第16話 夫が、知らない女性と歩いていた件
彼女は、頭にきていた。
「また、ピンチだわ。いつも、そうよ」
夫マツダが、知らない女性と歩いていたのを、見てしまったのだ。
だがこのピンチは、すぐに、切り替えられた。
「何よ、あの若い女性は?若い世代同士、脳にゆとりがもてそうで、良かったわね!」
ひどい言われようだと、感じさせられていた。
強く反論せずに、かといって、緩やかに言い訳をしてしまうのもおこがましく、軽く答えていた。
「あの人は、会社の後輩ですけど?もしも気になるんだったら、会社名簿でも、見てください」
「会社名簿?」
「写真付きです」
「だって、あなた?そんなことをしたら、個人情報の保護の法律に引っかかるんじゃないの?」
「社内間閲覧では、問題ありません」
「わかったわよ」
その問題は、すぐに、解決した。
彼の会社の後輩、ワユさんという子だったことが、わかったのだ。
「…わかった。許す」
「当然だろう?」
「じゃあ何で、一緒に、食事までしていたの?」
「会社の新規プロジェクトの、打ち合わせだよ。食事まで、覗いていたのか。俺を付け狙う、単なるストーカーみたいじゃないか」
いつでも、ピンチになれた。
夫婦のピンチの多くは、でっち上げ。
そんなデータも、あるそうだ。
さて、新しいピンチが起こった。
夫婦の心の、その新しいピンチは、さかのぼれば、扇風機事件にあった。
「マユは、運が良くてうらやましいよ」
彼によるそんなひがみ、やっかみ、ねたみが事件を生んだ。
マユのことが、いつだって、うらやましかった。
「幸運な女性は、男を、何するものぞ」
苦しかった。
「いつか、殺してやる」
とんでもないことまで、考えていた。
「あの扇風機の恨みは、忘れない」
つまらないことを、つぶやいていた。
先週、彼女は、自身の身体には不釣り合いなほど大きな箱を抱えて、帰宅した。
「あれ、マユ?」
「何よ」
「商店街にいっていたんじゃ、なかったのか?」
「ええ。いっていたわよ?」
「ずいぶん、大きなものを抱えているんだなあ。食材を買いにいっただけなのに」
「…まあね」
「商店街で、何を買ったっていうんだ?」
「当たったのよ」
「当たった?」
どうやら彼女は、商店街のくじ引きで何かを当てたようだ。それで、その戦利品をもって帰ってきたとのことらしかった。
「家電センターの入口で、ガラガラクジをやっていたのよ」
「家電センター?」
「うん」
「ああ。中央アーケードを進んで左の、あそこか」
「そう」
「ガラガラクジのチケットでも、もっていたのか?」
「中央アーケードに入ってすぐのスーパーマーケットで、洗剤とかカレー粉とかたくさん買って、おまけにサンダルやらコップとかも買ったら、くじ引きができるチケットをくれたのよ。家電センターでくじ引きをやっておりますので、どうぞ寄っていってくださいって」
「ふうん」
「おまけに、本もくれた」
「ずいぶん、サービスが良いな」
「ソロアフター会社って、書いてあった」
「ソロのアフターサービスっていうこと、なのか?」
「かなあ?サービスが良いのも、これで、うなずけたわ」
「なんだ、そりゃ…」
要するに、マツダの妻マユは、商店街で買い物をしたついでにもらったくじ引きチケットを見せ、家電センターでくじを引き、何かの家電を当てたとのことだった。
「マユの持っているその箱には、くじ引き賞品が入っているわけか」
「そういうことよ」
「何が、入っているんだ?家電センターの賞品だから、家電なのか?」
「うん」
そのとき、彼女の後ろに、1人の男が迫ってきた。
「ああ。義兄さんか。マユと一緒に、買い物にいっていたんですか?」
「いや。そうじゃないんだ」
長身でぼさぼさ頭の男が、言った。
マツダの妻マユの兄、アリマだった。
「兄さん?だって、マユと一緒の物を抱えているじゃあ、ないですか。一緒に、買い物にいってくれていたんでしょう?」
「違うよ。いくら義理の兄だって、そこまで、義理固くはないよ」
「何を、言っているんですか。兄さん」
「マユに、急に、電話で呼び出されたんだよ。愛しのお兄様、きてください。どうしよう、困っているの、って…」
アリマが、落ち込んだ顔を見せた。
「お兄ちゃん、ほら。遅い、遅い」
「すまん、すまん」
「アリマン!走れ!」
「そのあだ名は、やめてくれ」
「良いじゃないのよう」
「良くないだろう」
「何よ」
「…まったく。兄貴に向かって使う呼び方とは、思えん」
「良いじゃないのよう」
「ひどい、妹だ」
休日に呼び出され、相当、嫌な思いだったのだろう。
「良いじゃない。だって、本当に、困っていたんだもの。2つも当たるなんて、思っていなかったし!」
彼女は、火を吐くように言った。
「まあ、落ち着けよ。マユ」
夫としての威厳を見せるかのようにして、言っていた。
「わかったわよ。落ち着くから、それ、玄関のフロアに下ろしてよ」
彼女は、アリマにも、火を吐くように迫っていた。
アリマの顔が、また、落ち込んだ。
「兄妹から助けを呼ばれたなら、いくだろう。フツー。こいつは、その心理を逆手に取ったんだな。我ながら、何て妹だ」
なお、アリマは彼女の兄ではあったが、母親が違った。いわゆる、腹違いの兄というものだった。
血のつながりがちょっとでも薄れると、人間というのは、非情になってしまう生き物なのか?社会の奥深さを、知れた。
「私の兄貴なんだから、しっかり、しなさいよね!」
「そういうセクハラみたいなことを、言わないでくれよう」
「それって、セクハラじゃあ、ないでしょう?」
「ちぇっ」
「男なんだから持ちなさいとか言えば、セクハラっぽいけれどさ」
「ひどい、妹だ」
「良いから、早くそこに、下ろしてよ!」
「…カゼハラだよな」
「カゼハラ?」
「セクハラじゃなくて、カゼハラだ」
「風を運べって言うから、カゼハラっていうことなの?」
「ひどい、妹だ」
兄妹のやりとりを聞いて、マツダには、何となくだが、察しがついてきた。
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