?」
「はい!」
「ランタンを、作ってくれないかしら?」
災害などで困るのが、照明がないことだった。
懐中時計で代用するということも考えられたが、懐中時計は、スポットライトに近い発光量でしかないために、さみしいものだった。まわり全体まで明るくしたい場合などには、有効ではなかった。
たとえば、マジックショーのステージを照らせるほどの発光は、期待できなかったはずだ。
そこで、ランタンを作るよう、フラグが立てられたわけだ。
この方法は、TV番組で知った。
「ペットボトルを簡易ランタンにする、サバイバル術コーナー」
空のペットボトルを、用意。
そのペットボトルの頭を切って、その中に、懐中電灯を上向きにセットするというのだった。そこに、水を入れたペットボトルを載せると、優しい光の広がるランタンが、完成するのだった。
懐中時計の発光に使う単一型乾電池は、言うまでもなく、妻に命じられて代用工作をおこなった、単三型乾電池だった。
「また、乾電池の変換が、役に立ったぞ」
うれしくて、ならなかった。
「俺は、また、レベルアップしたんだな」
「あなた?何か、言った?」
「いいえ、奥様」
「…これも、いけるんじゃないの?」
「そうですね。奥様!」
妻は、上手だった。
懐中電灯の代わりに、スマホのライトを利用することを、アドバイスしてきたのだ。夫婦のレベルが、さらに、上がっていった。
そのほかにも、牛乳パックでスプーンを作る方法などを、試された。
「あなた、やりなさい!」
「はい!」
生きる意欲が、湧いていた。
「…思い出すなあ」
「何、あなた?」
「あの小屋では、貴重な体験ができたよ」
帰宅してからも、マジックショーの件が、忘れられなかった。
ネコ人間が、ステージに上がった人にたいして、こう言ったとする。
「さあ。さあ。観客の、皆様!今夜このステージに上がってくださるというこの方は、今から、鋼の身体となりますニャ!どうぞ、目を、お月様のようにまん丸にして、ご覧くださいニャ!」
ネコ人間が、ステージの上の人を、ステッキで刺すときがあった。
通常なら、刺された人は、こう言っただろう。
「痛い!」
が、ステージ上の人は、文句も何も、言わなかった。
「私は、鋼鉄の身体となった」
そのかりそめの自尊心とやらが、客に、何言わせない圧力を与えてしまっていたのだろうか?
恐るべきは、その次だった。
その鋼鉄現象を確かめたいと思う熱心な観客がいて、ハッスルしてしまった場合だ。これは、恐ろしくも、厄介だった。
「本当に、鋼鉄の身体になったのか?」
そう、純朴に確かめるが如く、実験だ。
ハッスルして、ステージに上がった人に向け、持ち合わせていたペンで、ツンツンと突き刺すような人が出てきてしまうことがあったためだ。
それにより、ステージの上にいた人は、もだえ苦しむことになった。
「やめろ…」
「ツンツン…本当に、鋼鉄なのか?」
「や…やめろ!」
こうなると、ネコ人間の弁解がはじまったものだ。
「おや、おや。これは、困りましたニャ。このお客様には、催眠術が上手く利いていないのでしょうかニャ」
このとき、奇っ怪な現象が起こされた。
ステージに上った人の中には、どんなに痛くても我慢し、涙をこらえてしまう人が出たのだ。
痛みをこらえる努力は、見ている側にも、つらいものだった。
「痛かったら、泣けば良いのに」
が、それはできなかった。
「痛いの?泣くの?そういうことなら…。あなたはもう、こなくて良いよ。ステージから、降りてくれないか。俺たちに、ポストを譲れ」
そう言われても、我慢しなければならない立場にいたからだ。
「泣けるわけが、ないじゃないか…」
痛みを、こらえ続けた。
そこで泣いてしまえば、せっかく上がれたステージの上から、引きずり下ろされてしまうためだ。
非情にも、痛ましいステージとなった。
それは、大変な悲しみだった。
「痛くなくても、上手く、泣く人がいたじゃないか。俺も、見習うんだ。この、ステージに上がれた身分を守り抜くために!」
信念さえ、もてていた。
観客の喝采を集めるための技術が、病的かつ器用に、演じられていた証拠だ。
これたいして、社会では、こんな状況もあったという。
「痛くても、泣けずに、我慢をする人が出た」
これは、つらかった。
ステージの上で、客は、何をすれば良かったのか?痛くなくても泣くのは、誰のためだったのか?何のため、だったのか?
では、本当に痛くても、泣いてはならないのか?
何の、ために?
ステージを、守るため?
それとも、喝采をもらえるように、するため?
もらえた喝采を、終身雇用として、だらだら守っていくため?そういう人に限って、退職後の、言い訳にするため?
「あなたは、ステージに上がり、観客を前にして、どのように振る舞うべきなのだろうか?」
ステージ上から逃げ出すことは、できなかったのか?
「…逃げちゃ、ダメだ。…逃げちゃ、ダメだ」
心の時限爆弾が狂って、そう思わせていたのか?
それって、何?
心の時限爆弾って、身分のこと?
「そういえば、なぜ、痛い思いをしていた人が逃げなければ、ならなかったんだ?」
またもや、新たなフラグが立っていた。
「逃げずに戦えば、良かったのか?やられたらやりかえせって、いう。けれどな…。やり返したら、今の身分を失いかねない。そのリスクに、耐えられるのか?何なんだよ、この、ステージは!」
そして、はたと、こうも思わされた。
「そもそも、それほどまでして守るべきステージって、何だったんだろう?」
思いながら、悩まされた。
そうしたことをきちんと考えたことは、これまで、なかったはずだ。だからこそ余計に、もどかしくもあった。
「負けたくない!負けたくないんだ。だからこそ…」
そういえば…。
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