第18話 最高のノンプレイヤーキャラクター、イヌの登場

 これにはアリマも、驚いた。

 「お前は、人の言葉をしゃべれるのか?こいつは、漫画か小説のようだな」

 「神の使いなら、しゃべれるんだワン」

 「わかったよ」

 「マツダは、お前への復讐を、考えているんだワン」

 「復讐って、お前…」

 「思い当たる節が、あるんじゃないのかワン」

 「思い当たる節?」

 「そうだワン」

 「思い当たる節、か?わからないなあ…。あいつのスリッパに接着剤を塗って、わざと転ばせて喜んでいたのは、マユだ。あいつの弁当に靴墨を混入させて喜んでいたのも、マユ。あいつの飲むコーヒーの中に、激辛唐辛子を混入させたのも、マユだ。俺は、何もやっていないぞ!」

 「ひどい兄妹だ、ワン」

 「…とにかく、なぜ俺を逃がそうっていうんだ?」

 「あんな男に扇風機を奪われようとしているお前が、哀れでならないからだワン。これが、イヌの哀れみというものだ」

 「イヌの哀れみ、だと?」

 「俺だって、あの男が嫌いだワン。あいつは、このイヌのプライドを、ズタズタにしてくれたからな。そんなあいつに傷付けられる人間が、哀れでならん。だから、逃がしてやりたいんだワン」

 イヌは、マツダへの恨みの内容を、しみじみと語った。

 以前、イヌは、公園に落ちていたポップコーンに目を付けた。

 「やったワン!」

 そして、食べようとした。…その、瞬間だった。

 ほうきで掃いて、ポップコーンをどこかに追いやってしまった男がいたというのだ。

 「それが、マツダなのか?」

 アリマが聞けば、イヌは、無言でうなずくばかりだった。

 頭にきたイヌは、マツダの臭いを覚えた。

 「覚えていろだ、ワン!」

 本当に、覚えていた。

 付け狙い、おしっこを引っかけてやることに成功。

 だが、それくらいでは、腹の虫は収まらなかったとのことだ。

 「だから、俺に逃げろって、いうのか?」

 そう言うとイヌは、黙ってしまった。

 「やっぱり、やめたワン」

 「何だって?」

 「逃げるだけでは、物足りないだワン」

 「そうなのか?」

 「イヌの沽券に、関わるんだワン」

 「イヌの、沽券?」

 「やられる前に、やってしまうんだ。マツダを、殺すんだワン!」

 「し、しかしなあ…」

 応じられるわけが、なかった。

 いきなり、どこかの見知らぬイヌに、そんな大事件につながるようなことをそそのかされても、どうしようもなかった。

 「断る!」

 「断るのかワン?」

 「そうだ」

 「立場を、わかっていたのかワン?」

 イヌに、良く謝った。

 「すまない。俺には、なぜ、イヌの言葉が理解できていたのかさえわからない。この時間は、何なんだ?こんな変な夢とは、付き合えん」

 何度も、断りを込めながら、イヌに謝っていた。

 「ごめんなさい」

 しかしながら、どう謝って突き放そうとしても、イヌは帰ってくれないのだった。イヌとの押し問答が、続いた。

 イヌは、きつい目で吠えた。

 「良いか、アリマ?良く、聞くんだ!」

 「ああ」

 イヌの迫力に、圧倒されていた。

 「あの男マツダは、マユの引き当てた最新型の縦置き扇風機を手に入れるためには、殺しもやむを得ないと、思っているんだぞ?」

 「そんな、バカな!」

 アリマの首筋に、変な汗が伝った。

 「アリマよ…」

 「な、何だよ」

 「お前は、自分自身の血縁の恐怖と縦置き扇風機の秘密に、まるで、気付いてはいなかったのだよ」

 「…」

 「お前の妹マユは、俺に、食べかけのパンを放ってくれたことがあるんだ」

 「何だと!」

 「ほら。お前は、妹のことなど、何もわかっちゃいなかったんだ。マツダが妻のことを何もわかっちゃいなかったのと、似て」

 「…」

 イヌが、愛おしくなってきた。

 「良いか、アリマ?マユは、俺に、パンをくれた。自分自身の空腹を満たす欲望を投げ打ってまで、俺を助けようとしてくれたんだな。マユは、見知らぬ人、じゃなかった、見知らぬイヌのために、我慢ができたんだ」

 「…」

 「さすがは、苦しい中でも我慢ができた、氷河期世代の子だ。授業中に勝手にトイレにいって、社会人になってもそのクセが抜けずに、業務中スマホ動画に熱中するようなお前の義理の弟、つまりはあいつのような年下夫とは、違う」

 「マユが、結構な年上妻だっていうのか」

 「だって、そうなんだろう?」

 「それは、そうだが…」

 「ほら。当たっていただワン」

 「…おい、マユの年齢を悪く言うのか?」

 アリマは、マユをかばおうとした。素晴らしき、兄弟愛だった。

 「違う!そうではないワン!」

 アリマとイヌの論争は、続いた。

 「道に立ち止まって、イヌと会話している男がいるぞ!」

 近所では、ちょっとした話題になった。

 「ママー!あれー!」

 どこかの子どもが、アリマとイヌを指差した。

 「ダメよ!見ちゃあ、ダメ!」

 親子の会話が、美しく弾んでいた。

 また、別の子が、スマホを向けた。イヌと話す人がいる様子を動画に撮り、S NSで流そうというのだろう。

 「アリマよ。社会は、複雑怪奇だワン」

 「何だって?」

 「マユが俺に恵んでくれたパンは、元々、マツダが買ってきたパンだったというではないか!」

 「なぜ、そんなことがわかるんだ?」

 「マユが、そう言っていたからだ」

 「何だと?」

 するとイヌは、マユの真似をした。

 彼女が、夫マツダにこう言っていたというのだ。

 「…パンを、買い過ぎちゃったの?あ、そう。そりゃあ、私だってそういうことがあるから、わからなくはないわ。でも、さあ。あなたは、いくつ、買っているのよう。いくら食パン大安売りだったからって、2人用に、30斤以上も買ってくるなんて、あり得ない。人はパンのみに生きるにあらずとか何とかいう言葉があったけれど、これじゃあ、その皮肉じゃないのよう。あり得ない。先のことを予測する能力のない世代の行動は、本当に、恐怖だわ」

 これには、アリマもまた、何も言い返せそうになかった。

 「だいたいあの人って、30斤という単位の言葉も、知らなかったのよ?斤よ、斤。どういう教育を、受けてきたのかしら?ゆるゆる世代って、本当に、怖い。生きる教育だかなんだか知らないけれど、それを受けても、生活力がないじゃないの。あの人ったら…。パン屋にいっても、食パンが買えなくなっちゃうかも、知れないわ」

 何も、言えそうになかった。

 結局は、これくらいしか、言えなかった。

 「たしかに、あの世代と一緒になったマユも、気の毒だ」

 肩を、落とした。

 不気味な光景に、近所が、震えていた。

 イヌは、元気の良すぎたノンプレイヤーキャラクターだった。

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