2―6

 滞在三日目。いや、正確には二日目の深夜だ。

〈ご主人様!〉

「……うん」

 私はただならぬ気配を感じて身を起こした。

 ゲルの中には夕餉の香ばしい鹿の油の匂いが充満している。寝入っている子供たちの顔も満足げでとても愛らしい。普段食べているのが都市のレーションだったもの。久々のお肉の味は夢見がきっと良くなるはずだ。

 そんな幸福に溢れる空間の隙間を縫うように、嫌な気配が近づきつつある……。

〈おっ、流石にお嬢ちゃんも起きたか。俺に起こされなくて良かったな。一度からの最悪の目覚めを保証するぜ〉

「おはようセンジュ。ところでこの気配って……」

 いや、尋ねるまでも無い。戦士であればお馴染みのあの感覚。私にとっては忘れたくても忘れられない肉体に刻み込まれた恐怖。

 けれど、その気配は間違いなくそれが由来しているはずなのに……疑問を覚えるくらいに小さいのは何で……。

 私の疑問に答えるようにセンジュは蜘蛛の如く絨毯を這って扉へ張り付く。どうやら「外に出ろ」と言うことらしい。

「……ハク」

 万が一と言うことがある。私はハクを肩に乗せて、子供たちを起こさないよう、静かに扉を開けた。

「……何処?」

 空気がひりつくこの感覚。敵は間違いなくゲルの周囲にいる。そのはずなのに……姿が見えない。

「………………⁉」

 ゲルの裏手へ丁度半周した時、ソレらは姿を現した。

 空っぽの空間から縦にスリットが入ると、それを広げるように体長約二メートルの青白い獣が複数体突き破って来た。

「……怪獣……⁉」

 間違いない。あの生き物は怪獣だ。空間に空けた穴に、消失現象を引き起こす青色、頭部の頭頂部や側頭部にでたらめに生えたさまざな形状の角。外見上どの生態系にも該当しないそれを怪獣と呼ばずに何とする!

 それでも確証を持てないのは怪獣のサイズが小さいから。普段目にして来た数十メートルのスケールはどこへやら。ミニチュア版のそれらは夜空の下で輝き、知識との違和感から寒々とした異様な神々しさすら感じてしまう。

〈お嬢ちゃん!〉

「!……っ」

 音もなく、真っ直ぐ突っ込んで来た。角が私の肩を掠る。ツナギの触れた部分がボロボロに消失して――間違いない、姿こそ小さいけどコイツらは立派に怪獣だ!

「ハク……っ‼……」

 妖精を取り込んで変身。戦士であれば当然のルーティーンだ。みんなのために怪獣を倒す。それこそが戦士の使命。使命なのだけど……。

 牡鹿を殺めた生々しい感覚、口の中に広がるたづなの血と肉と骨の感触、四肢のつま先で戦士たちの肉を切り裂いていった獣――あれが……あれが私なのだとしたら……。

〈何をやっているんだ。お嬢ちゃん変身だ!〉

「……でも……」

〈何のために俺が見張っていると思う! 手首だけでも今のお嬢ちゃんの力を制限するのは造作もねぇ。また暴れたら止めてやるから――〉

〈はぁ……せっかくの機会ですのに躊躇うとか、ありえませんわ〉

「え――」

 瞬間、私の体が内側から輝きだす。白銀の獣の力、私の肉体の位相が対怪獣のそれに書き換えられてゆく。骨が伸び、牙が尖り、白銀の体毛が全身を覆い始めて――

「私は……化け物じゃ……ない‼」

 制御しろ! 器である私がボーッとしていたらハク妖精の思うがまま。私は化け物じゃない。私が成りたいのは怪獣でも妖精でも無く、まもりお姉ちゃんみたいなみんなを守る戦士だ!

〈くっ……⁉〉

 右肩を掴む手が力の拡散を抑えてくれる。肉体の伸長はかろうじて人型で止まる。

「……はぁ……まさか、こんな中途半端な姿で戦う羽目になるとは思いませんでしたわ」

 私の口を使ってハクがつぶやく。

 昴衆が保管してきた最強の妖精の一角、ハクは私の肉体を乗っ取ると変化した肉体を検める。

 ハクの――肉体の感覚を通して自分の姿を見た。十センチは伸びた高い視界。毛皮の代わりに纏ったのは白を基調とした振袖と紺色のスカート、腰元からは何と豊かな房の尻尾が一本ぶら下がっている。チラつく前髪から髪の色は銀色になったのだろう。鋭く伸びた犬歯に、頭頂部からは荒野に広がる音が集まってくる。

 どうやら私は怪物の姿を、小説や漫画の中で見た典型的な狐娘の姿にまで留める事に成功したらしい。

「ま、いいでしょう。元のちんちくりんな姿よりはマシに戦えそうです」

 私の事そう見ていたの⁉ そう言えば胸元がずっしりと重い。これ見よがしにハクが首を傾けると……そこにはまもりお姉ちゃん並みの豊満がはだけている!

 ちょっとハク……――⁉

 抗議する間の無いままに体が跳ねる。まずは一体目、ハクは右手の爪を伸長させると横凪に鹿の頸を切断した。

「ギョエ!??」

「フン」

 高下駄とヒールを足して二で割ったような足先、その蹴りが首と胴体それぞれに決まる。超人の放つオーラが絶命した怪獣の肉体に干渉すると青白い脅威は霧散した。

「まずは一体」

 ハクは舌なめずりして次の獲物を見定める。スリットからは次々と怪獣が飛び出し、その数は七体にまで増えている。

「ご主人様の手前、少しは『戦士らしい』行動をとってみましょうか」

 五本の刃がスリットを捕える。刃はそれぞれ白銀に輝くと、ハクは飛び跳ねてそれをスリットにねじ込んで行った。

「ギィッ⁉」

「残念ですが本日の出入りはこれでおしまいです。またの機会にお待ちしてますわ」

 爪の部分だけを発光態に⁉

〈全く、能力だけなら完璧じゃねえか〉

 発光態は超人の全力を発揮する形態であると同時に、怪獣が広げた空間の穴を修復させるための物。それを部分的、瞬間的に発揮できるだなんて……。

「ほらご主人様、ご自身の才能に見蕩れている場合じゃありませんわ。これからもっと楽しくなるんですから」

 ……楽しい、ねぇ。

 今まさに地球こちらへ飛び出そうとしていた青鹿の内蔵がかき混ざる感覚と共にスリットが閉じた。怪獣は絶命と共に肉体を構成する物質を消失させる。だからって、この手で生き物を殺めた感覚まで無くなる訳じゃない。

 もちろん私は怪獣になんか同情しない。あの日落下だけで私を死の淵に追いやった化け物を今でも憎んでいるし、外側が荒地なのは怪獣のせいだ。人間とは相いれる事の無い、生き物の形状をした破壊現象。嫌悪こそすれこれを保護しようだなんて思う人間は絶対にいない。

「ふふっ」

「ははは」

「ふふふっ……ふははははははははは‼」

 だからって過度に破壊を繰り広げるのも好みじゃない。

 ハクは怪獣を引き裂き、踏みつけ、尾の一撃で潰すたびに……本当に楽しそうに笑い声を上げる。このときのために生きてきた。そう言わんばかりに本能に身を委ねている。

 精神生命体である妖精には長らく肉体の感覚が無かった。彼らは宿主を厳選するために何年もジャムの瓶という狭い世界の中でジッとしている事もある。

 ハクが昴衆に接近して何年待ったのか私は知らない。けれど……肉体を通して伝わる感覚は歓喜。彼女は開放感を破壊の形で全身を使って味わっていた。

 全く……これが怪獣相手じゃ無かったら……。

「……ん⁉」

 驚きのあまり意識が一瞬表へ出た。

「ちょっ、なんですの?」

〈おい……あれはまさか⁉〉

 視線の先、そこには――

「う~ん……おしっこ……」

「もう、トイレくらい一人でできるようになりなさいよ」

「だって暗くて怖いんだもん……」

 寝ぼけ眼で歩く三太君とそれに付き添う一美ちゃん。

 まずい! 怪獣は視界に入る人間を優先的に襲う習性がある!

 青鹿の一体が真っ直ぐ二人へと向かう。

「二人を助けないと‼」

 声はもう体から出ている。この調子で肉体の主導権を……。

「嫌ですわ」

 首が反対方向へ。見ると三体の怪獣が私達の脅威の前に方々へと逃げ出そうとしていた。

「簡単なことです。今ここであの三体を逃せばそれだけ地上に被害が広がります。それはもしかしたらあの湖や森かもしれません。

 そこの一体は子供たちがしてくれますから後回しに出来ます。戦士としてみんなを守るためにどちらを選ぶべきか。聡明なご主人様にはおわかりでしょう」

「――っ⁉」

〈テメェ!〉

 青鹿の速度は自動車、いや記録の中で見た特急レベルで速い。もし完全に散ってしまったら……確かに、ハクの言う通りこのまま野放しにしてしまえば被害は拡大するだろう。追いつける今のうちにあの三体から倒す事は理に適っている――

「センジュ……一旦離れてもらえる」

〈⁉ だがそれだとハクが――〉

「時間が無い! 私を信じて‼」

〈……っ!〉

 任せたぜ! そう言ってセンジュが飛び降りた。

「さあご主人様、これで私達は十全に力を振るうことが出来ますわ。それではご決断を」

「……」

 みんなを守るために私がするべきこと……。

「そんな事決まっている!」

 骨格から肉体を伸長させ、和装を毛皮に変化させる。私は白銀の獣へ変身して跳躍、怪獣たちを爪の一閃で薙ぎ払った。

「あははははははははははははははは‼」

〈テメエら‼〉

 私の中で妖精は歓喜に身を委ねている。拘束が解け、能力を最大に振るえる状態。自身の優位性を圧倒的な暴力で表現できる状況は確かに……楽しい。

 でも――

〈はははははは――……何⁉〉

「だああああああああああああああああ‼」

 私は肉体を一美ちゃんたちの方へ反転させて再び駆け出した。

 これは正直賭けだった。

 センジュの拘束能力は強力だけど、それは妖精側の能力はもちろんの事、人間が妖精を制御する能力までまとめて縛ってしまう。この状況をひっくり返すためには、私達の超人としての能力を百パーセント発揮した状態でハクから制御権を奪う必要があったのだ。

 与える選択肢こそ複雑だけど、ハクの性格は快楽に弱い。案の定力に溺れた瞬間を狙えばこの通り――

「私は戦士ハル! 私の選択肢は決まっている! 全部助けるに決まっている!」

 意地の悪いトロッコ問題は選択者が人間だから行き詰る。

 私は戦士だ! 超人だ!

「ハルちゃん、戦士に最も必要なのは想像力。自分の力を自在に操るイメージがあれば超人は万能に戦うことが出来る」

 訓練生の頃、まもりお姉ちゃんに教官たちから教えてもらった「想像力」の重要性。まもりお姉ちゃんは防御に特化しているはずの盾の能力を、堅固な質量をぶつけるという逆転の発想で攻撃能力に転化した。

 だったら私だって……化け物の力を制御することで人の、戦士の力に仕立て上げる!

「ああああああああああああああああ‼」

 肉体が人型へ、私の等身で狐娘の姿へと変身を果たした。勢いはそのまま……いや、もっと早い!

 私は二人と怪獣の間に割って入る。

「間に合った!」

 そのまま突進の一撃を腹部に受けて二人の盾になる。

「! ハルちゃん」

「…………⁉」

「べヒヒ!」

 でたらめに生えた角がサンゴ礁のように貫通した……って青鹿は思っているのだろう。

「⁉ ギベエエエエエエエ!」

 確かに角の一撃は私の腹部を強かに打った。しかし、ご自慢の角は衝突の衝撃で消失し、そこにはつややかなすっぴんの頭部がめり込んでいるばかりだ。

 私の能力は変身した相手の能力を再現できる。私の狐娘のコスチュームは怪獣の空間を分解する能力を再現している。怪獣を倒すための決定打は同じ位相からの一撃!

「はぁっ!」

 私は右手の爪を刃のように伸ばし眼窩へとねじ込んで貫通させる。超人の力を流し込むと相手の体表は白銀へと塗り替えられ、断末魔を上げる間もなく消滅した。

「はぁ……はぁ……やった……」

「………………」

「………………」

 初めて自分の力で怪獣を撃破した。デビュー戦としてはあまりに危なっかしかったけどまぁ……結果オーライって事にしておこう……。

「二人とも怖がらせてごめん! 大丈夫⁉ 怪我はない?」

「……」「……」

 ハクを欺くためとは言え、私は一度二人に背を向けてしまった。助けられたのは結果論だ。きっと三太君を怯えさせてしまったし、一美ちゃんにはますます嫌われるだろう。これから親の仇のように見られてもおかしくないかも……。

「…………⁉ おしっこ!」

「「あ!」」

 緊張が解けたのか三太ちゃんの両足は震え出してもう決壊寸前。放水は目の前だ!

「一美ちゃんどうしよう!」

「どうするも何もズボン! ズボンを下ろして!」

「え⁉ でもトイレはそこじゃ――」

「間に合うわけないでしょう! 男の子なんだから荒野中トイレみたいなものよ!」

「え……でも私男の子の裸始めて見るし……」

「ぶりっ子している暇無いでしょうが!」

「出ちゃう……」

「「わ! わーーー‼」」

 その後、三太君のズボンは私から分離したハクと駆け寄って来たセンジュのおかげで無事に降ろされた。二人の活躍によって洗濯ものの平和も保たれたのであった。

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