第22話 超、意外。実は、この場面の出典は、日本書紀とアレでした

 彼女は、許しを請うような目を、あげた。

 負けたくは、なかった。

 「この、アンリマユ…。絶対に、マツダなんかには負けないんだから!」

 「お、お前…。亭主に向かって、そんな口を聞くようになったのか?」

 「どうして今になって、夫婦の関係を持ち出すようなことを言うの?」

 ただ、せつなかった。

 「そんなこと言われたって、私…。怖くなんか、ないわ」

 「何だと?」

 「あなたは知らなかったのでしょうけれどね、私、ボールと友達なの!怖くなんか、ないのよ?」

 「何を、言うんだ!」

 ボールの話が出て、カードは切られた。

 争いは、新たな展開を迎えた。

 「どう?あなた?スポーツクラブのサッカーボールが、こうして、つながったじゃないの!すべては、ここにつながる複線だったのよ!」

 「バカな、ことを!」

 彼は、そう叫んで横に飛び、身体を壁に叩き付け、泣いた。

 「痛い…」

 「あなた?1人で自爆して、何をやっていたの?」

 「三角飛び、だ」

 「…」

 夫のことが、哀れでならなかった。

 「ちょっと、考えさせてくれる?」

 「何だって?」

 一旦、自室に戻った。

 座って、考えてみた。

 「この人、マツダと結婚して、本当に、良かったのだろうか?」

 不思議な感覚に、捕らわれていた。

 夫は、三角飛びの失敗の痛さを知らなかったとでもいうのか、不すぎで不思議で、ならなかった。

 痛みをわからぬ定年退職おじさんの恐怖に陥らぬよう、案じていた。

 彼女は、夫の姿に、おじさんの怨念らしさを感じていた。

 夫はまるで、亡霊だった。

 「亡霊、再び…、か」

 夫が定年退職世代のおじさんのようにならぬよう、祈っていた。

 社会は、増殖した定年退職おじさんの介護に、追われた。おじさんたちは奇妙で、まさに、亡霊だった。

 おじさんたちは、子どもたちに、彼らには信じることのできた教育を、懸命に振りまいてきた。

 「社会なんて、楽勝、楽勝。学校に入ってしまえば、寝ていれば、良いんだ」

 だが、なぜか現実は、その言葉の通りにはならなかった。

 まことに、面倒なことになった。

 おじさんたちの危機感の無さが、新しいゆるゆる世代を作り上げた。

 彼女らは、見事に、双方の世代に挟み込まれた。

「この人、マツダと結婚して、本当に、良かったのだろうか?」

 不思議な感覚は、終わらなかった。

「気を付けなくっちゃ、ならない。この人は、私を恨んでいるに違いない。私が商店街で当てた、あの最新型縦置き扇風機を、狙っているのよ!」

 だが、彼女は、どんな亡霊に襲われても、我慢をしなければならなかった。この人の妻である、限りは。

 夫婦とは、そういうものだったのだ。

 結婚をする前は、婚活に骨身を削りながらも、楽しい家庭を持とうと、望んでいたはずだ。

 それなのに、その希望が、奪われようとしていた。

 「それは、なぜ?」

 鏡を、見つめていた。

 「あの扇風機の、せいなの?」

 夫が、怖くてならなかった。

 扇風機を守るためには、夫の殺害もやむを得ないと、覚悟していた。

 社会とは、そういうものだったのだ。

 「また、あの人が帰宅したら、戦わなくっちゃ、ならないんだわ」

 彼女は、こぶしを作った。

 「こんな夫婦、いて欲しくないワン」

 どこかのイヌが吠えたような気が、していた。

 2人は、本当に、夫婦と呼べる関係だったのだろうか?新しい疑問が、ドクドクと、湧いて出てきた。

夫婦なのか。

 それとも、責任なく戦えるような恋人の関係に、過ぎなかったのだろうか?

 一般論として、顔を合わせる2人が夫婦なのか、それとも恋人に過ぎなかったのかを見分けるには、会話があるかないかで判断すべきだと、いわれた。

 「私たちって、マツダと、どんな関係でいたかったから、会話をして戦っていたのかなあ?」

 少しばかり、不安になってきていた。

 恋人の関係であれば、会話をし続けただろう。単にし続けるどころか、弾んでいっただろう。

 恋人ならば、互いのことを知りたいと思えばこそ、会話を続けた。プライバシーにまで踏み込む論争すら、楽しまざるを得ないのだという。

 それって、本当なんだろうか?

 それが、夫婦であれば、会話がなくなるといわれた。互いのことをわかった気になるのは、きついことだった。

 「でもこんな状況も、ありなのかなあ?」

 欺瞞の独り言に、満足してきていた。

 夫婦とは、不思議な関係でならなかった。商店街の扇風機をめぐって夫と戦争状態を起こすような現実も嫌だったが、絶えず、誰かに見張られているような気にもなって、嫌だったのかも。

 「夫婦は、互いに、口を開かなくなる、か…」

 言い争いが軽減されること自体は、良いことだ。

 だが何かが、物足りなかった。

 夫婦の一方が失われてはじめて、それがかけがえのない存在だったと気付くことも、あった。

 「…ああ。こんなことなら、もっと、口論をしておくべきだったなあ。…ああ。こんなことなら、商店街で、最新型の縦置き扇風機を引き当てるんじゃなかったわ」

などだ。

 夫婦は、互いを理解しようと、務めるものだ。わかっているから会話がなくなるといっても、わかったからじゃなくて、本当は、わかったつもりになってしまうから、会話を無くすだけなのだ。

 それでも、話をしすぎれば、知らなくても良かったことまで曝いてしまって、傷付くもあった。

 「この人が、あの扇風機を手に入れるために、一体、何をしてくるものか。この人は、扇風機の風を操作し、社会に、どんな風を吹き入れようとしていたのか?」

 近付けば近付くだけ、相手のパーソナルスペースを見出してしまい、こちらの傷を自ら開いて、痛みを知るものなのだ。

 「まるで、ヤマアラシのジレンマだわ…」

 ショーペンハウエンのペルソナでも、付けたかのようだった。

 「今度帰宅したとき、あの人に、こう言ってやろうか?」

 意地悪に、なっていた。

 「はじめまして。アンリマユです」

 こんなときにそう言われて、何と、感じるだろうか?

 平静を、装うだろうか?それとも、こんなことを言ってくるだろうか。

「何を、言っているんだよ。いつもは、そんなにも、礼儀正しくなんかしないじゃないか。こんなときばかりは、ずるい言い方だよな。お前は今、何を演じているんだ?良い妻でも、演じているのか?」

 夫婦になり切れない彼女には、良くわからなかった。

 「この人を、どう料理しようか?」

 ひどいことばかり、考えていたものだ。

 「まあ、良いか。口論を、再開するか」

 マツダ対マユの戦いが、続いた。

 彼の目が、急に、きつくなった。






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