第32話 あぶない取引。もっと危ない取引。もっともっと…。

 目の前に立っていたのは、彼をこの島に連れてきた会社の男だった。

 「おや、おや。マツダ様で、ございましたよね?また、会いましたね」

 「いやみな奴…」

 「さあ、マツダ様!がんばって努力して、生きてみてください。努力をすれば、この島から出られるでしょう。努力は、難しいですか?ははは」

 何も、言い返せそうになかった。

 男は、ぶら下げていたカバンを探り、何かの部品のような物を、取り出してきた。

 「そ、それは?」

 「お客様。わかりませんか?先ほど、見せたではありませんか?ハンドタイプ型扇風機を動かすための、電池ですよ」

 「何だって?」

 「もっとも、今のあなたには、必要がないのかもしれませんがね」

 「?」

 「意味が、わかりませんか?」

 「…」

 「自分自身の頭で物事を考えてこなかったツケが、こうして、出るのです」

 「…」

 「さあ、再交渉ですよ!よろしいでしょうか?お客様は、あのハンドタイプ型扇風機を、手放してしまったのでしょう?扇風機を動かすためのこの電池を、売りましょう。光の風は、欲しくないのですか?」

 ただ、苦しかった。

  「…」

 「一本、たったの、10 00万円ですよ。そのくらい、出せるでしょう?あなた方は、何でもできた世代では、なかったのですか?父上母上、たくさんの取り巻きに、金を出させれば良かったのでは、ないですか?」

 「あぶない取引、かよ」

 「いいえ?もっと危ない取引です」

 「もっと、もっと…」

 「もう、やめてください」

 何だか、頭にきた。

「…電池の取引、だって?今は、あのハンドタイプ型扇風機は、ないんだ!その今となっては、電池なんて、無用の宝じゃないか!」

 「ほう」

 「客の足下をすくうようなことを、言いやがって!」

 「足下を、すくう?」

 教育的に嫌な予感が、してきた。

 「お客様?今、何とおっしゃいました?」

 「だから…足下をすくうって」

 「足下をすくう?社会人にもなって、何年が経つんですか?恥ずかしい」

 「何だと?」

 「足下をすくっても、空回りですよ?」

 「何?」

 「足下をすくうではなくて、足をすくうですよ。足下を見ると、混同していたんでしょうなあ。困った世代、ですよ」

 「…だって。小学校だったか中学校だったかの先生が、そう言っていたぞ?だから、そういう言い方が正しいと、思っちゃっただけじゃないか!」

 「…亡霊、再び。オンリーワン世代の言い訳論法、再び」

 頭にきたが、言い返せなかった。

 知的レベルの低さは、見抜かれても、隠しようがなかったのだ。

 「…お客様?良いことを、教えてあげましょうか?」

 「…何?」

 「強いプレイヤーには、ボーナスチャンスがつきものです」

 「…」

 「それが、このゲームのルールでも、あるのです」

 「…何?」

 「これをあなたに、さし上げましょう」

 男は、ぼろぼろの重い袋を、放ってきた。

 「これを、くれるっていうのか?」

 袋の中には、丁本、50本の乾電池の束などが、入っていた。他に入っていたものは、布切れにハサミ、粘着テープだった。

 「どうですか?大量の単三型乾電池が、入っているでしょう?」

 「本当だ」

 「この島から脱出するためのボートを動かしたければ、この電池を組み合わせて、動力としてください。ただし、念のために、今一度申し上げます。このボートを動かすための動力として必要なのは、単一型の乾電池です」

 「何だって?だって、乾電池は、どれも、単三型なんだろう?これじゃあ、単一型電池の動力は得られないんじゃないのか?」

 「…そうでしょうか?考えてみて、ください」

 「何?」

 「袋の中には、乾電池以外の素敵な道具も、そろっておりますからね」

 「うう…」

 彼の声は、確実に、か細くなっていた。

 「…この島を抜け出すために必要なボートは、ここから少し先にいったところの浜に、泊められております。ボートの名前は、アパオシャ号といいます。良い、名前でしょう?」

 「アパオシャ号?」

 「それでは、ごきげんよう!」

 男の走り去っていった後の空気全体が、疲れてきていた。

 幻想を見ているよう、だった。

 あるいは、本当に、幻想を見ていたのかもしれなかった。

 「ああ。俺が話していた男の正体が、わからなくなってきた…。あれは、俺を島に連れてきた男であって、俺に帰り方を教えながら、きっとどこかで見張っていた男であって…。何だよ、あの、変な男…」

 単三型電池の束が、恨めかしかった。

 「あ!思い出せたぞ!」

 単三型電池を、単一電池として使う方法が、よみがえってきた。

 意欲が、出てきた。

 「あの男の投げた乾電池袋の中が、使えるんじゃないのか?」

 子どもの頃の夏休みの研究ではないが、久しぶりの工作活動をおこなえるチャンスに、胸が、高鳴っていた。

 「俺たちだって、努力しようとすれば、できるんだ!」

 他の人たちのことを、思っていた。

 一本一本の単三型乾電池に、布切れを巻き付け、粘着テープで止めていった。長い長い作業には、時間が、ひょうひょうと過ぎ去っていった。

 50本すべての単三型乾電池を、単一型乾電池として代用できるようにと、コツコツ作業…。

 「俺だって、やれば、できるんだ!」

 努力の大切さが、わかってきた。

 「できたぞ!」

 改めて、アパオシャ号の中の、動力部分にあった文字を読み返していた

 「どういうこと?」

 サバイバルをも試すこのゲームのフラグは、際どく立つものだった。

 「何、何…?乾電池は、51本必要です、だって?50本じゃあ、足りなかったっていうのか?」

 久しぶりの妻の顔を、思っていた。

 ポケットの奥に、妻とのキッチン作業で言い争ったときにしまった物が、入っていた。

 「今度は、単二電池か!もう一本必要だっていう単一型電池だったのなら、助かったのに。マユめ…。あいつが、悪いんだ!」

 絶望を、味わいそうになった。

 …が、思い直した。

 「いや、違うぞ。単二電池だって、単一電池に、変換できたはずだ!」

 そうなのだ。

 日本の単一型、単二型、単三型といった乾電池は、電圧が、すべて、同程度。ということは、乾電池の大きさは、単なる容量の違いでしかなかったのだ。このため、単二型であっても、単三型と同じように、単一型の乾電池として使用したいする場合は、直径を、皆、3,4センチにして高さを合わせれば、代用できるのだった。

 「これも、応用だ!単二型乾電池にも、布を巻き付けていけば良いんじゃないのか?」

 …できた。

 完成だ。

 「よし、いくぞ!アパ…。何だっけ?アパオシャ号、か?」

 ボートは、軽やかに、家からそ程遠くない浜まで連れていってくれた。そこから帰宅を果たすことは、もう、難しいことではなかった。




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