第4話 元勇者パーティー②
狭い廊下を走り、驚いている宿の店主を尻目に宿屋を飛び出す。
外に出ると、すぐに周囲をぐるりと確認する。
魔法使いの姿は影も形もない。目は悪い方ではないはずだが、それらしい姿は確認できなかった。
彼女は若い女、しかも魔法使いだ。この短時間で村から出たとは考えづらい。おそらく、まだ近くにいるはず。
もしやと思い、勘を頼りに宿屋の裏手に回り込む。
積み上げられていた木箱の陰の中に入ったその時。
「燃えろ!」
隠れていたアプリアが構えていた杖を振り下ろすと、杖の先端から放射状に赤い炎が噴出された。
目の前に燃え盛る赤い揺らめきが広がっていく。
「うわっと」
かなり近距離かつ範囲の広い攻撃。バックスッテプでは避けきれない。
私は咄嗟に地面を蹴って跳躍すると、その勢いのまま空中で身を捻り炎を回避する。
「ちっ! すばしっこい」
アプリアは忌々しそうに舌打ちをする。」
私が体勢を整えていると、彼女は背を向けて村の外の方へと走り出した。
「待ってください!」
止まるとは欠片も思わない。だがなるべくなら自分の意志で戻ってきて欲しかったので、大声で叫んだ。
祈りが届いたのか彼女はピタリと足を止め、こちらに振り返る。
しかし彼女の顔付きはどう見ても穏便に済ませてくれるような雰囲気はなく、杖を構え敵を剥き出しで臨戦態勢をとった。
「それ以上近づいたら、マジで殺すわよ」
『魔臓腑(まぞうふ)』から魔力が練り上げられ、彼女の周囲に緑の揺らぎ、―――緑色の炎だろうか? 先ほどの赤い炎とは違う種類の魔法が発生する。
緑色の炎を使う魔法使いには今まで出会ったことも、噂にも聞いたことはない。
彼女は元勇者パーティーのメンバー、やはりそこいらの一山いくらの魔法使いとは格が違うか。
「ねえ、あなた。そのしけた顔を見れば分かるわ。あなただって命令だから嫌々私の元に来ただけで、本当はこんな仕事、やらなくてもいいなら家でのん気に過ごしたいんでしょ」
「そりゃあまあ、そうですが」
私が答えるとアプリアはそれ見たことか鼻で笑った。
「だったら私を見逃すくらいいいじゃない。私引き止めようと頑張ったけど、殺されそうになったので逃がしましたって答えればいいの。今死ぬよりはずっと後悔しない選択よ」
「お嬢さんは……、自分の命が一番大事ってタイプ?」
見つめ合いながら私はじりじりと距離を詰める。
「当たり前よ、魔王討伐なんてやりたいやつがやればいい。私は安全な場所で毎日、おいしいご飯を食べて暮らしたいの」
「奇遇ですね。私も同じ気持ちです」
案外似ているところもあるのかもしれない。
そう思いながら、呟くと同時に私は駆け出した。
「バカ! どうなっても知らないわよ!」
叫びながら彼女が杖を振ると、周りに漂っていた緑の炎が俊敏に動き出す。
ただの火球とは速度がまるで違う。シュンシュンと風の魔法が発生する際の、独特な風の音がした。
火球の推進力は空気を切り裂く矢のような加速度だった。
私とアプリアまではそれなりに距離があったが、既に目前まで炎は到達していた。
どのような仕掛けの魔法かは検討もつかないが、速度が早過ぎる故に自在な操作もできないと踏む。
走る速度を維持したまま、踏み込む足を大きくクロスさせて前進し、体幹を胴体一つ分ずらす。
最小限の動きで炎の直撃を避ける。緑の炎は私の防具を僅かに焦がしただけで、そのまま脇を通り背後に消えていった。
緑の炎が次々と連打されるが、同じ要領ですり抜け続け少女に向かって私は前進していく。
「き、気持ち悪っ! ヌルヌル動きながら避けるんじゃないわよ!」
罵倒されるのは心外だが、見た目の良さが能力に影響を及ぼす場合は少ないので気にしない。
約30発の緑の炎をやり過ごし、ついに少女の周囲にあった炎の在庫を枯らした。
「あ、ありえないこいつ! 次を……!」
少女が杖を振り下ろそうとするが、もう遅い。
一足で彼女のそばまで近づくと、魔法が発動する前にアプリアの手首を掴み杖の動きを止めた。
嫌がるアプリアを捕まえた瞬間、背筋に冷たいものを感じた。
魔法使いの、しかも子供に間違えられてもおかしくないような少女の手首は今にも折れそうなほど細かった。
あまりの頼りなさに気持ちが引いてしまった私は、拘束が解かれない程度に力を緩める。
こんな子供に世界を救ってもらわなければいけないのか、私たちは。
心の中で芽生えた罪悪感がチクチクと体の内側をつつく。
だが醜い大人の仲間である私は、彼女の力に頼るしかないのだ。
良心が叫ぶ声を押し込めて、乾いた舌で頭の中でこねくり回した言葉を紡ぐ。
「アプリアさんが今逃げても、魔王を放置していたらいずれあなたの番が訪れますよ」
我ながら悪い言い方のように思う。アプリアの代わりがいれば解決する問題でもあるからだ。
私の言葉に彼女はピタリと動きを止めた。暴れて上気した顔で睨んでくる。
「いつ襲われるのか不安に駆られながら生活するなんて、嫌じゃないですか?」
不安に対して敏感な子だ。こういう言葉は効くはず。
「だからって私が……」
反論を言われる前に、口を開いて彼女の主張を遮る。
「魔王を倒してから平和になった世界で食べるご飯って、ありえないぐらい旨いと思うんですよ。一緒に旨いご飯、食べましょうよ。伝令をするしか能がない私と違って、アプリアさんは力を持っています。アプリアさんが不安にならないように、私もできる限りサポートします。あなたが命を賭けてくれるなら、私も命を賭けます。命を賭けてあなたの盾になります。ですからどうか……!」
懸命な説得を、彼女は黙って聞いてくれた。
いつのまにか抵抗する気配がなくなっていたので、手を開放して代わりに彼女の肩に手を置く。
彼女を説得するのは自分のため、ではない。王国から追い出されることになっても、別の場所でのらりくらりと生きていける自信はある。私が彼女を頼るのは、残念なことに国王と考えが一緒だからだ。
この世界のために、彼女は戦うべきだと思っている。
嫌な仕事だとは感じている。だが、心の底で冷静な私がやるべきだと判断を下してしまっていた。少女の逃げ道をなくすのが私の使命なのだと。
彼女の心変わりを必死に願って目を三角にしていると、少女は肩を落としてため息をはいた。
「おじさん、ちょっと熱血すぎるって……。情熱的というか、告白みたい?」
「お、おじ……! こ、告白でもありません!」
二重のショックで動揺している私をよそに、アプリアは落ち着いた様子で自分の肩に乗せられていた手を払い除けた。
ほんの少し前までの暴れっぷりはどこへやら。今は魔法使いらしい知性のある顔立ちになっている。これもある種の魔法だろうか。
彼女は戦闘でよれた服の皺を整えると、私を値踏みするように目を細める。
「いいわよ、おじさんがそこまで言うんなら。それにおじさん、私が逃げたら一生ストーカーしてきそうな勢いだし」
告白を否定するのに必死で、おじさんの方はちゃんと訂正するのを忘れていた。確かにそろそろ三十路に差し掛かるが、一気に老けた気がするのでおじさん呼びはやめて欲しい。
不名誉なあだ名を貰ってしまったことは不服だ。
しかしどういう理由があるにせよ、彼女が旅を続ける気になったのは事実。
アプリアが旅を再開してくれるなら、私も取りあえずは使命を遂行するができる。
「おじさん、宿に戻りましょう。これからの旅程を考えなきゃ」
手招きする少女の後に続きながら、私は彼女の小さな背中を見つめた。
直接戦ったからこそ分かる。
彼女の魔法使いとしての実力は、魔王相手にもおそらく通用する。
魔法は『魔臓腑』と呼ばれる体内器官が生成する魔力を消費して、発動している。
魔力の製造元である魔臓腑がある人間は4人に1人。更に魔法を使えるようになるセンスを持った人間は10人中1、2人と言ったところ。正確な統計はされていないが、私の国では体感としてそれぐらい少数だ。
魔法使いは才能が全ての世界。魔臓腑の供給する魔力の総量、出力などは10歳を超えるころには最大値がおおよそ決まる。鍛錬、修行によってその最大値が変化することはあまりない。ベテランが優遇されることはなく、実力のみが評価される職業。
我が国の魔法使いの最高峰である宮廷魔術師は、つまり我が国最強の魔法使い集団と言える。
アプリアはその宮廷魔術師よりも明らかに強かった。
彼女の魔法の発動速度は杖の動きとのラグがほとんどない。しかも速い上に、あの猛烈な火力。
誇張なく言って、アプリアの魔法をまともに躱せる人間は王都にはいないだろう。障害を切り抜けながら長距離の伝令を生業にし続けていた私を除いては。
勇者がいくら強いとは言え、これほどの使い手が勇者の陰に隠れて無名なことに驚いていた。
先ほどまでアプリアは故郷に帰ると息巻いていたが、いったいどこでどうやって育ったのだろう。
勇者はどうやってその実力を見抜き、嫌がる彼女を旅に参加させたのだろう。
私は目の前を狭い歩幅でせかせかと懸命に足を動かす彼女に、少し興味を持った。
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