第9話 きっかけは、きわどいグラタン

 「そうなの?」

 「マユは、わかってないなあ?」

 「私、わかっていなかったの?わきまえていなかったっていうこと、かしら?」

 「さあ、どうだか?分業とかっていうのは、定年退職世代のおじさんたちが、言い出したことなのよ?」

 新たな事実に、震えていた。

 分業を進めたのは、女性解放運動をした女性ではあったけれど、その女性のバックには、あのおじさんたちがいたのだという。

 「…だから、危険なわけよ」

 「そうだったのか」

 「いい、マユ?あのおじさんたちは、男尊女卑のえげつない安楽イス社会を守って、そこに安住して、生きてきた。まずは、その点を抑えることね」

 「どうして、安楽イス社会を守ったの?変えようとは、しなかったの?」

 「マユは、わかってないなあ」

 「そう?」

 「あのおじさんたちには、変える能力なんて、ないでしょう?」

 「知的に、実行力もなかった。みたいな感じ?」

 「まあ、そんな感じ。おじさんたちは、自分たちだけが生きられれば良いと思って、身分を保持したかっただけ」

 「…ふうん。身分かあ」

 「そうよ。身分」

 「身分、か」

 「マユ!だからおじさんたちは、その場しのぎの姑息な言葉を広めて、女性の怒りを収めようとしたわけよ」

 「姑息ねえ。分業って、その場しのぎの言い訳、女性と社会を納得させようとした形かもしれなかったわけか」

 「そうとも考えられるって、こと」

 「ふうん」

 「どう、マユ?社会の真相って、怖いでしょう?」

 「うん…でも」

 「何?」

 「でも、そんなレベルじゃあ、社会の反感を買うでしょうに」

 「でしょ?マユの、言う通り。だから今、女性を生かしていこうって、国は、いっているわけよ」

 「それで、女性皆が、納得するのかな?」

 「…しないと、思う」

 「うん」

 「マユ?女性が見直されるのは、良いわ。でも、どうして今になって、このタイミングで、女性が社会の前線で働かせられるようになったのか知っているの?」

 「…」

 「定年退職世代のおじさんたちが、国に、大いなる負債を残したでしょう?あの人たちは、勝ち逃げをして死んでいく。でもその前に、また、良い思いがしたい。でも、生産労働者層が減っちゃった。まあ、おおざっぱに言えば、老人となったおじさんたちばかりでは、国が維持できないとわかった」

 「今になって、わかったの?」

 「らしい」

 「うわ」

 「一部の人の間ではわかっていたことなんだけれど、ほとんどのおじさんは、危機感をもてなかったのよね。それが、今の社会の結果です」

 「…どうして、危機意識がもてなかったのかな?」

 「…あのね、マユ?」

 「うん」

 「それが、おじさんという生き物だから」

 「うわ…」

 「そうとしか、言いようがない」

 「…瞬殺だね」

 「そういうことですよ。マユ?」

 「結婚生活は、勉強の、日々だ」

 「あなたも、夫が、あのおじさんたちのようにならないように、上手く、扱うことね」 

 「…扱えなくなったら、どうしよう?」

 「そのときは、マユ?」

 「何?」

 「夫を、消しちゃえば?」

 「…」

 「夫婦ゲームは、過酷よ?そのうちに、死亡フラグが立っちゃうでしょ。なんて、冗談だけれどさ」

 「…」

 言葉が、継げなかった。

 夫マツダが、憎かった。

 彼は、以前、こんなことを言った。

 「聞こえの良いこと、か?耳障りが良いっていうこと、か?」

 「ちょっと!何を、言っているのよ!」

 新たな論争の課題が、できた。

 言い争いの原因を作る生活は、みじめだ。が、こうでもしなければ、マツダとマユの生活は、成り立たなかったのか?彼は、何度となく、変わった言葉を用いていた。

 「耳ざわりが、良い」

 変なことを、言うものだった。

 彼女には、ウンザリした言い方だった。

 「耳ざわりが良い?何なのよ、その言い方は…。ああ、嫌だ。バカじゃ、ないの?」

 そんなことを、毒突いてもいた。

 「夫の言葉1つとってもウンザリしてしまうのは、確実に、関係がこじれかけている証拠です」

 そう書いてあった週刊誌も、あった。

 ちなみに、これには、後日談があった。

 「耳障りが、良い」

 今の社会では、そういう言い方をする人が出てきていて、実際に、その言い方が正しいのだと疑えない人たちが、増えてきたというのだった。

 「まあ、言葉は生き物。社会が移れば、言葉も、変わっていく」

 社会に充分揉まれていたはずの夫がそんな言い方をするのは、如何せん、幼稚に映ってしまい、許せなかった。

 が、考えてみれば、社会に揉まれていたのにではなく、社会に揉まれていたからこそその言葉になってしまったのかも知れず、彼女は、その言い方については、夫と論争するのを控えることにした。

 「今度は、あの人と、どんな論争をしようかしら」

 常に、戦争状態を探していた。

 その意味では、ややこしい夫婦になっていただろう。

 「でも、これが、夫婦っていうものなのよねえ…」

 彼女が彼と知り合ったきっかけは、崩れかけても温め直して何とか持ちこたえた、きわどいグラタンのようなものだった。

 「私と、結婚してみませんか?」

 それは、契約結婚、政略結婚さながらの誘いからはじまった。


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