第23話 クローゼットの中の秘密
「マユ?どうしたんだ?」
「…」
「新卒一括採用のゆるゆる世代でも、三角飛びを知っている人間は、いたんだぜ?驚いて、声も出まい」
「こ…これが、ゆるゆる世代なのね」
彼女は、死を思った。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。まだナイフを持っていたので、彼女は、それ以上刺激することはしなかった。
彼は、冷たく、言い放った。
「さあ、わかっただろう。三角飛びは、重力の関係から、危険な秘技なんだ。落ちてくる岩石を拳で割る修行も、危険だがな。…岩石割れるくらいなら、格闘家に転向しなさいって言うんだよ」
「…」
「話を、戻そう。アリマがきたら、必ず、発信器を仕掛けるんだ。奴の居場所を、突き止める。あの扇風機を盾に、どこかに姿をくらまそうっていうんだろう?俺には、わかっているんだ。あの大泡世代の考えることは、良くわかるさ。なんたって俺は、あの世代の命の申し子である、新卒一括採用のゆるゆる世代なんだからな。わかったか、マユ!発信器を、仕掛けるんだ。妻だからって、容赦はしない」
男性のエゴイズムが、漂っていた。
彼女は、わきまえるしかなかった。
「…わかったわ。わかったから、ナイフを置いてよ」
「ふん」
彼は、ジャックナイフを収めた。
「開けろ」
「…わかったわよ」
「がこん」
クローゼットを、開けた。
「良いだろう」
並ぶ服の中に、彼の身体が、潜り込んだ。
「でも…。どうして私のクローゼットの中に、入るの?」
「アリマからの隠れ場所に、良いからだ」
「…お気に入りの服ばかり、だったのに。臭いが、うつっちゃうじゃないの」
「何か、言ったか?」
「何でも、ないわよう」
「ここは、最高の隠れ場所だぜ。こんなときにクローゼットを開けて服を見る人間も、いないだろう。アリマは、絶対に、このクローゼットの中を見ないはずだ」
「…」
彼がクローゼットの中に身を潜めてから、10分ほど後。
玄関に、コンコンと、音が響いた。
アリマが、きたのだ。
「…マユ?いるのか?」
蚊の鳴くような、牛の鳴くような声が響いた。
「兄貴なの?」
「そうだ」
ドアの外に聞こえるだけのボリュームで、返していた。
「マユ、きたぞ」
「1人なのね?」
「そうだ」
「念のために、聞くけれど…」
「何だよ。早く、開けてくれよ」
「なぜ、きたの?」
「お前が、呼んだからじゃないか」
「だから、なぜ、きたの?」
「あれを、守るためにだ」
「守るために…」
「ああ。そして…」
「そして?」
「戦うために」
彼女は、すぐにアリマを家に入れた。
「マユ?クローゼットの中を開けろ」
こういうときに限って、男というものは、何かの隠し場所に勘付いてしまうものなのだった。
「クローゼット?ダメよ」
もちろん彼女は、かたくなに拒否をした。ここでその中を見られてしまえば、すべてが終わると、覚悟したからだ。
「クローゼットなんか、どうでも良いじゃないのよう!」
「なぜだ?」
「どうしても、だめ!」
「なぜだ?」
変な現場に、なってきた。
彼女は、必死になって、彼の身を隠そうとした。
が、アリマがクローゼットに注目した理由は、彼女の恐れとは、やや、ベクトルが違っていた。
彼の居場所、隠れ家を探り当てたからクローゼットを開けるように頼んだのではなかった。
逃走のための便宜上、扉を開けたくなったのだ。
「ここで、妹の服をまとってしまえ。そうすれば、逃走中に、世間の目をごまかせるだろうからな」
アリマは、兄弟愛のミラージュでも身に付けようと、考えていたのか。
「フリフリのかわいい服なんか着てしまえば、変態と思われるかも、知れない。が、構わない。そんなおじさんは、世の中、いくらでもいる。おじさんは、働かなくても、がっぽり金をせしめて定年退職し、上手く逃走できる身分。ある意味、変態だ。学校の先生なんかも、そうだな。キショイ、公務員だぜ。児童生徒の前では聖職者のペルソナをかぶれても、裏では、どんな生活をしているものやら。って、同じおじさんの俺が言うのも、何だが。…あれ?話が、違ってきたな。まあ、良いか」
「兄貴?さっきから、何を、ぶつぶつ言っているの?」
「なんでも、ない」
アリマは、拳を握りしめた。
とりあえず彼に、赤ちゃんを渡した。
遠くを見て、覚悟を決めていた。
「兄貴の姿は、見えない。…私たち、許してはもらえないのね。そういうこと、か。この罪は、償わなければならないわね。国の役人レベルに抵抗して、私はもう、逃げない。償うわ。責任をとって、命を絶ちます」
「マユ!」
「私は、たとえ死んだとしても、あなたのことを、忘れません。冥界に旅立ったら、今度は、あなたの布団に毛布を入れてあげる。あなたの飲む紅茶には、今度こそ、砂糖を入れてあげるわ。もう、毒物を混入したりなんかしないわ」
「お前…」
「私は、冥界にいきます。私がガラガラくじで引き当てた最新型の縦置き扇風機は、あなたが使って、良いわ」
「いや…。だからそれは、今、どこにあるんだい?」
彼のほうが、涙を流していた。
「さようなら、あなた」
「マユー!」
「私…、扇風機に、私の思いのすべてを込めます。絶対に、私の代わりとなって働いてくれることでしょう」
「うそだあ」
火はさらに燃え上がり、会社は崩れ、巻き添えになった役所も崩れた。
「その日登庁していた職員は、皆、死にました」
後に、TV 番組のニュースが、報じた。
「が、納税データは、昨今のバックアップ機能の向上等もあって、無事でした」
多くの視聴者が、喜んだ。
彼は、キツネにつままれた気分、だった。
「あの兄妹には、俺なんかには計り知れないほどの不思議な力が備わっていたんじゃ、ないのだろうか?」
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