第25話 さようなら、愛の庁舎
それはそれは、恐ろしい感覚だった。
「助けてくれ」
「この島から脱出できる方法を、知っているんだろう?」
「俺たちも、ここから出してくれよう…」
手は、うめき続けた。
彼も負けずに、反発した。
「やめてくれ。手を、離してくれ。どこかに、いってくれ」
すると手は、こんなことを言ってきた。
「お前に、拒否する権限はない」
「そうだ、そうだ」
「お前は、この俺様たちの前で、サンダル履きじゃないか。この俺様たちの前で靴も履いていないとは、無礼にも、程がある。サンダル履きのお前など、俺たちにつかまれて、当然なのだ。さあ、この島からの脱出方法を教えるんだ」
靴のない怖さを、知った。
「お前は、最凶の世代なんだろう?」
「お前のことなら、調べた」
「あの愛の庁舎を、よくも、焼いてくれたものだな。一般人から金をだまし取っても時効になって逮捕されず、天下り鳥となって逃げられるという、意味不明の役人怨念を、思い知るが良い」
声が、増えた。
「熱いよう…」
「風を、くれよう」
「延焼にならない程度の風を、恵んでくれよう」
彼は、頭を振った。
声は、止みそうになかった。
「熱いよう。そしてまた、暑いなあ…。なあ、旦那?扇風機を、持っていないかい?といってもここには、電気が通っていない。電池で動く、ハンドタイプの小型扇風機でも、良いんだ。恵んでくれよう…」
声は、しつこくまとわりついてきた。
「う…」
何度も、襲われていた。
「う…」
いつしか、扇風機に関するいくつかの思い出を、探り当てていた。
「そうだ。ハンドタイプの、扇風機」
思い出せた。
アリマとマユのいなくなった数年前の出来事で、彼は、現場から、ハンドタイプの小型扇風機を、見つけていたはずだった。
だが彼は、いつだったかそれを、なくしてしまっていた。
「まあ、いいや」
それでも、安穏としていられた。
かつて、妻のマユが、商店街のくじ引きで当てた扇風機のほうが、大切だった。高価だろうし、高機能型に思えたからだ。
「それに、マユの記憶が…」
つぶやいて、口を閉じた。
「失敗したのかも、しれない…」
心底、悔やんでいた。
「扇風機の価値を理解できなかった俺の弱さ、最強世代としての強さが、出てしまったんだなあ」
彼の身体にすがりつく声は、変わらなかった。
「助けてくれ…」
「頼む、助けてくれ…」
「熱いよう」
「見捨てないでくれよ、マツダ?」
なぜこちらの名前を知っていたのかと問う余裕も、なかった。すがりつく声には、すがりつく思いで応えるしかなかった。
「わかった。わかった。皆の気持ち、もっともっと、欲しいな」
声なき声は、喜びに震えていた。
「良いだろう。伝えよう」
「助けてくれ…」
「そうだ、そうだ…」
「助けてくれよ…」
「俺たちは、お前たちになれなかった」
「懸命に生きても、つぶされた」
そんな声が、哀れでならなかった。
「努力をしても、お前たちには、及ばなかった」
「何て、ことだ。社会は、あまり努力をしないお前たちを、選んだんだからな」
「病的だよ」
「俺たちは、お前たちになれなかった。ましてや、おじさんたちのようにもなれなかった。他人の努力をむしり取り、横入りし、涙した証を着服し、データをなくし、逃げ得をしたお前たちが、憎い」
「良いなあ。お前たちは、強すぎだ。俺たちから金を取り、それでいて感謝もせず、俺たちを汚した。努力しなくても、コースに乗って、楽々生活だ。俺たちは、どんなに、無念だったことか。お前たちのやっていたことは、あの役人たちと変わらない」
「そうか、マツダ」
「それくらいしか、言う言葉が見つからないからな」
「良いぞ、マツダ?」
「これで、良いのか?」
「聞いてくれて、ありがとう。少しは、落ち着けたよ。いずれお前は、この感謝の落としどころを、知るだろう」
声は、満足そうに、小さくなっていった。
感謝されて、気分が悪いわけ、なかった。
「わかった。わかった。俺が皆の声を代表して、助けを呼んできてあげよう。だから、おとなしく、ここで待っていてほしい。頼むから、もう、手を伸ばして俺をつかまないでくれよ」
彼の言葉は、一見して、優しさに満ちあふれていたような気がした。が、その言葉の真意は、優しさとは裏腹だった。
声なき声たちというべきか、溢れる声ある声たちを黙らせる、彼なりの些細な作戦でもあったのだ。
内心は、こう思っていたのだった。
「こんなわけのわからない声たちの相手なんか、していられるものか。助かるのは、俺だけだ。オンリーワン貴族の奇跡を、見せてやる!最新型縦置き扇風機の恨み、晴らさでおくべきか!熱い?暑い?それだと、死ぬのか?バカに、しやがって!命の価値を問えるのは、俺だけなんだ。俺以外は、俺の心の風で、吹き飛ばしてやる。俺は、その風を起こすためにも、あの事件の日、焼け跡から、心理的な扇風機を手に入れていたんじゃなかったのか?」
手の声は、落ち着いてくれたようだ。
平静にして、漂っていた。
「よし、良いぞ。もう少しだ」
その声を、完全に黙らせたかった。
「皆。良いか?心配は、しないでほしい。俺が、皆を助けられる道を、探ってくるとしよう。どうか、おとなしく、ここで待っていてほしい」
「わかったよ、マツダ」
彼は、照りつける太陽の下を、勇気をもって歩き出した。
帽子をかぶっていたことは、本当に、大きなアドバンテージとなっていた。
が、歩き出してすぐに、嫌になってきた。
自分自身の足で歩き慣れていなかった彼には、耐久力も、持続力も少なかったからだ。
「疲れたあ」
気分が、悪くなってきた。
何もかもが、嫌になってきた。
がんばることなんて、できるわけがなかった。
「誰か、代わりに、歩いてくれないだろうか?」
ギャグではなく、心底、願っていた。
以前から彼は、強く輝かしい、ゆとりある生活に慣れ切っていた。彼らの世代は、とにかく、強かった。
自分自身の足で歩かなくても、待っていれば、欲望を叶えられていたのだ。努力してつぶされた先輩たちが、ばからしく哀れに見えたほどだった。
その生活が、今になって、祟ったのか?
やる気が、失せてきたのだ。
誰かを助けるという気など、さらさら、なくなってきていた。なぜ自分がここを歩いていたのかさえ、良くわからなくなってきていた。
「もう、嫌だあ。疲れたあ」
彼は、木陰にうずくまって、服のポケットを探った。が、スマホが入っているわけがなかった。
金すら、なくなっていたのだ。
「こんなんじゃあ、生きられないじゃないか」
もう、どうしようもなかった。
何も考えられない非力な時間を過ごすために、彼は、心を閉ざしていった。
「これから、どうやって生きていけば、良いんだ?誰か、教えてくれないかなあ。今まで、黙っていても、誰かがやってくれたじゃないか。それが、この現実だ。自分自身で考えなければ生きられない…。そんなのは、反則だろう」
駄々をこねたくても、見てもらえる人に、わかってもらえる人もなかった。じっと、耐えるしかなくなっていた。
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