2―5

 滞在二日目。心なしか、一美ちゃんからの視線が痛い。

「ハクは私が預かるから。ハルちゃんは二郎と三太の言うことをちゃんと聞いてね」

「……はい」

 年下の女の子の言うことを全面的に聞かなくちゃいけないのは我ながら情けない限りだけど、事が事だけに申し訳ない。三太君は未だに狐モードのハクを見てはあの姿を幻視してソワソワしている。私はもしかすると男の子の人生を大きく狂わせてしまったのかもしれない。

 嘘寝に食事抜きのサイクルは思いのほか慣れてしまった。むしろこの何も無い状況だとこの恒常性は心強い。労働上等。今なら何でもできる気がする。

 今日も相変わらず水汲みからのスタートだった。次郎君が肩に乗って、その上にセンジュが乗っかる。

「……ってハクがいないとダメじゃん」

〈そんなことは無いぜ。お嬢ちゃん、ちょっとその辺走ってみな〉

「……?」

 言われるがままゲルを軽く一周する……全く疲れを感じない。

 どうやら妖精と離れていても超人としての基礎的な能力は発揮できるみたいだ。

「よーし……」

 思いっきり駆け出してみる。昨日と同じ自動車の勢い、道を覚えている分ルーティーンで動ける!

 それだけじゃない、心でハクに呼びかけると離れたゲルの様子がハクの目や耳、各種感覚がフィードバックされる。たづなが私にセンジュを預けた理由が分かる。人間態のままでも超人にやれる範囲は広い。分離体はむしろ遠くにおいて色々探らせた方が使い勝手がいいし、非常時には「引き寄せる」事も出来る。

 あっぶな……一日目から脱走していたら色々と筒抜けだったじゃん。おとなしくしてて良かったぁ……。

〈ん? 何か考えたか?〉

「いやぁ、何も」

〈……〉

 たづなの妖精だけあって鋭い……! すでにハクがやらかしているだけあって監視の目は強化されているし、事は慎重に運ばないと……。

 湖から折り返して再びゲルへ。昼の仕事がひと段落。

「で、今日もまた武器作り?」

「違う違う、今日は武器を使う日」

「作ってばっかりいたらお家がパンパンになっちゃう」

 そう言いながら二郎君と三太君は私に荷物をアレコレ渡してくる。矢筒、サーベル、槍、レンジャー隊員が背負うような巨大なリュックサック。私の体はいつの間にか人間武器庫へと盛りつけられてゆく。

「よし!……よいしょっ」

 それを背負わせてさらに二郎君は私によじ登って、リュックの上に居心地よく座ると私の肩へと両足をぶら下げる。

「………………」

「僕も!」

 そこに追い打ちをかけるように三太君が目の前に立って両手を広がる。どうやら私に「抱っこ」を要求しているらしい。

「………………」

 どうやら私は武器庫では無く移動要塞だったらしい。

 悲しい事にこれだけ重量が増えても負荷を一切感じない。三太君を抱いてなお、まだ「持てる」と力を持て余している。

「一美ちゃんも乗る?」

「私は別の仕事があるからいい。それよりも早く仕事に行って。ようやく三太をハクから引き離せるんだから」

 しっしっ、と一美ちゃんは手を振った。いってらっしゃいにしてはごあいさつだけどまぁ、甘んじて受けよう。

 どうやら一美ちゃんの仕事は家の中の事全般らしい。ハクは今彼女の指示の下、私の記憶の中のかなり地味目な男の子の姿を取っている。時折からかっては一美ちゃんの反応をみて面白がって……ギクシャクしつつも仕事の面では上手くやっている。これなら確かに私達がいた方が邪魔だろう。

「行ってきます」

「はい行ってらっしゃい」

 相変わらずの自動車――いやこれだけ積載したのだからトラックか――並みの速度で私は荒野を駆ける。

「今度はどこに行くの?」

「狩場。食料を調達するんだよ」

「……生き物がいるの⁉」

 方角的には湖と反対側。一時間程走り続けるとむき出しの大地が再び緑に覆われ始める。

「これは……」

 挿絵や舞台のセットでしか見たことが無かった樹木の群れ。本邦がまだ怪獣の侵略に襲われる前の国土、その七割を構成する山岳地帯に茂る森が姿を現して来た。

「う~~~~ん……空気が気持ちいい――」

 都市の乾いた空気と違って青い香りと適度な湿気が気持ちいい。食欲は無くなったけど、敏感になった感覚器官を使って環境を味わえるようになったのはお得かも。

「じゃあ、準備を始めようか」

 二郎君はそう言うと私から飛び降りて手際よく準備を始める。メインの装備は昨日作った弓矢。三太君が後ろで大量の矢を抱えているのを見ると二人一組で行動するみたいだ。

「狩りのノルマは三日につき一匹だから。何か獲物を仕留めたらこれを撃って知らせて」

 そう言って二郎君は私に拳銃のホルスターを渡して来た。

「……これって……⁉」

 防衛都市の紋章が刻まれたホルスター、その中身は確認しなくても分かる、訓練で何度もつかった救援要請のための信号弾だ!

「二郎君、外側の君が何でこれを――」

「森での時間はあっという間だから、ハルちゃん急いで」

 そう言うと二人はものすごい勢いで森の中へ入って行ってしまった。鬱蒼と茂る暗い入り口、それを勝手知ったる我が家のように突き進む背中は子供などでは無く一人前の狩人さながら。

「……どういうこと」

 たづなたちは自分達の事を「外側」と自称して、あまつさえ都市を憎むような発言までしていた。そんなプライドのある彼女たちが何で都市私達の技術を……。

「………………」

 こればかりは聞いてみないと分からない。私はリュックを降ろして軽装になる。弓と矢も置いておく。三太先生には悪いけど、慣れない武器よりも馴染んだものの方が戦いやすい。身体能力が高まっている今なら接近武器だけで戦える。閃光弾はお尻側に、サーベルとナイフを腰の左右に装備して私は森の中へと飛び込んだ。

「……!」

 一見暗かった森が明るい。視界の不良が念じるだけでクリアに補正されてゆく。超人の肉体はここまで便利なのか、今なら地表の少しの凹凸だけでそれが生き物の足跡かどうかまで判断できる。

 私はそのまま二郎君たちの跡を追跡する。どうやら二人も何かしらの足跡を発見してそれを追跡しているみたいだ。これならすぐに合流して狩りと話を済ませられそう。

「おーい、次郎くーーーん……」

 二人の足跡がいきなり途絶えた。同じく動物のも。見た感じ幅の広い獣道が続いているけど……みんなどこに消えたんだ……。

「木の上? 茂みの中?」

 超人になって見える範囲は広がったけど、読み解く能力は完全に素人だ。怪獣との戦い方は訓練したけど、流石に狩りまではサバイバル訓練の中に――

〈お嬢ちゃん後ろ!〉

「‼」

 私はナイフを引き抜いて反転、背後に迫って来た脅威に向けて突き出した。

「ギャウ!」

 頭部に不揃いな角を三本生やした、鹿のような動物の目元に刃が抉り込む。

 状況を読む事は出来ないけど、とっさの危機への対応ならこの体にとって造作も無い。私は食物連鎖の頂点。だったら敢えて目立って、襲われた所を返り討ちにした方が効率がいい。

「ギエエ……‼」

「おとなしく……しなさい!」

 左手で首を掴んでナイフをより深くへ抉り込ませる。このまま脳を掻きまわせば……。

「……っ!」

 牡鹿の背丈は私と同じくらい。なのに体格はかなりたくましい。力は拮抗している。切り裂かれて苦しんでいる生命の必死さ、素の超人のままだとそれを押し返せない……。

「このっ……通れ!」

「ギベエエエエエエエエエ‼」

 眼窩の骨が砕けた音がした。牡鹿の頭部は着実に破壊できているけどナイフは下向きに深く刺さりすぎてこれじゃ脳に届かない! まずい、力を入れすぎた! ヘタクソか!

「……っ!」

 一度ナイフを抜く? 駄目だ、ナイフが骨に引っかかって抜けない。それなら一度距離を取ってサーベルに持ち直す……それじゃせっかくの獲物を逃してしまう。今は握りしめた両手を離せない……‼

「この……この!」

 ゴリ……ゴリ……と骨が砕ける音が鈍く響く。その度に牡鹿は悲鳴を上げ、危機から逃れるべく、最後の力を絞り出す。

 まずい……押し負ける……。

「ハルちゃん! 首を持ち上げて!」

「!」

 私は牡鹿の両前足を払って無理やり立たせた。意表を突かれた牡鹿は戸惑ったまま上体を上へと伸ばしてしまう。そこに見慣れた矢が一閃、見事眼球を射貫く。

「グヒン⁉」

「今だ!」

 私は一度両手を離して両腕を牡鹿の頸へ回した。そして締め上げてからの体重をかけてドロップ! 倒れると同時に牡鹿の頸はあらぬ方向に折れ曲がり、狩りは見事に成功した。

「はぁ……はぁ……、最初から関節を決めていれば瞬殺だったかも……」

 九十度左へ曲がった牡鹿の体はまだ温かい。子供たちが生きるためには必要なこととはいえ……少し気持ち悪い……。

「さすがに狩りだけは晶の方が上手いな」

「でもあの後ろからザクッ!ってやつ凄かった」

 見上げると二人は木の上にいた。弓を構えた二郎君に矢筒を抱えた三太ちゃん。なるほど、この通りなら待ち伏せすることが出来るのか……。

「今日の狩りはこれでおしまい。引き上げようぜ」

「今日はごちそうだね!」

「……」

 二人はスルスルと木から降りて何事も無かったように来た道を戻り始めた。

「……あの、これは?」

「ああ、ハルちゃんよろしく」

「……」

 パシリ扱いは慣れたものだけど……。

「……ひっ」

 まだ温かい。それなのに肉体は何か芯を失ったようにだらりとしていて――

「……気持ち悪い」

 そういえば、都市では身の回りのことを全て大人たちにお世話してもらっていたっけ……。食事の過程にこういうことがある事は知ってはいたけど……生き物の生々しさと言ったら夢に出てきそうだ……。

「……臭い」

 あれだけ爽やかだった森の匂いが一転獣の生々しさに上書きされてゆく。全身は私と同じくらいの大きさ。これを引きずっていくのは子供たちに申し訳ないし、死者の尊厳を冒涜しているようで気が進まない。そうなると――

「よい……しょ」

 臭いなぁ。その言葉が口癖になってしまうほど生き物の匂いは強烈だ。毛皮に隠れている無数の傷に、排泄物の残りカス、泥の臭いに私達が傷つけた両目から垂れ流しになっている血の流れ。

 超人の無限の体力の前に背中の質量は無に等しい。少なくとも移動要塞の時よりも軽い。それなのに、何かがべったりと張り付く感覚を振り落とせない。

「じゃあ帰ろうか」

「お肉は久しぶりだね」

 森を抜けて飛び込んできた二人の夕飯に心をときめかせる表情。

「……ふう」

 少しだけ肩が軽くなる。そうだ、これは本来人間が背負うべき業。戦士だってみんなのために怪獣粉砕する。生きるために他の命を奪うことは当たり前の事。私はそれをようやく自覚した、ただそれだけだ。

「……それでも」

 果たして帰路はどうしたものか。もう一度移動要塞になった所で獲物を積めるスペースが無い。私がいくら力持ちだとしても引っかかりが無ければどうしようも無い。

〈人手ならハクを呼んだらいいんじゃねえか?〉

「え? 良いの?」

〈良いの?ってアイツはお嬢ちゃんの妖精だろう。向こうの一美を説得してこっちに引っ張りゃいい。それだけの話じゃねえか〉

 まぁ、それはそうなのだけど。女の子一人を荒野に残してしまうのは同性として心配になる。それに三太君の事もあるし……。

「……」

 いや、背に腹は代えられない。私が超特急で帰れば済む話なのだ。ここはハクを使ってみよう。

〈なるほど。そう言うことでしたら一美さんから承諾は得ましたわ。すぐに飛びます〉

 テレパシーが届くと同時に、私の側にフードを纏った人型が現れる。フードから漏れる白銀の毛髪、どうやら外出仕様らしい。

 私はハクに獲物を背負わせると再び移動要塞になってゲルへと急いだ。分離体のハクが私の動きについていけるのか心配だったけど杞憂に終わった。人型になったハクの能力は大体私と同じ。分離体での変身能力の限界は私の人間態が基準になっているみたいだ。

「「「ただいま!」」」

 お帰りなさい。そう言って一美ちゃんはゲルの外で私達を迎えてくれた。荒野には解体用の道具が一式並べられている。私達の帰宅を見越して準備していてくれたみたいだ。

「……」

 そして、それらの道具にはすべからく都市の紋章が刻印されている。

「ねえ一美ちゃん、この道具ってどこで手に入れたの?」

「ああ、昴衆からの配給よ。私達のゲルの場所は共有されているの。外側で生き残るためには色々と入用だからこうして色々と貰っているの」

 これもたづな様のおかげよ。一美ちゃんはナイフを手に胸を張る。リーダーの偉業を誇る気持ちは私にもよく分かる。

〈ご主人様〉

 ハクからテレパシーが届く。私達が出かけている間にその配給が行われていたようで、フード姿の人たちがゲルに色々と届けていたようだ。けど、その物資のほとんどが都市製と思われるモノ。昴衆は都市と一体どんな関係を築いているんだろう……。

「ほらハルちゃんぼさっとしない。これ結構な力仕事だから手伝ってもらうよ」

「え……やらなきゃいけない……?」

 ぼさっとしていたら腐敗が始まってしまう。確かにそれは分かるのだけど、両手にはへし折った時の感覚がまだ生々しく残っている。そこからさらに解体までいくと……。

「絶対に臭い……」

「文句言わない! 刃物の作業は私がやっちゃうからほらそこもって」

「一美ちゃん私にだけキビシくない?」

「そりゃそうよ、昴衆の序列は基本加入順だもの。ハルちゃん碌にお仕事出来ないんだから新入りらしく私達の言うことを聞くの」

「ひぃ~~~」

 一美ちゃんの腕は本物で、血抜き、内臓の処理、可食部の保存に毛皮の保管作業まで手際よくこなしていった。

 私といえば言われるがままの雑用。血と臓物の生暖かい洪水を前に度々貧血を起こして、気づけば全身血まみれ汗まみれ。元々食欲は無いけれど、私の始めての狩りを記念しての夕餉の招待は辞退させてもらった。

 超人と言えどストレス性の生理現象は健在。その日私は沈み込むように久しぶりの眠りに落ちた。

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