第三章 力の代償――壁の外で
3―1
〈そもそも怪獣には大小の区別が存在しませんの〉
ハクがテレパシーで語りかけてくる。
怪獣は空間を破壊する生き物である。けれどそれは体質のようなもので、本質では無い。
怪獣の真の目的は知的生命体が発する精神エネルギーを奪う事。言うなれば怪獣のエサは知的生命体の思考活動そのもの。そのために存在そのものが精神エネルギーである妖精の世界が真っ先に狙われ滅ぼされた。怪獣が街の破壊よりも目に入った一人の人間を優先するのは人間を破壊してそのエネルギーを奪うためと言うことか。
巨大怪獣が防衛都市の壁の周囲に出現するのは壁を構成している妖精と、内側に住む市民がホイホイの役割を果たしているから。いつ、どこから来るのか分からない怪獣を滅ぼすにはリスクを冒す必要がある。統合暦〇年、壁という誘導装置は各国の国土を守るために地表の要所に建造され、都市の奮闘によって国土は保全されるはずだった。
でも現にあのちっこい怪獣が暴れているじゃない。
〈小型の存在までは予想の範囲外。とりわけ都市で生きている人たちが外側にまで目を向けるはずが無いでしょう〉
二〇〇年の間都市の人間は壁の中の生活水準を向上させる事に必死だった。私も市民だったから分かる。ひとたび居心地のいい環境が出来れば誰だってその中にとどまりたいものだ。
昴衆を代表する外側の人々は様々な理由で――たづなの言葉を借りればぬるいからか――都市から抜け出した。小型の登場は外側が一定規模に達してかららしい。小型怪獣はさしずめ対小規模集落・対人用のスケールという事なのだろう。
だとしたら怪獣は恐ろしくフレキシブルだ。超人並みに状況に応じて適応する能力を持っていると言える。
〈私たちにも怪獣の事が全て理解できているわけではありません。研究する前に世界が滅びてしまいましたから〉
本当に? まだ私に何か隠していない?
〈たづな……と昴衆の首領に口止めされている事以外は。私もこちらにやって来てからあの人たちに保管されてきたので世間知らずですの〉
「箱入りならぬ瓶詰め娘ってところか……」
〈それ別に上手くありません〉
「ははは……」
あの戦闘以来ハクが積極的に話してくれるようになった。まだどこか悪戯っぽいけどまぁ、それはご愛敬という事にしよう。妖精と人間は成り立ちから違う生き物だし、たづなとセンジュみたいにいきなりバディになる事も難しい。私とハクの関係性はこれから少しずつ、もちつもたれつやっていけばいい。私がまだ力を持て余しているうちはその方が合っている気がする。
「はぁ~~……んーーーーーーー‼」
ゲルの扉を開けると地平線から日が昇って来た。三日目の朝を迎えた。
「ハルちゃん眩しい……」
不機嫌そうに眼をこすりながら一美ちゃんが起き上がった。寝不足なのか動きがゆっくりめ。まぁ、夜中あれだけのことがあったのだから推して知るべしか……。
「ああごめんごめん」
そんな状態でいきなり陽光を浴びせられれば不愉快だよね。私は元の明度に戻すべく扉へ手を伸ばした。
「……別に、いちいち謝らなくていい」
一美ちゃんはそう言って私を遮ると、ゆっくりと扉を閉める。
「……?」
「二郎と三太を起こしてちょうだい。朝ごはんだから――」
ハルちゃんも食べる? 続いた言葉は私にとって意外な物だった。
「⁉……いや、ほら、私は食べなくていいし。気持ちだけ貰っておく」
「……そう」
どこか残念そうな表情で暖炉へ向かう一美ちゃん。言葉遣いこそそっけないけど……少し柔らかくなった?
「デレデレしない!」
「……はい」
訂正、一美ちゃんに認められるまでの道のりはまだまだ長い。
いつものように三人が朝食を食べて、私がハクとセンジュを肩にのせてボーっとする朝の時間。それが終われば午前の水汲みの仕事だ。
「今日は私が行くから」
そう言うと一美ちゃんは籠いっぱいの洗濯ものを私に突きつけた。
「……臭い」
「また臭いって……!」
「いや、だって……」
これを臭いと言わずに何というのだろう。
たしか一美ちゃんは「洗濯は三日に一度」と言っていたけれど籠の中身はどう見ても三日分以上だ。
衛生面の問題で下着は毎日取り換えていて、それが臭いのもとだとなんとなく分かるけど……パーティー六人分を優に超える圧倒的な量の女の子の服……そのどれもが血と汗と垢と埃にまみれていて……たづなの奴どんだけお色直ししているのよ!
「早くやらないと日暮れまで間に合わない。分かるでしょ」
「……はい」
昴衆の連絡が入るかもしれないため、ゲルの中は留守に出来ない。センジュが監視のために私に付くとして……ハクを残していくのは……三太君の貞操が心配だ……。
「それなら大丈夫。ハルちゃんもうハクの事コントロールできるでしょ」
「……」
私とハクとを繋ぐリンクはあれ以来かなり強化されている。超人の能力はそれ自覚しなければ機能を制御できない点がもどかしいけど、少なくとも今はハクが暴れる事は止められる。
「じゃあ信じるから。とっとと出してちょうだい」
そう言うと一美ちゃんは慣れた動作で私に登って肩車のポジションへ……凄い、掴まれた感触を感じなかった。この子……デキる!
「ボーッとしないで早く!」
「はい!」
都市生まれの性か、誰かに命令されると反射的に動いてしまう。年下の女の子の尻に敷かれるのに慣れるなんて全然嬉しくない……。
「というか人手! 私達だけでいいの? 二郎君にも手伝わせるとか」
「女子の下着を男に触らせて平気なの?」
「うーん……身の回りの事は全部大人がやってくれたから分からない」
面倒くさい事を誰かが肩代わりしてくれるならそれに乗らない手は無いと思うんだけど。
「ハルちゃんはもっと人間らしさを勉強するべきよ。戦う事ばかり考えていたら晶さんみたいに生きることが下手くそになる」
ロールモデルはたづな様だわ。顔を見なくても一美ちゃんが今ドヤっているのが分かる。たづなはちょっと……勘弁してほしい。
「生きる事……かぁ……」
そう言えばまもりお姉ちゃんはよく食堂でみんなと一緒にご飯を食べたり、演劇鑑賞に誘ってくれたり、稽古もつけてくれたりと後輩の指導に熱心だった。今思えば超人に食事は要らないし、演劇だって戦士には特等席があるのだからわざわざ混雑した一般席で見る必要も無い。訓練だって下級生の指導よりも超人同士で技を極めた方が効率的だ。
「私はだいぶ甘やかされて来たんだなぁ……」
私がロールモデルにするならやっぱりたづななんかよりもまもりお姉ちゃんだ。一美ちゃんには悪いけど、乱暴なノリは私には合わない。
使う道具は水桶と洗濯板に石鹸とシンプルな物。あとはひたすらごしごしするだけの地味な作業が続く。
「……昨日はありがとう」
「お礼なんて……私一度怪獣を優先しちゃったし。むしろごめんね、ギリギリで間に合ったからよかったけど……」
「いいよ。危ないことには慣れているもん。あれくらいの体験、外側じゃ日常茶飯事」
手際はどっこいどっこい。コツを掴んでいるのか一美ちゃんとの間に力のハンデを感じない。
「ここじゃいつ死ぬのか分からない。私達の本当の両親も小型に襲われた。あの日たづな様が通りかかってくれなかったら私達も……」
泡の中から一美ちゃんの手が覗く。あかぎれに、刃物で傷だらけになった両手。この子達は何年もの間外側で戦い続けてきた……。
「それに仲間を欺くなんてたづな様の常とう手段だもの。超人なんて危ない人しかいない。そんな中でハルちゃんはまともな方よ。あの日あの時ハルちゃんは間違いなく私達の事を助けてくれたんだから、感謝はね素直に受け取るものなの」
「……」
この子達は強い。これがもし私だったら、超人でない都市のただの子供だったらすべてを戦士に任せて逃げるだけだったかもしれない。日常のあれこれもやってもらって当たり前で……生きるだけ、生活するだけでもある種の戦いだなんて考えた事も無かった。
「臭い……」
「またそれ……」
「ははは」
傷に汚れに血の臭い。都市の中にいただけなら気にも留めなかったそれは生きている証。生活していれば当たり前に発生するもの。始めこそ酷い臭いだと思っていたけど、今ならそこからそれぞれの歩みまで見出せそうだ。
「ま、落とすんだけどね」
ツナギの埃を払って血痕周りを念入りにこする。しみ込んだ色は抜けないけど、それでも感触はだいぶマシになっていく。
「ねえ一美ちゃん。朝ごはんを断っておいてアレなんだけど……お礼ってわけじゃないんだけどさ、私、一美ちゃんの料理が食べたいな」
「…………!」
一美ちゃんの両目が輝く。そんなものでいいならいくらでも。ぶっきらぼうにそう呟くと会話が途切れた。
私達の間に洗濯物をこする音がひたすら広がる。始めこそギクシャクしていたけど、今は二人でいる時間がとても落ち着く。
そんなのんびりした雰囲気のせいなのか、結局作業は日暮れのギリギリまでかかってしまい――
「ハルちゃんもっと走って! これじゃあ夕飯の準備に間に合わない!」
「センジュ! 拘束を緩めて!」
〈オイオイ、人間態の限界はとっくにゆるめてあるぜ。後はお嬢ちゃんの足次第さ〉
「そんな⁉」
「超人の癖にハルちゃんの手が遅いのが悪いんじゃない!」
「悪いのはたづなだよ! あんなデリケートな服バッカリたくさん着て――」
「ハルちゃんは下っ端なんだから文句を言う権利は無い!」
「ひぃ……!」
そこからは巻きの連続だった。急いでゲルに戻り、洗濯ものを干しては補給品の点検に夕飯の仕込み。私が超人の体を持っていなければ疲労で倒れ込んでいた。
でも――
「……! 美味しい!」
前日保存調理を施した鹿肉を使った肉料理、久しぶりの食事の味はほっぺが落ちるなんてものじゃない!
「そんなにがっつかなくてもお皿は逃げないわよ」
「いやでも、一美ちゃん料理上手! めちゃくちゃ美味しいよ!」
「ハルちゃんよく食べるね」「僕たちよりもおいしそうに食べてる」そうかな? みんないい顔して食べていると思うけど。
生きる事は確かに大変だ。それでも、一日の終わりにこれだけ美味しいものを食べられるのなら、それも悪くない気がする。
「一美ちゃん、ありがとう!」
「……ま、残さず食べてよね」
相変わらずつんけんとした態度、なかなか厳しいけど――それでも、自分で作った料理に「美味しい」と返事が返ってくるたびに浮かべる笑顔からは隠しようの無い愛おしさで溢れていた。
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