第7話 夫婦の口論は、終わらなかった
そこで女性は、成長を重ねていった。
女性は、左右の脳の連携が良いという性質を生かして、感じると考えるを、繰り返しやすく進化したのだった。
こうして女性は、感じる気持ちを、すぐ、言葉にしていくことができるようになった。
男性は、女性のこの切り替えの早さに、混乱してしまう。
この脳機能によって、女性は、ちょっとした違和感でも見逃さずに指摘できる。
これが上手く利く職が、ある。
悩める人に傾聴をし、同調できなけえればならないカウンセラーなどが、そうだろう。
または、学校養護教員などがあげられる。
学校養護教員、つまりは保健の先生に女性が多いのは、女性は、児童生徒の様子を見抜く能力が高く、その能力が社会的に信頼されているためだと、考えられる。
一方で、男性は、左右の脳の連携が上手くない。
女性のように、感じる力と考える力をスムーズにいったりきたりさせることが、脳機能的に、難しいのだ。
まとめると、こうだ。
「そもそも、男性と女性の脳とでは、脳の働きが違う。だから、見方、感じ方、考え方が合わないことも、ときには、仕方がない。たった1つの物事をめぐって、夫婦で口論がはじまってしまう。というのも、当たり前。男と女では、脳が、別の働きをしてしまうのだから」
その点を知らないと、不都合ばかりだ。
男性と女性とでは、色彩感覚、触覚、味覚や嗅覚にも、差が出るという。
本当にそれを知らないと、つらくなる一方だ。
男性の良いところは、距離の把握、つまりは、奥行き感の認識能力が高いという点だ。
生まれついて空間認識力が高い男性脳は、太古のD NAから、ずっと、受け継がれてきたことのようだ。
古くは、男性は、女性を置いて、寝床としていた洞窟から出ていったことがあった。
もちろん、狩りをおこなうためだ。
当時は、地図はおろか、G PS機能もない時代だ。
それでも男性は、そのような最先端の技術に頼ることなく、洞窟に戻ってくることができた。
それは、男性が、空間認識に優れていたからだという。
男性は、荒野に広がる山々、木々の位置関係から、瞬時に、空間を認識することができたのだった。
男女差別を言いたいのでは、なくて…。
と、注意をしたいところに、丁度、男女差別の考え方が生まれてしまった。おもちゃの世界が、そうだ。
「男と女では、遊ぶおもちゃが違います」
ジェンダー・ギャップを暖かく把握できずに、差別と偏見が残った社会では、そういわれたものだった。
「男の子は、ジオラマ、ロボット、町、城や飛行機のおもちゃ作りが上手だ」
「男の子は、いくつもの部品と全体の形の位置関係とを把握して、自分が今どこにいるのかを夢想しながら、遊ぶ」
男性も女性も分け隔てなく捉える、今の時代感覚からしたなら、危機的分析だ。が、以前の社会では、ありふれた分析だった。
「男性と女性とでは、脳の働きが異なる」
それによって、子どもの遊び方にも違いが出ていくのだと、当時は、いわれたものだ。
ちなみに、こんなことも言われていた。今どきの社会感覚からすれば、疑問だらけだ。
「男の子は、小学生にもなれば、町並みを真上から見下ろしたような、つまりは、あらゆる建物が展開図となるような構図で、絵を描くこともある。男の子の脳内には、あたかも、ドローンを飛ばして撮影したような画が広がっているのだ」
横道にそれる話を、してみよう。
子どもの遊びについてだが、男の子は、列車模型を、プラスチック製のレール上に走らせて遊び、救急車や消防車などの車を、少し遠くから眺めて、満足しがちだった。
「この子ったら、何?」
母親は、そう言っては、ならないのかも。
「この子ったら、おもちゃの車を見て、何を、ニヤニヤしているのかしら?」
さて、当時は、何だと言われたのか?当時の専門家は、こう言ったものだ。
「男の子は、脳の中で、空想する町並みの中におもちゃの車を走らせている。そして、町全体の距離や形に合うような車の基地を組み立てていきたいと願って、空想空間の再設計をしているのです」
そして、その夢想、その空間認知の再設計ができたと思えたら、今度は、そのおもちゃの車などを、ジオラマなどの中で、実際に走らせていくのだという。
男の子の脳と女の子の脳も、違いが出る。
これが、成長し、マツダとマユを、戦わせていたのだろうか?
男女を平等視するのは、大切なことだ。当然のこと、だ。が、ジェンダー・ギャップについて、もう少し考えてみるのも、良かったろう。
誰が言ったか、知らないが…。
「男の子は、遠くの空間を、自分の頭の中で作っていく。その点では、男性の脳は、自分の存在を重視しない。俺の存在は、関係ないもんね。この町、電車、車、それらを格納する建物こそが、大事だと信じる。それが、男性なのさ」
今の社会感覚で聞いたら、怒られそうだ。
「そんな男女差は、時代遅れでしょ!」
激高され、鼻血が出そうな分析だったのではないか?
「女の子は、人形やぬいぐるみを、抱きしめる。男の子とは違い、風景や町並みは、重要ではなくなっているようだ。重要なのは、私の存在。人形やぬいぐるみに自分を投影させて、自分がどう愛されているのかを、感じたいのでしょう」
そんな感覚で説明された一般的な社会も、あったのだ。
今の社会でなら、どこまで、納得できるだろうか?
かつての社会で染みついたこうした差は、後々、厄介だ。大人になり、夫婦になることでケンカを生みやすくさせ、注意大だ。
マツダとマユの例ではないが、男女の脳機能の違いを知らないと、絶対に、ケンカは終わらないということだった。
マツダとマユの戦いは、続いた。
大人になれば、こうだ。
「ねえ!ちょっと、あなた!私が髪型を変えても、口紅を変えても、気付いてくれないっていうの?どうしてよ!」
どうしてって…、男女差別的な言い方になてしまうが、気付けなかったのは、男性だから…か。
「どうして!」
妻は、変化に気付いてくれず、夫に、怒ったかも知れない。
…というか、もう、怒り済み。
しかしそれも、男性の見方をしたいわけではないが、ある意味では、仕方のないことだったのだ。
これが、性差。
夫婦の口論は、終わらなかった。
「何よ!」
「ごめんよ…」
「ごめんって、何が?」
「良いから、ごめん」
「良く、ないでしょう!」
「じゃあ、どうすれば、良いんだよう!」
結婚してしばらく経つのだが、互いの気持ちは、未だ、まとまらなかった。
それからどうなってしまったのか、具体的には、思い出せなかった。少なくとも、考えがまとまらなかったのだけは、たしかだ。
結局は、夫婦別姓となっていた。
だが、互いの気持ちが自立していたから別姓が選択されたということでは、なかった。
「どっちでも、良いよ」
「じゃあ、わかったわよ!別、別!別に、しましょう。あなたなんかとは、一緒になれないんだからね!」
半分は、ケンカ別れの戦争状態となった。
夫婦の口論は、食事時間をも削らせて、迷惑だった。
どうする?
コマンド?
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